Semua Bab 社長、見合い相手は私ではありませんが: Bab 11 - Bab 20

34 Bab

11話. 自分の名前で、伺います

家族への紹介の日の朝、千尋はワンピースを着たまま、床に座りかけた。落としたイヤリングの留め具を探そうとして、鏡に映った自分を見て止まった。三時間きれいでいるためには、三十分でつらくなってはいけないと言った人間が、出掛ける前から、膝を折ろうとしていた。ノックがした。「まだ、支度中ですか」「はい。とても小さな問題が、起きています」「入ってもいいですか」「はい」ドアが開いた。蓮は片耳だけが光っている千尋を見て、状況を察した。何も聞かず、低くかがんで、化粧台の下を探した。「落としたのは、これですか」手のひらに、小さな金属片が載っていた。「そうです。ありがとうございます」千尋は受け取って、耳の後ろへ手を回した。緊張した指が、何度も空振りした。蓮は手を上げかけ、止めた。「手伝いましょうか」千尋は鏡の中の彼を見た。返事を待つ目が、見えた。「はい。気をつけてください」彼が横へ近づいた。イヤリングが動かないよう、千尋が前を押さえた。蓮は後ろに留め具をはめた。指先が一瞬、耳の縁に触れた。思ったより、落ち着いて終わったのに、千尋の息だけが少し浅くなった。「できました」千尋が顔を動かすと、真珠が小さく揺れた。「会社でこんなことをしたら、大変ですよね」「会社でイヤリングの修理を、頼む予定なんですか」緊張した顔が崩れた。千尋は笑いながら、バッグを持った。部屋を出る前、蓮は鏡の前に立つ彼女を、もう一度見た。「よく似合っています」「この前も、そうおっしゃいました」「今日も、そうです」千尋は答える代わりに、化粧台の照明を消した。暗くなった鏡に映る自分の口元が、笑っていた。リビングのテーブルには、片桐が確認した予定表が置かれていた。出席者は家族と、長い付き合いの知人が数人。報道関係者も、会社の一般社員も招待されていなかった。写真を撮っても、外部に公開する前には、本人に確認するよう案内していた。千尋は名簿を最後まで読み、白石敬介の名前で手を止めた。妻と娘も同行すると、書かれていた。「知っていました」蓮が言った。「招待から外すよう頼もうか、とも考えましたが、先に白石さんの意見を聞くべきですね」千尋は少し、彼を見た。断れる扉が一つ開くだけで、気持ちが焦らなくなった。「そのまま、来ていただいてください」「気まずくありませんか」「気まずいです
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12話. 妻を、紹介します

最初に浮かんだのは、名前を盗まれた人は、あんな顔をするのか、ということだった。沙織は千尋をまっすぐ見ていた。他人の名前でホテルに入れと指示した人が、今度は、その名前の持ち主として、見物人を集めていた。千尋はバッグの持ち手に込めた力を緩めた。指先が白くなっていた。「自分の名前で、ご挨拶するのを待っていたところです」彼女が言うと、沙織は首を振った。「今さら、名前だけ変えれば済むと思ってるの?」周りの人たちは、まだ状況を理解できていない顔だった。一人の親戚が、沙織と千尋を交互に見て、尋ねた。「二人は、知り合いなのかね?」「いとこです。年下なんですけど、私の代わりにお見合いに行ったんです」沙織の声は明瞭だった。十分に驚いたふりをしながらも、文末は正確に締めくくった。「本来、黒沢社長とお会いする予定だった白石沙織は、私です」そこでようやく、何人かが顔を見合わせた。最初に縁談を持ち込んだときの名前を、覚えているらしかった。千尋は人々の顔を順に見て、視線を逸らさなかった。蓮が会話を終え、近づいた。沙織と千尋の間を遮ることなく、千尋の隣に立った。「大丈夫ですか」低い声で、彼が尋ねた。千尋は頷いた。大丈夫とは、すべてが心地いいという意味ではなかった。自分の口で、話せるという意味だった。「私から、先に話します」蓮は、それ以上前に出なかった。沙織は、その短いやり取りを別の意味に受け取ったらしい。蓮に体を向け、声を落とした。「社長も、驚かれたでしょう。もっと早くお話しすべきでしたが、この子が、何を言って回っていたのか、わからなくて」「姉さん」千尋が呼んだ。沙織が彼女を見た。いつもなら、その一度の視線で、千尋は続く言葉を飲み込んだだろう。年長者の前で、ここまで来て、些細なことにこだわって雰囲気を壊してはいけない、という理由で。「あの日、代わりに行ってほしいと頼んだのは、姉さんだよ」沙織の唇が、一瞬硬くなった。「ここまでするとは、思わなかったのよ」「ここまでって、何?」千尋は声を上げず、答えを待った。顧客の問い合わせを確認するときと同じように、相手が別の話を持ち出したら、最初の質問へ戻ればいい。「私のふりをして男の人と会って、そのあとも連絡を取って、今日は、ここまで来たでしょ」「初日に、自分の名前は明かしました」沙織は蓮の顔を確認し
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13話. 結婚した人の名前

