前世では、誰もが早紀を羨んでいた。とんでもない幸運に恵まれて、あの裕也に嫁げるなんて、と。彼の前途は洋々たるものだった。若くして国内屈指の物理学研究所に入り、誰もが認める天才研究者であるばかりか、顔立ちも整い、佇まいにも気品がある。どこにいても人目を引くような人に嫁げるなんて、よほど前世で徳を積んだに違いない。周囲は皆、そう口にした。早紀自身も、かつては本気でそう信じていた。自分には不釣り合いだと思いながらも、身を焦がすほどの想いを胸に抱いて、彼に嫁いだのだ。結婚初日、裕也は彼女にこう告げた。「俺の中では、研究が常に一番だ。恋愛にかまける時間も、家庭を顧みる余裕もない。覚悟しておいてくれ」早紀は頬を赤らめながらこくりと頷いた。「わかってるわ。研究に打ち込んで。家のことは私に任せて」彼女は本心からそう思っていたし、実際にその言葉通りに尽くした。彼に時間がない分、家事はすべて彼女がひとりで背負った。洗濯も炊事も掃除も、彼の身の回りの世話のすべてを抜かりなく整えた。彼がそうしたことに頓着しない分、誕生日も記念日もバレンタインも、他人が花や贈り物をもらう姿を横目に見ながら、決して羨んではいけないと自分に言い聞かせた。彼は大きな仕事をする人なのだから、恋だの愛だのにかまけるのは俗っぽいことなのだ、と。彼が研究に没頭しているのだからと、交通事故に遭った時も自分で救急車を呼び、流産した時もひとりで病院へ赴いて手術を受け、身内の命日にもひとりきりで墓参りをした。そのうち彼女は、彼の実験の邪魔になることを恐れるあまり、自分が癌だとわかっても秘密にした。こっそり化学療法を受け、意識が朦朧とするほどの吐き気に耐えながらも、何食わぬ顔で家に帰り、また彼のために洗濯をし、温かいご飯を作り続けた。一方、裕也は研究だけに打ち込み、30歳で国内最高峰の科学賞を受賞し、35歳には国内最高峰の学士院会員に選ばれた。そして40歳、ついにノーベル賞を受賞し、世界中から注目を浴びる存在となった。世界中に生中継されたインタビューで、司会者が彼に尋ねた。「浅村先生、これほど輝かしい功績を残されたのは、ご家族の支えがあってこそでしょう。奥様についても少しお聞かせいただけますか?」カメラの前の裕也は、あの涼やかで理知的な表情のまま金縁の眼鏡を押し上げる
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