All Chapters of あななたにだけは、わかってほしい: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話:疲れ

いつもなら、コウタはウイスキーの最後の一滴まで自分のテリトリーを守り抜く。だが今夜は違った。「手取川」での疲労と、空腹に流し込んだ度数の高い琥珀色が、彼の理性の壁を内側から溶かしていく。「ふっ……あは。……見て、このコメント。……『コウタ、死ねばよかったのに』……だってさ」コウタが、カナの太ももの熱さに顔をしかめる。「……熱いよ」カナは聞こえないふりをして、グラスを傾けた。 カナの声は低く、どこか楽しげに震えていた。グラスを握る指先がわずかに緩み、モニターを見つめる視線も定まらない。感情を殺して「燃料」を摂取するいつもの彼ではない。酒の力で、剥き出しの虚無が笑いとなって漏れ出している。「……飲みすぎ。だらしないわよ、コウタ もっと飲んだら?でも吐くなら家からでていってよ」カナはコウタの膝の上で、冷めた声を出した。彼女の手元には、まだ半分以上残っている『よわよい 2%』。意識は氷のように澄み渡っている。酔って無防備になったコウタの喉仏の動き、緩んだ口角、自分を抱き寄せる力の加減――そのすべてを、彼女は逃さず記録していた。「……いいだろ。……お前が望んだ通り、世界中から……嫌われてやったんだ。」「あんた好きなやつなんてどこにもいないわよ」 ウイスキーを煽る。ばれたくない世間には。熱い吐息から、濃いウイスキーの香りが漂う。いつもはカナが「デレ」をぶつけ、コウタがそれを「回避」する側。だが今は、コウタの重みが、そのまま彼の「依存」としてカナにのしかかっていた。「……そんなに酔って。……明日、私に酷いこと言われても、泣かないでよね」 カナはコウタの髪に指を潜り込ませ、その頭を自分の方へ強く引き寄せた。スマホの画面には、解析データのグラフが残酷な右肩上がりを描いている。世間を騙し、相棒を壊し、その残骸を愛でる。「……泣くわけ、ないだろ。……俺には、これがあるんだから」コウタは空になったグラスを掲げ、虚空を見つめて笑った。カナはそれに応えず、ただ冷たい瞳で、自分に寄りかかる「壊れかけた相棒」を抱きしめる。2%の冷静さと、40度の狂気。モニターの青白い光に照らされた二人の影は、どちらが支配者で、どちらが隷属者なのか、その境界すらも曖昧に溶かしていった。​「……てか、カナごめん……。飲みすぎた……かも……」​
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第12話:三日目の朝、空白の対価

重いカーテンの隙間から、容赦のない朝日が差し込んでいる。コウタは、鉛のように重い身体を引きずるようにしてキッチンに立っていた。ひどい頭痛。初日の夜、ウイスキーを煽り、カナに縋り付いたあの日から、自分の中の時計は止まったままだ。飲んだ当日の記憶だけが、すっぽりと抜け落ちている。だが、二日目、三日目と積み重なったカナの体温、肌が擦れる熱、絶え間なく繰り返された執着の形だけは、消えない火傷のように身体に刻み込まれていた。「いった、またあいつ噛みやがった」コウタは震える手で蛇口をひねり、グラスに水を注いだ。一気に飲み干しても、脳裏に焼き付いた「熱」は引かない。自分が何を言い、どれほど無様に彼女を求めたのか。空白の記憶への恐怖よりも、今、カナのいない数歩の距離がひどく寒く感じられることに、絶望的な敗北感を抱いていた。フライパンの上で、卵が焼ける音だけが響く。彼はあえて丁寧に朝食を作ることで、崩れかけた自分を辛うじて繋ぎ止めていた。「……おはよ、コウタ。……いい匂い」背後から、カナの熱っぽい声がした。コウタが動く間もなく、柔らかな体温が背中にぴったりと貼り付く。シャツ越しに伝わる、カナの心臓の鼓動。細い腕が腰に回され、当然のように自分の領土を主張し始める。いつもなら反射的に「回避」し、冷たく突き放すはずの距離。だが、コウタの手が彼女の腕を振り払うことはなかった。それどころか、彼は溜息をつきながら、自ら背中の体温に寄りかかるように身体を預けた。