جميع فصول : الفصل -الفصل 9

9 فصول

第1話

甲板の上は、寄せては返す波の音しか聞こえないほど静まり返っていた。私の冷たい視線を浴びても、研吾は黙りこくったままだ。先に口を開いたのは、やはり茉白のほうだった。「寧々、ごめんなさい。私、昔……確かに研吾のことが好きだった時期があったの」私は鼻で笑った。「なら、どうして彼と付き合わなかったの?」「釣り合わないからよ。深沢家がどんな家柄で、私の実家がどういう状況か、あなただって知っているでしょう?」豪がかばい立てするように割って入った。「茉白はその当時、自分が研吾に釣り合わないって思い詰めてたんだよ。だから研吾が4年間アプローチしても、最後まで首を縦に振らなかったんだ」実の兄でありながら、豪はずっと茉白の存在を知っていたのだ。研吾が一番必死に彼女を追いかけていた頃、豪は彼にプライベートジェットを用立ててやり、有名アーティストを招いて専用のシークレットライブまで開いてやった。この大掛かりな口説き劇の蚊帳の外に置かれていたのは、私だけだった。私は自分の兄、婚約者、そして親友をゆっくりと見渡した。「面白かった?私が何も知らず、ピエロみたいに的外れな悪態をついていたのを、どんな顔で見てたの?」私の放つ威圧感に、豪は口ごもったものの、それ以上何も言えなくなった。私は研吾に向き直った。「答えてよ。すごく面白かったんでしょう?」研吾がようやく重い口を開いた。「寧々、俺たちが付き合い始めてからは、俺と茉白の間には何もない。それに、俺とあいつじゃ家柄が違いすぎて一緒になれるわけがないんだ。さっきのは、ほんの一時の気の迷いでキスしただけだ。両家の顔に泥を塗って、これ以上事を荒立てる気か?」豪も頷き、無意識のうちに研吾と茉白の隣に並んだ。かつては仲の良い4人組だと思い込んでいたのに、今や彼ら3人が肩を並べて立ち、私1人だけがその対岸で冷ややかに孤立していた。背後から足音が響き、私の両親と研吾の両親が2階のサロンから下りてきた。このクルーザーは深沢家の所有物で、今回のクルージングには乗組員を除けば両家の人間しか乗っていない。私の母は、研吾の頬にくっきりと残る平手打ちの痕を見るや否や、早足で駆け寄って私を背後にかばった。「寧々、研吾に何か酷いことされたの?」「こいつ、さっき茉白とキスしてたの
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第2話

私はスマホを手に取り、研吾とのトーク画面を開いた。2年間ずっと一番上にピン留めされ、アイコンの右下にはピンのマークが付いていた。じっと数秒見つめた後、私はピン留めを外した。トーク履歴を遡ると、膨大なやり取りが画面を埋め尽くしていた。【冷え込んできたから、上着を着ていけよ。風邪ひくな】【寧々、胃の調子が悪いなら冷たいものは飲むな】【会議が終わったら車で迎えに行く。ネイル付き合うから、な?】そのトーク履歴を、すべて消去した。今度は写真のアルバムを開いた。去年、40度近い高熱を出した時の写真が目に入った。あの日の午前3時、熱で意識が朦朧とする私を、彼は必死に背負って病院へ担ぎ込んでくれた。目を覚ました時、彼は病室のベッドの脇に突っ伏して眠っていた。写真の中の研吾は寝息を立て、私の手首を今にも折れそうなほど強く握りしめている。あの時、私はインスタに写真を投稿したのだった。【私を一生守り抜くって誓ってくれた人がいる】彼はその投稿に、すぐさまコメントをくれた。【当たり前だ。絶対に約束は守る】さらにアルバムをスクロールする。私たちの初めての旅行、初めてのキス、そして生後間もない子犬のマメを二人で引き取った日の写真。1枚ずつ写真を削除していくうちに、突然ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。もし、これらすべてが最初から偽りだったなら、ここまで胸を引き裂かれることはなかっただろう。あの頃の研吾が心から私を大切にしてくれていたことを、私自身が一番よく知っているからだ。けれど涙を流すうち、これまで何気なく見過ごしてきた数々の違和感が、鮮明に脳裏をよぎり始めた。ある時期、研吾はしきりに求人サイトをチェックしていた。「あなたの会社、いつからブランドマネジメントの中途採用を始めたの?」「いや、知り合いに頼まれて少し探してるだけだよ」その後、茉白は急成長中の有名企業に転職を果たした。あろうことか、それ以来、研吾は定期的にその会社のある地域へ出張を繰り返すようになったのだ。私は笑って彼をからかったことさえあった。「深沢グループが、どうしてあんな業界の会社と業務提携なんてするの?」今になってようやく合点がいった。そこに、茉白がいたからだ。その後、彼女の社内での出世は異様なほど早く、誰もが
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第3話

