電話を切った直後、スマホがまた震えた。竹谷沙雪(たけや さゆき)からのメッセージだった。【藍里さん、もう心は決まりましたか?】藍里の指先は、画面の上をさまよっていた。やがて打ち込んだのは、短い言葉。【決めました。雅也とは、別れます】栗栖雅也(くりす まさや)。その名前を心の中でそっとなぞるだけで、胸の奥がじんわりと熱を帯びて痛む。初めて雅也を見たのは、高校の入学式だった。新入生代表として壇上に立ち、真新しい制服姿で、春の日差しを浴びながら、透き通るような涼やかな声で挨拶をしていた。あの頃の彼は学年中の女子が憧れる存在で、成績優秀、容姿端麗、何もかもに恵まれた人だった。一方の藍里は児童養護施設育ちの、成績もぱっとしない平凡な生徒の一人。彼に話しかける勇気すらなかった。すべてが変わったのは、高校二年の時。雅也が愛人の子だという出自が暴かれ、母親のあられもない写真が学校中に貼り出された。一夜にして、彼は誰もが憧れる存在から、蔑む対象へと転落した。周囲から孤立し、嘲笑され、ついには川へ身を投げるまでに追い詰められていた。彼を川から引き上げたのは、藍里だった。あの夜、ずぶ濡れのまま、虚ろな目で彼は尋ねた。「……どうして、助けたんだ?」どうしてかなんて、自分でもわからなかった。ただ彼の手を強く握りしめた。その手を離してしまえば、彼がまたどこかへ消えてしまう気がして。それから二人は、十平米ほどの安アパートで身を寄せ合って生きてきた。大学受験の結果が出たとき、二人とも私立だったため、どちらか一人分の学費しか払えないことは、最初からわかっていた。藍里は迷わず進学を諦めた。「どうして?」と彼は聞いた。「私の成績じゃ、大した大学には行けないもの」と、藍里は笑ってみせた。「あなたを行かせなきゃ。生活費なら心配しないで。今だってバイトを三つ掛け持ちしてるから、なんとかなる」彼は長いこと黙り込み、やがてぽつりと言った。「藍里……必ず、幸せにする」そしてその言葉どおり、彼は本当にそれを叶えた。飛び級を重ね、修士から博士へと一気に進み、二十四歳で西京大学史上最年少の教授となった。「天才学者」と呼ばれるようになった彼は、藍里を伴って川の見えるタワマンへと引っ越した。これでやっと今までの苦労も報われ
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