Alle Kapitel von 追放された辺境の妻は、敵国の女将軍になった: Kapitel 21 – Kapitel 30

38 Kapitel

第21話:湿った兵糧と泥の球

【華栄14年・1月】 年が改まっていた。端毬の城下でも、門に新しい飾りが出ている。帝国と同じ暦を使い、1月を年の始まりとする土地だった。 奈世はそのことに、朝から引っかかりを覚えていた。国は違う。盟主も違う。それなのに元号は「華栄」のままだ。清蓮城内の廊下を歩きながら、奈世はその妙を口にした。隣を歩くのは源次。先を歩くのは党吉。烈焔はすでに広間へ入っているらしい。 「この地でも、“華栄”の号を使うのだな」 党吉が振り返らずに答える。 「使う。去年も、一昨年もな」 「帝国の皇帝が即位した際に定まった号だぞ。同じ号を使えば、皇帝を崇めることにはならんのか」 党吉は「がっはっは!」と、いつものように豪快に笑った後で答えた。 「敵を倒すには、まず敵を知ることだ。使っている元号が違えば、日の感覚が狂う。敵の書状を奪っても、書いてある日付を読み違えればそれが致命傷にもなる。それに、我らの元から帝国に侵入している間者も多い。使う元号の違いで正体がバレるようなことであれば、つまらんだろう」 それはつまり、実用性という話だろうか。敵と対等に戦うために、敵と同じ時の感覚を持つ――。 「単に自分たちの元号を定めるのが面倒なだけでは……」 源次が遠慮がちに言った。党吉は再び、高らかに笑う。 「がっはっは! 面倒、か。それも少しはある」 「少し、でござりまするか……」 やや呆れたように言う源次。だがそれを気兼ねすることなく、党吉は話を続けた。 「いずれ帝国を滅ぼし、そのとき我らの新たな元号を制定する。それを支配の証とするのだ」 なるほど、物は言いようだ。だが信焔が制定する元号となると、一体何になるのだろう。“信焔元年”と、自分の名をそのまま元号にするのではないか――などと奈世は考えたが、黙っておいた。 「なるほど、では盟主殿が新たに元号を制定されれば、“信焔元年”となるのでござるか?」 と、源次に先に言われる。奈世は源次を睨むが、党吉はまた「がっはっは!」と笑った。 「“信焔元年”か! それはさぞかし愉快だな!」 どうやら本気でそうなる未来が見えてきた気がした。そんな盟主が、今は奈世の夫なのだ。慣れるしかないのかと思いつつ、奈世は何やら頭痛を覚えた。 と、広間の戸が見えてきた。党吉が戸を開くと、中にはすでに連合各国の武将が
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-08
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第22話:氷室家の文と足された俵

朝を迎えた。「奥方様、仰せの通り、袖の泥は残したままにいたしましたが……」侍女が昨日と同じ、袖に泥の付いた直垂を持ってくる。寝巻を脱ぐと、奈世はそれに袖を通した。袖の泥を落とさせなかったのは、落とせば昨夜の路地の出来事がただの夢になるからである。奈世は汚れた袖の直垂で今日の支度を始めた。ふと、窓のそばの床に、何やら小さき紙切れが落ちていることに気づいた。文である。拾い上げると、氷室家の印が捺されている。昨夜、窓の外を走っていく音――あれは奈世の生家より馳せ参じた間者の足音だったのだろうか。永井家との関係が壊れれば北へ向かえと指示したのは祖父だった。あれから何日も経ち、ずっと源次とふたりきりという心細さの中にいたが、ようやく身内が手を差し伸べてくれるのか。何より軍議の末席や泥の屈辱の後で、泣きそうにすらなる。文を開くとそこには懐かしい祖父の筆跡があった――「は?」と、内容を見るや、思わず声が漏れてしまう。「源次、起きておるか」「はい、姫様。いかがなされた……」と、源次が隣室から顔を出す。「祖父からだ」文を差し出すと、源次は目を輝かせた。「なんと……氷室家が、遂に動くのでござるか!?」「わからぬ。読んでみよ」源次も文面を見、目の輝きを一瞬で消す。『選択の時が来て候』「これは……一体、どういう……」謎かけなのかと思ったが、そんなまどろっこしい真似をするような祖父でもない。吐き捨てるように奈世は述べた。「恐らく、“我らもこれから奈世を支える道を選ぶのか、帝国に留まるか、どちらかを選ばねばならん”ということであろう。動くより前の連絡だ。いや、連絡ですらないやもしれぬ。“どちらにしようか”という相談――でもない。ただの独り言だな」大きくため息をつく。なんでこんな無意味な文をわざわざ間者に運ばせたのか。「ま、まぁ……良きように考えましょう。当主様は、私たちのことも見捨てておらぬということでござりまするよ……」「だと良いが」一応、奈世は文を懐に仕舞っておいた。こんなものでも役に立つ時が来るやもしれぬ。「そ、それより姫様、その袖の泥は……」と、源次が話題を変えたところで、奈世は言葉をかぶせるようにして言う。「今日はこれ
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第23話:印と米貸し

