Semua Bab 最後に信じた嘘~宿敵の御曹司だけが私を裏切らない~: Bab 41 - Bab 50

55 Bab

第41話 仕事のない夜

怜司から店の名前が送られてきたのは、約束の二日前だった。都心から少し外れた住宅街にある、小さな蕎麦屋だった。公式サイトらしいものはなく、検索しても営業時間と簡単な口コミが出てくる程度で、澪が普段会食に使う店とはまるで違う。そのことが、かえって嬉しかった。仕事相手を連れていくために選んだ店ではない。少なくとも、そう思える場所だった。約束の日、澪は会社を出る前に一度だけ鏡を確認した。普段より少し柔らかい色のブラウスに、細身のジャケット。仕事帰りなのだから不自然ではないが、朝に服を選ぶ時間がいつもより長かったことは、自分でも認めざるを得なかった。「……食事するだけなのに」小さく呟き、バッグを手に取る。本部長室を出たところで怜司と合流すると、彼はいつもと変わらないスーツ姿だった。そのことに少し安心し、同時にほんの少しだけ残念にも思う。「お待たせしました?」「いいえ。私も今出たところです」「今日は本当に仕事の話は禁止ですからね」「まだ始まってもいませんが」「先に確認しておかないと、高城さん普通に資料を出しそうなので」「信用がありませんね」そんな会話をしながら会社を出る。少し前まで、怜司と二人で外へ出るなら必ず仕事上の目的があった。取引先との打ち合わせ、現地確認、情報収集。今日は何もない。その違いを意識した途端、澪は歩き方までぎこちなくなりそうで、視線を前へ戻した。店は駅から十分ほど歩いた先にあった。大通りから一本入った静かな通りに、控えめな暖簾が出ている。中へ入ると、木を基調にした落ち着いた空間が広がっていた。席数も多くなく、仕事帰りらしい客が二、三組いるだけだった。「こういうお店、よく来るんですか?」席に着いてから澪が尋ねると、怜司はメニューを開きながら答えた。「何度か。人が多すぎないので気に入っています」「昨日言ってましたね。人混みが苦手だって」「覚えていたんですか」「聞い
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-22
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第42話 残されなかったもの

榊原の妻から再び連絡が入ったのは、蕎麦屋で怜司と食事をした翌日の午後だった。澪はちょうど再開発に関する報告書を確認していた。画面に表示された番号を見た瞬間、胸の奥に小さな緊張が走る。前回この番号から聞かされたのは、榊原の死だった。「はい、九条です」『突然すみません。榊原です』「いえ。どうされましたか?」電話の向こうで、女性はすぐには答えなかった。『主人の事務所に、誰かが入ったみたいなんです』澪の手が止まった。「……入った?」『今日、娘と一緒に遺品を整理しに行ったんです。主人が一人で使っていた小さな事務所で、私も普段はほとんど行かなくて。それで、中に入ったら……』声が少し震えた。『机の引き出しが開いていて、書類も床に落ちていました。主人は几帳面な人だったので、あんな状態で帰ることは絶対にないと思います』澪は椅子からゆっくり立ち上がった。「警察には?」『連絡しました。今、見てもらっています。でも……九条さんにも伝えた方がいいと思って』「どうして私に?」その問いに、女性は少し迷った。『なくなっているものが、変なんです』澪は黙って続きを待った。『現金は残っていました。事務所に置いてあった時計も、そのままです。高価なものはほとんどないんですけど、持っていこうと思えば持っていけるものはいくつかあったのに、それは残っていて……主人が使っていたノートパソコンと、仕事関係のファイルだけがなくなっているんです』澪は息を止めた。榊原は九年前の再開発について何かを知っていた。その本人が事故で亡くなり、その直後に仕事関係の資料が消えた。偶然。そう片づけるには、出来事が重なりすぎている。「奥様。警察が確認するまでは、事務所の中には触れない方がいいと思います。それと、なくなっているものが分かるなら、できるだけ正確に伝えてください」『はい』「榊原さんが、ご自宅に仕事の
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-22
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第43話 事故の前に

