一夜の相手は、私から奪われた婚約者でした のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 40

56 チャプター

31・絡まり合う謎

 絵姿を見た時に感じたサンドラとローズの接点は、シャルロッテの一言でまた絡まり始める。 けれど一つ分かった事もある。やはりヴェール家は長女のリリアナが支えていたという事だ。 アルフレッドは帰りの馬車の中で頭を抱えていた。「一体何がどうなっているんだ……」 サンドラとは誰だ。あの夜の女は誰だ。そしてヴェール家の長女リリアナは、どこに姿を隠している。 サンドラは相変わらず自分の素性を何一つ教えてはくれない。それは自分を守る為なのか、それとも別の誰かを守るためなのか、それさえも分からなかった。 それにルークは言っていた。あの夜の女もまたヴェール家と何かしらの関わりがあるかもしれないと。「ヴェール家はその名の通り、秘密ばかりだな!」 だが突然のアルフレッドとアイリーンの婚約や薬を盛られた事、さらにはアイリーンの執拗なまでのサンドラへの執着はどう見ても無関係とは思えないし、今日に至ってはヴェール家の当主までもがサンドラに会いに来た。「こんな事なら会議など蹴り出してサンドラに同席すれば良かった……」 そうすれば何か少しでも分かったのではないか。それにサンドラは大人しくて控えめな女性だ。ヴィンスに何か吹き込まれていやしないかも心配である。 アルフレッドは屋敷に戻るなり早足でサロンへと向かったが、そこにはもう誰も居ない。片付けをしていたメイドにサンドラがどこに居るか尋ねると、サンドラは相変わらずラボに居るという。 それを聞いてラボに向かい窓から中を覗くと、サンドラが調香用のエプロンをつけて皆に囲まれながら調香していた。「本当に好きなんだな、この仕事が」 試験管を覗き込む表情は真剣そのもので、持ったスポイドは少しも揺れない。そんな様子を仲間たちも固唾をのんで見守っている。 すぐにでもサンドラに今日の事を聞こうと思っていたアルフレッドだったが、踵を返して部屋へ戻った。サンドラの邪魔はどうしてもしたくなかった。 サンドラが屋敷のリビングへ戻ってきたのは半時ほどした頃だ。「もう戻られていたんですね! 馬車を見て驚きました」
last update最終更新日 : 2026-10-03
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32・真実を話さない、君

 サンドラのこんな冷たい声を聞くのは初めてだった。「いや、そういう意味じゃない。そういう意味じゃないが、どうしてそう思うんだ? もしかして君は何か知ってるのか? そもそも君は一体どこの誰なんだ?」 ずっと聞きたくて聞けなかった事をついにアルフレッドは口に出してしまった。その途端、空気が凍りつく。「……聞かないと、そう言ってたじゃありませんか」 リリアナは視線を伏せて泣き出しそうな声で呟いた。 けれどアルフレッドの質問は当然だと言うことも理解している。リリアナは今まで問い詰めないでいてくれたアルフレッドの優しさにただ甘えていたのだから。「だが、君はいつまでも話そうとしないじゃないか。せめてどこの生まれなのか、それぐらい聞いても罰は当たらないはずだ」 決して責めるつもりなど無かったが、知らぬ内に語気が強くなってしまう。ふと見るとサンドラの手は震えていた。「元々そういう契約だったはずです。あなたは私を保護してくれると言った。その代わり私はあなたのブランドの代表調香師になる。それ以外の何が必要なのですか? 私の過去ですか? 秘密ですか?」 リリアナな自分の手が震え、鼓動が激しく脈打っているのを感じていた。 これは怒りではない。全てを知られるかもしれないという恐怖と、勝手に裏切られたと思ってしまう自分への失望だ。 リリアナの言葉にアルフレッドは眉根を寄せて傷ついたような顔をする。「……そうか。では俺はもう一切君の秘密など探るのは止めよう。そして一年間を淡々と過ごそう。その方が君には都合が良いのだろう? 君の人生に俺が関わる事を君は決して許さないようだからな!」 アルフレッドはそう言って席を立った。 そして自室に戻るなり机に突っ伏して自責する。思わず口が滑っただけだった。特に深く考えもせずに言った言葉は、サンドラの何かを傷つけ怒らせたようだ。 その結果サンドラの出自どころか、今まで築き上げた関係すら危うくなってしまった今の状態にアルフレッドは深く落ち込んでいた。 一方リリアナはアルフレッドが出て行ったドアを見つめながら、涙を堪え
last update最終更新日 : 2026-10-04
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33・追い出された者達と仕掛けた者

