「いらっしゃいませ」私は、目の前の女性に椅子を勧めた。「本日は、旦那様ですか? 彼氏様ですか?」女性は一瞬、戸惑ったように瞬きをした。「……夫です」「かしこまりました」私は赤いペンのキャップを外し、受付票を1枚取り出した。店の名前はない。正確には、大きな看板を出していない。古い雑居ビルの3階。少し重たいドアに、白い紙が1枚貼られているだけだ。あなたの旦那/彼氏、書き殺します。その下には、さらに小さな文字で、※現実世界への効力はありませんとある。私は小説家だ。売れているかと聞かれると困る。ただ、人の旦那を小説の中で懲らしめる仕事だけは、なぜか途切れない。受付票の右上に番号を書く。001「奥様のお名前を伺っても?」「高橋沙織です。38歳」「ご主人は?」「誠。42歳です」私は順番に記入していった。受付番号:001対象:夫夫:42歳妻:38歳結婚歴:9年子ども:小学2年生の娘1人本日の罪状:未記入常習性:確認中妻の我慢度:★★☆☆☆本日の殺意:★★☆☆☆希望コース:未定私は受付票から顔を上げた。「ではまず――」いつもの質問をする。「今日、何をされました?」沙織さんは困ったように笑った。「今日じゃなくて、昨日なんですけど」「問題ありません」「こんなことで来てもいいのかなって」「内容を伺ってから判断します」「あの……昨日、熱が出たんです」「何度ですか?」「39度2分」赤いペンが止まった。「高いですね」「はい」小学2年生の娘を迎えに行き、夕食を食べさせ、風呂に入れ、自分は薬を飲んでベッドへ倒れ込んだ。夫は仕事だった。そこまではいい。夜8時過ぎ。玄関のドアが開いた。「ただいまー」誠さんは寝室を覗いた。「大丈夫?」ここまではいい。「薬飲んだ?」これもいい。問題は、その3秒後だった。「で、今日の飯どうする?」私は黙って受付票へ視線を落とした。本日の罪状:39度2分の妻に夕食の判断を求めると書く。沙織さんが私の手元を見た。「……分かります?」「もう少し詳しく伺います」「はい」「ご主人は『作って』と言ったんですか?」「それは言ってないんです」「では?」「『俺、何か買ってくるよ』って」「それだけ聞くと、親切ですね」「そうなんです!」沙織さ
Last Updated : 2026-09-26 Read more