私がグラスを持ち上げる間も、修司は唇から目を離さなかった。「紗月、どうして飲まないんだ? 結婚三周年だから、取っておいたチリの最高級ヴィンテージを、特別に開けたんだぞ」強張った顔で唾を飲み込み、しつこく促してくる。テーブルクロスの下では、指先が落ち着かず震えていた。私はかすかに口角を上げ、グラス越しに修司を見た。グラスへ唇をつけてから、顔を伏せた。飲み込まずにナプキンへ吐き出したけれど、口に残った味までは消えなかった。修司に手元を見られないよう、濡れた部分を膝の下へ折り込んだ。「すごく深い、いい香り。あなたも飲んで。ここまで来るの、大変だったでしょう」「あ……ああ。俺も飲まないとな」修司は長く安堵の息を吐き、自分のグラスを一気に半分ほど空けた。自分のワインにも薬が入っていることを、彼は知らない。私が先に、手を加えたグラスだった。飲むところを見ていると、膝の上のナプキンが、いっそう冷たく湿っていくような気がした。夕食が終わりに近づいたころ、私はわざとふらつき、片手でこめかみを押さえた。「ねえ……急に目が回って、くらくらする。東京を出るときから、少し体が重かったんだけど、気が抜けたのかな。先に寝室で、ちょっと休むね」「そうか。疲れが一気に出たんじゃないか? 早く入って、ゆっくり寝ろよ。食卓は俺が片づけておくから」修司は安心したように、すぐうなずいた。私を引き止めて、様子を確かめようともしなかった。寝室へ入り、倒れ込むようにベッドへ伏せて目を閉じた。胸の速い鼓動を気づかれないよう、長く息を吐き、薬で眠った人のように呼吸を整えた。十分後、修司が足を忍ばせて寝室のドアを開けた。私の鼻の下へ指をかざし、規則的な呼吸を確かめる。それから肩を揺すった。私がぴくりとも動かずにいると、もう一度揺すり、手を離した。ようやく、その口角が上がった。「やっと……やっと、全部終わった」***寝室のドアを閉じて出た修司は、リビングでスマートフォンを取り出し、玲奈へ電話をかけた。「玲奈、紗月は完全に寝た。揺すっても起きない。もう大丈夫だ。今すぐ庭へ来て、煙突を塞げ!」やがて、包帯を巻いた玲奈が、アカマツ林のほうから裏庭へ入ってきた。修司とともに別荘の外壁へ近づく。二人は用意した物で、暖炉の排気口を塞いだ。手が思いどおりに動かないたび、相手を責める声が漏れた。
Last Updated : 2026-10-06 Read more