榊原が事故に遭った場所を確認したのは、その日の夕方だった。澪は小会議室のテーブルに地図を表示し、怜司と並んで画面を見ていた。事故について警察から詳細な資料を得られる立場ではないため、確認できたのは榊原の妻から聞いた情報と、すでに報道されている範囲だけだった。事故が起きたのは午前十一時四十分頃。榊原が運転していた車と、交差点へ進入してきた車両が衝突している。詳しい原因はまだ調査中だが、少なくとも現在のところ、事件性を示す発表はない。問題は、その場所だった。澪は地図上に表示された地点を見つめた。「ここからホテルまで、結構ありますよね」「ありますね。それ以上に気になるのは方向です」怜司が地図を縮小する。榊原の自宅、彼が使っていた個人事務所、そして澪との待ち合わせ場所。それぞれを表示すると、事故現場の位置が明らかに不自然だった。自宅からホテルへ向かうだけなら、通る必要のない地域だった。個人事務所からでも同じだ。「遠回りっていう距離じゃないですね」「ええ。少なくとも、あなたとの待ち合わせだけが目的なら説明しにくい」澪は昨日までとは違う緊張を感じていた。榊原は午後二時に自分と会う予定だった。事故はその二時間以上前。時間には余裕がある。ならば事故の前に、別の場所へ立ち寄ろうとしていた可能性がある。「奥様に、もう一度聞いてみます」怜司が澪を見る。「無理に聞き出す必要はありません」「分かってます。でも、事故の日に榊原さんが何を言って家を出たのか。それくらいなら確認できるかもしれない」澪は榊原の妻へ電話をかけた。何度か呼び出し音が続いたあと、女性の声が聞こえる。事務所への侵入が分かったばかりということもあり、疲れが滲んでいた。澪はまず、何度も連絡してしまうことを詫びた。そのうえで、事故当日の朝について覚えている範囲で教えてほしいと頼んだ。『朝は、いつもとそ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-23
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第44話 重なる名前

九年前の旧再開発資料に残っていた名前は、安西克己という男だった。当時、地権者との調整を請け負っていた東央不動産企画の担当者。会社自体はすでに清算され、現在の登記には残っていない。九条側の記録でも安西の名前が出てくるのは数回だけで、重要人物として扱われていた形跡はなかった。それでも澪が気になったのは、四年前の記録だった。榊原が特別管理文書を閲覧した一か月ほど後、安西の名前が別の資料に現れている。「これ、九条の記録じゃないですね」澪は画面を拡大した。「ええ。榊原氏が退職後に関わった事業再生セミナーの参加者資料です」怜司が隣から答える。安西は登壇者でも主催者でもない。参加企業の関係者として、小さく名前が載っているだけだった。九年前には地権者調整会社。四年前には企業再生関係の場。それだけなら、業界内で仕事を続けていたという説明もつく。問題は、その後だった。澪は安西の経歴を追い、数年前まで存在していた別会社へ辿り着いた。「この会社……」画面に表示されたのは、都市部の不動産取得と管理を行っていた小規模法人だった。現在は別会社へ吸収されているが、設立当初の役員欄に安西の名前がある。そして、その会社が取得していた土地の一部が、現在の再開発区域周辺に含まれていた。澪は椅子へ深く座り直した。「また、この場所に戻ってくる」九年前の計画、六年前から始まった周辺土地の取得、四年前の榊原の再調査、そして現在の再開発。別々に見えていた出来事の間に、同じ人間が何度も現れている。怜司は会社の資金情報を確認していたが、やがて一つの資料を開いた。「九条さん。ここの出資元を見てください」澪が画面を覗き込む。安西が役員を務めていた会社には、設立初期に外部ファンドから資金が入っていた。ファンドそのものの名称には見覚えがない。だが、その運用支援会社を見た瞬間、澪の視線が止まった。「……久我山さん?」
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-24
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第45話 また私になった誰か