 ローズが残したノートには、調香のレシピしか書かれていない。 けれどそこにはアルフレッドと暮らすようになってから知った、エバンズ家の人たちの名前がそこらかしこにあった。「やっぱり母様は昔、エバンズ家の人たちと懇意にしていたんだわ」 母がリリアナにエバンズ家の事を話した事は一度もない。だから今まで知らなかったし気付かなかったが、一体どういう繋がりがあったのだろう。それはもしかしたら母の謎めいた死因と何か関係があったりするのだろうか……。 リリアナは目を閉じて元気だった母の顔を思い浮かべた。 優しくて温かくて、けれど調香の事になると厳しい母——。「よく器具の取り扱いに注意しなさいって叱られたっけ」 ハーブを蒸留する際には特に事故が多い。大きなラボではたまに爆発事故などを起こしてしまう事もある。そのせいで重大な後遺症を残してしまった子が居るのだと母によく聞かされていた。 リリアナは当時の事を思い出しながら母の言葉のどこかにヒントはないかと思っていたが、どうしても楽しい思い出しか蘇ってこない。「駄目だわ……何も思い出せない。母様は一体どこでエバンズ家と繋がりがあったんだろう」 いくら考えても何のヒントも無くてため息をついていると、ノックの音が聞こえてきた。「はい?」 席を立ってドアを開けるとそこには誰も居ない。その代わりに淹れたてのホットミルクと焼き菓子が置いてある。不思議に思って廊下を見渡しても誰もいない。「……誰だろう?」 そう思いつつ部屋にティーセットを持ち帰ると、銀の盆の上に走り書きで書かれたメモが置いてある。『あまり根を詰めすぎないように アルフレッド』 そのメモを見てリリアナはその場に蹲って呟くが、その声は上ずってしまう。「どうしてこんな事……お願いだからこれ以上、私の心に住み着かないで」 彼の側に居る時間が長くなればなるほど、心はアルフレッドに惹かれていく。噂ではない、本当のアルフレッドに。 出会
last update最終更新日 : 2026-10-05
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34・まがい物

 フィオナはそれを聞いてにんまりと口の端を上げて座り直した。「どういう事? あの夜、彼は誰かに会っていたというの?」「ええ。これはあのホテルの関係者から聞いたんですがね、どうもアルフレッドの側近がその日の事を何度も尋ねて来るそうなんですよ。ただホテルの従業員が覚えているのは、百合の紋章が入った銀のロケットと早朝にホテルにやってきた馬車ぐらいだそうで、結局女の事は何も分からずじまいなんですがね」「そうなの。教えてくれてありがとう」 それを聞いてフィオナはにんまりと笑った。 やはり、リリアナはあの夜ヴェール家から身を隠すためにホテルで一晩を過ごしたようだ。アイリーンが言うようにサンドラは間違いなくリリアナだ。あの妊娠もアルフレッドの子で間違いないのだろう。 けれど当のアルフレッドは未だにそれを知らないまま、リリアナを側に置いているらしい。であれば、それを利用しない手はない。 やはり神はいつだって正直で正しい者に運を運んでくるようだ。 フィオナは探偵を追い出して早速屋敷の中に残っていたローズの痕跡と今までしてきたヴェール・ノワールの改ざん資料をリリアナが暮らしていた離れに雑に放り込むと、深夜にこっそりと火を放った。 これでもう誰もリリアナとローズの影をこの屋敷で追う者は居なくなるだろう。「いつまでも鬱陶しいのよ。死んだ女はもうじきそちらに逝く娘と孫と仲良くするのね」 フィオナがこの屋敷に来た時はまだ10代だった。本当は調香師になりたかったけれど何度挑戦しても調香師の免状を取れず、仕方無くヴェール・ノワールの事務をしていた。 そんな時にヴェール・ノワールとエバンズ家の共同開発が始まったのだが、エバンズ家の調香師は皆優秀で、いつもフィオナはただそこに居るだけで劣等感に苛まれていた。 特に調香の天才と言われていたローズ。あの女だけはどうしても許せなかった。 ローズは誰にでも平等で穏やかで誰からも好かれ、崇められていた。 既に何もかもを手に入れていたはずなのに彼女はそれだけでは飽き足らず、フィオナがずっと狙っていたヴェール・ノワールの女主の座まで手に入れてしまったのだ。 フィオナは屋敷
last update最終更新日 : 2026-10-06
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35・あの夜の女