翌朝の広間は、前回の軍議より人が多かった。 “蔵を当たれ”と信焔が命じた2日後。武将たちはその日に起こった軍議の結果を聞きに来ている。前回、末席の女子が口を出した件を、どう着地させるかが決まる席だった。 奈世はまた末席に座らされた。袖の泥は残したままだ。源次は後列でソワソワと落ち着かぬ様子。党吉は壁際で髭をしごき、烈焔は一段下で腕を組んでいる。 算衛門が先に進み出た。顔には、昨夜の屋敷回りを終えた男の余裕があった。 「申し上げる。蔵を改めて当たり申した。俵の数は足りておりまする。3日目の分も揃ってござる」 場が、わずかに動く。誰かが短く息を吐いた。女子の指摘は言いがかりだった、と先に結論を置こうとする空気だ。 「湿った俵もなく、戦に差し支えるものはありませぬ」 算衛門は末席を見た。許可を待つ目ではない。見下ろす目だった。 「ゆえに、先日の指摘は誤り! 女子の言いがかりでござる。数字を弄び、人に恥をかかせようとする何とも卑劣な所業……軍議の席に置くべきではありませぬ」 誰かが笑った。前回と同じ笑い方だった。信焔は顎を手に乗せ、まだ動かない。烈焔も黙っている。かばう者は、この場にいない。 奈世は膝の上で手を組んだ。数はもう揃っており、不足を責めることはできぬ。ただ、揃えたあとの嘘だけが残っている。 「数は、足りておりましょうな」 奈世がそう口にすると、広間が一度だけ静まる。算衛門の眉が上がった。 「……ほう。己の非を認める、と?」 「数は認めております。ただ、3日目の棚に、昨夜までなかった印がついた俵が混ざっておりまする」 空気が、別の場所で止まった。 算衛門の顔が、初めて固くなる。足りておる、で通すつもりだった男に、「足りぬ」ではない別の刃が落ちた。 「印、だと?」 「端毬の商人は、俵に付けた印で数と鮮度を管理すると聞きました。蔵の本俵と、城が借りて置いている商人の俵では、印が違います。3日目の棚に、昨夜まではなかった商人の印が混ざっておる。数を揃えるために、別の場所から足したのでしょう」 奈世は出所の名を言わなかった。言わずとも、じきにわかる。 ふと党吉が、珍しく低い声で言った。見物人の顔のまま、事実だけを足す。 「使用人が見て
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-10
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第24話:夜の文と同じ柄の直垂

