LOGIN石川県、小松市。 どんよりと低い雲が垂れ込める空の下、ダンジョン配信者のコウタとカナは、今日も「ビジネス不仲」という虚飾を演じ続ける。 ストロングゼロの饐えた匂い、埃を被った機材、そして互いの肌を汚し合う執着。 彼の匂いなしでは呼吸さえままならず、その体温を執拗に奪い去るカナ。 能美の空にそびえる正しさという光で世界を照らそうとも。 二人は互いの首を絞め、境界線を溶かし合いながら、この狭い檻の中で叫び続ける。 「あなたにだけは、わかって欲しい」 これは、世界を騙し、自分たちさえも壊しながら、地獄の底で「唯一の真実」を飼い慣らす二人の、救いようのない共依存の記録。
View Moreダンジョン深層、湿った冷気が肌を刺す。
浮遊するドローンカメラの赤ランプが、二人の一挙手一投足を世界へ届けていた。「……のろい! 回復が遅いって言ってんでしょ、この無能!」
カナが叫び、闇を纏った剣を横一文字に振る。
襲い来る魔物の爪を紙一重でかわし、その喉元へ。 だが、連戦による疲労で、彼女の回避はわずかに精彩を欠いていた。 コウタは一歩引いた位置で、意識を集中させる。 自身の精神を削り、肉体的な「代償」を支払う感覚。 心臓が警鐘を鳴らし始める。「……肉体回帰(リライト・ログ)!カナ!」
コウタの指先から放たれた清冽な水が、カナの身体に溶け込む。
瞬間、彼女の傷が塞がり、失われかけた機動力が強制的に引き戻された。 代償として、コウタの肺が焼けるように熱くなる。 全力で100メートルを駆け抜けた直後のような、暴力的な鼓動。 酸欠で視界がチカチカと点滅するが、配信は止まらない。 視聴者のコメント欄が、熱狂で加速する。 『出た! カナちゃんの罵倒からの超速コンボ!』 『コウタのヒール、タイミング神すぎだろw』 カナはカメラを意識した傲慢な笑みを浮かべる。 だが、すれ違いざま、彼女の指先がコウタの腕を、痛いほど強く掠めた。「うるさい! はやくして!」
それは助けを求めているのか、あるいは「逃さない」という警告か。
コウタは、あまりの疲労に感情にふたを閉じる。 頭が働かない。彼女の重すぎる執着に、自分まで飲み込まれる。 いつもそうだ。彼女の勢いに負けて、自分を殺してしまう。 魔物の群れは途切れない。 コウタは数回の【水槍(ウォーターランス)】でカナの死角を援護し、そのたびにジョギング程度の重い疲労を積み上げていく。 そして、カナの深い傷を塞ぐたびに、何度も、何度もスキルによる疲労を蓄積していった。 最後の一滴を絞り出すように、コウタは指先を合わせた。「……肉体回帰。これで、俺の全部だ……」
コウタが捉えているのは、カナの最強のハンターとしての勇姿。
その瞳に宿っているのは、美しいパートナーへの狂気的な恍惚だった。 彼女が地を蹴ると同時に、闇の触手が生き物のようにしなり、周囲の魔物を容赦なく捕獲する。 逃げ惑う標的の四肢を絡め取り、骨の砕ける音が湿った空間に響く。 もはや戦闘ではなく、一方的な解体作業。 コウタの疲労を燃料にして、その触手で獲物を磨り潰していくカナの姿に、コメント欄は熱狂を通り越し、生理的な恐怖すら抱き始めていた。 やがて。 最後の魔物が肉塊に変わった瞬間、カナは一歩も動けなくなったコウタの元へ歩み寄る。「……終わったよ、コウタ。ねえ、私、すごかったでしょ?」
彼女はドローンカメラを乱暴に掴み、無造作に電源を切った。
赤ランプが消え、静寂が訪れる。 コウタは肩で息をしながら、かすれた声で告げた。「……終わったのか」
カナの顔から、一切の表情が消えた。
彼女は返り血のついた手で、コウタの頬を強く撫でる。 そのまま鼻先を彼の首筋に擦りつけ、まるでマーキングするかのように執拗に嗅ぎ回る。 「少し実家に帰っていいか。」 「……帰る? 自分の家に? ……ふざけないで。あんた、今一歩も歩けないでしょ」 「……ちょっと一人に、なりたいんだ。頼むから」それは能力の副作用ではなく、彼自身の、心からの願い。
だが、カナの指が彼の髪を強く掴む。「ダメ。それよりさ」
カナはコウタの腕を自分の肩に回し、強引に立ち上がらせる。
密着した身体から伝わる、彼女の異常なまでの熱。 そして、甘酸っぱさと鉄の混ざった血と女のにおい。「帰るわよ、私たちの家に」
コウタのささやかな願いは、返り血の匂いと共に、閉鎖的な執着の中へと沈んでいった。
