All Chapters of 『運命の番に捨てられた私、狼王国の婚約契約を裁く女王になりました』: Chapter 21 - Chapter 30

33 Chapters

第21話 彼女を捨てた番の代償

第21話 彼女を捨てた番の代償 カイラス・ローデンは、夜明け前に自分の狼へ噛み殺されかけた。 正確には、自分自身の右腕を噛み千切りかけた、と言うべきなのだろう。 寝台の上で目を覚ました時、口の中には鉄臭い血の味が広がっていた。右腕には深い歯形が残り、白い寝衣の袖が肘の近くまで赤く染まっている。 薄暗い寝室には、荒い呼吸だけが響いていた。「……またか」 掠れた声で呟き、カイラスは額を押さえた。 月明かりの残る窓硝子へ映った自分の姿は、ひどいものだった。 瞳は狼化しかけた金色。 爪も半獣化している。 それなのに、身体の変化が噛み合っていない。獣化するなら完全に狼へ変わればいいものを、途中で止まり、人間の意識と狼の衝動が互いを押し返している。 こんなことは、これまで一度もなかった。 カイラスは幼い頃から獣化の制御に優れていた。 侯爵家の跡取りとして、戦場へ出ても恥じない狼になるよう鍛えられてきたのだから当然だ。 それが。 ミレイアを拒絶した日から、少しずつ崩れている。 最初は眠れないだけだった。 次に食欲が落ちた。 その後、突然胸元の番紋が焼けるように痛むようになった。 そして三日前から、睡眠中の半獣化。 医師にはまだ見せていない。 父にも。 ヴィオラにも。 誰にも知られたくなかった。「カイラス様?」 扉の向こうから侍従の声がした。 物音を聞きつけたのだろう。「何でもない」「しかし」「入るな」 思った以上に強い声が出た。
last updateLast Updated : 2026-10-21
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第22話 優しい夫から逃げてきました

第22話 優しい夫から逃げてきました アデル・グランツが王城の保護区へ逃げ込んだ翌朝、夫から二通目の申立書が届いた。 一通目は、妻による月誓契約上の同居義務違反を理由とした強制帰宅命令の申請。 二通目は、それよりさらに踏み込んだ内容だった。「月律審理官による妻の不法な囲い込み……?」 執務室で書面を読んだミレイアは、思わず顔を上げた。 向かいに座るローデリクが眼鏡の位置を直す。「文面だけ読むと、あなたが昨日の夜、道端から既婚女性を攫って王城へ閉じ込めたことになっていますね」「私、そんなことをした覚えはありません」「私も見ていましたので知っています」「よかったです」「私に疑われていたと思ったのですか」「念のためです」 昨日は結局、アデルへの初期聴取を終えた後、王城の一時保護を正式に決定した。 彼女の夫であるレナード・グランツ側が求めた強制帰宅命令については、本人の意思確認と契約内容の審査が済むまで保留。 それだけだ。 婚姻契約を無効にしたわけでも、夫との面会を永久に禁じたわけでもない。「夫は何者です?」 ミレイアが尋ねると、ローデリクは調査票を開いた。「レナード・グランツ、三十四歳。王都で織物輸入を扱うグランツ商会の共同経営者。父親は既に引退。本人に犯罪歴なし、税の滞納なし、商会の信用も高い」「周囲の評判は?」「非常に良いですね」「非常に?」「妻思い。穏やか。仕事ができる。使用人へも横暴ではない。酒癖も悪くない」 ミレイアは昨夜のアデルを思い出した。 外傷はほとんどなかった。 着ていた服も上質だった。
last updateLast Updated : 2026-10-22
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第23話 番であることは、他人を所有する権利ではありません