黒屋藤十は、算衛門の屋敷の地下牢に座らされていた。手は縄できつく縛られ、辺りからは湿った土と、鉄の匂いが漂っていた。 「な、何もこんなことまでなされなくとも……米のことは、もう言わぬ。忘れたことにいたす。だから——」 算衛門は牢の前でニヤリと笑った。軍議で蒼白になった男とは、別の顔だった。 「お前は前々から目障りであった。よって、しばしそこで身を潜めてもらう」 「算衛門殿……ついに狂われたか! 儂も信焔様の家臣の一人……それを勝手に、かようなところに閉じ込めるとあっては、もはや謀反を働くのと同じではないか!」 叫ぶ声が石に吸われる。算衛門は鼻で笑った。 「左様なこと……哀れ藤十殿は、帝国の兵に捕まったということにすればよいだけのこと。さすれば帝国に対する家臣たちの怒りも高まり、さらなる結束が生まれ、お前を助け出そうと奮闘し始めることだろうな。そのような役に立てることを誇りに思うがいい」 笑いながら、牢の前から去る。鍵の音が遠い。残された藤十は顔面蒼白になり、縄の結び目を見た。固く縛られ、とても解けそうにない。 「逃げねば……何とかして! 丹波算衛門……あのような恐ろしき武将、連合にいてはならぬ!」 声は、誰にも届かなかった。 ※ 数日かけて、境の小城に文が着いた。 城は石垣が薄い。帝国と端毬のあいだに挟まり、どちらにも属しきれていない。広間の灯は少なく、茶の匂いだけが濃い。主は茶器を手にしたまま、算衛門の間者が差し出した紙を読んだ。 名は松山秀久。右目に傷があり、左目も細く、笑っているのかどうかすぐにはわからぬ男だった。 「これが、我らが連合へ与するための道と申すか……あやつめ、また心根の悪い策を思いつくものよ」 鼻で笑った。間者は頭を下げたまま、主の言葉を足す。 「わが主も、松山様が連合に与されるとなれば、手厚くもてなすと述べております」 秀久は茶器の縁を指でなぞった。愛でる仕草だった。中身より器を見ている。 「連合といがみ合うのも飽いた……とは言え、帝国に下るのもばかばかしい。この話、乗ってみるのも一興か」 そう言い、間者に詰め寄る。茶器は、まだ手から離さない。 「だがこの策、本当にうまくいくのであろ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-11
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第25話:背後の守りと空の馬

西の森は、城から半日もかからなかった。雪は薄い。2本に道が分かれており、端毬と新羅の間にあった森と同じ匂いがした。克時が信焔に報告した際の情報では、敵は陣を敷く気配はなく、荷も少ないとのことだった。そして今、先発の兵から、目的の小隊を森の中で見つけたという報告が上がった。潜伏場所も最初の情報通り。ただ、そうなると妙だ。「ここまで来るのに、わたくしたちは半日かかった。なのに、連中は森の中から動いておらぬということか?」先に言ったのは奈世だった。烈焔が横目で見て、口を開く。「少数が森に留まる理由などない。探る者なら動く。逃げる者なら散る」「つまり、待っておったのだ。わたくしたちが来るとわかったうえで」奈世が考えを述べると、党吉は鼻を鳴らした。「待ち構える少数、か。ただの阿呆なのか、罠なのか」源次が奈世と同じ柄の直垂の袖を一度握る。奈世はそれを見て言った。「源次よ、以前の森で、初めて敵兵を討ち取ったときのことを覚えているか。気分はどうだった?」「は……無我夢中で……ですが、これで姫を助けられると自信がつきましてござりまする! これからはばっさばっさと敵をなぎ倒し、姫様のお役に立てるよう精進して——」「要らぬ」「え?」怪訝な顔をする源次に、奈世は付け加える。「お前は武功を挙げようと励まんで良い。下手な自信が命取りになる。武功を挙げるはわたくしの役目だ。お前は背中を守れ。それがわたくしの役に立つ道と心得よ」「は……か、かしこまりまして候!」と、源次が返事を終えぬうちに、木の陰が動いた。顔を布で覆った男たちが、一度に出てきた。数は数十。槍や縄、刃より先に、声が飛ぶ。「女武者を捕らえよ! 殺すな!」端毬と新羅のあいだで出会った小隊に似ていた。狙いは奈世だ。だが、例の部隊は奈世の命を狙っていたのに、此度の連中は“殺すな”と言った。妙である。と、烈焔が先に馬を出した。党吉が横を斬る。奈世は側面へ回り、退路になる斜面を見た。源次は二歩遅れて抜刀する。直垂の裾が、木の根に引っかかった。「姫様——!」呼ばれた瞬間、縄が飛んだ。向かった先は奈世ではなかった。源次の馬が跳ねる。源次は刀を振り、1本の縄を切った。だが2本目が腕にかかり、3本目が胴を巻く。転ぶ前に、馬から引き下ろされた。「うおおおおぉぉっ——!?」「捕
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-12
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第26話:変態と謀反