安西克己の住所が判明しても、澪たちはすぐには動かなかった。榊原の事務所から仕事関係の資料だけが持ち去られた直後だ。しかも、榊原が事故に遭った場所と安西の現在地には無視できない近さがある。ここで九条側から直接接触すれば、相手が何者であれ、こちらがどこまで辿り着いているのか知らせることになる。「まず、安西さんが本当にそこに住んでいるのか確認しましょう」 「ええ。接触するのはまだ早いでしょう。まず、今もそこにいるかだけ確認します」 「高城さんのところで?」 「企業調査で使っている外部先があります。所在確認くらいなら任せられます」澪は頷いた。以前なら、どこの誰へ依頼するのかまで確認したかもしれない。しかし今は、怜司が無理な方法を選ばないことを知っている。任せられる部分まで自分で抱え込む必要はない。依頼を出したあと、二人は安西に関する過去の記録をもう一度並べた。九年前、東央不動産企画で地権者調整を担当。六年前、現在の再開発区域周辺で土地取得を進めていた会社の役員。四年前、榊原が九条の特別管理文書を閲覧した直後に、同じ企業再生セミナーへ参加している。そして、その会社には久我山へつながる資金の流れがある。どの一つを取っても決定的ではない。だが、安西を中心に置くと、それまで別々に存在していた点が妙に近づいて見えた。「安西さん自身が中心だったとは思えないんですよね」澪は資料を見ながら言った。「どうしてです?」「九年前の立場が低すぎるから。少なくとも九条側から見れば、地権者調整会社の一担当者です。それなのに、その後もずっと同じ場所の周辺にいる」怜司は少し考え、頷いた。「中心人物ではなく、長く同じ流れに使われていた人間と見る方が自然かもしれません」「だとしたら、榊原さんは安西さん本人を疑ったんじゃなくて、安西さんが誰とつながっていたのかを知りたかった……?」そこまで口にしたとき、小会議室の内線が鳴った。澪は一
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-25
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第46話 ここから先

宗一郎から呼び出しがあったのは、その日の夕方だった。秘書を通して伝えられたのは、ただ「社長室へ来るように」という言葉だけだった。議題も時間の目安もない。澪は端末を閉じ、席を立った。午前中に検知された、自分の認証情報を使った不正アクセス。その件は情報システム部から上層部にも報告が上がっているはずだ。おそらく呼び出しの理由はそれだろう。けれど、社長室へ向かう途中で思い浮かんだのは別のことだった。榊原の死。荒らされた事務所。姿を消した安西。そして、九年前の資料へもう一度伸びた誰かの手。今、その続きを追っているのは自分だということに、澪はすでに気づいている。社長室へ入ると、宗一郎はいつもの大きなデスクの向こうにいた。窓の外には夕暮れの街が広がり、沈みかけた陽が高層ビルの輪郭を鈍く染めている。室内の照明はまだ控えめで、広すぎる部屋の奥に置かれたデスクと、その向こうに座る宗一郎だけが、周囲から切り離されたように見えた。宗一郎は澪が入ってきても、すぐには顔を上げなかった。手元の書類へ目を通し、最後の一枚を静かに閉じてから、ようやく視線を向ける。「座れ」澪は向かいの椅子へ腰を下ろした。机を挟んだ距離はそれほど遠くない。それでも、この部屋ではいつも父がずっと向こう側にいるように感じる。宗一郎は腕を組むでもなく、ただ両手を机上に置いたまま言った。「今日、お前の認証情報がまた使われたそうだな」「はい。九年前の旧再開発資料です」「本人ではないことも確認されている」「その時間は高城さんと一緒でしたから」宗一郎の視線が一瞬だけ止まった。ほんのわずかな変化だった。高城という名前に反応したのか。それとも単に事実を確認しただけなのか。澪には判断できなかったが、宗一郎は何も触れず、そのまま次の言葉を落とした。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-26
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第47話 覚悟を問う人