第23話 番であることは、他人を所有する権利ではありません アデル・グランツが署名した六枚の書類には、すべて同じ特徴があった。 署名は本物。 血印もない。 筆跡の改竄も、日付の捏造も見つからない。 紙の上だけを見れば、本人が内容を確認し、自ら同意した正式な文書にしか見えなかった。 けれど、そのうち三枚について、グランツ家の元使用人が同じ場面を見ていた。「奥様は、いつも最初に読もうとなさるんです」 翌朝、法務院の小聴取室で、元女中頭のマルタは膝の上へ皺の寄った手を重ねながら話した。 六十歳を越えているだろうか。背は小さいが、声は意外なほどはっきりしている。「ですが旦那様は、『難しい契約文だから説明するよ』とおっしゃって、ご自分で要点だけ話されました」「その説明と、実際の内容が違っていた?」 ミレイアが尋ねる。「私に法律は分かりません。でも後で知ったものは、奥様が聞いていた話と違いました」「具体的には?」「貸家を売った時です」 マルタは迷わず答えた。「あの日、奥様は『屋根の修繕契約を更新するのよね』と私に話していました。旦那様も、その場では否定なさいませんでした」「署名の場に、あなたも?」「お茶を出していました」「アデルさんは、全文を読もうとしましたか」「はい」 マルタの顔が曇る。「奥様は紙を持って、『少し待って、ちゃんと読みたいから』と」「レナードさんは?」「笑っていました」「笑った?」「はい。優しく」 その言葉だけで、ミレイアの胸に昨夜から続く重さが戻ってきた。「何と
last updateLast Updated : 2026-10-23
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第24話 「君のため」は、免罪符ではありません

第24話 「君のため」は、免罪符ではありません グランツ家の元女中頭が残した証言を、ミレイアは朝から三度読み返していた。 ――『番なのに、俺を信用できないのか』 怒鳴り声ではない。 脅迫でもない。 だからこそ、その言葉が六年間でどれほどの重さを持つようになったのか、紙の上だけでは分かりにくい。 けれどアデルは、そのたびに署名した。 読もうとしていた書類から手を離し、自分の疑問のほうを引っ込め、夫を傷つけたと思って謝った。「言葉一つだけを取り出せば、そこまでひどく聞こえないんですよね」 ミレイアが呟くと、向かいで帳簿を確認していたローデリクが顔を上げた。「だから、回数と状況を見る必要があります」「はい」「一度なら夫婦喧嘩。二度なら悪い癖。何年も同じ形で本人の拒否を覆していたなら、別の評価になる」「その境目を法律で決めるのは難しそうです」「難しいです」「即答ですね」「簡単なら、私たちの仕事はもっと早く終わります」 それもそうだ。 机の上には、グランツ家から提出された六年分の財産記録と家計簿、使用人の勤務記録、アデル名義の不動産関係書類が並んでいる。 昨日の暫定審理で強制帰宅命令は退けられた。 だが婚姻そのものは続いているし、財産処分に関する同意が無効だったかも、まだ確定していない。 これからが本番だった。「エミリア・ロウさんは?」「十時に来ます」「レナードさんの主張では、アデルさんをそそのかした人物ですね」「本人はかなり怒っているそうです」「私に?」「主に夫側へでしょう」「少し安心しました」
last updateLast Updated : 2026-10-24
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第25話 愛しているなら、待つことも覚えてください

第25話 愛しているなら、待つことも覚えてください アデル・グランツが夫から届いた手紙を机の引き出しへしまった翌日、法務院は財産関係六件のうち、三件について事実認定を終えた。 貸家一棟の売却。 婚前預金の商会への貸付。 母方の親族へ行われた名義上の贈与。 どれもアデル本人の署名がある。 そして、どれも署名の直前に本人へ説明された内容と、実際の文書内容に重大な食い違いがあった。「残り三件は、証言が足りません」 朝の月律審理官室で、ローデリクが資料を分けながら言った。「無効を主張するなら、追加調査が必要です」「三件だけでも正式審理には進めますか」「十分です。むしろ全部揃うまで待つ必要はありません」 ミレイアは机いっぱいに広がった書類を見つめた。 この仕事を始めた頃の自分なら、六件すべての答えが揃うまで落ち着かなかったかもしれない。 けれど最近、少し分かってきた。 全部を一度に救うことと、今救える部分を救うことは違う。「婚姻については?」「今日、本人の希望を再確認します」「離婚を?」「そこまで決めているかは分かりません」 ローデリクが眼鏡越しにミレイアを見る。「あなた、結論を急がせないようにしてくださいね」「私が?」「最近、当事者の意思を尊重するあまり、『決めなくていい』を積極的に勧めすぎる傾向があります」「……そんなに?」「少し」 ニーナが横から小さく手を上げた。「私も、少しだけそう思います」「二人とも」「悪いことではありません」
last updateLast Updated : 2026-10-25
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第26話 狼王が、私を庇って血を流した