奈世は自室に戻っていた。眠ってはいなかった。 灯は落としている。窓の外では、城の番兵が交代する足音だけが規則正しく過ぎる。短刀は枕元、その隣に源次の刀を置いた。柄の摩耗が自分の刀より浅い。戦慣れしていない男の刀だ。それでも今朝まで、あの男はこの刀を腰に下げて後ろに付いていた。 “背中を守れ” 森で、そう命じた。武功を急くな、下手な自信が命取りになる、とも言った。源次が返事を言い終える前に木の陰が動き、縄が飛んだ。向かった先は自分ではなかった。同じ柄の直垂を着て、陰に立つ者を女と見た連中の縄だった。 天井を見、瞼を閉じると、空の鞍が揺れる。馬だけが残り、刀が地面に落ちる。源次が引きずられていく声が、耳の奥で繰り返される。 殺すな、と叫んでいた。女武者を取れ、とも言っていた。生きてはいる、と思いたい。生きているなら、まだ間に合う。そう自分に言い聞かせて端毬へ戻った。戻って、盟主に許しを得て、探すと宣言した。宣言したところで、今この部屋に源次はいない。 布団を剥いで立ち上がる。傷の跡が残る肩が、冷たい空気に触れる。窓の外の石垣は、昨夜と同じ黒さだ。西の森は半日の距離だ。半日で着いた場所から、人はどれほど遠くへ運ばれるものか。道は分かれていた。追えば散る。散らせば、生きているという保証すら薄くなる。 「わたくしのせいだ」 独り言は、烈焔の言葉に近かった。女子が先に出ると考えなかった者たちの先入観。従者を背中に置いた判断。 影武者と見誤られる、と源次自身が朝に言っていた。党吉は笑い、奈世は笑わなかった。笑わずとも、永井康夜のことを思い出してしまい、流した。流したあとで、源次の言った通りになった。 箱のそばに、氷室の文が残っている。指輪の箱は開けない。今、開けて輪を握っても、源次は戻らぬ。戻るべきは輪ではなく、あの転びやすい従者だ。安宿で湯に飛び退き、馬から落ちそうになり、敷居でつまずき、それでも「離れたくありません」と言って北まで付いてきた男だ。 奈世は源次の刀を握った。柄が冷たい。自分の掌より大きい。 「生きておれ。転んでもよい。死ぬな」 声は、誰にも届かない。届かないと知りながら、もう一度だけ繰り返した。 廊下で足音がする。盟主の使いではない。夜の番だ。奈世は刀を枕元に戻し、布団に座った。横にはなる
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-13
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第27話:塀の男と氷室の間者

【華栄14年・3月】 源次の行方を追っていた克時の間者から報告が届いたのは、次の月を迎えたばかりの頃であった。 「境にある小城の石垣の薄い塀に、男が縄と板で磔にされておりました。城下の者に誰かと問えば、あれは連合の盟主の奥方に仕える男だと」 広間で克時や信焔らと共に間者の報告を聞いていた奈世は、動悸が激しくなるのを抑えきれぬまま、間者に尋ねる。 「お前はそれを見たのか……男の顔や体つきなど、特徴は⁉」 「それが……歳は二十歳ぐらいでござりましょうか。目は細く、胸はさほど厚くないものの、武者として鍛えられてはおるようで」 まさしく源次の特徴だ。 「して、その者は生きておったのか?」 克時の問いに、間者は急にたどたどしく答え始める。 「い、生きておりまする……痩せた様子も、体に傷を付けられた様子もなく……髭も伸びてはおらず、小綺麗と言いまするか……そ、それが……ぷふっ」 急に笑い出す間者に怪訝な顔をする一同。 「どうしたのだ、真面目に答えよ!」 克時が一喝すると、間者は「も、申し訳ござりませぬ……」と謝りながらも、必死に笑いを押し殺しながら続けた。 「それが、何とも珍妙なる光景で……毎日、さまざまな柄の女子の服を着せられ、辱められておる様子でござりました……顔に化粧までさせられて、ぷふっ、ふはははははっ」 女子の服を着せられ、化粧まで……? 話だけでは想像もつかず、一同はただただ顔を見合わせる。 ただひとり、烈焔は冷静に語った。 「それを命じたのは境の小城の城主、松山秀久であろうな。あやつ、茶器と共に美しい女子や若い男子に目がない、相当な変態であると聞く。恐らく捕らえた従者がたいそう気に入り、傷を付けぬ代わりにそのような辱めを与えておるのだろう」 変態……それを聞いて奈世は寒気がした。殺されておらぬことは安心したが、自分の従者がそのような辱めを受けているとは。 もしも自分が捕まっていたとしたら、どうなっていたであろうか。それこそ、ほとんど裸同然で磔にされるなんてこともあったやもしれぬ。 党吉などは「なんだそれは! 見てみたいものよのう、がっはっは!」と笑っておるが、奈世はとても笑う気にはなれなかった。変態の考えることはまったくわからぬ。 「ともあれ、早う助け出さねば……
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-14
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第28話:城主の快楽と間者の術

