All Chapters of 命を選ばれなかった夜、私は家族を手放した: Chapter 1 - Chapter 10

12 Chapters

第1話

どうやら、私はよほど運がよかったらしい。奇跡的に一命を取り留めたのだ。「自己心拍が再開しました。ご家族に至急連絡を」目を開けたとき、看護師はちょうど私のスマホで2回目の電話をかけているところだった。スピーカーに切り替えると、父の声が流れ出した。「助かったんだろう?なら、パーティーが終わるまで待ってくれ。今日は絵凪の誕生日なんだ。一生に一度の大切な日なんだ。せっかくの誕生日パーティーなのに、家族全員で席を外すわけにはいかないだろう」「ですが、数分前に心停止を起こしています。至急、これまでの病歴について詳しく教えてください」看護師は苛立ちを抑えながら続けた。「血液凝固障害の種類は?長期的に服用している薬はありますか?」電話の向こうが、一瞬黙り込んだ。父は答えられなかった。代わって電話に出た母の声は、ひどく面倒そうだった。「あの子の病気、そこまで重くないのよ。小さい頃に一度検査しただけだから。恵利の言うことを真に受けないでね。昔から話を大げさにする癖があるのよ」医師はベッドの脇で検査結果に目を通していた。「ヘモグロビン値は5.8g/dL、腹腔内の出血も続いています。これでも重くないと言い張るんですか?」母は一瞬黙り、それから聞き返した。「じゃあ聞くけど、今はもう助かったんでしょう?」「一時的に、です」「じゃあ、そのまま様子を見ておいて。絵凪がもうすぐケーキをカットするところなの。お客様をお待たせしてるから、後で向かうわ」一方的に電話が切られた。看護師はスマホを握ったまま、しばらく下ろせずにいた。もう電話しないで、と私は伝えたかった。けれど気管内チューブがまだ抜けておらず、声にすらならない。左手を少し持ち上げるのが精一杯だった。手首には、ブレスレットがなかった。うっすらと白い圧迫痕が輪のように残っているだけだ。医師がそれに気づいた。「以前、医療情報を刻んだブレスレットをつけていましたか?」私は一度まばたきをした。それは細い金属製のブレスレットで、親指大のプレートには私の名前と病名、緊急時に必要な対応が刻まれていた。7歳で診断を受けたとき、母が用意してくれたものだ。「何かあったときにすぐ分かるように、外しちゃだめよ」そう言って、母は私の手首につけてくれた。今日の
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第2話

絵凪の資料はファイル2冊分あったのに、私のものはたった7ページしかなかった。けれどその7ページさえ、ふたりはろくに目を通したこともなかった。夜の11時、気管内チューブがようやく抜かれた。喉が焼けるように痛み、唇を湿らせてもらってから、最初に出た言葉は「もう、あの人たちに電話しないで」だった。看護師が毛布の端を整えながら言う。「恵利さんはまだ未成年ですよ。この先の治療について、ご家族に確認しなければならないこともあるんです」「あの人たちは来ません」「病院のソーシャルワーカーにはもう連絡してあります。他に、成人しているご親族はいらっしゃいますか?」私は担任の堀田先生の電話番号を伝えた。最後の2桁を読み上げたところで、病室のドアが開いた。父がパーティー用の黒いスーツのまま入ってきた。胸元には金色の飾り花がまだついていた。その後ろから母と絵凪が続く。3人とも、シャンパンと生クリームの入り混じったような甘い匂いをまとっていた。母はベッドの脇まで来るなり、開口一番、私を責め立てた。「あのね、今夜どれだけの人に笑われたか分かってるの?お父さんなんか、電話を受けてからずっと顔色が悪かったのよ。ケーキカットの途中でパーティーはお開きになったんだからね」父が会計の明細書を棚に叩きつけた。「保険が利かない治療までいろいろ受けさせられて、たった1回の処置で40万円以上だぞ。どこでどう転んだら、そんなに血が出るんだ!」私は明細書には目を向けず、ただ絵凪の手首につけられた医療用ブレスレットを見つめていた。母は私の視線に気づくと、慌てて絵凪の手首を覆い隠すように手を重ねた。「ただのブレスレットでしょう。目が覚めたばかりなのに、また絵凪を責めるのはやめなさい。この子、電話のことでまだ怯えてるのよ。今だって手が冷たいんだから」私はゆっくりと手を上げ、手のひらを上に向けた。「……返して」母が眉をひそめた。「まだドレスも着替えてないのよ。家に帰ってからにしなさい」医師が戸口に立ったまま、重い声で言った。「倒れたときに身につけていれば、救急隊ももっと早い段階で、必要な対応を検討できたはずです」それでも母は、すぐには銀のプレートを外そうとしなかった。彼女はまず絵凪に尋ねた。「外すときに、ドレスの袖を傷
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第3話