 アルフレッドの元にあの夜の女の新情報が入ってきたのは、サンドラと喧嘩をしてから3日ほど経った頃だ。「もう謝ったら? 3日間も隣の部屋にこっそりホットミルクと焼き菓子送るって、はっきり言ってされてる方は気味が悪いからね?」 いつまでも素直に謝れないアルフレッドに業を煮やしたかのようにルークが苦言を呈してくるが、そんな事はアルフレッドにも分かっている。 ただ、なんて切り出せばいいか分からないだけだ。「放っておいてくれ。俺にも考えがあるんだ。それで、何か分かったと言ってなかったか?」 本当は何の考えもないが顔を上げたアルフレッドを見て、ルークがとうとう呆れ果てたような顔をして話し出す。「僕たちは盛大に勘違いしていた事が分かったんだよ」「勘違いだと? 何をだ」「あの夜、君が抱いた女——白檀の君は誰かの迎えがあったから早朝にホテルを出たと思っていたけれど、どうやらそうじゃないみたいなんだ」 そう言ってルークは自分の手帳を机の上に置いた。それはいつものように清書されたものではなく、明らかに走り書きだ。「珍しいな、お前が清書しないのは」 何でも紙に書き起こしておくルークにしては珍しいと思って問いかけると、ルークが肩を竦める。「どうもヴェール家が雇った奴にマークされてるみたいでさ、あまり書き残すのは止めようと思って。誰がどこと繋がってるか分からない以上、君の汚点をこれ以上残しておくのは得策じゃないからね」「汚点だと?」「そうだよ。君が犯した唯一の汚点だ。相手の名前も聞かず、身分も聞かず、激情に任せて女を抱いた挙句に放り出すなんてエバンズ家の後継者にあるまじき汚点だ」 はっきりと言い切ったルークにアルフレッドは言葉を詰まらせた。全く以てその通りだったからだ。「彼女は自分の事をメイドだと言ったんだ。だから……」「言い訳はいいよ。それにそれを僕にしても仕方ない。話を戻すよ。あの日、あのホテルでは二つの会場が使われていた。一つは大陸からの莫大な投資話を持ち込んだフォン・ハインリヒを歓迎するパーティーだ。そしてもう一つは君の酩酊婚約
last update最終更新日 : 2026-10-07
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36・形見と対のロケット

 アルフレッドは突然やって来たアイリーンが手にしていた物を見て混乱していた。 どうしてアイリーンがこのロケットを持っているのか、皆目見当もつかなかったからだ。「それをどこで手に入れた?」 アルフレッドが尋ねると、アイリーンは寂しそうな笑顔を浮かべる。「母の形見です。母と言っても私のではなく、姉の母なんですけど」「姉の母が君にそれを形見として渡したという事か?」 それは時系列がおかしくないか? そう思いつつ尋ねると、アイリーンはコクリと頷く。「ええ。世間体が悪いのであまり表には出ていませんが、私を母が身ごもった時にはまだ姉の母は生きていたんです。そして姉にはノートを。私にはこのロケットをくれました」 そう言ってアイリーンはまたあのロケットをポケットから取り出した。「確認しても構わないか?」「ええ、もちろんですわ」 アイリーンには自信があった。今までの作戦にはいくつもの穴があり失敗したが、今回ばかりはありとあらゆる手を使ってあの日、リリアナが行ったと思われる行動を全てなぞったからだ。 アイリーンはアルフレッドにロケットを手渡すと、ソファに腰掛ける。 一方アルフレッドは違和感を抱きながらもロケットを開くと、首を傾げた。 そこにはアルフレッドが拾ったロケットに入っていたコットンなど無く、中身は空っぽだったからだ。「事情は分かった。君がどこからどんな情報を得たのかは知らないが、どうしてこのロケットを俺が持っていると思うんだ?」「だってあの日、私はあそこでしかロケットを外しませんでしたもの」 実際にリリアナがアルフレッドとあの夜をどんな風に過ごしたのかは分からないが、ここで恥ずかしげにしていればアルフレッドも納得するだろう。 そう思ったけれど、アルフレッドの顔はまだ訝しげだ。「なるほど」 アルフレッドがあの夜の女を探しているという情報は、ごく一部の人間しか知らないはずだ。それなのに何故アイリーンがこのロケットをまるで証拠品のように持って来たのか、それが分からない。 誰か内通者が居たのか、それともルークが言っていたようにヴェー
last update最終更新日 : 2026-10-08
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37・愛と嘘

