บททั้งหมดของ 一夜の相手は、私から奪われた婚約者でした: บทที่ 1 - บทที่ 10

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1・全てを失った夜

 リリアナ・ヴェールは亡き母ローズが残してくれたレシピで作った特別な香水をつけ、自身の婚約発表会に出席するために会場入りをした。  会場は招待客でごった返していて、具合が悪そうな男性がスタッフに支えられるように壇上に上がっていくのが見える。  あれが婚約相手の アルフレッド・エバンズだろうか。  その後ろから父と、何故か義妹のアイリーンが壇上に上がっていく。 「皆様! 本日は愛娘アイリーンとエバンズ家の跡取り、アルフレッド様の婚約発表会にお集まりいただき誠にありがとうございます!」 「……どういう……事?」  今日はリリアナの婚約発表だったはずだ。父にもそう聞かされていた。  ところが実際に今壇上に居るのは紛れもなくアイリーンである。  一体何が起こっているのか分からないまま、リリアナは固唾を飲んで見守るしか無かった。ここで声を上げても仕方がない事をよく知っていたからだ。  何よりもリリアナにはヴェール・ノワールというヴェール家のアトリエがある。もしこの婚約が無かった事になったとしても、今まで通りノワールの代表調香師として支えればいい。  そう思っていたのに、父の次の言葉にリリアナは愕然とした。 「皆様の中にはどうして長女ではないのかとお思いの方もいるでしょうが、実はこのアイリーンこそがヴェール・ノワールの代表調香師なのです! 才能のある二人が結婚するのは当然の事。アイリーン。この場で新作も発表してしまいなさい」  父はまだはにかんでいるアイリーンの背を押した。その時にアイリーンはちらりとこちらを見て何かをたくらむような笑みを見せる。 「それでは私から最新作の発表をさせていただきます。新作の名前は『霧の果て』。この香りは——」  父に促されてアイリーンは小鳥が囀るような可愛らしい声で、数日前に出来上がったばかりのリリアナの新作の名を口にしたではないか。 「なんて事……」  リリアナはよろけるように後ろに二歩下がると、壁に背中を預けた。  怒りと悲しみのあまり口元に当てた手が微かに震える。  アイリーンの得意げな説明が続く中、壇上から一足先に下りてきた父が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。 「リリアナ、喜べ。お前には結婚発表を用意してある。相手は大陸一の投資家フォン・ハインリヒだ。年は二十離れているが構うまい。これも家の為だ。
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2・彼女は一体、誰なのか

 ロケットを開くと中から出てきたのは絵姿ではなく、小さく畳まれたコットンだ。 「なんだ? これは」  不思議に思いながらもそのコットンを手に取ると、コットンから百合ベースの甘い香りが漂う。 「……面白い配合だ。こんな短期間で二種類も新しい調合を知るとはな」  着替えを済ませて寝室を出ると、既に朝食の準備が整っていた。この部屋への入室を許しているのは側近のルーク・フォンだけだ。 「ルーク」  アルフレッドがその場には居ないルークを呼ぶと、洗面所からルークが顔だけ覗かせる。 「おはようございます」  いかにも側近らしい態度のルークにアルフレッドは眉根を寄せると、席について拾ったロケットをテーブルの上に置いた。 「ここには俺とお前しか居ない。いつも通りでいい」  その言葉にルークは軽く頷いて机の上のロケットに視線を落とす。 「で、これは?」 「ここのメイドの物だ。持ち主を探して返しておいてくれ。それから示談金を言い値で払う、とも」 「示談金? 君は一体何をしたんだ」 「……言いたくない。俺も後悔している」  そう、後悔している。たとえおかしな薬のせいだったとしても自分の立場を考えればあんな事をすべきではなかったし、薬が抜けた時点で解放すべきだったのに、あのメイドの反応と香りについ誘惑され、朝方まで抱いてしまった。  黙り込んだアルフレッドを見てルークは深いため息を落とすと、ロケットを持って嫌味を言う。 「君の理性が利かないのは珍しい。そんなに良かったのかい?」 「うるさい」  追い払うように言うと、ルークは肩を竦めて部屋を出ていく。  ルークが部屋へ戻ってきたのは食後のコーヒーを飲んでいた時だ。 「早かったな。で、いくらだ?」  そちらを見もせずに尋ねると、ルークは近寄ってきてアルフレッドの目の前にあのロケットを置いた。 「なんだ?」 「居なかった。昨夜はこのフロアに誰も来ていないそうだ。そもそも仕事中にこんな物を付けるメイドは居ないそうだよ。君は一体誰と寝たんだ?」 「……」  どういう事だ。あれはメイドではなかった?   混乱するアルフレッドに畳み掛けるようにルークは尋ねてくる。 「その子の顔は?」 「俺は失顔症だ。顔など覚えているはずが無いだろう」  幼い頃の事故で後天的に患った障害のせいで人の顔を覚える
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3・花嫁になるはずだった女は、秘書になる