翌朝目を覚ました時、私の体温は39度まで上がっていた。母が朝食に呼ぼうと部屋へ入ってきて、私の額に触れた途端、顔色をサッと変えた。「どうしてこんなに熱いの!?」クルーザーには専属の船医が同乗していたため、すぐに診察を受けた。船医は体温を測り、喉を診て、解熱剤を処方してくれた。「昨夜、潮風で冷えたのでしょう。安静にしていてください」父が私に薬を飲むためのぬるま湯を一杯注いで手渡した。「聞いたか?余計なことは考えず、おとなしく横になっていなさい」私は小さく頷き、薬を飲んで再び眠りについた。次に目を覚ました時、部屋の中はひどく息苦しく、喉はまるで刃物で切り裂かれたかのように痛んだ。私はマスクをつけて、気分転換に外の空気を吸おうと部屋を出た。廊下へ出た途端、豪が上層デッキからブランドもののギフトバッグを抱えて下りてくるのが見えた。両親の足元には、綺麗にラッピングされた箱が二つ置かれている。それどころか、研吾の両親までもが使用人に命じて、デッキへ次々とプレゼントを運ばせているところだった。私は一瞬呆然とし、数秒経ってからようやく思い出した。今日は茉白の誕生日だったのだ。実は、私自身も彼女へのプレゼントをとっくに用意していた。ヴィンテージの腕時計だ。先月一緒にショッピングへ行った際、彼女がショーウィンドウ越しに熱心に見つめていた品だった。彼女が欲しがっていたからこそ、私はそれを覚えていて、密かに買い求めていたのだ。私は部屋へ引き返し、スーツケースを開けた。その化粧箱は、畳んだ服の奥底に大切にしまってあった。それを取り出し、長いこと見つめた末、私は再びケースの奥へと押し戻した。もう、渡す気など失せていた。スーツケースを閉めて再び部屋を出ようとした瞬間、廊下の向こうから研吾が歩いてくるのが見えた。その手には、白桃の缶詰が一つ握られていた。私の足が、その場にピタリと止まった。このクルーザーには、何不自由なく高級品が揃っている。輸入フルーツに極上のスイーツ、軽食から専属シェフに至るまで、両家がわざわざ手配した最高級のものばかりだ。スーパーで売っているようなごくありふれた白桃の缶詰など、わざわざ船内に積み込む者などいるはずがなかった。だからこそ一目見ただけで、それが乗船
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第4話

私はスーツケースを床に広げ、荷物を一つずつ詰め込んでいった。この数年間に研吾から贈られたものは、すべて躊躇なくゴミ箱へと投げ捨てた。本来なら茉白に手渡すはずだったあのヴィンテージの腕時計だけは、荷物の奥にしまったままだ。あんな裏切り者にくれてやる義理など、微塵もない。スーツケースを引いて部屋を出ると、サロンではまだ誕生会の宴が続いていた。茉白の目の前にはプレゼントが山積みにされ、研吾が寄り添うようにケーキ入刀に付き合っていた。私が荷物を引いて現れたのを見て、全員が動きを止めて呆然とした。研吾が真っ先に眉をひそめた。「寧々、何をしているんだ?」「薫が迎えに来てくれたから。もうここにはいたくないの」母が目を丸くした。「薫ちゃんって、近くのリゾート島にいるんじゃなかったの?」父も不快そうに眉を寄せた。「高熱を出しているというのに、何を意地を張ってバタバタしているんだ」「病気なら、向こうの島に行ってもちゃんと診てもらえるわ」私は言い捨てて、そのまま歩みを進めた。研吾が立ちはだかり、私の行く手を遮った。「寧々、昨日のことならちゃんと説明しただろう」私は乾いた笑みを浮かべた。「じゃあ、どうして昨夜、まだ彼女に未練があるなんて言ったの?私と籍を入れる前に、責任を持って彼女の足場を固めてやるって言ってたわよね」研吾の声に焦りが滲み出た。「……俺たちの会話を盗み聞きしていたのか?」「そうよ。それ以外にも、実にたくさんのことを聞かせてもらったわ」私は視線を茉白へと向けた。「例えば、どうしてあなたが私の『親友』になれたのか、とかね」茉白の顔から、みるみる血の気が引いていった。「研吾は言っていたわ。私と知り合わなきゃ、あなたがこの社交界に入り込めるはずがないって。私があなたを友達だと思い込んでいたからこそ、喜んでパーティーへ連れて行き、自分の人脈を紹介してあげた。でも私がいなくなっても、研吾が代わりに晩餐会や夜会へエスコートし続けてくれるんですってね」私はふっと自嘲するように笑った。「私ってこの数年間、あなたたちの踏み台としてずいぶん重宝されたみたいね」「寧々!」研吾がとうとう語気を荒らげた。「俺はただ、彼女を助けてやりたかっただけだ!」豪も慌てて割って入ってきた。「
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第5話