明け方、寒気がしてナースコールを押したとき、母は私のマイボトルに、絵凪のためのはちみつ湯を入れていた。あのボトルは入院して点滴を受けるたびに私が使っていたもので、底に名前のシールが貼ってあった。母はそのシールを剥がし、絵凪が一晩だけ使うからと言った。今、ボトルの蓋は絵凪の枕元にあり、中には甘い湯がまだ半分ほど残っている。看護師が処置用カートを押して入ってきて、私のリストバンドを確認した。「恵利さん、出血を抑えるための点滴を4回に分けて行います。以前、重いアレルギー反応を起こしたことがあるようですが、ご家族は何のアレルギーかご存じですか?」母が顔を上げた。「アレルギーなんてないわよ」「カルテには、デキストランによるアレルギーの記録があります」「……っ、そうなの?」母が私に目を向けた。「あなた、いつからそんなアレルギーがあったの?」12歳のときだった。あのとき、点滴の後に全身に発疹が出て、呼吸が苦しくなった。母はベッドのすぐ傍にいた。その日は泣きながら私を抱きしめ、これからは絶対に忘れないから、と言っていた。あれから5年。母は絵凪が梨の皮を食べないことも、眠るときはオレンジ色の常夜灯をつけることも覚えているのに、私の命を奪いかねない薬のことは忘れてしまった。私は看護師に言った。「堀田先生を、緊急連絡先に登録してもらえますか」父がすぐに顔を曇らせた。「家族がそろってるのに、他人なんか登録してどうする」「あの人が覚えているからです」「何を覚えているって?」「私がアレルギーを起こす薬の名前を」堀田先生は、私が高校1年のときの宿泊研修で、学校に提出した保健調査票を一度確認したことがあった。出発前、先生はアレルギーの原因となる薬の名前を自分の手帳に書き留め、緊急用の薬が鞄のどのポケットに入っているかまで、わざわざ尋ねてくれた。母の目元が、次第に赤くなっていった。「人前でそんなことまで言わなくてもいいでしょう?私だって毎日、家のことをいろいろやってるのよ。ひとつくらい忘れることだってあるわ。それに、絵凪は昔から体が弱いから、どうしても気にかけることが多くなるの。そのくらい、分かってくれてもいいでしょう?」ソーシャルワーカーがドアをノックして入ってきた。手には昨夜の通話
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第4話

私は、ひとりでは過ごせないと繰り返した。父がスマホのマイク部分を指で塞いだ。「お前は17歳だろう。7歳じゃないんだ。薬を飲むのも、熱を測るのも、いちいち人に見ていてもらわなきゃいけないのか」「夜中にまた出血するかもしれないと、先生が言っていました」「だったらスマホの電源を入れたままにしておけ。何かあったら、こっちに連絡しろ」私は、ベッドの脇のナースコールに目をやった。昨夜のあの電話にも、両親は確かに出た。でも、電話に出ることと、病院へ駆けつけることは違う。絵凪は窓際のベッドに座り、膝の上に分厚い記念アルバムを広げていた。ホテルに届いていた、あの紛失していた箱から取り出した1冊だ。1ページ目には、絵凪が生まれてから今までの写真が並んでいる。母がそばにしゃがみ込み、どの写真が一番いい笑顔か、指さして教えている。あのアルバムには、もともと私のためのページが2枚あった。パーティーの準備をしていたとき、企画担当者から、姉妹の写真を1枚載せて、姉からのメッセージを添えてはどうかと提案されたのだ。母はメッセージを書く役目を私に任せた。私は2晩かけて16枚の写真を選び、800字の文章を書き上げた。3日前、完成品が自宅に届いた。私のための2ページは、なくなっていた。母は、ページ数が限られているから主役の絵凪を目立たせたかっただけだと説明した。そんな細かいことは気にしなくていい、と。最後の2ページには、父と母から絵凪への長い手紙が載っていて、結びには【いつでも絵凪の帰る場所でいるからね】とあった。ページが足りないのではなかった。私のページなら、削っても構わなかったのだ。絵凪が最後のページをめくり、アルバムの間から1枚の折りたたまれたカードを抜き出した。「ねえ、これ、お姉ちゃんが書いたの?」それは、採用されなかった私のメッセージの下書きだった。冒頭には、どんなに遠くへ行っても、お姉ちゃんが必ず迎えに行くから、と書いてあった。母はそれを受け取って目を通すと、微かに笑みをこぼした。「よく書けてるじゃない。絵凪にあげたら?この先、絵凪が遠くの学校に進学することになっても、こういうのがあると心強いでしょう」母はカードをアルバムに挟み直した。まるで、これで私の気持ちも報われるとでも思っている
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第5話