社長室を出たあと、澪はまっすぐ自分の部屋へは戻らなかった。廊下の窓から見える街は、すでに夜へ変わっていた。少し前まで夕暮れの色を残していた空も暗く沈み、向かいのビルには規則正しく明かりが並んでいる。宗一郎の言葉が、まだ頭から離れなかった。――自分で確かめろとは言った。だが、どこまで踏み込んでも構わないとは言っていない。父があそこまで明確に止めようとしたのは初めてだった。そして最後には、単独で動くなとまで言った。澪は一度足を止め、それから小会議室へ向かった。怜司はまだ残っていた。テーブルには安西に関する資料が広げられ、端末には九年前と四年前の関係企業が並んでいる。澪が入ってくると、怜司は手を止めた。「社長と話されたんですね」「顔に出てます?」「少し」澪は向かいの椅子へ座った。どこから話せばいいのか考えたが、隠す理由もなかった。宗一郎から旧再開発の調査をやめるよう言われたこと、榊原の事故を単なる事故として考えているわけではなさそうだったこと、そして九年前にも宗一郎自身が相手を特定できないまま計画を止めていたらしいことまで、順を追って伝えた。怜司は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。「父は、これ以上進むなと言いました」怜司はすぐには答えず、机上に広がる資料へ一度視線を落とした。「社長がそう判断した理由は分かります。榊原氏の件までは、まだ過去の情報を追う調査でした。でも今は違う。榊原氏が亡くなり、事務所から資料が消え、安西氏まで所在が分からなくなっている。その上、今日はあなたの認証情報まで使われた」静かな口調だったが、並べられた事実は重かった。「ここから先も同じ感覚で進める状況ではありません。少なくとも、社長が止めようとしたこと自体は不自然ではないと思います」澪は少しだけ眉を寄せた。「高城さんまで、やめた方がいいと思ってるんですか」「そうは言っていません」
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-27
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第48話 日付が変わるまで

本部長室へ戻った頃には、フロアに残っている社員もわずかになっていた。仕事を終えた者が一人、また一人と帰っていき、遠くで聞こえていた話し声も、コピー機の作動音も、いつの間にか消えている。窓の外には夜の街が広がり、室内にはデスクライトの明かりだけが残っていた。澪は端末を開いたまま、ほとんど画面を見ていなかった。榊原は死んだ。彼の事務所からは仕事の資料が持ち去られ、最後に会おうとしていた可能性のある安西も姿を消した。それだけではない。九年前の記録には、今も自分になりすました誰かが触れようとしている。父は、この先へ進むなと言った。その言葉はもう、娘を心配するだけの忠告には聞こえなかった。九年前に一度同じ場所へ踏み込み、相手を特定できないまま計画そのものを止めた宗一郎が、それでも今は引けと言っている。この先には、自分が想像しているより遥かに深い何かがある。そう考えれば、ここで手を引くことには十分な理由があった。現在の再開発だけに集中し、過去の問題は父や別の人間に任せる。少なくとも、それで責任を放棄したことにはならない。怜司だって、そういう選択を否定はしないだろう。そして何より、そうすれば彼まで危険へ巻き込まずに済む。その考えに辿り着いたところで、澪は静かに目を伏せた。自分のためなら、まだ進めると思った。怖くても、知りたい。自分の名前を使われ、現在の仕事まで揺さぶられている以上、このまま背を向けたくない。けれど、怜司が危険に晒される可能性まで受け入れられるのかと問われれば、答えは簡単ではなかった。短い付き合いだ。それでも気づけば、誰より多くのことを彼へ相談してきた。怖いときも、迷ったときも、怜司は安易な慰めで終わらせず、必要な事実だけを示してくれた。仕事の外で話す時間も増え、その時間が終わることを惜しいと思うようにもなった。自分の都合で、そんな人を危険へ連れていく。そう考えると、宗一郎の言う通り、この件から手を引くべきなのかもしれない。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-28
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第49話 見ているのは誰か