奈世たちが境の小城に着く数日前まで遡る。源次は連日のごとく化粧をさせられ、女子の着る着物を着せられて薄い石垣に磔にされていた。当初こそ恥ずかしく、街ゆく人々の笑い者にされたが、もはや誰も見るものはおらぬ。夜になるとようやく降ろされ、城に運ばれる。化粧を落とされ、着物も脱がされ、飯を与えられるが、そこから先は松山秀久の相手をせねばならぬ。「さて、源次よ。今宵も楽しみにしておるぞ……」ジュルリと舌なめずりをしながら湯呑みを片手に、部屋で源次を待つ城主。名前までしっかり覚えられてしまった。そんな変態のニヤケ顔を見れば、どんなに腕の立つ料理人が拵えた馳走を前にしても、一瞬で食欲を失ってしまう。しかし五体満足で帰るためには食わねばならぬ。そして敵の辱めにも耐えねばならぬ。飯を終え、源次はひとり、秀久の部屋に入るのだ。「あぁっ……そこ、そこだぁ……! おぉ、いいぞ、いいぞ……もっと、奥だ……奥を攻めよ……!」部屋中に、敵の城主の快楽に溺れる声が響き渡る。源次には吐き気を催す悪夢の時間だ。源次の手が、裸になった城主の体を刺激していた――背中のツボである。要は、揉みほぐしだ。「器用な手つきだな……お前、才が備わっているのではないか……おほぉっ……」「は……以前は料理番として仕えておりました……戦よりも、手先で何かすることが向いておりまする……」その答えを聞き、城主は満足げに笑う。「では……ぐふふ、我が下半身も愛でてはみぬか?」「か、下半身!?」「秀久殿、それ以上はいけませぬぞ」だが、あわやというところで算衛門が部屋に現れ、秀久を止めた。「こやつは敵の捕虜。下半身まで許してしまって、秀久殿の大事な体の一部を捥がれでもしたらどうするのです」「源次はそのようなことをする男子ではあるまい。のう、源次。我が大事な部分も愛でてくれるよな?」「そ、それは……どこでござりましょう……」「ウブな男子よ。わかっておるクセに」わかってたまるものか。とにかく、一刻も早い救助を願う源次であった。※奈世たちがとうとう源次の捕らえられた城の目前まで辿り着いたころに時を戻す。着いたのは昼だった。日は高く、石垣の薄さがよ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-19
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第29話:奪還と残された足場