「……おい料理中なんよ」「……だから?」カナはコウタの首筋に顔を埋め、深く、吸い付くように熱い吐息を漏らす。コウタはその刺激に肩を震わせ、力なくカナの頭を撫でた。二日間、彼女という檻の中で徹底的に甘やかされ、壊された感覚が、心地よく脳を麻痺させている。自分が壊れた人間だという自覚さえ、今はただの安らぎでしかなかった。並んで座るテーブルの上には、二人分の朝食。かつての「ビジネス不仲」の面影など、どこにもない。「……ねえ、コウタ」「どうした」「……しあわせ」「……お前悪いもんでも食ったか」「コウタ」「俺悪くないから、何なら飯作ってるから」「……今までで、一番美味しい朝ごはんだと思う」「まだ一口も食べてねえだろ。何言ってんだ?……ほら、焦げるから離れろ。並べるぞ」 「はー
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第13話:独りの完成

小松の廃工場に、硬質な金属音が反響する。天井の梁から滴り落ちた銀色の糸が、コンクリートの床をじわりと侵食していた。コウタは暗がりに潜む「鉄喰いの銀糸」の気配を、冷徹に見定めていた。いつもなら、このタイミングでカナの影が視界を遮っているはずだった。「邪魔!」と叫んで横から割り込み、獲物を横取りする彼女の身勝手な魔法。耳をふさぐような高笑い。それが、ない。コウタは無意識に、右側の空白へ視線を飛ばした。誰もいない。分かっているのに、数秒後にはまた、視線が右側を求めて彷徨う。一歩踏み出し、水槍を放つ。計算通り。完璧な命中。(……いつもなら、ここでカナが「下手くそ!」って罵倒してくる)魔物が体勢を崩す。(……いつもなら、ここでカナが私の手柄よって笑いながら突っ込んでくる)静かだ。静寂が、鼓膜を内側から殴りつけるようにうるさい。クセになっている。カナの位置を確認し、彼女の動きを前提に立ち回る自分の体が。何のノイズもない「自分が自由にできる戦場」は、コウタにとって、呼吸の仕方を忘れるほど不自然な空間だった。魔物の核を貫き、巨大な節足がコンクリートに沈む。廃工場は、元の死んだような静寂に包まれた。コウタは荒い息を整えながら、誰にも邪魔されずに手に入れた「勝利という金」を見下ろす。「……」静かだ。自分の呼吸音と、魔物が這う微かな音しか聞こえない。コウタは無意識に、また右側を見た。――もう、確認する必要なんてないのに。不意に、視界の端で銀糸が閃く。読める。絡め取ろうとする糸の軌道を最小限の動きでかわし、コウタは計算通りに掌を向けた。「ウォーターランス」放たれた水の槍は、一点の曇りもなく魔物の関節部を貫く。カナに合わせる必要がない。彼女の気まぐれな突進をカバーするために、魔力を余分に温存する必要もない。自分のリソースを、自分のためだけに、最も効率的なタイミングで注ぎ込める。身体は驚くほど軽かった。一歩踏み出すごとに、自身の肉体が「正常」に、そして「最適」に駆動していることを自覚する。魔物の鎌が空を切る。ああ、ふとこう思ってしまう。(……一人で、十分なんだよな)かつて夢見た「効率的で静かな攻略」が、今、目の前で完璧に完遂されようとしていた。魔物の動きが鈍る。いや変わっていないのか、俺の感覚が変わったんだな
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第14話:嘘の言い分け

父が居間のソファで、重い沈黙を破った。「コウタ、あまりにも帰ってこないじゃないか。向こうで何を……」父の視線が、手元のタブレットに向けられる。そこには、D-tubeに投稿されたコウタたちの攻略動画が映し出されていた。「……この動画も見た。あの子、カナさんだったか。君に対してあまりにも酷い扱いじゃないか。罵倒して、こき使って。あんな場所にいて、君の心は大丈夫なのか」父の言葉は、親としての純粋で、正しい心配だった。コウタは感情を一切動かさず、タブレットを手に取ると、管理画面の収支グラフを表示した。「……父さん、今の俺たちの仕事は、ただ潜るだけじゃないんだ」コウタは画面を指で弾き、カナのアパートに揃えた機材リストを見せた。