第31話 別れた人の匂いが、まだ部屋に残っている フェチ研に、初めて外部の学生から相談が来た。 それを聞いた時、俺は真っ先に神崎先輩の顔を見た。「先輩」「何?」「とうとう何か変な掲示出しました?」「人聞き悪いなあ」「だって今まで身内だけで変な話してたサークルですよ」「ちゃんと研究会って書いてる」「名前がまず怪しいんです」 神崎先輩は笑いながら、机の上に一枚の紙を置いた。 大学内のサークル紹介用に作った小さな案内だった。『感覚文化研究会 好きな声、匂い、手、仕草、文字、音、食べ方など、人には少し言いづらい「好き」をゆるく研究しています。匿名相談可』「……こんなの出してたんですか」「一週間前から」「聞いてない」「掲示板に貼っていいって顧問から許可取ったよ」「そこは仕事早いな」 陽菜が横から紙を覗き込む。「でも、ちょっといいかも」「お前まで」「だって『好き』って人に言いにくいことあるじゃん」「まあ」「私も最初、汗とか匂いの話なんて絶対したくなかったし」「それはそうだな」「でも今は、ここならちょっと言える」 そう言って陽菜は自然に笑った。 少し前なら、自分の匂いの話をこんなふうに口にするだけでかなり構えていた。 その変化を見ていると、神崎先輩のやっていることも全部が全部ふざけているわけではないのだと思える。「で、相談って?」 澪先輩が聞いた。 神崎先輩は手元のスマートフォンを見る。「二年生の女子。小松奈々さん。匿名でもいいって言ったんだけど、本人が名前出して大丈夫って」「何の相談ですか」「匂い」 俺と陽菜が同時に反応した。「匂い?」「うん」 神崎先輩がこちらを見る。「香坂君向きかもね」「何でも俺に振らないでください」「でも本人からも、匂いに詳しい人がいるって聞いて来たみたい」「誰から」「掲示を見た友達」「もう噂になってる?」「少し」「怖いな」 陽菜が小さく笑う。「悠真、とうとう匂いの人になった?」「やめろ」「大学で通り名ついたら面白い」「絶対嫌」「でも私は好き」「何が」「匂いの人」「そこじゃないだろ」 いつものやり取り。 ただ。 その日の部室は、少しいつもと違った。 誰かが相談に来る。 俺たちの内輪話ではない。 他人の、たぶん簡単には笑えない話だ。
Last Updated : 2026-09-22 Read more