薫が私をリゾート島へ連れ帰ってくれた後、真っ先にしてくれたのは、専属のドクターを呼ぶことだった。熱は丸二日間下がりきらず、三日目になってようやく平熱に戻った。この二日間、研吾からはひっきりなしにLINEが届いていた。【熱は下がったか?ちゃんと薬を飲めよ】【桃缶の甘いシロップばかり食べるな。喉が腫れてる時に食べすぎるのは良くない】すべて、昔と何一つ変わらない親身な口調だった。まるで、何も起きていないかのように。そして三日目に、もう一通メッセージが入った。【気が済むまで遊んだら連絡しろ。迎えに行ってやるから】気が済むまで遊んだら、か。要するに、彼の目にはそう映っているのだ。私が荷物をまとめてあの場を去り、別れを告げ、薫の船で別の島へと飛び出したことのすべてが、ただ数日、頭を冷やしに旅行へ出かけた程度の茶番にしか見えていないのだ。薫が横からのぞき込んできた。「あいつ、あんたが少し気晴らししたらすぐ戻ってくると思い込んでるんじゃない?」「……たぶんね」薫は冷ややかに鼻を鳴らした。「なら、好きなだけ待たせてやればいいわ」私はスマホの電源を落とした。熱が引いてから、薫は私を強引に連れ出して島を満喫させてくれた。昼はダイビングに繰り出し、夜は波音を聞きながらカクテルを傾けた。スピードボートで島の周りを疾走し、サーフィンにも挑戦させられた。初めてボードから派手に落水し、海水を思い切り飲んでしまった時、薫は隣で腹を抱えて笑い転げ、自分までボードから落ちそうになっていた。私は笑いながら、彼女に向かって思い切り海水を浴びせかけた。ふと笑いながら、自分でも呆気にとられた。研吾がいなくても、私はこんなにも心から笑えるのだ、と。昔の私は、どこへ出かけるにしても無意識に彼を探していた。美味しいものを食べれば写真を送り、美しい景色を見つければ真っ先に彼を呼んでいた。夜に部屋へ戻れば、その日あった出来事を彼に事細かに報告していた。今では、スマホはバッグの底で静まり返っており、取り出す気すら起きなかった。一方、あちらのクルーザーも、すぐに寄港したわけではなかった。豪のインスタは、連日のように海釣り、ダイビング、バーベキューの写真で埋め尽くされていた。茉白も相変わらずそこにいた。ある写真の
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第6話