「素材の売却益を最大化するには、日々のD-tube投稿が欠かせない。あいつの部屋にはそのための高性能な編集ワークステーションと、録画用ドローンのドックが揃ってるんだ。俺が離れたら、機材のメンテナンスも動画の管理も止まる」淡々と、しかし隙のない口調で事実を並べる。「素材はギルドの加工業者に丸投げしてるけど、その手配もあそこが拠点じゃないと間に合わない。あのアパートは、俺たちにとっての『編集スタジオ兼、現場事務所』なんだよ。通いじゃ、今の利益率は維持できない」父が何か言いかけるのを、コウタは遮るように、しかしどこか熱を孕んだ口調で続けた。「あいつのあの態度は、視聴者が求めている『キャラクター』だ。俺が虐げられ、あいつが暴君として振る舞う。その対比が数字を生んでいる。これはビジネス上の役割分担なんだよ」コウタはさらに言葉を重ね、親を納得させるための「美談」を紡ぎ出す。「……確かに、あいつの厳しいところは目につくかもしれない。でも、本当は誰よりもすごい熱量でD-tubeに向き合ってるんだ。俺は、あの子のあの後ろ姿に引っ張られて、一緒にやってるんだよ。世間的には誤解されやすいけど、根はいいやつなんだ。高みを目指す現場には、多少の摩擦は付きものなんだ。父さんも、仕事なら分かるだろ」嘘だ、と内側の自分が囁く。引っ張られているのではない。鎖で繋がれているだけだ。「仕事」と「情熱」という言葉を盾に、父の親心を封じ込める。提示された売却益の数字と、拠点の合理性。そして息子の「信頼している」という言葉を前に、父は力なく頷くしかなかった
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第15話:毒の再会、鎖の甘美

ドアを開けた瞬間、換気扇の回っていない重く澱んだ空気がコウタの肺を焼いた。安酒の甘ったるい刺激臭と、数日間換気されていないカナの体臭。実家で洗ってきたばかりのシャツが、一瞬で汚染されていく感覚に、コウタは逆説的な安堵を覚えた。「おかえり」床に座り込んでいたカナが、親しげに這い寄るような動作で近寄ってくる。彼女はコウタの胸元に鼻を押し当て、肺いっぱいにその空気を吸い込んだ。「遅い」実家という「正しさ」への執着が、彼女の歪んだ独占欲を刺激しているようだった。カナはコウタの首筋を鼻先でなぞりながら、ふと目を細める。「……どっか変わった場所、行った? なんか、変な匂いも混ざってる」実家の匂いの奥に潜む、一人で魔物を屠ってきた戦士の匂い。コウタは表情を変えず、淡々と嘘を吐いた。「別に。ギルドに用事があっただけだ。手続きが長引いた」「……ふーん。そ」カナは疑わしげに鼻を鳴らしたが、それ以上は追及しなかった。コウタはその隙に、コンビニ袋とタッパーをテーブルに置く。「ほら、ストゼロ。あとこれ、うちの母さんの差し入れ。食うだろ」カナはタッパーを開けるなり、手掴みに近い勢いで惣菜を口に放り込んだ。「……マジ野菜旨い」実家の母が時間をかけて作った優しい味を、彼女はストロングゼロの暴力的な炭酸で胃へ流し込んでいく。コウタはそのデリカシーのなさと行儀の悪さを汚いと受け入れられなかった。 「あんたの家の飯、毎日これなの? 贅沢すぎ。死ねばいいのに」口いっぱいに野菜を頬張りながら、カナが歪に笑う。不意に、カナがコウタの襟首を掴んで引き寄せた。口内に残る野菜の青臭さと、アルコールの匂い。それらを力任せに上書きするように、彼女はむさぼるようなキスを仕掛けてきた。以前よりも執拗で、呼吸を乱し、こちらの抵抗を防ぎ、喉の奥まで支配しようとする動きだ。舌を絡みつかせ、味を確かめるようなキスだ。コウタの舌には、シークヮーサーと安っぽい消毒液みたいなアルコール。カナには、漬物とごはんのでんぷん質が混ざった、ほんのり甘い味が残っている。そこには、実家に帰っていたわずかな間に、彼女が一人で何を「研究」していたのかが生々しく刻まれていた。いつもと違うキスの仕方。 そして、密着した瞬間に鼻腔を突いたのは、耐えがたい「異臭」だった。数日間、風呂にも入
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第16話:ビジネス不仲の舞台裏