「白石千尋です。私が結婚したのは」蓮の声は、大きくなかった。近くの丸テーブルで、ティーカップが置かれる音がした。誰かが、半分持ち上げた携帯電話を、また膝へ戻した。千尋は自分を包む彼の手を見下ろした。蓮は指に力を込めていなかった。抜けたければ、抜けられるだけの隙間だった。千尋が先に、手を握り直した。「初めまして。白石千尋です」沙織の唇が開いた。「違います、社長。そうではなくて、この子が私の名前を使って行ったんです。あの日の服も、私が選びました」「ですから、初日に確認しました。白石沙織さんではないと」「知っていても……」言葉が途切れた。蓮は、それ以上説明しなかった。沙織がこれまで千尋に繰り返してきた言葉は、相手が何も知らないという前提の上にあった。その前提が消えると、続ける言葉も、ないようだった。「では、会長には、何とお話しになったんですか」沙織が急いで向きを変えた。「皆様がご存じなければ、いけないと思って、お話ししているんです。家族になるのに、最初から嘘をついたら……」「私が、何を知らなかったというんですか」上座に座っていた泰三が、ナプキンを置いた。杖は、椅子の脇に静かに立て掛けられていた。「千尋が最初の挨拶に来る前に、聞いた。見合いの席に、別の人を寄越したそうだね。蓮が、その人と話してみて、結婚したと」「そんな大切なことを、そのまま受け入れられたんですか?」「だから、直接会ってみた。君の代わりに来た人ではなく、孫が結婚したという人に」千尋はゆっくり息を吸った。さっきまでは、この部屋のすべての視線が、沙織の一言で動いてしまいそうだった。今、泰三が見ているのは、沙織ではなく、自分だった。「千尋。さっき、できなかった挨拶を、続けなさい」千尋は、自分の空いた席を見た。丸テーブルの席札には、最初から、白石千尋と書いてあった。沙織も見たはずだが、見なかったことにしたかったらしい。「お招きいただき、ありがとうございます。慣れない席なので、至らないところもあると思います。その分、わからないことは、伺わせてください」泰三の長年の知人だという夫人が、先に笑った。「いいですね。ここの皆が、いちばん苦手なのは、わからないと言うことなんですよ」小さな笑いが、テーブルを一周した。蓮が千尋の椅子を引いた。千尋は座りながらも、つないだ手を、すぐには離
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14話. 境界を越えたのは

