会社を出る頃には、雨脚も次第に弱まっていた。傘を畳んだ瞬間、向かいのカフェで啓介と朱里が食事をしているのが目に入った。普段はほとんど笑わない啓介が、今は目元を和らげ、くつろいだ様子で笑っている。一瞬、目の前の光景が信じられなかった。私の前で、あんなふうに心から笑う彼を見なくなって久しい。我に返ったときには、啓介がもう目の前まで来ていた。口調はいつもどおり、事務的だった。「篠原と外回りに出ていて、雨で動けなくなったから、ここで食事をしていただけだ。さっきはひどい雨だったのに、どうして会社の外にいたんだ?もうすぐ部長への昇進が決まる大事な時期だ。風邪をひいて、仕事に支障を出すなよ」そこへ朱里が追いついてきた。彼女に気づいた啓介は、反射的に横に一歩ずれ、私との距離を広げた。「俺たちは先に行く」私の返事を待たず、啓介は朱里を連れて立ち去った。また人目を気にしているのだと、すぐに分かった。恋人同士だから、社内では必要以上に話してはいけない。一緒に仕事をしても、一緒に通勤してもいけない。この10年、私が見てきたのは、こうして足早に遠ざかっていく彼の背中ばかりだった。けれど、もう私はその場に立ち尽くし、遠くから見送ったりはしない。帰宅すると、バッグから退職届の控えを取り出し、リビングのいちばん目につく場所に置いた。啓介が帰ってきたら、一度きちんと話すつもりだった。啓介は仕事帰りに食材を買い、そのまま帰宅した。家に入るなり、慣れた手つきでエプロンを締め、キッチンに立った。料理を食卓に並べ終えて、ようやく傍らに立つ私に気づいた。「帰ってたのか。食べよう」部屋には、食器がかすかに触れ合う音だけが響いた。いつからだろう。私たちは、話すことさえなくなっていた。職場で始まった線引きは、いつしか家の中にまで入り込んでいた。最初は、誰もが認めるほど仲がよく、息の合った恋人同士だったのに。今では向かい合って座っても、どちらからも話題の一つすら出てこない。最後にまともな会話をしたのは、朱里と副部長の座を争ったときだった。選考の結果、朱里は落選し、私が副部長に昇進した。ところが結果が発表されたその場で、啓介は役職者たちを前に、朱里をかばった。今回の選考は公平性に欠けると言い、朱里がどれほど優
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