 リリアナはサロンのドアの前で震える手を握りしめる。 ラボから戻ると屋敷の前に見慣れた紋章のついた馬車が停まっていたので急いでサロンに立ち寄ると、そこには真剣な顔をするアルフレッドと、上目遣いでアルフレッドを見つめるアイリーンが居た。 しばらく見ているとアイリーンが何かを取り出してアルフレッドに手渡した。それはあの夜、アルフレッドの元に置いてきてしまったロケットだ。 リリアナはよろけながら部屋へ戻ると、そのまま椅子に座りテーブルに突っ伏す。「あれは隠していたのに……どうしてアイリーンが……」 幼い頃、アイリーンはあのロケットに異常なほど執着していた時期があった。リリアナの物は何でも欲しがり何でも奪ってきたアイリーンだったが、あのロケットだけは絶対に譲らなかった。 それは、あのロケットこそが父が母にしたプロポーズそのものだったからだ。 そしてリリアナの名前の由来になったロケットでもある。『父様は当時、本当にお金が無かったの。でもとてもロマンチストだった。このロケットをくれた時、これから僕たちの思い出をここに入れていこうって言ってプロポーズしてくれたのよ。だからこれは指輪がわりでもあるの。本当はバラの紋章が入ったロケットが良かったみたいなんだけど、百合しか無かったんですって。だからね、あなたの名前はリリーにちなんで、リリアナなのよ』 この話は母が何度も話してくれた。その話が始まると父はいつも顔を真っ赤にして、翌週には絵描きを家に呼び、家族の絵姿を描いてそのロケットに入れるのだ。 そこには愛しか無くて、リリアナは幸せだった。ずっとその幸せが続くと、そう思っていた。 けれど母が亡くなり父が再婚し、アイリーンが生まれてからヴェール家はおかしくなってしまった。 リリアナはうつ伏せたまま声を殺して泣いた。 このまま父と母の愛の結晶だったはずのロケットは、アイリーンの嘘によって穢されてしまうのだろうか……。 誰にも侵されたくなかった最後の思い出のロケットまで奪われ、さらにロケットを使って嘘までついて今度はアルフレッドまでも奪うつ
last update最終更新日 : 2026-10-09
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38・二人の人を同時に愛してしまう

 何を一人で泣くような事があったと言うのだ。アルフレッドは騒ぐ胸中を抑え込み、サンドラをベッドまで運ぶ。 毛布をかけて顔にかかった髪を避けてやると、サンドラは小さな吐息を漏らした。 その声はあまりにも甘く、何かが決壊してしまそうでアルフレッドはゴクリと息を飲んで呟く。「俺は君とどうなりたいんだ……」 泣いていた理由も気になるし、吐息を聞くだけで心臓が跳ねる。 あの夜の女を探しながら、もうサンドラを手放す事も出来ないと思っている自分が理解出来なくて、アルフレッドは急いでその場から立ち去った。 二人への思いを自分の中で整理しようとすればするほど、どうしようもない罪悪感に支配される。 そんな罪悪感から逃れるようにアルフレッドはベッドに入って夢の中へ逃げ込んだ。 夢の中のアルフレッドは白檀の女と密会し、そのあと何食わぬ顔でサンドラが待つこの屋敷へ戻りサンドラを愛していて、激しい自己嫌悪から深夜に何度も目を覚ましてしまった。「最低だ。俺は一体どうしてしまったんだ!」 今まで仕事よりも大切な物など無かった。誰に言い寄られても卒無く断る事も出来た。それなのに、今回ばかりはどうして一度に二人の人間を愛してしまうような事態になってしまったのか。 白檀の女に至ってはたった一夜しか共にしていない。それでも彼女はまるで火山のように鮮烈にアルフレッドの心に刻み込まれてしまった。 一方サンドラは静かな満潮のようにひたひたと気がつけばアルフレッドの心に染み込んでくる。 この二つの侵食された心は今もアルフレッドを蝕み、悩ませ、容赦なく自己嫌悪に落とし入れた。「アルフレッド様、大丈夫ですか?」「え? あ、ああ、大丈夫だ。そんな事よりもどうした? 今日は遅いじゃないか」 おかしな夢のせいですっかり寝不足に陥ってしまったアルフレッドが遅い朝食を取っていると、そこへサンドラがやってきた。 あの喧嘩の後から口をほとんど利いていなかったので、突然話しかけられて驚いていると、サンドラの顔に心配するような表情が浮かぶ。「少し考え事をしていて…&helli
last update最終更新日 : 2026-10-10
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39・それでも彼は、彼女を手放さない