ホテルから披露宴キャンセルの連絡を受けてようやく、研吾は私が今回ばかりは本気で怒っているのだと気づいたようだった。島での休暇を終え、私は薫と一緒に市街地へと戻った。真っ先に向かったのは、荷物を引き払うためだ。研吾と交際を始めて以来、私たちは城南にあるあの邸宅でずっと同棲してきた。庭も、カーテンの色も、すべて私が選んだものだった。リビングに置かれた、お世辞にも趣味が良いとは言えないあの不格好なソファですら、私がいつもカーペットの上に直に寝転がるのを見かねて、研吾がわざわざ特注で誂えてくれたものだった。車が玄関前に停まるや否や、敷地内から元気な鳴き声が響き渡った。「ワン!」マメが家の中から猛スピードで飛び出してきた。あまりに勢い余って、ポーチの階段から転がり落ちそうになるほどだった。私がしゃがみ込むと、マメは私の胸の中へ勢いよく飛び込み、ちぎれんばかりに尻尾を振った。「私に会いたかったの?」マメは夢中になって私の手を舐めじゃくった。玄関口で家政婦が立ち、目を細めて微笑んでいた。「桐生様が出かけられてから、この子ったら毎日玄関でお帰りを待っていて、夜になると桐生様のお部屋のベッドの下でじっと伏せっていたんですよ」私はマメを抱きしめたまま、言葉を返せなかった。マメは、私と研吾が二人で引き取って育ててきた愛犬だ。2年前、道端で拾った時は、まだ私の手のひらに乗るほどの小さな毛玉だった。研吾は口先では「面倒だ」と煙たがっていたくせに、結局、夜中に何度も起きて子犬用のミルクを作ってやっていたのは彼だった。マメが初めて大病を患った時も、彼が夜通し抱きかかえて救急動物病院へ駆け込み、明け方まで付き添ってくれた。アルバムの中で最も枚数が多いのは、私と研吾のツーショットを除けば、私たち二人とマメの「3人」の写真だった。扉を開けて中に入っても、室内の景色は何一つ変わっていなかった。玄関には、まだ色違いのペアのルームシューズが並んでいる。冷蔵庫の扉には、私が殴り書きしたメモが貼られたままだった。【研吾、私のプリンを盗み食いしたら戦争だからね!】その横には、見慣れた彼の走り書きが添えられている。【もう食った。いつでも戦争してやるよ】私はそのメモを数秒じっと見つめた後、手を伸ばして引き剥がし
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第7話

私がマメを実家へ連れ帰ったことで、両親もようやく私が一時の感情で意地を張っているわけではないと悟ったようだった。これまでの私と研吾なら、喧嘩をしてもせいぜい二日と持たなかった。三日目には、彼が私の好物を両手に抱えて実家へ機嫌を取りに現れ、母が横から「まあまあ」となだめる。それでいつも、何事もなかったかのように丸く収まっていたのだ。けれど今回は、ホテルの婚約披露宴を独断でキャンセルし、同棲していた邸宅の荷物をすべて引き払い、愛犬のマメまで連れ帰ってきたのだ。その日の夜、父が私を階下のリビングへ呼びつけた。「深沢家の方々がお見えになる」私はマメの前足をタオルで拭いているところだった。「何しに来るの?」「この件に、きちんとしたケジメをつけるためだ」夜の7時、研吾の両親が重苦しい面持ちで訪れ、彼自身も居心地悪そうにその背後に続いていた。まず口火を切ってため息をついたのは、研吾の母だった。「寧々、ここ数日でみんな少しは頭を冷やせたでしょう。クルーザーでのあの浅ましい出来事は、全面的にうちの研吾が悪かったわ。この子も私たちに固く誓ったのよ、今後は二度とあんな過ちは繰り返さないって」研吾が私の顔をまっすぐに見つめた。「すまなかった」父が、威厳を漂わせて単刀直入に切り込んだ。「問題の元凶があの浅井茉白という娘にあるのなら、その元凶を元から断てばいいだけの話だ。今後一切、あの娘をお前たちの輪に入れるな。彼女の現在のポストが深沢グループの息がかかったものなら、それもすべて即刻打ち切れ。それでも不服なら、地方の支社へ異動させて街から追い出せ」誰もが予想していなかったことに、真っ先に血相を変えて反対したのは研吾だった。「それはできません!」リビングの空気が、一瞬にして凍りついた。研吾の父の顔色が一気に険しくなった。「研吾、お前、今なんと言った?」「茉白は、そこまで理不尽に罰せられるような真似はしていません!」研吾は背筋をピンと伸ばし、語気を強めた。「クルーザーの上でのことは、俺とあいつの一時の気の迷いだ。だが、彼女が仕事で勝ち取ってきた実績は、すべて彼女自身の血の滲むような努力の結晶だ。俺が寧々と揉めたからといって、なぜ彼女の職を奪い、この街から追放されなきゃならないんですか。筋が通りません!」
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第8話