第26話 狼王が、私を庇って血を流した 時間が止まったように感じたのは、ほんの一瞬だった。 ミレイアの頬へ散った温かいものが血だと理解した途端、周囲の音が一気に戻ってくる。 暴れる馬の嘶き。 御者の怒鳴り声。 橋の石畳を駆ける靴音。 割れた窓から吹き込む冷たい風。「陛下……?」 目の前にあるアルドリックの肩、その少し下から短矢が突き出していた。 黒い上着へ血が広がっていく。 ミレイアの喉が引きつった。「陛下!」「声は出るな」 返事があった。 それだけで胸が詰まるほど安堵した。「そんなことを確認している場合ですか!」「君が下敷きになっていないかの確認だ」「私より、ご自分を!」「俺は動ける」 言いながら、アルドリックは身体を起こそうとした。 ミレイアは反射的に服を掴む。「駄目です!」「なぜ」「矢が刺さっています!」「知っている」「知っていて動こうとしないでください!」 自分でも驚くほど強い声が出た。 アルドリックが一瞬だけ目を見開く。 その外で、グレンの怒声が飛んだ。「第二射来るぞ! 馬車を盾にしろ! 屋根の上を見ろ!」 短い金属音。 続いて何かが石へ弾かれる音。「陛下、姿勢を低く!」 扉が開き、グレンが半身を差し入れた。 頬に浅い傷がある。「矢は?」 アルドリックが尋ねる。
last updateLast Updated : 2026-10-26
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第27話 傷ついた狼王のそばで

第27話 傷ついた狼王のそばで その夜、ミレイアはほとんど眠れなかった。 アルドリックに「ここにいろ」と言われ、安静室の隣にある控室を使わせてもらったものの、寝台へ横になっても、目を閉じるたびに橋の上の光景が蘇った。 割れた窓。 飛び込んできた短矢。 自分へ覆いかぶさった大きな身体。 そして、黒い上着へ広がっていった血。 命に別状はないと聞いている。 毒も、現時点では検出されていない。 それなのに、耳の奥では何度もあの鈍い音が繰り返された。「……眠れるわけないじゃない」 誰もいない部屋で呟き、ミレイアは毛布を押しのけて起き上がった。 時刻は深夜を回っている。 廊下には夜勤の医療官がいるはずだ。 様子だけ聞こう。 そう思って扉へ向かうと、向こう側から先にノックがあった。「ミレイア様?」 若い看護官だった。「起きていらしたのですね」「はい。陛下は?」「先ほど目を覚まされました」「容体は?」「安定しています。ただ」「ただ?」 看護官が少し困った顔をする。「水をお持ちしたら、『ミレイアは寝ているか』と」 胸が妙に鳴った。「それで?」「寝ていると思います、とお答えしましたら、『確認したのか』と」「……陛下」「起こしてはならないとも言われたのですが」「矛盾していますね」「はい」 看護官も少し笑った。「会いま
last updateLast Updated : 2026-10-27
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第28話 私には、この国で仕事をする資格がないそうです