父はその申込書を見るなり、ひったくるように取り上げた。「家が同じ市内にあるんだぞ。わざわざ学生会館に入る必要なんてないだろ」堀田先生は父と言い争わず、医療ソーシャルワーカーがまとめた退院後の生活支援に関する書類をテーブルに置いた。「恵利さんには、退院後もしばらくは、安定した見守りやケアを受けられる環境が必要です。学校からは、提携している学生会館を紹介できます。私も学校側の連絡窓口になります」堀田先生はそこで一度言葉を切り、私を見た。「ただ、最終的にどうしたいかは、恵利さん本人の気持ちを一番に考えたいと思っています」全員の視線が私に集まった。母の表情が和らぎ、ベッドの脇まで来て布団の端を直してくれた。「恵利ちゃん、お母さんも今回は本当に悪かったと思ってるの。つらい思いさせちゃったよね。絵凪のレッスンが終わったら、ちゃんと恵利ちゃんのところに戻ってきて、そばにいるから。だから、学校にまで話を広げなくてもいいでしょう?」母が私を「恵利ちゃん」と呼んだのは、半年ぶりだった。次の瞬間、絵凪が胸を押さえ、息苦しいと訴えた。母はすぐに布団の端から手を離し、絵凪の発作時用の吸入薬を取りに向かった。私はペンを取り、学生会館の入居申込書に自分の名前を書いた。「誰がそんなところに入っていいって言った?今すぐ申し込みを取り消せ!」父は私のスマホとカバンをまとめて棚にしまい込み、鍵をスーツのポケットに入れた。蘇生を受けたばかりで判断力が鈍っているはずだから、保護者の同意も得ずに学校が勝手に書類にサインさせるなんておかしい、と父は言った。母は絵凪のベッドの脇に立ったまま、止めようとはしなかった。医療ソーシャルワーカーは、主治医と学校の双方の判断を待ってからにしてはどうかと提案した。父はその場で突っぱねた。「これはうちの家庭内の問題です。この子は昔から反抗的で、気に入らないとすぐ家を出たがる。本気で家を出る覚悟なんてあるわけがない、ただの脅しですよ」私は枕にもたれたまま、それ以上の説明はしなかった。あの夜、心停止を起こしたとき、私は7分間、救急処置室に横たわっていた。その7分間でさえ、私が本当に死にかけたと父に信じさせることはできなかった。まして、私が本当に家を出ていくとは、なおさら信じないだろう。医
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第6話

母が手を伸ばして取り返そうとしたが、私は先に銀色のプレートを医療ソーシャルワーカーへ渡した。「しばらく保管しておいてもらえますか。18歳になったら、自分で新しいものを作ります」父は怒りで顔をこわばらせた。「電話番号を2つ消したくらいで、俺たちと縁を切ったつもりか」私は父を見た。「もう1つ、あります」私は堀田先生に頼んで、書類袋からホテルの引換券、雪解け水でにじんだ古い医療情報カード、そして医療ソーシャルワーカーがまとめた2回分の通話記録のコピーを取り出してもらった。1回目の通話は47秒。2回目は1分12秒。どちらの通話でも、父と母は私に大出血の危険があることをはっきり知らされていながら、すぐに病院へ来ないことを選んだ。病院はすでに、必要な手続きに従って児童相談所に通告していた。父はその数枚の紙を見つめたまま、しばらく口を開かなかった。先に反応したのは母だった。「私たちを訴えるつもりなの?」「あったことを、ありのまま書いただけ」「私たちはあなたの親なのよ。あなたを傷つけようとするわけないでしょう?」母の声がとうとう高くなった。「昨日は絵凪の誕生日だったのよ。会場には100人以上もお客様がいて、お父さんはその対応で手いっぱいだったし、私は絵凪のことを見ていなきゃいけなかったの。だから、また機嫌を悪くしてるだけだと思ったのよ。それがそんなに悪いことなの?」医療ソーシャルワーカーが静かに口を挟んだ。「恵利さんが嘘をついているかどうかを、電話口でおふたりが勝手に判断すべきではありません。救急の医師から命に関わる危険な状態だと説明されていたにもかかわらず、病院に来なかったのですから。これは、単なる家族間の行き違いで済ませられることではありません」母の目の中の怒りが、少しずつ焦りに変わっていった。母は私の方を向き、手を伸ばそうとした。「恵利ちゃん、お母さんが謝るから。児童相談所への通告、取り下げてもらえない?家に帰ってから、ゆっくり話しましょう」私は手を布団の中に引っ込めた。「……帰らない」「あなた、まだ未成年なのよ。どうするつもりなの?」堀田先生が、当面の支援方針をまとめた書類をテーブルに広げた。入院中は、病院の医療ソーシャルワーカーが支援に入る。退院後につい
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第7話