 あれから半月。リリアナは無事にアルフレッドの元に潜り込み、秘書として毎日忙しく働いていた。  アルフレッドはまさかサンドラ・ウッドが世間を騒がせている失踪したヴェール家の長女リリアナだとは夢にも思ってもいないだろう。 「おい、この書類の整理を頼む」 「はい」  リリアナは短く返事をして書類の束を受け取ると、自席に戻って仕分けを始めた。  今日も書類の多さが尋常ではないが、それでもリリアナは黙々と作業を進める。そこへアルフレッドは遠慮なく次から次へと仕事を持ってきた。  やはり彼は世間の噂通り、とても厳しく冷徹なのかもしれない。 「それが終わったらこの予定表を清書しておいてくれ」  一方、アルフレッドは突如としてやってきたサンドラ・ウッドと名乗った女を疑っていた。  そもそも今回の募集もアルフレッドがしたのではなく、叔父が勝手にした事だ。せめて面接だけは自分ですると言ってこの女を雇ったが、今のところ叔父の息がかかっている素振りは一切無い。それどころかむしろとても優秀だ。  けれどまだ油断する事は出来ない。そう自分に言い聞かせて、常に一定の距離を取るようにしていた。 「それが済んだらラボに行って在庫の確認を」 「はい」  どんどん仕事を頼まれるが、リリアナはそれを辛いとは思わなかった。調香の仕事は何よりも根気と忍耐が必要だったから、こんな事ではへこたれない。  書類の整理が終わって予定表の清書に取り掛かると、そんなリリアナの様子を見てアルフレッドが静かに言う。 「それが終わったら、そのまま休憩に行っていい」 「はい、ありがとうございます」  リリアナはそれを聞いて手を速めた。少しこの部屋の香りについて思う所があったからだ。  言われた通りラボに行き在庫の確認を済ませると、充てがわれた寮の部屋に戻って事務所から持ってきたフレグランスにミントとゼラニウムを数滴ずつ足し始めた。  調香と言われるほどの事ではないが、これで少しはアルフレッドを悩ませ続けている頭痛もマシになるのではないだろうか。  この半月ほどアルフレッドを見ていて気付いたのは、彼は仕事にとても誠実で真摯だが、何でも一人で請け負ってしまうタイプのようだと言う事だ。  そのストレスからか、それともこのフレグランスが合わないのか、たまに痛みを堪えるかのように顔を顰めている
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4・あの夜の女も、同じ事を言った