「……ねえ、カナ。その、口悪いの、どうにかならないか」翌朝、機材をセッティングしながらコウタが溢した言葉に、カナは手にしたマイクを握りしめた。 昨夜、狂ったように痕跡を消し去ったあとの、重苦しい沈黙を引きずったままの朝。 カナは充血した目でコウタを睨みつけ、鼻先で冷たく笑った。「はあ? 何言ってんの。これが『カナ』の売りでしょ。視聴者は私の罵倒を求めてるの。アンタみたいな無能、それくらいしか使い道ないんだから。」コウタは溜め息をつき、録画開始ボタンに指をかける。「いやさ。プライベートでそれだと、正直きつい。……昨日の夜だって、もう少し普通に話せれば……」 「うるさい。私のきついの含めて好きなんでしょ!  それに昨日のことは忘れてって言ったから。デリカシーのない男……ほら、さっさと回しなさいよ。仕事よ、仕事」カナは無理やり会話を打ち切り、鏡の前で表情を「殺した」。 録画ランプが赤く点灯した瞬間、彼女の瞳に冷徹な光が宿る。「……はい、皆さん。今日も無能な犬を連れて、汚いダンジョンを掃除しに来ましたよ。コウタ、さっさとドローン飛ばしなさい。映りが悪いのは全部アンタの責任だからね」配信が始まれば、そこは慣れ親しんだ「ビジネス不仲」の戦場だ。 だが、実家付近で密かにレベルを上げてきたコウタの体は、以前よりも鋭く、精密に動く。 暗がりから飛び出した魔物を、最小限の動きで回避してみせた。 コメント欄が「今の避け方エグい」「コウタ、覚醒した?」と色めき立つ。 その反応が、カナの苛立ちを限界まで押し上げた。 自分の支配下にあるはずの「無能」が、自分の知らないところで価値を上げている。「ちょっと、調子乗ってんじゃないわよ!!」カナは演出を装い、死角からコウタの足を強く引っ掛けた。 よろめいたコウタの肩を掴み、マウントを取るように顔を近づけて罵声を浴びせる。「何してんの? 本当にゴミね。アンタなんて、私が拾ってあげなきゃ野垂れ死ぬだけの――」至近距離。 演出用の罵倒を遮るように、カナの体温とともに、脂ぎったにおいがブワリとコウタの顔を包んだ。 風呂にも入らず、部屋で執着を煮詰めていた、不潔な残り香。 無理。 コウタの理性で、何かがパチンと弾けた。 コウタは咄嗟に、手元のスイッチを弾くようにして配信を切った。画面が暗転し、接続終了の文
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第17話 :清潔感という断絶

アパートに戻る道中、二人の間に会話はなかった。先行して歩くコウタの背中は、かつてないほど頑なで、背後を追うカナの気配を一切拒絶しているようだった。部屋に入り、ドアが閉まった瞬間、コウタは荷物を床に叩きつけた。「……いいか、カナ。よく聞けよ」コウタは振り返り、玄関先で立ち尽くすカナを真っ向から見据えた。その視線には、怒りよりも冷淡な「通告」の色が濃い。「配信者以前の問題だ。今のままでカメラの前に立とうなんて、あのクソ視聴者を馬鹿にしてるだろ。……お前、今の自分の姿を鏡で見たことあるのか?」「……なによ、それ。私が、汚いって言いたいの?」カナの声は震えていた。恥辱と、指摘された図星への恐怖が混ざり合い、視線を泳がせる。「汚いんだよ! 部屋も、お前も! 昨日の夜からずっと、……配信は『ビジネス不仲』で売ってるけどな、清潔感がないのはヤバイ、ただの不快なゴミ映像だ。プロなら、最低限の身だしなみくらい整えろ堕ちるぞ!」コウタは一歩踏み出し、カナの腕を掴んだ。洗っていない肌の、ねっとりとした不快な感触。そのまま彼女を脱衣所へと引きずり、浴室の扉を乱暴に開け放つ。「今すぐ風呂に入れ。全部。……お前がまともな状態に戻るまで、俺は一歩も仕事の話はしないし、カメラも回さない」「嫌。……離してよ!」カナは泣き叫びながら抵抗するが、コウタの力は微動だにしない。彼は無言でシャワーの蛇口を捻った。冷たい水がタイルを叩く音が、カナの悲鳴をかき消していく。「わかった。わかったわよ……入ればいいんでしょ!?」カナは崩れ落ちるように床に膝をつき、顔を覆って泣きじゃくった。