「気が進まなければ、私から断ります」蓮は開いた車のドアの脇で、千尋だけに聞こえるよう言った。泰三は一度、家の中へ入り、薬の袋を取りに行っていた。千尋は携帯電話で、まず明朝の予定を確かめた。遅れて出勤はできない。だからといって、一晩、客を迎えるために、会社へ事情を明かすつもりもなかった。「朝食は、七時前に召し上がっていただかないと。私は、そのあと出掛けるので」「伝えます」「私の部屋を使っていただけば、いいと思います。替えの寝具もありますし」蓮の眉が、少し上がった。「千尋さんは?」そこで初めて、まだ決めていないことが、一つ残っていると気づいた。明日の献立の代わりに、蓮の寝室のドアが浮かんだ。「それは、着いてから決めましょう」車に戻ってくる泰三の前では、かなり落ち着いて笑えたが、蓮がドアを閉めてくれるとき、指先に力が入った。* * *泰三は広尾の家の玄関へ入ると、すぐにコートを脱いだ。「私は、お湯を一杯だけもらおう。今日は、ずいぶん多くの人に会った」大勢の人に会ったのは、千尋も同じだった。けれど、客になった泰三は、田園調布の上座にいたときより、ずっと小さく、疲れて見えた。千尋は湯を沸かし、自分の部屋のサイドテーブルから、充電器を外した。小さなポーチと、読みかけの本、ノートパソコンだけを移せばいいと思っていた。実際に見ると、ヘアゴムが二本、ハンドクリームが一つ、ベッドの足元に靴下が片方あった。恥ずかしくもない物が、急に、怪しい証拠のように見えた。ドアのところに、蓮が立った。「入ってもいいですか」「はい。その靴下だけは、先に見なかったことにしてください」蓮は床から靴下を拾い、洗濯かごに入れた。「どの靴下ですか」千尋は唇の内側を噛んだ。彼が笑わせる気になると、思ったより、耐えるのが難しかった。ドアに貼ったメモは、最後にはがした。粘着力が弱まり、角がめくれていた。千尋がごみ箱へ手を伸ばすと、蓮が紙を受け取った。「また、貼るんでしょう」「少し、ぼろぼろになりましたが」「内容は、まだ有効です」彼は本の上にメモを載せ、一緒に持った。部屋を貸すことと、自分の居場所をなくすことは、違う。その小さな紙を見て、初めて思った。泰三は湯を半分ほど飲むと、部屋を見回すこともなく入った。「朝食は、七時前と言ったね? 私は、箸を並べてくれるだけで
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15話. 仕事のあとの質問

月曜日の午前、蓮には、腕がしびれている様子はなかった。会議室の正面に座り、千尋が送った提案書の二ページ目を見ていた。千尋は、少し前まで、彼が海苔を三度折って茶碗蒸しに載せて食べる姿を思い浮かべていたことを、頭から追い払おうとした。「この数字で、再申し込みを予測した根拠は何ですか」「先月、キャンセルされたお客様の問い合わせ内容を、分類しました」「不満を言ったからといって、再び申し込む意思があるとは限りません」千尋の指先が、プレゼンターの上で止まった。予想した質問だったが、今日はなぜか、口調がいっそう冷たく聞こえた。「価格への不満と、日程への不満を分けることで、改善できる対象を絞れます」「対象を絞ることと、需要が生まれることは、違いますね」蓮は後ろのページへ進めた。「需要予測を下げても、この改善を行うべき理由を、書いてください。費用の削減なのか、顧客の離脱防止なのか。両方なら、それぞれ確認する指標が必要です」会議室は静かだった。大野が隣でメモを取った。千尋は画面の太字の数字を見た。昨夜、寝ぼけて腕を借りたからといって、今日の報告書まで、寄り掛かっていいわけではない。そのくらい、わかっている。わかっていても、顔が少し熱くなった。「予測の部分を分けます。確認できた不便な点と、改善の仮説から提示します」「いいですね。木曜日に、改めて確認します」いいですね、という一言を付けて、会議が終わった。蓮は別の役員と次の議題について話し、千尋はノートパソコンのケーブルを、ゆっくり巻いた。結衣が横へ来て、囁いた。「今日も、冷蔵庫だね。人が入ったら、鮮度が上がりそう」千尋は危うく、朝、冷蔵庫に入れた茶碗蒸しの話をしそうになった。「私たちが、数字を大きく書きすぎたから」「反省まで、迅速だね。白石主任」廊下に出て、千尋は水を飲んだ。大野が紙コップをもう一つ取りながら、尋ねた。「気分、悪くした?」「いいえ」「じゃあ、まずページ番号を固定しよう。毎回変わると、確認しにくいから。それから、今日、指摘された内容は正しいよ」「わかっています。正しいことしか言わないから、少し憎らしいんです」大野は小さく笑った。「それは、会社勤めをする人の、正常な反応ね」席へ戻って、元の文章に線を引くと、報告書はずっと短くなった。いちばん自信を持って入れた予測グラフが、消
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16話. 小さく、直せること

