All Chapters of 君ともう一度、スタートラインに立つ: Chapter 31 - Chapter 33

33 Chapters

31話. 償いではない告白

夜九時の、名護の海沿いの遊歩道は、人もまばらだった。 ざあっ、ざあっ。 黒い玄武岩の磯を、優しくなめては引いていく。夜の海の波音が、静けさを満たしていた。潮の匂いとともに吹く夜風が、昼の練習で熱を持った大地を、涼しく冷ましてくれた。 宿舎の部屋を出る前、同室の美咲がベッドから跳ね起きた。千紗のジップアップパーカーの襟を払い、念を押した。 「ねえ、千紗。神崎先輩に夜の散歩に誘われたのに、まさか、いつもの三本線のサンダルをつっかけて出るつもりじゃないよね? お願いだから、かわいい白いスニーカーにしなよ。今日の二人、絶対いい雰囲気になるって!」 「美咲、ただの散歩だってば」 「どこが、ただの散歩よ! 西都体育大でいちばん隙のない男が、夜の海を歩こうって言ってるんだよ? 普通の散歩なわけないでしょ。応援してるよ、うちのチャンピオン!」 美咲のからかうような見送りを背に、出てきた千紗は、遊歩道の入り口の木製の街灯の下にいた。地面の貝殻を、つま先で軽く転がしていた。 従兄で代理人の隼人は身柄を拘束され、黒田監督も、もう二人の練習を左右できない。すべての手続きが終わったわけではないが、今夜くらいは、あの二人からの連絡を待ち、携帯電話を握り締めている必要はなかった。 ただ、互いにだけ向き合えるようになった、初めての夜だった。 こつ、こつ。 砂粒の混じる舗道を突く、硬い杖の音が聞こえてきた。 千紗は顔を上げた。 街灯の明かりの中を、蓮が歩いてきた。 練習用のサングラスを外し、ゆったりした濃いグレーのスウェットに、トレーニングパンツをはいていた。乱れた黒髪のあいだからのぞく額と、深い黒褐色の瞳が、街灯の
last updateLast Updated : 2026-10-14
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32話. テザーのない、初めてのキス

軒先を伝う大粒の雫が、少しずつ細くなり、やがて、ぽつ、ぽつと途切れた。 名護の夏のにわか雨は、あれほど激しかったのが嘘のように、素早く夜空の向こうへ去っていった。 雨に洗われた夜の空気に、濃い土の匂いと、しょっぱい潮の香りが、ひときわはっきりと立ち上った。濡れたアスファルトには、木製の街灯の光が、長くにじんでいた。 軒下に寄り添って立つ二人の息は、まだ弾んでいた。 蓮の親指は、千紗の額のあたりに触れたままだった。雨粒をそっと拭っていた手が、耳元をかすめ、細い顎の線へ、ゆっくり滑り下りた。 スプリンターらしい硬いまめのある、大きな手のひら。 その手が肌に触れた瞬間、千紗は全身を走る甘い痺れに、深く息を吸い込んだ。 「雨……すっかり、やみましたね」 小さくささやいた。雨音が消えると、胸の中の騒がしい鼓動が、そのまま蓮に聞こえてしまいそうで、顔が熱くなった。 蓮は手を引かず、低く落ちた声で尋ねた。 「もう少しだけ……歩いてから、帰ろうか」 「はい」 二人は軒下を出て、しっとりと濡れた海沿いの遊歩道へ歩いた。 海の上の黒い雲が切れ、銀色の月明かりが、水平線いっぱいに砕けていた。波が寄せるたび、砂州に残る雨粒が、宝石のようにきらめいた。 蓮は片手で杖を突き、もう片方の手を、千紗へ差し出した。握りやすいように、少し指を開いた。 千紗は、濡れた道に段差があるときだけ、短く伝えた。それ以外は、言葉もなく歩いた。道を教えるためにつないだ手ではなかったが、必要なことまで黙っているわけではなかった。
last updateLast Updated : 2026-10-14
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33話. トレーの上でばれた恋

朝七時半。沖縄、名護の合宿の選手食堂。 合宿に参加した各大学の陸上部と、実業団の選手たちで、食堂は朝早くからにぎわっていた。配膳台の焼きたての牛ヒレステーキと目玉焼きから、湯気が上がる。その隣には、新鮮なフルーツサラダが並んでいた。 トレーを持ってテーブルの隅に座った千紗は、箸でサラダをつつきながら、何度も咳払いをこらえていた。 向かいに座る、蓮のせいだった。 いつもどおり黒い練習着に、濃いサングラス。きちんとした姿勢で座っている。近くのテーブルの他大学の選手が、目を合わせることすらためらい、「やっぱり西都体育大の神崎先輩は、迫力が違うな」とささやくほど、看板選手らしい冷たい威圧感は、そのままだった。 けれど、テーブルの上で起きていることは、正反対だった。 蓮は、自分のトレーの卵をやると言った。千紗が皿を近づけると、指先で場所を確かめ、目玉焼きを一つ、慎重に移した。 ことり。 「先輩……?」 千紗が目を丸くすると、蓮は咳払いをし、何でもないようにささやいた。 「たんぱく質、補給しろ。今日の午前は、インターバルがきついんだろ」 「私、もう二個もらってますけど?」 「じゃあ、腹が減ったら食べろ。無理に食べさせたいわけじゃなくて……お前の好きな半熟だったから」 そっけない口調とは裏腹に、サングラスの向こうの耳は、真っ赤だった。しかも、指先で確かめながらリンゴの皮をきれいにむき、千紗の皿の端へ、そっと差し入れた。 隣で見ていた直人が、ぽかんと口を開けた。スプーンに載っていたチャーハンが、ぽとりと落ちた。 
last updateLast Updated : 2026-10-14
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