「……ねえ。今日、あたし休むから」薄暗い部屋で、カナは下着姿のまま、だらしなく椅子に座っていた。昨夜の熱っぽい匂いが、まだ肌に張り付いている。カナはわざとらしく立ち上がり、無防備な背中を見せながら、冷蔵庫へと向かった。白くて細い体が、狭い部屋をフラフラとさまよう。「昨日の動画、あんなに凄かったんだもん。どうせ最高にバズるわよ。今日一日くらい、寝てたっていいでしょ」冷蔵庫から取り出したのは、水ではなく、飲みかけのストゼロだった。「あぁ、まじぃ」 吐き捨てるように言うと、カゴに転がっていた皮の黄色いバナナを一本引っ掴む。筋を気にも留めず皮を剥き、むしゃむしゃと口に放り込んだ。「酒とバナナで朝食完了。あーあ、栄養バランス完璧すぎて泣けてくるわ」 本当は、休みたいわけじゃない。自分を冷たくあしらうこの男が、いつまで「冷静」でいられるか試したいだけだった。「……勝手にしろ。編集は今やってる」コウタはパソコンの画面を見たまま、目をそらさない。カナが裸に近い格好でうろついても、少しも動揺していなかった。カナはイライラして、一口含んだお酒をコウタの背中に思いっきりぶっかけた。「ウルト〇水流!!」カナが口を尖らせて、ブブブブブーッ、と吹きかけた。 「ふん。ほんと、機械みたいで気持ち悪い男。ねえ、見てよ。前の動画のコメント欄、『もっと罵倒して』ってファンが飢えてるわよ。アンタが私を満足させられないから、みんなが心配してるんじゃない」カナはスマホの画面をコウタの目の前に突き出した。そこには、二人の歪んだ関係を面白がる、たくさんの書き込みがあった。「……満足? お前が満足することなんて、一生ないだろ。てかパソコンに酒がかかったらとか考えろよ」コウタがようやく椅子を回転させた。大きくため息をつくと、濡れたTシャツの裾を掴んで首元から雑に脱ぎ捨てた。引き締まった上半身が露わになり、昨夜カナがつけた赤い痕が露骨に浮かび上がる。クローゼットから適当なTシャツを引っ張り出し、頭からかぶった。 「冷えるぞ。休むならベッドで寝てろ。そこでウロウロされると、編集の邪魔だ」「……じゃあ、暖めてよ。アンタのせいで冷えたんだから」カナはニヤリと笑うと、拒絶されるより早くコウタの腰にしがみついた。冷え切った手を、コウタの服の中に、素肌に向かって滑り
翌朝。小松の低い雲から漏れる光が、散らかった床を照らしていた。カナはベッドの中で、まだ熱をもった自分のお腹に意識を向けていた。昨夜、彼に無理やり跨った時の、あの硬い感触が消えない。触れられていないのに、奥の方がじくじくと疼いて、頭がおかしくなりそうだった。「おはよ。……ちょっとコウタ、シンクはあんなに磨くのに、パソコンのまわり、きったな」「……何がだよ。べつにいいだろ」コウタは淡々と答えながら、コップの縁を丁寧に拭っている。だが、彼が向き合っているパソコンのまわりは、飲みかけの缶や惣菜の空きパックで、油とシミのあとがあった。「掃除してよ、跡ついてんじゃん」「いやお前そういうの気にするタイプじゃないだろ。どんだけ空き缶の跡そこらじゅうにあんだよ」 「ふふふっ」 カナは重い体を引きずるようにして、ベッドから這い出した。下着姿のまま、コウタの背後に忍び寄る。彼女はわざと、自分の熱い肌を、彼の背中にべったりと擦り付けた。「ねえ、昨日みたいに危ない橋を渡ると……身体の芯が、ずっと火照ってこない?」カナは彼の耳元で、わざと甘く湿った声を漏らした。「私はまだ、昨日の続きがしたくて……ずっと熱いんだけど。 今日もねぇ今から」コウタの肩が、ぴくりと跳ねた。「……っ」不意にコウタが振り返り、カナの手首を掴んでベッドへと押し戻した。腕を強引に引き剥がされ、視界がひっくり返る。シーツに沈む背中の感触と、上から覆いかぶさってくる彼の体温。カナは期待して、脚を広げた。もっと激しく、昨夜よりもひどいことを、彼がしてくるのを確信して。「ちょっと、冷たっ! 何すんのよ、いきなり!」だが、肌に触れたのは熱ではなく、刺すような冷たさだった。カナが驚いて目を開けると、コウタは無表情のまま、保冷剤を彼女の足の付け根……もっとも熱い場所に、強引に押し当てていた。「動くな。やっぱり捻ってる。熱持ってるぞ」「いた、痛いって言ってるじゃない! 離してよ!」「冷やさないと、次の仕事で歩けなくなるぞ。大人しくしてろ」コウタは冷たい声で言いながら、逃げようとするカナの脚を膝で押さえつけた。「アンタ、ほんと気持ち悪い。ずっと私を見てるのね」「仕事だ。お前の動きのクセを全部わかってないと、いい動画は作れない」コウタが手を離そうとした、その時。カナは