翌日、茉白から呼び出しを受けた。指定されたカフェに現れた彼女は、クルーザーの上で会った時よりもずっとやつれ果てていた。ノーメイクの顔は青白く、瞼も赤く腫れ上がっている。私が席に着くや否や、彼女はまず一通の分厚い書類ケースを私の前へと差し出してきた。「担当していたプロジェクト、すべて辞退したわ」私はその書類に指一本触れなかった。「私には何の関係もないわ」彼女の指が、所在なさげにピクリと動いた。「私、この街を去る準備をしているの。会社の方でも、もう引き継ぎの手続きを進めているわ」私は顔を上げて彼女を見据えた。「どうして?」「ここに残って、何の意味があるっていうの?」茉白は力なく自嘲の笑みを浮かべた。「ここ数日、社交界じゅうで噂が駆け巡っているわ。あなたと研吾が婚約を破棄したのは、私のせいだって。以前は私の企画力を褒めそやしてくれていた人たちも、今や私の顔を見るなり、開口一番『深沢研吾』の名を口にするのよ」彼女は俯き、冷めかけたコーヒーをスプーンで力なくかき混ぜた。「ええ、あなたの言う通りよ。私は確かに、あなたの威光にあやかっていたわ。あんな華やかなパーティーも、名だたる大物たちの輪も、あなたがいてくれなければ、私が何年必死に働いたって足を踏み入れることすらできなかった。でもあの頃の私は、本当に信じていたの。私たち、ずっとあのまま親友でいられるんじゃないかって」私は黙っていた。彼女が本当に言いたい本音は、まだ胸の奥に燻っていると分かっていたからだ。長い沈黙の後、彼女はようやく震えるような小声で告白した。「あの日、あのクルーザーの上でのキス……私から研吾に近づいたの。彼が私を妻に迎えてくれないことも、あなたたちが婚約することも、全部痛いほど分かっていたわ。でも、どうしても……」大粒の涙が、彼女の頬を伝ってポロポロと零れ落ちた。「私、ずっと昔から彼が好きだったのよ。人生でたった一度のキスすら交わせずに終わるなんて、そんなの、この先一生後悔し続けると思ったから……」昔の私なら、彼女が泣き崩れた瞬間、すぐさまティッシュを差し出して抱きしめていただろう。今、ペーパーナプキンは私の指先のすぐそこにあったが、私は微動だにしなかった。彼女は自分の手で涙を拭い、鼻をすすりながら、不意に私
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第9話

ドアが閉ざされた後、部屋の中には再びしんとした静寂が戻ってきた。その日の深夜、母がそっと私の部屋のドアをノックした。「寧々、今回のことは……本当にお父さんとお母さんが間違っていたわ」母の瞳はうっすらと赤く潤んでいた。「あなたと研吾は幼馴染で、親の目の届くところで一緒に育ってきたでしょう。どう転んだって、あの子があなたに酷い仕打ちをするはずがないと思い込んでいたの。だからあなたが深く傷ついたと訴えた時も、私たちの最初の反応は『少し我慢しなさい』になってしまった……本当に、ごめんなさい」鼻の奥がツンと熱くなったが、私はただ静かに答えることしかできなかった。「……分かったわ」負った傷のすべてが、たった一言の「ごめんなさい」で跡形もなく消え去るわけではない。けれど少なくとも、私が本当に身を裂かれるほど痛んでいたことを、ようやく認めてもらえたのだ。それから数ヶ月が経ち、薫がイギリスへ戻ることになった。出発を前に、彼女は私に声をかけてくれた。「私と一緒にイギリスへ遊びに来ない?気の済むまで何ヶ月でも滞在すればいいわ」以前の私なら、研吾の予定を優先して何度も断っていた誘いだった。「行くわ」フライトは半月後に決まった。出発の前夜、スマホに研吾からのメッセージが届いた。【イギリスへ旅立つって聞いた。何時の便だ?】私は返信しなかった。空港へ向かった当日、両親が揃って見送りに来てくれた。足元にはマメの姿もあった。父にリードを引かれたマメは、私を見つけるなり一目散に駆け寄り、私の膝に飛びついてきた。私はしゃがみ込み、その温かい体をぎゅっと抱きしめた。「お留守番、いい子にしてるのよ。おじいちゃんとおばあちゃんの言うことをよく聞くの」言葉が通じているかのように、マメはクゥンと甘えた声を漏らしながら、私の胸元に鼻先を擦り付けてきた。薫が横から呆れたように急かした。「二度と戻ってこないわけじゃないんだから、大袈裟よ!」母は目頭を真っ赤にして私を見つめた。「向こうに着いたらすぐに連絡するのよ。胃が弱いんだから、薫ちゃんと連日お酒ばかり飲んじゃダメよ」薫がすぐさま抗議の声を上げた。「ちょっとおば様、どうしてそこで私の名前が出るんですか!」母もようやくクスリと笑った。父が私のス
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