「ただのサンダルウッドの香水です。私の名前と似ているので気に入ってるんです」  アルフレッドに低い声で問われ、リリアナは自分の素性がバレるのを恐れて咄嗟に嘘をついた。 「……確かに似ているな」  アルフレッドはサンドラのセリフに納得したように見せたが、彼女は嘘をつくことに慣れていないのだろう。目がさっきから忙しなく泳いでいる。  やはり叔父の手の者だったのだろうか。アルフレッドは掴んでいた手を放すと、興味を失くしたように仕事に戻った。  リリアナはようやく離れて行ったアルフレッドに安堵していたが、それと同時に唇を引き締める。  ここで全てがバレてしまえば、リリアナの人生は丸ごと誰かに搾取されるだけになってしまう。そんなのは嫌だ。  けれど、その日からアルフレッドの態度は急によそよそしくなった。 「どうしよう……やっぱり疑われてるのかもしれない」  夜、リリアナが枕に顔を押し付けて呟くと、窓から入ってきた夜風が髪を撫でた。そのあまりにも優しい風に、不意に亡き母の手を思い出してしまう。 「母様と同じ、皆を幸せにする調香師になりたいだけなのにな」  どうして運命はこうもリリアナに厳しいのだろう。  そんな事を考えながら、リリアナは今日も無理やり眠りについた。  その頃、アルフレッドは既にぐっすりと眠りに落ちていた。  あのフレグランスに手を加えられて数日が過ぎたが、アルフレッドの頭痛は如実に改善している。 「今日も眠れた……」  小鳥の声で目を覚ましたアルフレッドは、夢すら見ずに眠る事が出来た事に感動する。  以前は頭痛でよく眠れず微かな物音で目を覚ましていたが、あれから徐々に眠れるようになり、とうとう一昨日から夢すら見ない。  最初はどうして突然眠れるようになったのか理由が分からなかったが、試しに部屋にあのフレグランスを持ち帰るようになった途端、朝までぐっすりだ。  どんな睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったアルフレッドなので心の底からサンドラに感謝したい気持ちはあるのだが、どうにも叔父との関係が拭いきれない。 「いっそ素直に聞いてみるか?」  自問自答しながら事務所に向かうと、今日も始業前にサンドラは来ている。  彼女は真面目だ。誰よりも早くここへ来て掃除をし、足りない物をチェックしてそれを備品係に報告する事を怠らない。  
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5・俺たち、どこかで会った事があるか?

 唐突すぎるアルフレッドからの質問にリリアナは平静を装って答えた。 「流石にそんな前の事は覚えていません。多分、家に居たと思いますけど」  嘘をつく事に慣れていないリリアナにしては上出来だ。そう思うのに震える指先が全てを物語ってしまう。  やはり、あの夜の相手はアルフレッドで間違いないようだ。 「……そうか」  アルフレッドは静かに言って部屋を後にした。    この日からアルフレッドの周りは急に忙しくなった。叔父がアルフレッドの後遺症といつまでも煮えきらない婚約の事を執拗に責めてくるようになったのだ。 「顔を覚えられないのに、この先どうやって取引先とやり取りをするんだ!」 「顔は確かに覚える事は出来ませんが、私はその他の事で見分けていますのでご安心を」  冷静さを欠いた発言を繰り返す叔父に冷たく言うと、叔父はアルフレッドの婚約の話まで持ち出してきて怒鳴り散らし始める。 「そこまでです、ガストン。少し落ち着きなさい。アルもよ」 「……」 「はい、お祖母様」  とうとう耐えかねたのだろう。叔父をたった一言で鎮めたのは祖母のシャルロッテだ。  「わたくしはアルの結婚相手はエバンズ家に相応しい者しか認めません。そのヴェール家の娘はそこまでの実力があるのですか?」  シャルロッテが厳しい目をエバンズに向けた途端、エバンズが泡を食ったようにしどろもどろになる。 「いや、それはヴェール家の代表調香師だと言う事なので、それなりの実力はあるかと……」 「それなりでは足りないのです。わたくしは他を凌駕するような才能を求めている。アル、そんな娘を見つける事は出来ますか?」 「それは——」  なんて答えようか迷っていると、一人の名前が脳裏を過った。サンドラだ。  彼女はアルフレッドを日々観察し、その時に応じて繊細な配合を機材が無くても難なくこなしてしまう。  アルフレッドは顔を上げてシャルロッテを見た。 「出来ます。私は天才を一人知っています」  その言葉にシャルロッテは口の端だけを上げて微笑む。
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6・古い婚約と、新しい婚約者

