「桜。宏一、譲るわ」 控室の空気が、ピシリと凍った。 母が「え?」と固まる。父の眉間に深いシワ。桜だけが一瞬、目を見開いて——すぐにいつもの「か弱い妹」の仮面を被り直す。早い。さすが前世からの主演女優。「お姉ちゃん……本当に、いいの……? 宏一さんのこと、好きだったんじゃ……」「いいえ。欲しいならあげる。ドレスも」 肩紐に手をかけ、私は自分でデザインしたドレスを迷いなく脱ぎにかかった。 抵抗ゼロ。むしろ全力譲渡。 あまりにもあっさりとした態度に、部屋にいた誰もが戸惑っていた。特に父は、明らかに拍子抜けした顔をしている。 ——そりゃそうだろう。まさか娘が抵抗なしで婚約者を差し出すとは、誰も思わない。 でも、これは私なりの計算だ。 前世。この結婚式の日に、私は家族全員に裏切られた。 両親は、桜を私の婚約者・宏一と結婚させるため、私に薬を盛った。目が覚めたら知らない男の腕の中。ご丁寧にカメラマンまで待機済み。 婚約破棄。世間の総攻撃。実家からポイ捨て。 ——それでも終わらなかった。 夜の店で働いて食い繋いでいた私は、再び薬を盛られ、裏社会に連れ去られた。気づいたときには腎臓が一個消えていて、最後は路上で誰にも看取られず死んだ。 はい、ここまで前世ダイジェスト、終わり。 そして私は今、また同じ結婚式の朝に立っている。 ——同じ地獄をもう一周する気は、さらさらない。 前世の私は、ここで泣いて縋って「私は悪くない」と叫び続けた。 ——結果? 「哀れで往生際の悪い女」の完成。家族にとっては最高の燃料になった。 だから今度は、逆を行く。 奪われるものは、くれてやる。 その代わり——一つ残らず、取り返す。「有希、顔色が悪いわ。これでも飲んで落ち着きなさい」 母が差し出してきたのは、コップ一杯の牛乳。 ——来た。 前世の記憶が、頭の中で警報を鳴らす。これだ。すべての始まりのグラス。 受け取るふりをして、指先にほんの少し力を込める。 カラン。 グラスが割れ、白い液体が絨毯にじわりと広がった。「ごめんなさい、手が滑って」 母の顔が、コンマ一秒だけ強張る。「大丈夫? 怪我は」 心配そうな声色。だけど視線は完全に、割れたグラスの破片に釘付け。 ——証拠、消したいんでしょ? 残念でした。「平気。片付けは私がするから、先に会場
Last Updated : 2026-10-12 Read more