コウタはその背中に冷ややかな視線を一瞥だけ投げ、脱衣所を出てドアを閉めた。リビングに戻ったコウタは、窓を全開にして、部屋にこびりついた執着の匂いを外へと追い出した。だが、どれだけ空気を入れ替えても、鼻の奥に残る「この匂い」と、実家の澄んだ空気の落差は、消えることがなかった。「……一緒に入ってよ」浴室から聞こえてきたのは、絞り出すような、ひどく掠れた声だった。タイルの上でうずくまっているのか、声は低く籠り、湿った空気に混じってコウタの耳に届く。「一人じゃ……無理。……ねえ、コウタ。お願い、入ってきてよ」それは、配信で見せる傲慢な「カナ」でも、自分を正当化する強がりでもなかった。
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第18話:腐敗の証明

「……答えろよ。誰なんだ」コウタの指先が、カナの首筋に食い込む。石鹸の香りで上書きされているはずなのに、コウタの脳裏には、あの粘つくような「他人の気配」がこびりついて離れない。カナは恐怖に顔を歪めながらも、その瞳の奥に、ぞっとするような暗い光を宿した。「……そんなに知りたい? 私が……あんたがいない間に、何をしてたか」カナの唇が、自嘲気味に歪む。「上手くなってたでしょ?キス」「ふざけんな!!」「そうね。画面の向こうには、腐るほどいたわよ」「……っ」 「必死だったんだよ。 コウタを繋ぎ止める方法、 ずっと調べてた」「誰と?」「……誰とって。 動画のモデルよ。 男とか、呼んでないから」「え?」コウタの理性が、激しい猜疑心と嫌悪で真っ白に染まった。この部屋に、自分がいない間に見知らぬ空気が入り込み、カナの思考を侵食した。その想像が、コウタの中に眠る独占欲を叩き起こす。「動画だか何だか知らないが、あんな生臭い匂いがするまで何を研究してたんだよ! 配信者としてのプライドはどうしたんだ!」「動画、見たわよ。 たくさん。 どうすれば、男を逃がさないか。 どうすれば、依存させられるか。 ……全部、勉強した」(……そのために)(……キス、上手くなった) (……俺を、実験台に)カナが叫び、コウタの手を振り払って、逆に彼の胸ぐらに掴みかかった。その勢いに押され、コウタは掃除したばかりの床に倒れ込む。カナは馬乗りになり、狂気すら感じさせる笑みを浮かべて顔を近づけた。濡れた髪の先から滴る水が、コウタのシャツに落ち、染みを作る。彼女の太腿が、コウタの腰を挟むように微かに動いた。——湯上りの温もりと、まだ完全には拭えていない「あの匂い」の残滓が、布越しに伝わってくる。「あんたが実家帰る前、 脱ぎ捨てたシャツ。 ……あれ、ずっと抱えてた。 洗わないで。 あんたの匂いが消えないように」(……あのシャツ洗濯機に入れたはずなのにない、と思ったら まてこいつ何言って)コウタの思考が停止した。男といたのは気のせいだったのか。だとしてもおかしい。あんなにキスが変わるなんておかしい。3日前、3日しかたってない。そんなコウタの内心を無視してカナの指先が、コウタの頬をなぞる。その動きは、彼女が動画で何度も見返した「男を
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第19話 :断ち切れぬ糸

あれから何日も俺たちは互いを求め合った。「……親父にさ。たまに帰るって言ったんだ」 機材の最終チェックをしながら、コウタは背中越しに呟いた。昨夜の狂乱を換気したはずの部屋に、「自分の正しさ」を再確認するように、乾いた声を響かせる。「母ちゃんにも、ちゃんと連絡するって約束した。……定期的に顔を見せるよ。俺も、あっちの方が落ち着くしな」それは、カナの執着から自分を切り離すための「宣言」でもあった。だが、返ってきたのは、予想していたヒステリックな拒絶ではなかった。「……ふーん。いいんじゃない? 親孝行は」「……それだけ?」「何が?」「いや……もっと、なんか言うかと思った」「アンタが帰りたいなら帰れば?」コウタはなぜか、胸の奥がざわついた。俺が求めていた反応は、こんなのじゃなかった。もっと死に物狂いで縋り付いてくるか、ヒステリックに怒鳴られると思っていたのだ。