「待ってちょうだい! あなたの婚約者は私ですわ!」  アイリーンの声が震える。目の前でアルフレッドが姉に似た女の肩を親しげに抱き寄せた。その行為に調子に乗ったのか、それまで黙っていた女が口を開く。 「失礼ですが両家の婚約の条件を調べた所、エバンズ家から出された条件にはヴェール家の子女とあり、どこにも個人を指す表記は無かったように思いますが」  いつも愛らしく笑っていたアイリーンは一体どこへ行ったのかと思うほど、今のアイリーンの顔は嫉妬に歪んでいる。 「よく知っているな、そんな事」 「はい、調べましたから」 「なるほど。相変わらず有能だな、君は」  毅然とした態度でアイリーンとやり合うサンドラを見直していると、アイリーンが唇を戦慄かせて叫ぶ。 「優秀? だったらこれは知らないの? 姉ならもうハインリヒさんとの結婚が決まっているって」 「そうなのですか? 何の為に?」 「当然ノワールをさらに大きなアトリエにする為に決まってるでしょ⁉ そんな事も分からないの?」 「つまり政略結婚という事ですか? ですが単純に家を大きくしたいのであれば、ヴェール家とそのハインリヒさんが手を組めば良いだけの事ではないですか。そこに結婚など必要ですか? それともそんな事をしなければならない程、ヴェール家は傾いているのですか?」 「な、なんですって⁉ うちを侮辱するのは許さ——」  そこでふとアイリーンは言葉を切った。サンドラと紹介された女の手首に、見慣れた傷がある事に気付いたからだ。 「あなた、これはいつ出来た傷?」  アイリーンが素早くサンドラの手首を掴んで言うと、サンドラはアイリーンから手を引いて傷跡を隠すように言う。 「幼い頃ですよ。もうずっと昔の傷です」  冷たいとも思えるほどの声にアイリーンがゴクリと息を飲んで何か言いたげにリリアナをじっと見つめてきた。このままでは全てがバレてしまう。  ここへ来てから何度も窮地をくぐり抜けてきたリリアナだったが、今回ばかりは覚悟を決めるしかないのかもしれない。    その頃、エバンズ家の最有力者シャーロットの元に、ある情報が入ってきた。
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7・本当に、しつこい人たち

 アイリーンは怒りに任せて外に待たせていた馬車に乗り込むと、乱暴に置いてあったクッションに当たり散らした。  あれは絶対にリリアナだ。いくら探しても居ないと思ったら、まさかアルフレッドの新しい婚約者を名乗っていただなんて。 「どうして⁉ どうしてなのよ! 私が婚約者でしょ⁉ どうしてあいつなのよ!」  アイリーンはアルフレッドを一目見た時から好きだった。  苛立たしい気持ちで散々悪態をついているうちに、気がつけば家に辿り着いている。  家に入るなりアイリーンは階段を駆け上がって母、フィオナの部屋へ急いだ。 「母様!」  ノックもせずにドアを開けると、母は優雅に出来もしない調香の真似事などしている。 「あら、アイリーンお帰り。アルフレッド様はどうだった?」  まだ何も知らないフィオナが尋ねると、アイリーンの顔がみるみる不機嫌になっていく。 「どうかしたの?」 「アルフレッド様に新しい婚約者がいたの……でもあれ、リリアナかもしれない」 「どういう事?」  娘の突然の言葉にフィオナは目を見開いて起こった事全てを聞き終えると、ドサリとソファに座り込む。  あれほど苦労してどうにかエバンズ家との婚約をもぎ取り、なおかつその相手がアイリーンになるよう仕組んだというのに、何故か一番最悪の形に事が運んでいるではないか。 「でもね、あいつ身分を偽ってるの。おまけにアルフレッド様もあいつの正体を知らないみたいなのよね」 「……そうなの?」 「ええ。サンドラって名乗ってたわ。それにアルフレッド様はそもそもリリアナの事なんてこれっぽっちも知らないみたい」  まるで初めて聞いたとでも言わんばかりの態度を思い出して告げると、フィオナは口元に手を当てて考え込む。 「どうしたらいいと思う? 母様。私は今すぐアルフレッド様にあいつの正体をバラしちゃうのが良いと思うんだけど」  そうすればリリアナは一瞬でアルフレッドに嘘つき女として認識されるのではないか。そう思ったけれど、フィオナはそれに反対してくる。 「駄目よ、アイリーン。そんな事をしたらその時点であの婚約の条件を満たしてしまうわ」
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8・六週間