スピーカーにしなくても、顧客の声は隣の席まで聞こえた。「設置費用がかからないと思って、申し込んだんですよ。無料体験って、書いてあるでしょう」千尋は問い合わせ担当者から引き継いだ通話に、イヤホンを着けた。顧客は、小型食洗機を返送することにしていた。すでに作業員の訪問を待つため、二度半休を取り、回収日は、まだ決まっていなかった。「ご案内が不十分で、申し訳ありません。お申し込みの際、どの画面をご覧になったか、確認させていただきたいんです」「今、私が読み間違えたって、言おうとしているんですか」千尋はメモを取る手を止めた。「いいえ。読み取りにくい場所に書かれていなかったか、確認したいんです。私たちの画面を、直すために」一瞬、沈黙があった。そこでようやく、顧客は最初に押した広告を説明した。最後のボタンの上には、大きく無料体験と書かれ、追加費用の案内は、下の折り畳まれた部分に入っていた。その部分を開かなくても、申し込みを終えられた。千尋は自分の携帯電話で、同じ順序をたどった。三度押すだけで、完了画面になった。「見つかりましたか」「はい。おっしゃるとおり、申し込みの際、費用の案内を通らずに進めます」「そう言っているんです」声が少し落ち着いた。千尋は回収の担当部署に確認した、連絡の期限を伝えた。今すぐ回収日を約束することは、できなかった。代わりに、今日の午後までに、担当者が日程の相談のため連絡するよう、受付番号を残した。電話を切ると、結衣が千尋のモニターを覗いた。「こんな作りなら、私も無料だと思うよ」「私も、見てそう思った」先週の報告書では、この顧客を、設置費用への不満によるキャンセル一件と分類していた。画面を自分で押してみると、その一行から抜け落ちたものが、多すぎた。千尋は問い合わせ記録を、大野へ持っていった。大野は通話のメモを読み、課のメンバーを小さな会議室へ呼んだ。「明日から予算を増やす広告案は、保留にする。まず、こちらを直さないと」高橋が腕組みを解いた。「媒体への出稿は、すでに予約している分があります。すべて止めると、キャンセル料が出ます」「だから、維持するものと、変えるものを分けてみましょう。今の画面のまま、人を増やすことが正しいのか、そこから」大野が千尋へ、ペンを差し出した。「白石主任。顧客が最初の画面から、どこで誤解するの
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17話. その文章を、作ったのは誰か

「これが、どうして姉さんの成果なの?」昼休みが終わる前、千尋は会社の外のベンチで、沙織に電話した。モニターに開いた提案書を、まず大野へ共有し、今回の提案の作成経緯だけを直接確認するよう、頼まれたあとだった。資料提出と修正の協議は、引き続き、大野が担当することになっていた。沙織は二度目の呼び出しで出た。「何を言ってるの。体験モニターの運営は、うちがやったでしょ。当然、うちの成果よ」「従来の運用実績ではなくて。顧客への案内を改善したというページ」「それは、今も続けてることだし。そっちでも、何か変えたんでしょ? 一緒に働いてるのに、いちいち線を引く必要がある?」千尋はベンチの下に転がってきた小石を、靴の先で押した。「姉さんの提案書には、先月から改善を適用したと書いてある。私たちは、まだ適用前だよ」「表現一つで、神経質にならないで。どうせ、これからやるんでしょ」「していないことを、したと書くのは、表現の問題ではないよ」電話の向こうで、紙をめくる音がした。沙織の声が低くなった。「あの家に入ったから、私に説教するつもり?」「会社の資料を、確認しているの。修正して、課長へ送って」「社長に言うぞって、脅してるの?」「課長へ送ってと、言ったよ」千尋は、言葉を増やさなかった。電話を切り、少し空を見た。春の日差しは、思ったより熱かった。今まで握っていた電話は、さらに熱かった。席へ戻ると、大野が提案書に印を付けた箇所を差し出した。「確認できた?」「これから適用する内容だという返事だけ、もらいました。以前から行っていたという表現は、まだ直さないそうです」「それなら、会議で分けて確認しよう。いとこだから文句を言っているように、見えないように」大野は、沙織との関係も、すでに業務上の利害関係として報告を受けていた。千尋は、家族の業者を含む資料について、自分に確認できる範囲だけを点検し、最終判断は課長に任せることにした。「成果を作成した主体と、実際に進めたかどうかを、それぞれ示せばいいでしょうか」「うん。嫌な気持ちはわかるけれど、資料には付けないでね。相手が間違っているという話より、私たちが何をしたかが先だから」千尋は頷いた。悔しさを消すことはできなくても、ファイルに入れずにおくことはできた。まず、婚姻届を出す前に、課のフォルダーへ上げた設置案内の初稿
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18話. 名前が残る成果