翌朝、澪は安西克己に関する資料を机の上へ広げていた。昨夜ほとんど眠れなかったわりに、頭は妙に冴えている。迷っている時間が終わったからかもしれない。怜司が本部長室へ入ってくると、澪は挨拶のあとすぐに一枚の登記資料を差し出した。「私は、安西さんの自宅を追うより先に、東央不動産企画の旧所在地を見たいです」怜司は資料へ目を落とす。「私もその方がいいと思います。現在の住所はすでに知られている可能性が高いですし、本人もいない。今そこを追えば、こちらが安西氏を探していると知らせるだけになるでしょう。それより九年前の勤務先なら、榊原氏との接点について残っているものがあるかもしれません」「会社はもうありませんよね」「法人はありません。ただ、入居していた建物は残っています。所有者も当時から変わっていません」澪は頷いた。以前なら、そこで怜司に「どうしますか」と聞いていたかもしれない。今日は違った。「じゃあ、そこへ行きましょう。会社名は出しても、安西さんを探してることまでは言わない。昔の再開発について確認している、くらいで」「それがいいでしょう。特定の名前を先に出すと、相手の記憶をこちらで誘導することになります。まず、当時どんな人間が出入りしていたかを聞いた方が自然です」「分かりました」短いやり取りだった。それでも必要なことは全部通じている。澪は資料をまとめて立ち上がった。「高城さん、車お願いしてもいいですか?」「もちろんです」以前より、その言葉を口にすることに迷いがなかった。 旧東央不動産企画が入っていたのは、再開発区域から車で二十分ほど離れた古い雑居ビルだった。一階には小さな印刷会社が入り、二階以上には税理士事務所や不動産管理会社の看板が並んでいる。九年前と比べて入居者はかなり変わっているようだったが、建物そのものは当時の姿をほぼ残していた。管理をしていたのは、七十代ほどの男性だった。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-29
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第50話 黒い車

第50話 黒い車黒いセダンは、まだ後ろにいた。怜司がわざと入った細い道は、住宅と小さな事務所が入り混じる一方通行だった。午後の光はすでに傾き始め、建物の影が道路へ長く伸びている。本来ならここへ入る理由などない。それでも数台分の距離を空けて、黒い車体は同じ道へ滑り込んできた。澪は振り返らず、サイドミラーの中に映る黒い輪郭だけを見た。「高城さん」「大丈夫です。そのままで」怜司の声はいつもと変わらなかった。ハンドルを握る手にも目立った力は入っていないが、信号が変わるたび、交差点へ入るたびに、視線だけが短くバックミラーへ向けられている。「会社には戻らないんですか?」「今は戻らない方がいいでしょう。こちらがどこへ向かうか確認している可能性があります。会社へ戻れば勤務先、九条さんのご自宅へ向かえば生活圏まで教えることになる」澪は小さく頷いた。「じゃあ、どうします?」「人とカメラの多い場所へ行きます。そこで一度、相手がどこまでついてくるか見ましょう」怜司はそう言うと、大通りへ車を戻した。細い道から抜けた途端、視界が一気に開けた。高層ビルのガラスへ夕方の光が反射し、四車線の道路を車が絶え間なく流れている。その中へ紛れれば見失ってもおかしくないはずなのに、黒いセダンだけは妙にはっきりと見えた。一台別の車が間へ入っても、信号で距離が離れても、次の交差点を越える頃にはまた同じ位置へ戻ってくる。怜司が車線を変えれば、少し遅れて同じように移動した。偶然ではない。そう理解した瞬間、澪は自分の指先が冷たくなっていることに気づいた。榊原が死に、安西が消えた。そして今、自分たちの後ろには正体の分からない誰かがいる。これまで資料や記録の向こう側にしか存在しなかった相手が、突然、現実の距離まで近づいてきたようだった。「
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-30
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