私・蘇我思乃(そが しの)は、もうずいぶん長いこと、会議中にぼんやりすることなどなかった。でも、今日は無理だった。なぜなら、私の向かいに座っているのが、陸川浩人(りくかわ ひろと)だから。もう3年が経った。彼は少し痩せている。以前よりも顎のラインがくっきりとしている。濃いグレーのスーツに身を包み、シャツの襟元のボタンは留めていなかった。そして、テーブルの上のコピーに視線を向けたまま、私のことを一度も見なかった。「蘇我さん、この企画の方向性についてはどう思う?」神原勝雄(かんばら まさお)の声に、私は我に返った。目の前に広げていたコピーに目を落とす。そこには、三日三晩ほとんど眠らずに書き上げたコピーが並んでいた。「いいと思います。核となるコンセプトは『帰れない場所を故郷と呼ぶ』。クライアントの観光プロジェクトの方向性にも合っています」勝雄は頷くと、向かい側へ顔を向けた。「陸川社長、そちらから何かご意見はありますか?」浩人がようやく顔を上げた。彼の視線が長い会議テーブルを越え、まっすぐ私の顔に落ちてくる。その瞬間、空気が急に薄くなったような気がした。「コピーは悪くない」その声は低く、よそよそしかった。「でも、もう少し生々しさが欲しい。『帰れない』というコンセプトは、少しぬるすぎる。もっと、胸に刺さるようなインパクトが欲しい」私は手にしたペンを強く握りしめた。彼が話しているのは企画のことだ。そう分かっているのに、なぜか別の何かを言われているような気がした。会議が終わると、浅草晴香(あさくさ はるか)が給湯室で私を待ち伏せしていた。「彼、戻ってきたんだね」彼女は給水機にもたれ、腕を組んでいる。「前から知ってた?」「神原さんからクライアントの担当者が変わるって聞いたのは先週。誰になったかは聞かなかった」「どうして聞かなかったの?」「聞いたところで、どうなるの?」晴香は数秒、私の顔をじっと見つめた。それから、ため息をついた。「思乃、手が震えてるよ」私は自分の手を見下ろした。確かに、かすかに震えていた。「大丈夫。低血糖だから」私は両手をズボンのポケットに突っ込んだ。「嘘をつくのだけは、3年経っても少しも上達しないね」私は何も答えなかった。
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