「冗談……ですよね?」  言葉を失っていたリリアナの口から、ようやく発せられたのはそんな台詞だった。普通の母親ならきっと泣いて喜ぶのだろう。  けれど今のリリアナには素直に喜ぶことが出来ない事情がある。  リリアナの顔を見て医者は怪訝な顔をしつつも、エバンズ家が昔から世話になっている産婆のマリアに連絡を取るよう勧めてくれた。  何が起こっているのか自分でも分からないまま腹部に手を当ててみるが、まだ新しい命など居ないのではないかと思うほど静かだ。  リリアナは待たせていた馬車に乗り込むと、御者に「少し考え事をしたいから遠回りをして欲しい」と告げた。 「どうしよう……思い当たるのはあの夜だけだわ……」  何せあの夜にリリアナは全てを失ったのだ。家族も仕事も、純血でさえも。  喜ぶべきなのか、それともまた夢が遠のいたと悲しむべきなのか、混乱していて自分の気持ちがもうよく分からない。 「それよりも、アルフレッド様になんて報告したらいいの?」  この命は紛れもなくアルフレッドとの子どもだが、それを告げてしまうとサンドラがあの夜の相手で、そこからあっという間にサンドラがリリアナだと言うことに気付かれてしまうに違いない。 「でも、私にも夢があるのよ!」  子どもを堕ろすという選択肢はリリアナには全く無い。ただ、その為に夢を捨てたり諦める事は出来ない。 「ごめんなさい……本当に……ごめんなさい……」  リリアナは両手で顔を覆って誰にともなく謝った。相手はアルフレッドになのか、新しい命になのか。それともそのどちらにもなのか。  いつか必ず、母のような調香師になる。母が持てなかった自分のブランドを大陸で立ち上げ、そこにやって来る人たちに最高の、世界に一つだけの香りをプレゼントしたい。  リリアナはようやく止まった涙を袖で拭くと、背もたれに力なく身体を預けた。  もうどうして良いか分からない。こんな時、母ならどうしただろう。アルフレッドはこの事を聞いてどんな判断を下すのだろう。その時、リリアナの未来は一体どこへ繋がるのだろう——。  こんな状態ではアルフレッドに会わせる顔が無いと思い、屋敷に戻ったらそのま
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9・この子はあなたの子じゃない