沙織は会議が始まる直前に入ってきた。ノートパソコンを持つ、星友プランニングの実務担当者が続いた。彼女は千尋の隣の空席を通り過ぎ、商品運用担当者の向かいに座った。「資料は、ご覧になりましたよね。私たちも、これまで顧客の反応を、たくさん集めてきたんです」大野は会議の開始時刻を確かめた。「今日は、新しい案内案と、従来の運用報告を分けます。完了したことなのか、提案することなのか、まず、そこをそろえましょう」沙織は提案書を画面に映した。華やかな表紙の次に、千尋が昨日、印を付けた文章が、そのまま出てきた。事前案内の高度化により、顧客の不便を減らしたという説明だった。「今後の体験拡大に役立つ成果です。方向性も、私が直接決めて……」「適用された画面を、見せていただけますか」千尋が尋ねた。沙織はプレゼンターを持ったまま、笑った。「細かい点は、うちの担当から」隣の社員がファイルを開いた。先月の広告画面だった。申し込みボタンの下では、小さな文字が折り畳まれていた。千尋は用意した携帯電話を接続した。同じ広告から始め、三度ボタンを押した。費用の案内を通らず、申し込み受付の画面が出た。「現在、運用中の画面です。事前案内の改善は、まだ適用されていません」「それは、一部の画面で、全体としては……」「別の画面があれば、今、確認します」千尋は待った。クリックの音が、何度かした。担当者が沙織へ、小さく言った。「バナーは、すべて、このアドレスにつながっています」沙織の笑みが薄くなった。「私たちが提案した方向性を、お話ししたんです。すでに成果があったという表現は、広い意味で受け取っていただければ」大野がペンを置いた。「それなら、該当する文言は、成果から提案へ修正してください。適用していないことは、完了報告には入れられません」千尋は肩の力を少し抜いた。沙織に睨まれたが、画面から目を離さなかった。今度は、千尋の番だった。華やかな図形ではなく、まず、一人の顧客が残した文章を映した。「お客様が追加費用を初めて知ったのは、設置作業員が訪問したあとでした。申し込みページに案内はありましたが、申し込みを終えるために、読む必要はありませんでした」千尋は新しい試案を開いた。タイトルは、設置前の一枚。追加費用が生じる条件と、訪問日の確定に関する案内、回収の申し込み経路が、同じ画面に
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19話. おかずを追加できる夕食