「近いわね。能美からここまで、十五分もかからないなんて」カナがストゼロの空き缶を、アパートのゴミ箱に放り投げた。小松と能美。隣接する二つの市を繋ぐ道は、夜の闇に塗り潰され、一つの巨大な「檻」のように感じられた。アイアン・パイン号をアパートの下に停め、泥まみれのまま階段を駆け上がってから、一度も会話はない。部屋に入った瞬間、コウタは「データ・アイ」製のPCを起動し、青白い光の中に逃げ込んだ。「ああ。……あっという間だったな。……あの巨像のプレッシャーが、まだ背中に残ってるみたいだ」「ふん。……さっさとその『記録』、ゴミ動画に書き換えなさいよ。……見てられないわ」カナは「織色」製の戦闘服を乱暴に脱ぎ捨てる。画面には、巨像の十字に組んだ腕から放たれた光線が、すべてを焼き払う瞬間が映し出されている。スローモーションで再生される映像の中、カナはコウタの胸元に顔を埋め、恐怖に震えていた。「ここ、カットして。……あと、さっき車で話したことも。……アンタが、あの巨像を『ヒーロー』だなんて呼んだところも全部。……気持ち悪い」カナはコウタの肩に指先を食い込ませ、画面上の自分を睨みつけた。自分たちを殺そうとした存在に、幼い日の郷愁を重ねるコウタの歪み。それが、自分だけの知らないコウタの「聖域」であることに、彼女の独占欲が苛立っていた。「わかってる。……『無能な助手のせいで魔石を取り損ねて、カナが激怒した』……。そういうシナリオで繋ぐ。……お前が俺の胸ぐらを掴んだところは、『演出』として使うよ」「そう。それでいいわ。……視聴者は、私たちが殺し合いそうなところを見たいんだから。……本当の私たちが、あんな像の前で震えてたなんて……誰も知らなくていい」コウタはマウスをカチカチと鳴らし、嘘のテロップを挿入していく。映像の中のカナは、傲慢で、強く、コウタを虐げる「理想のパートナー」へと書き換えられていく。カナはその嘘の自分を満足げに見つめながら、コウタの首筋に熱い吐息を吹きかけた。「ねえ、コウタ。……能美は近すぎたわね。……もっと遠くへ行かないと、アンタの頭の中から、あの『ヒーロー』の記憶は消えないの?」「どうだろうな。……でも、今夜はもう、編集以外何も考えられないよ」コウタの自嘲的な笑い。貨物列車の通過音がアパートを揺らすたび、現実と映像の境界線が、ス
外はすっかり暗くなっていた。巨像のシルエットが、夜空に黒く浮かんでいる。「はぁ……はぁ……」アイアン・パイン号の重厚なドアが閉まった瞬間、車内は密閉された静寂に包まれた。外ではまだ、巨像の咆哮が遠く地鳴りのように響いている。コウタは運転席に深く身を沈め、ハンドルを握る手の震えを抑えるために力を込めた。(まてよ、一歩間違ってたらどうなってたんだ) 全身を、猛烈な倦怠感と吐き気が襲う。でも、喉からせりあがるものが遠く感じられる。「もうぬるいじゃん。サイテー」助手席のカナが、泥に汚れた手でコウタの腰からストロングゼロの缶を奪い取った。プルタブを弾く乾いた音が、静かな車内に異様に大きく響く。彼女は一気に半分ほどを喉に流し込み、熱い吐息と共に背もたれに頭を預けた。先ほどまで「カナ」として叫んでいた傲慢な仮面は、もはや影も形もない。「……ねえ。さっきの、撮れてた?」「ああ。ドローンは最後まで回ってた。光線がショップを焼き払うところも、お前が魔石を欲しがって、俺が引きずり下ろしたところも。……全部な」カナは窓の外、遠ざかっていく巨像の黒いシルエットを見つめた。そこには、圧倒的な死の光を背に、互いに縋り付くようにして泥を這う二人の姿があった。「…………カットね」「え?」「私がアンタに『実家なんて頼らなくてすむ』って言ったところ。あそこ、全部カットしなさい。音声も、私の顔が映ってるところも」カナの指先が、空き缶のアルミをミシリと歪ませた。ビジネスとしての「不仲」を守るためではない。あの一瞬、巨像の光に焼かれそうになりながら、コウタを失う恐怖で剥き出しにしてしまった自分の「内面」が、世界中に晒されることに耐えられなかったのだ。「わかった。あそこはカットする。『無能な助手のせいで魔石を取り損ねた』って、お前が俺をなじるテロップに変えとくよ」「そう。それでいいわ。完璧。完璧なゴミ動画の出来上がりね。 なんなのよ」カナは力なく笑い、残りの酒を飲み干した。コウタはエンジンをかけ、軽トラを小松へと走らせる。「……それにしても、やっぱあの巨人、最強だわ。……あんな光線、掠っただけで即死だぞ」コウタがハンドルの振動を感じながら、恐怖を吐き出すように言った。あんな圧倒的な理不尽さを突きつけられたら、人間など砂上の楼閣にしか見えない。「……