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第11話:疲れ

last update publish date: 2026-08-15 12:41:06

いつもなら、コウタはウイスキーの最後の一滴まで自分のテリトリーを守り抜く。

だが今夜は違った。

「手取川」での疲労と、空腹に流し込んだ度数の高い琥珀色が、彼の理性の壁を内側から溶かしていく。

「ふっ……あは。……見て、このコメント。……『コウタ、死ねばよかったのに』……だってさ」

コウタが、カナの太ももの熱さに顔をしかめる。

「……熱いよ」

カナは聞こえないふりをして、グラスを傾けた。

カナの声は低く、どこか楽しげに震えていた。

グラスを握る指先がわずかに緩み、モニターを見つめる視線も定まらない。

感情を殺して「燃料」を摂取するいつもの彼ではない。

酒の力で、剥き出しの虚無が笑いとなって漏れ出している。

「……飲みすぎ。だらしないわよ、コウタ

 もっと飲んだら?でも吐くなら家からでていってよ」

カナはコウタの膝の上で、冷めた声を出した。

彼女の手元には、まだ半分以上残っている『よわよい 2%』。

意識は氷のように澄み渡っている。

酔って無防備になったコウタの喉仏の動き、緩んだ口角、自分を抱き寄せる力の加減――そのすべてを、彼女は逃さず記録していた。

「……いいだろ。……お前が望んだ通り、世界中から……嫌われてやったんだ。」

「あんた好きなやつなんてどこにもいないわよ」

ウイスキーを煽る。ばれたくない世間には。

熱い吐息から、濃いウイスキーの香りが漂う。

いつもはカナが「デレ」をぶつけ、コウタがそれを「回避」する側。

だが今は、コウタの重みが、そのまま彼の「依存」としてカナにのしかかっていた。

「……そんなに酔って。……明日、私に酷いこと言われても、泣かないでよね」

カナはコウタの髪に指を潜り込ませ、その頭を自分の方へ強く引き寄せた。

スマホの画面には、解析データのグラフが残酷な右肩上がりを描いている。

世間を騙し、相棒を壊し、その残骸を愛でる。

「……泣くわけ、ないだろ。……俺には、これがあるんだから」

コウタは空になったグラスを掲げ、虚空を見つめて笑った。

カナはそれに応えず、ただ冷たい瞳で、自分に寄りかかる「壊れかけた相棒」を抱きしめる。

2%の冷静さと、40度の狂気。

モニターの青白い光に照らされた二人の影は、どちらが支配者で、どちらが隷属者なのか、その境界すらも曖昧に溶かしていった。

​「……てか、カナごめん……。飲みすぎた……かも……」

​コウタは視界を揺らしながら、天井を仰いだ。

安物のウイスキーが神経を麻痺させ、思考の輪郭がドロドロに溶け出していく。

カナはその無防備な胸元に顔を寄せ、2%の冷静な瞳で、彼の表情を執拗に観察し始めた。

​「……ねえ、コウタ。……今のあんたなら、本当のこと言ってくれるよね。バーカ」

​「ホントのことってなんだよ」

​カナは決して急がなかった。

コウタの指先がわずかに痙攣し、視線が焦点を結ばなくなるまで、彼が吐き出す「嘘」を静かに聞き流し続けた。

​「……カナ、……俺は……まだ、ぜんぜん……よゆう……」

​言葉とは裏腹に、コウタの身体は重力に従うように沈んでいく。

カナは彼の首筋にそっと指先を滑らせた。

トク、トク、と、アルコールで加速した早鐘のような鼓動が指に伝わる。

それが「本音を吐き出す準備が整った」という、彼女にとっての合図だった。

​「……ねえ。本当は、私のこと、死ぬほど嫌いなんでしょ?重い?

 とか思うの?別にあんたがどう思ってても気にしてないけどさ」

​カナの声は、凪いだ海のように静かだった。

反論を許さない温度。

コウタは震える瞼を上げようとして、重力に負けて再び閉じた。

​「……重い、よ。……ほんとは、もっと……一人になりたい……。……まじ、限界、……」

おかしかった。いつも酒が回っていても自分の都合の悪いこと流せるのに、今は弱いアルコールなのにカナは耐えられなかった。自分を受け入れてくれない自分のことを置き去りにして一人にしようと本音を話す彼が。

​「はあ!!!一人って何! ずっとここにいてよ! 私こんなにコウタが好きなんだよ!なのになんでわかってくんないの!いつもいつも!!もっと、もっと!!二人の時間大切にしてよ!限界ってなに!!」

​カナの声には、微かな震えが混じっている。

問いかけるたびに、カナの指がコウタのシャツを強く握りしめる。

「嫌だ」「重い」「限界」

その言葉を引きずり出そうとする彼女の瞳は、期待と恐怖で濁っていた。

​コウタは呻くように吐き出した。

あまりにストレートな拒絶。だが、酔いの深淵にいる彼は、さらにその奥にある「本音」を言葉にした。

​「……でも、お前が、俺のこと、すきだから……」

​「…………え?」

​「……そういうとこ……重いところ、……すきなんだよ。……お前にそうやって……ぐちゃぐちゃにされるのが、……たぶん、……すきなんだ」

​コウタはそう言って、力なく笑った。

その笑みには、彼の本音と絶対的な愛着が混ざり合っている――カナは、そう信じたかった。

「重いから嫌い」ではなく、「重いからこそ、離れられない」。

酒のせいで防衛本能を失った彼が吐き出したのは、カナにとっての完全な「勝利宣言」であり、同時に「心中への招待状」だった。

​カナはコウタの顔を見つめた。

「嫌だ」「限界だ」という叫びのすべてが、自分への歪んだ愛着の裏返し。

彼女の全身に、ウイスキー以上の熱い高揚が駆け巡る。

​「…あは、……あはは! ……なんだ、……そうなんだ。……コウタも、不安なんじゃん。私と一緒だったんでしょ」

​カナは恍惚とした表情で、コウタの唇を力任せに塞いだ。

ウイスキーの苦味と、安っぽい人工甘味料の味。

そして、今たった今聞き出した、世界で一番甘くて重い「敗北の味」。

​「……ねえ、コウタ。……私たち、似てるよね」

​「知らなかったのか」

カナは、その言葉に少しだけ泣きそうになった。

​そして、コウタの首筋に顔を埋め、熱っぽい吐息を漏らした。

外の世界を騙し、お互いを傷つけ合うことでしか、自分の輪郭を保てない二人。

鏡合わせのような孤独と歪みが、暗い部屋の中で重なり合う。

​「……一生、こうしていようね」

​壊れていく男と、それを抱きしめる女。

籠城初日の夜は、救いようのない愛の告白と共に、深淵へと沈んでいった。

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