 リリアナの言葉にアルフレッドの足が止まった。彼が振り向く前にリリアナはさらに続ける。 「でも、この子はあなたと出会う前にできた子です。あなたには……関係ありません」  何度も何度も馬車の中で自問し、選んだ答えは彼に真実は告げないという選択だ。 婚約をしていて一緒に暮らしていてもリリアナ達の寝室は別で、ここでは身体を重ねた事もないのだからアルフレッドもそれをよく理解しているだろう。  それでもあえて告げたのは、子どもという存在でアルフレッドの未来まで奪ってしまいたくなかったからだ。  リリアナ達の結婚は愛が主体ではなく、一年という区切りのある結婚だ。その生活の中に子どもが居ては、アルフレッドの自由すら奪ってしまいかねない。  けれど子どもには何の罪もなく、ましてや誰よりも幸せにしてやりたいと思っている。目の前に本当の父親が居るのに残酷だとは思うが、リリアナはアルフレッドの為にも嘘を重ねなければならなかった。  もしこの子が本当にアルフレッドの子だと分かれば、ヴェール家が何をしてくるか分からないのだから。  それだけ言って黙り込んだリリアナの手を、いつの間に振り返ったのかアルフレッドが引いた。 「とりあえず座れ。手が冷えている」  アルフレッドはそう言って今にも泣きそうなサンドラの手を引いて暖炉の前のソファに半ば無理やり座らせる。  気丈に振る舞ってはいるが、サンドラの手は馬車のドアを開けた時からずっと震えていて、不安で仕方ないのだと物語っていた。  サンドラがどういう気持ちでアルフレッドに念を押すかのように別の男の子どもだと告げたのかは分からないが、この様子だと子どもの相手は碌な男ではなかったのだろう。  もしかしたらサンドラは良くない輩に弄ばれ、捨てられたのかもしれない。 「外は寒かったか?」 「いえ……」 「そうか。俺の子じゃないのは分かっているし、その事についても責めるつもりはない。ただ聞きたい。君自身はどうなんだ? その子を産みたいのか?」  出来る限り優しい声で問いかけると、それまでずっと俯いていたサンドラが顔を上げる。その目にはよく調香の話をしている時の強い眼差しが宿っていた。 「
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10・彼は、他人の子を選んだ

 恐ろしく耳が早いな。  アルフレッドはそんな事を考えながらも、シャルロッテを真正面から見据えて言う。 「いいえ、解消はしません」 「何故です? あなたの新しい婚約者の妊娠が分かったのですよ? 時期的にあなたの子では無いのは明白です。そんな者がエバンズ家に入る事が許されると思っているのですか?」 「その答えもいいえ、です。ですが、私は彼女との婚約は解消しません。これはもう決めた事です」  シャルロッテの言い分も分かるが、あの状態のサンドラを放り出すのは倫理的に無理だし、サンドラにはまだどうしても確認したい事がある。自分でもどうしてここまで彼女が気になるのか分からないが、心が手放すなと強く訴えかけてくるのだ。  こんな気持を誰かに抱くのは初めての事で、自分でも戸惑っている。  そんなアルフレッドの迷いを読み取ったかのように、シャルロッテが強い口調で責めてきた。 「アル——アルフレッド・エバンズ、よく聞きなさない。あなたのしでかそうとしている事は、将来的にエバンズ家の足を引っ張る事になるのですよ。あなたはただでさえガストンと後継者争いをしている真っ最中です。そんな中、今回の事をガストンに知られれば、どうなると思います? 形勢が逆転し、あなたの信用や信頼は一気に地に落ちる事になるでしょう。もちろん、それがあなたの望む未来だと言うのなら止めはしません。ですが、家の事を第一に考えられないような者はエバンズ家に必要ありません。それでも、あなたは婚約を解消しないと言うのですか?」 「ええ、しません。彼女が誰の子を妊娠していようと、私はエバンズ家にとって最大の功績を彼女がもたらすと信じています。それこそお祖母様の愛する香水を作った調香師のように。彼女の妊娠騒動など、何の足枷にもなりません。お話は以上ですか?」  常に家の事しか考えず、目の前の才能をたかが他の男の子どもを妊娠しているというだけで切り捨てようとする排他主義こそ、エバンズ家の最大の弱点だ。  それこそ、昔 レ・パルファンに居たという優秀な調香師を捨てた時と同じような事をまたするつもりなのだろうか。  アルフレッドの言葉にシャルロッテの顔色が変わった。 「……ええ、話は以上です。行きなさい
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