 アルフレッドを見ていると、世間の噂など本当に役に立たないのだなと実感する。 リリアナはそんな事を考えながら今日も検診についてきてくれていたアルフレッドの隣を歩いていた。「今日の検診も順調だったな」「はい! アルフレッド様が毎朝ベーコンを譲ってくれるので、体重も少し増えていました!」「そうか。君の質量が増すのは良い事だ。だがアイスは禁止だ。身体を冷やす」「そんな! 大好きなのに」「大好きでも駄目だ」「でも先生はストレスもいけないと言っていましたよ?」「君はアイスを食べないとストレスを感じるのか?」「はい」 断られるだろうなと思いながらも即答すると、アルフレッドは苦虫を潰したような顔をして渋々頷く。「分かった。では一日一つだ」 これ以上は譲れないアルフレッドが言うと、サンドラは嬉しそうに返事をして足取り軽く歩き出す。その足取りが全てを物語っていた。それほどアイスが好きなのだと。 まるで子どものような無邪気さにふとアルフレッドの脳裏に数年後の光景が浮かぶ。 こんな風にいつか生まれた子どもとサンドラと自分の三人でアイスを食べながら歩く事が出来たらどれほど幸せだろうか、と。 普段はあまり物事に感傷的にならないアルフレッドだが、そんな光景をふと思い浮かべてしまい顔を歪める。 相変わらず白檀の女の事も忘れられないのが現状だが、アルフレッドは不意に浮かんだ光景に心を揺さぶられ、そんな未来を手に入れたいと強く願っている自分に気付いた。 冷静になってみれば簡単な話だ。たった一夜を共にした女と、日常を共にする相手では比較のしようも無かったはずなのだ。 アルフレッドは道路の脇に立って通りを確認しているサンドラの腰に腕を回し、自分の方に引き寄せ囁く。「あまり通りに出るな。馬車が飛び出してきたら危ないだろう?」「ごめんなさい、つい」 反射的に謝って顔を上げると、アルフレッドは見たこともないような顔をしてリリアナを見下ろしていた。その顔は慈愛に溢れ、まるでリリアナの事を心の底から愛してくれているような、そんな錯覚さえ起こしそうになる。 リリ
last update最終更新日 : 2026-10-11
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40・リリアナ・ヴェール

 アルフレッドが知っているリリアナ・ヴェールという女性は、ヴェール家の長女で天才と呼ばれた調香師の母を若くして亡くし、残った家族から邪険に扱われた不幸で地味な女性だ。「どういう事だ? リリアナ・ヴェールが白檀の香りを研究していた?」「そうなんだ。彼女の叔母にサンドラという女性がいるらしくて、その女性に送る為のレシピをずっと開発していたらしい。元々は母親がしていた研究だったみたいなんだけど多分、間に合わなかったんじゃないかな……」 そう言ってルークが視線を伏せた。「その叔母はどうしたんだ? 出来上がったものを受け取ったのか?」「いいや。叔母は母親よりも先にかなり若くで亡くなっていたよ。それでもリリアナ嬢は彼女のための香水を作っていたらしい。弔いの意味も込めていたのかもしれないね」「そうか……優しい女なんだな」 アルフレッドが視線を伏せて言うと、ルークが一枚のメモを机の上に無言で置いた。「これがサンドラさんの住所。リリアナ嬢の従兄弟がいるようだから行ってみたら?」「ありがとう」 アルフレッドはそれを受け取り週末にその住所の街まで馬車を走らせた。 馬車の中でアルフレッドはあの銀色のロケットを弄びながら呟く。「サンドラ、か」 アルフレッドにとってサンドラと言えば契約結婚を迫ったサンドラだが、まさかこんな所でリリアナとの共通点が出てくるとは思いもしていなかった。「どうして俺の周りにはこんなにも秘密の多い女ばかりが集まるんだ」 自嘲気味に笑っていると、やがて馬車はゆっくりと一軒の屋敷の前で停車する。 御者が扉を開けアルフレッドが下りると、庭先で農夫姿の若い男が庭仕事をしていた。「突然すまない。私はアルフレッド・エバンズという者なのだが、ここにアドルフ・スミスという者はいるか?」 アルフレッドが庭先の男に声をかけると、男はちらりとこちらを見て訝しげに眉根を寄せる。「……僕ですけど、何か用ですか?」「君が?」「ええ。…&hellip
last update最終更新日 : 2026-10-12
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