城内の広間で、算衛門が窓の外を見ながら言った。「今日も塀に捕虜を磔にしておるのですか」その横で秀久が、茶器を手にしながら言う。「昼は見せしめだ。夜は愛でる。2つ役割を担ってもらう。だが、見せしめの効果はまだないようだがな」「それが、ようやく効果を発揮したようでござりまする。城下にひとつ、不自然な人の流れが見えますれば」秀久は器の縁をなぞった。「とうとう信焔の奥方が取り返しに来たか――ぐふふ、我が姫よ。であれば、従者は取り返されても構わぬ。所詮は前菜よ」「おやおや、あのように重宝されておりましたのに、もう飽いたのでござりまするか」算衛門は笑わなかった。笑わぬ目が、城下の西の角を見つめていた。 ※西の角の下で、行商が捕虜を見張っている役人たちに声をかけた。「この荷を見てほしいのでござりまするが……」と言えば、ずっと見張り続きで飽きたと見える役人の1人が、塀を降りて近づいてくる。 「これは世にも珍妙な、暗闇で光る石にござりますれば。おお、そこの路地がちょうどよい。あそこでご覧に入れまする」路地に入ったところで、声が消えた。離れて見ていたもう1人の役人が、不審に思って上から眼下の様子を覗き込もうとしたとき、その後ろの斜め下から半太郎が吹き矢の狙いを定め――次の瞬間には、役人ごと鎧が地上に落ちる「ガシャン」という音だけが短く響いていた。間者2人が、番の兜と槍を借りて塀へ上がる。番の鎧の中身が変わっていることなど、城下の者たちは誰も気にも止めぬだろう。源次は目を開けたまま、動こうとしなかった。近づいた男の顔を見て、怪訝そうに言う。「いつもの役人ではござらぬが……その顔、どこかでお会いしましたか……」「なんと、拙者の顔を忘れたか。その手の器用さを見込んで、其方を姫の従者に選んだのは拙者だと言うのに」「そ、その声はもしや――」半太郎は源次の口を塞ぐ。名を呼ばせているときではない。半太郎は源次の縄を解き、彼の体重を己が肩へ移す。着物の袖が風に揺れ、化粧の白い頬に昼の光が当たって余計に目立った。手首は縄の跡で黒い。いつもより早い磔の終了だが、役人の鎧を着ている2人が運ぶならば、城下の者は誰も訝しがらぬ。「細い見た目の割に、重いのう。自分で歩いてはくれぬか」「……歩けば、転ぶやもしれま
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-16
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第30話:開いた門と茶の残り香

内側から静かに開いていく城の大手門。きしみは小さい。薄い石垣の城に似つかわしくない、必要以上に丁寧な開き方だった。 奈世と氷室の間者たち、克時とその僅かな兵が、その隙間を見ていた。源次は兵たちの後ろで、化粧の落ちぬ顔のまま、まだ膝に手をついている。 隙間から先に姿を見せたのは、兵ではなかった。丹波算衛門だ。 甲冑を着て、笑ってはいない。大手門の前にいる奈世たち少数を、値踏みする目だけがある。連合を捨てた男の目だった。 「よくぞ参られた、奥方どの」 私怨と計算が同じ割合で混ざる声が、門の向こうから大きく響く。 「従者はお返しした。次は、奥方殿をこちらへお招きする番でござる」 敵意をむき出しにし、奈世は今にも立ち向かいそうになるが、克時が馬上から低く言った。 「奥方よ、待つべきだ。まだ烈焔殿の本隊は森におる。これは罠だ。少数で門に入れば、やつの思うつぼだ」 党吉も、珍しく笑わなかった。 「自ら門を開く城になど、入れるわけがなかろう。馬鹿でもわかる」 源次もやっと顔を上げて言う。 「姫様……私も、すぐには戦えませぬ」 待つか。攻めるか。2つに1つだった。 正しいのは待つことだ。これが罠であることは目に見えている。算衛門が自ら顔を出した時点で、迎え撃つのが狙いだと言っているようなものだ。 それでも奈世の耳の奥で、出陣の道中、烈焔が放った声が蘇る。 “立ち止まるなよ。立ち止まれば、家臣を束ねることなどできぬぞ” 総大将は烈焔だ。今この場の兵を動かさねば、武功は立たぬ。立たねば、席はまた末席のままだ。氷室の間者も、克時の少数も、門の前でただ見物しているだけになってしまう。 奈世は源次の肩を一度押した。 「下がれ。お前は城へ入るな」 源次が何かを言いかける前に、奈世は馬を出した。 「待て!」 克時の声が後ろで割れる。だが、奈世は止まらぬ。加えて、克時の若い兵達もそれに感化され、吸い込まれるように門を目掛けて駆けていく。党吉が舌打ちし、半太郎は荷の紐を握り直した。 門までの道は、浅い堀に沿った細い通路で、両脇の塀が高い。その塀の上に、算衛門の兵が弓を番えていた。最初の矢が、音より先に風を切った。奈世の頬を外れた矢に、馬が驚いて前脚を上げる。 「馬を狙え! 女武者は生け捕りだ! 傷つけるな!」 敵兵達が叫ぶ。“生け
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-09-20
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