蓮は店の前で、メニューを読んでいた。小さな木の扉の上の電球が、点いたばかりだった。スーツ姿の彼が、壁に貼られた手書きの献立へ少し身を傾けると、通りかかった人が、道を譲られたと思ったのか、頭を下げた。千尋は笑いをこらえ、近づいた。「予約のできない店なんです。待ちましたか」「少し。先に、メニューを確認していました」「何にしますか」「よく、わかりません」率直な返事に、千尋はとうとう笑った。昼の社長は、理解できない提案書を、そんな一言で済ませる人ではなかった。二人は窓から二つ目のテーブルに座った。テーブルの角は少し剥げ、水のボトルは、客が自分で持ってくる必要があった。千尋が立とうとすると、蓮が先に、水とコップを二つ持ってきた。慣れない狭い通路で、別の客の椅子に当たりそうになり、静かに謝った。「よく、来ていたんですか」「ときどき。一人でも、釜飯を食べられるので」「一人で食べるのが、好きなんですか」「待つ人がいないので、急いで食べる日が多かったんです。ここは、すぐ蓋を開けられないので。蒸らす必要があるんです」千尋は、テーブルの小さな砂時計を指した。「待つ口実ができて、よかったんです」蓮は砂時計を一度裏返し、また戻した。スタッフが注文を取りに来ると、二人は魚の釜飯と、肉の釜飯を一つずつ選んだ。千尋は卵焼きを追加しようとして、彼を見た。「卵焼きは、一つでいいですよね?」「私の分を、残していただけるなら」「私、一人で全部、食べられますよ」「では、二つ注文しましょう」「そんなに早く譲られたら、からかえません」千尋は水を飲みながら笑った。ほんの短い冗談なのに、昼の会議を思い出しても、もう胸がひりつかなかった。彼が待ち、自分が選んだ、という夕食の順序のせいかもしれない。料理が来ると、千尋は今日の会議について話した。沙織の話より先に、結衣が質問票を直したこと、颯太が自分の失敗を隠さず、変更履歴を出したことから話した。「係長は、広告の日程が延びた理由は、自分が説明すると言ってくれました。最初は、駄目としか言わない人だと思っていましたが、できない理由がわからないと、変えられないんですね」蓮は箸を置いて聞いた。「課長に、よくできたと言われました。もちろん、文章を一つ減らすようにも、言われましたけど」「大野課長らしい評価ですね」「だから、信用でき
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20話. 親切な人の心配

雅彦がエレベーターの扉を押さえてくれた。「白石主任、上へ行きますか」千尋は紙コップを片手にまとめ、頭を下げた。一つは課長の分、もう一つは、眠れなかったという結衣の分だった。雅彦はコップが傾かないよう、代わりにボタンを押した。「会議は、うまく終わったそうですね。大野課長が、褒めていましたよ」「課の皆さんに、たくさん助けていただきました」「その答えもいいですが、自分の分は確保してください。会社では、謙遜すると、本当に知らずに終わる人もいますから」彼は、耳に心地よい言葉を、力んで言わなかった。千尋は笑って礼を言った。階の数字が、一つずつ上がった。扉が開く直前、雅彦が付け加えた。「昼食のあと、少し時間はありますか。業務命令では、ありません」千尋は、意外そうな顔を隠せなかった。雅彦は自分の執務室ではなく、フロアの中ほどの、小さな応接室を指した。「蓮の兄貴分として、話したいことがあって」千尋は、田園調布の家族の集まりで、この人も夫婦としての紹介を直接聞いていたことを、思い出した。* * *昼休みのあと、応接室には誰もいなかった。雅彦が扉を閉めると、廊下の足音が遠くなった。彼は携帯電話をテーブルに伏せ、千尋の向かいに座った。「まず、嫌な話ではないと、言っておきますね」嫌な話でないなら、そんな説明は、そう付かない。千尋は膝に手を置いた。雅彦が携帯電話をこちらへ向けた。一枚の写真だった。小さな釜飯屋の前でメニューを見る蓮と、そのほうへ近づく千尋の横顔。千尋は自分のカーディガンで気づいた。店の看板の下には、ほかの客の頭も、写っていた。「知人があの近くに住んでいて、蓮に気づき、送ってきたんです。一緒の人は誰か、と」千尋は画面から目を離さなかった。こっそり会ったつもりは、一度もない。それでも、人の携帯電話にある二人の姿は、見慣れなかった。「その方には、何と答えたんですか」「私的な場だから、詮索しないよう言いました。私は二人を知っていますが、わざわざ説明する必要もないでしょう」雅彦は写真の日付を指した。「実務責任者が決まった日でしたね。私は、祝いの席だろうと思いますが、知らない人なら、二つを結び付けるかもしれません」彼は画面を消した。「社内では、夫が誰か、話していないそうですね」「はい。必要な申告は、しています」「では、その点は心配ありませ
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