第28話 私には、この国で仕事をする資格がないそうです アルドリックが負傷して三日目の朝、ミレイアはようやく王立医療院から追い出された。 正確には、アルドリック本人と担当医、さらにニーナの三方向から「自分の部屋で眠れ」と言われ、最後にはグレンまで無言で出口を示したので、渋々戻ったのである。「私、そこまで邪魔でした?」 王城の廊下を歩きながら尋ねると、隣のニーナは呆れたように答えた。「邪魔なのではなく、ミレイア様まで倒れたら面倒が増えるのです」「面倒」「陛下と同じ言い方をすると、聞いてくださるかと思いまして」「最近、皆さんが陛下に似てきました」「逆では?」「どういう意味?」「ミレイア様が、陛下に似てきているのかもしれません」 それは少し困る。「どの辺りが?」「仕事を優先して食事を忘れるところです」「それは昔からです」「では元々似ていたのですね」 もっと困る。 結局、昨夜は自室へ戻ったものの、眠ったのは四時間ほどだった。 アルドリックの容体は安定している。熱もない。傷口の炎症も見られず、医師からは「数日無理をしなければ問題ない」と言われていた。 問題は、その「無理をしない」が本人にできるかどうかだった。 今朝も寝台の上で政務書類を読もうとして担当医に取り上げられ、かなり不機嫌になっていた。「陛下の様子は?」 ミレイアが聞くと、ニーナは少し笑った。「朝食を完食なさいました」「本当に?」「はい。ただし蜂蜜を増やすよう要求されたそうです」「元気ですね」「医師も同じことを申していました」
last updateLast Updated : 2026-10-28
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第29話 誰も私の保証人になれない

第29話 誰も私の保証人になれない 国王アルドリック・ノクスの保証申請が却下された日の午後、ミレイアは初めて、自分の名前が書かれていない月律審理官室の扉を見た。 正確には、名前だけが覆われていた。 銀文字で刻まれた《王立法務院特別職・月律審理官》という職名はそのままだが、その下に取り付けられていた「ミレイア・セレス」の名札だけに、白い布が掛けられている。 解任されたわけではない。 任官停止でもない。 それでも、独立した調査権を使えない間は、法務院の規定上、責任者名を表示できないのだという。「……思ったより、嫌ですね」 扉の前で立ち止まったミレイアが言うと、隣のニーナも白い布を見上げた。「取ってしまいます?」「駄目です」「誰も見ていなければ」「もっと駄目です」「では、私が毎朝少しだけめくります」「何の意味があるの?」「ミレイア様のお名前が、まだそこにあるか確認します」 冗談だと思った。 けれどニーナは、意外なほど真面目な顔をしていた。 ミレイアは少しだけ胸が温かくなり、扉を開けた。「なくなりませんよ」「はい」「少なくとも、私が自分から辞めるまでは」「それなら安心しました」 室内は何も変わっていない。 机も。 本棚も。 昨日まで積み上げていた申立書も。 変わったのは、ミレイアがその書類へできることだけだった。 机に着いて一番上の申立書を開く。 王都西区の女性。 婚約契約の解除を申し出たところ、家族から「番候補を拒否するな
last updateLast Updated : 2026-10-29
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第30話 狼王から、契約婚約を提案されました

第30話 狼王から、契約婚約を提案されました アルドリックが「明日、一つ君に話がある」と言った夜、ミレイアはほとんど眠れなかった。 理由は分かっている。 ローデリクが見つけた適用除外条項。 王族の正式な婚姻予定者として王室簿へ登録された外国人は、外国人特別官の保証人要件を受けない。 つまり。 月律審理官へ戻るための方法が、一つだけ残っている。 王族と婚約すること。 そこまで考えれば、アルドリックが何を話そうとしているのか、想像するのは難しくなかった。「……でも」 客室の寝台で毛布を胸まで引き上げたまま、ミレイアは暗い天井を見つめた。 王族なら誰でもいいのだろうか。 ノクシア王家には傍系もいる。 遠縁の王族を探す方法だってあるかもしれない。 何より、アルドリック自身は国王だ。 王の婚約は、ただの書類上の措置では済まない。 国内政治。 外交。 王位継承。 貴族社会。 全部へ影響する。 だから、まさか。 そこまで考えてから。 橋の上で自分を庇った背中を思い出した。『君に、ここにいてほしい』 昨日。 アルドリックはそう言った。 仕事だけなら、別の人間を探せばいい、とも。「……寝られるわけないじゃない」 結局、夜が明ける頃まで何度も寝返りを打った。 翌朝。 ニーナが部屋へ入るなり、ミレイアの顔を見て眉をひそめた。「眠っていませんね」
last updateLast Updated : 2026-10-30
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