カナはソファに深く腰掛け、爪を弄りながら、驚くほどあっさりと答えた。その声には、かつての焦燥や余裕のなさが微塵も感じられない。コウタは眉を潜め、振り返って彼女を盗み見た。カナは薄く微笑み、何か楽しいことでも考えているかのように、柔らかな表情でスマホを眺めている。「なんだよ。もっと喚くかと思ったけど」「まさか。アンタがそうしたいなら、そうすればいいじゃない。私はここで、アンタの帰りを待ってるだけだから」カナは優雅に立ち上がり、鏡の前で髪を整え始めた。その余裕のある態度に、コウタは逆に得体の知れない違和感を覚える。あの死に物狂いで縋り付いてきた女はどこへ行ったのか。だが、カナの脳内は、コウタの想像も及ばないほど「前向き」な闇で満たされていた。(いいよ、コウタ。たまに帰ればいい。その間に私は、溜まった映像をじっくり編集して、アンタの寝顔を何度も見返すんだから。……新しい角度、試してみようかな。もっとアンタが無意識に見せる表情、引き出せるはずだから)カナは鏡越しにコウタを見つめ、陶酢したように瞳を細めた。隠し撮りした「無防備なコウタ」のアーカイブを整理し、どうすればもっと彼を支配できるか、ネットの海に沈んで研究を重ねる。彼が「実家」という外気に触れて帰ってくるたび、自分の手でまた「上書き」して、汚していく。その工程を想像するだけで、カナの胸は甘美な期待に震えていた。
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第20話:巨像の沈黙、ペットショップの魔境

「ああ、着いた。」能美の湿った風が、錆びついた鉄の匂いを運んでくる。時刻は午後二時を回ったところだ。かつてのレジャーランドの面影を残すその場所で、ひときわ異彩を放つ「巨人の像」が、濁った空を仰いでいた。周囲のペットショップ跡地は、魔力汚染によって植物と檻が癒着し、生物の鳴き声一つしない「魔境」へと変貌している。「あいつには、誰も勝てない。ギルドのA級パーティが全滅したって噂だ。……刺激するなよ。俺たちは、その足元のショップ跡で『マナ結晶』を回収するだけだ」コウタはアイアン・パイン号のエンジンを切り、震える手でドローンを起動した。配信画面には「進入禁止区域:巨像の足下」という警告テロップが踊る。だが、カナの【飢餓の獣(ハンガー・ドライブ)】は、目前の絶対的な強者――巨人の像を見上げ、ゾッとするような昂ぶりを見せていた。「勝てない? ふふ、いいじゃない。圧倒的な暴力に踏み潰されるのって、どんな気分かしらね。……コウタ、あんたもそう思わない?」カナは、コウタの首筋に冷たい指を滑らせた。巨像の影が、二人を飲み込むように長く伸びている。ショップの内部に入ると、そこは「かつて可愛がられていたもの」たちの怨念が、魔物となって蠢く檻の迷宮だった。「カナ、来るぞ! 影に潜んでる!」コウタが【水槍(ウォーターランス)】を低く構える。檻の隙間から、変異した水棲魔物や小型の獣型魔物が次々と襲いかかる。カナは【絡め取る残火(エモーショナル・バインド)】を縦横無尽に展開し、魔物を捕獲しては、執拗に壁へと叩きつけた。「見てよ、コウタ。あそこに閉じ込められてる子たち。……あんたに似てるわね。檻の中で、飼い主に愛されるのを待ってるだけの、無力な生き物」「そんな話してる場合か! 巨像の魔力が……共鳴してる!」巨像がわずかに震えただけで、ショップの床が激しく波打つ。抗えない絶対的な重圧。コウタは膝を突き、激しい疲労感に襲われた。その時、カナがコウタの背後から抱きしめるようにして、彼の耳たぶを噛んだ。「ねえ、怖い? あの巨人に、全部踏み潰されるのが怖い? ……大丈夫よ。アンタを殺すのは、あの石像じゃない。私なんだから。ねえ、もっと私を見て。外の世界なんて、全部壊れちゃえばいいのにね」巨像の見守る静寂の魔境で、カナの独占欲が、魔物以上の脅威となってコウタを
last updateLast Updated : 2026-08-16
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