「午前0時と午前3時に、それぞれ体温を測ってね。皮下出血などの異常に気づいたら、すぐにスタッフを呼ぶこと。我慢しないように」退院の日、学校医の桐山先生が、体調管理シートを私に渡してくれた。午前0時と午前3時の欄に、赤ペンで丸がつけられていた。退院後、私は高校と連携している学生会館で暮らすことになった。学校や医療機関と連携し、体調面での見守りが必要な生徒も受け入れている小規模な施設で、私の部屋は一番奥にあった。部屋の棚には、緊急時に確認できるよう、私の名前とアレルギー情報、それから使用してはいけない薬の一覧が入ったファイルが置かれている。【デキストラン】の文字だけ、太字になっていた。夜の11時50分。まだ問題集を解いていると、当直のスタッフがドアをノックし、返事を待ってから入ってきた。手には電子体温計を持っていた。「まだ0時になってないですよね?」「今のうちに測っておくね。忙しくなると忘れちゃうから」スタッフは私のコップに目をやった。「今日は指示された1.5リットル、もう飲めた?」私はうなずいて水分補給の記録ノートを渡した。スタッフはそれを確認すると、偉いねとも、自分でできて当然だとも言わなかった。ただ、ベッド脇の冷めた白湯を新しいものに替え、3時にまた来るからと言い残した。その夜、私はよく眠れなかった。午前3時2分、廊下にスリッパの擦れる音がした。スタッフは本当に来て、ベッド脇でそっと声をかけた。体温は平熱、皮膚に新たな皮下出血も見当たらない。時間を記録し、部屋の電気を消して、ドア脇の常夜灯だけを残してくれた。私は長いこと、その体調管理シートを見つめていた。「後で来る」という約束が、時間どおりに守られることもあるのだと、初めて知った。金曜日、クラスの子たちが会いに来てくれた。堀田先生が前もってクラスのみんなに、私が食べられないものは差し入れないよう伝えてくれていたらしい。みんなが持ってきてくれたのは、教科書の入った袋とひまわりの花束、それから、クラス全員の名前とメッセージがびっしり書き込まれたファイルだった。隣の席の唐田遥(からた はるか)がファイルを差し出した。「休んでいた間のノート、みんなでコピーしておいたよ。数学のプリントは日付順にまとめてある。あと、来
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第8話

父は私の分も含めた毎朝の牛乳配達を解約せず、ベランダの鉢植えのミントも置き場所を変えなかった。月・水・金に水をやるのは、中学の頃から私の仕事だった。母も、私のスリッパを捨てずに取っておいた。毎日玄関に揃えて置き、絵凪には「触らないで、お姉ちゃんはもうすぐ帰ってくるから」と言い聞かせていた。最初の1週間で、ミントはしおれた。2週間目、絵凪が誕生日にもらったプレゼントを整理していたとき、お祝いをくださった方々のリストが見つからないと騒ぎ出した。お礼のカードの整理も、誰にお返しの品を贈り、誰にはメッセージだけで済ませるかも、全部私のタブレットに記録してあった。母から電話が17件かかってきた。私は出なかった。母は堀田先生にメッセージを送った。【恵利にタブレットのパスワードを聞いてもらえませんか。絵凪の誕生日の後片付けがまだ終わっていないんです。親と気まずいからって、妹のことまで放り出すのは困ります】先生の返信はひと言だけだった。【恵利さんは現在、ご家庭の用事は引き受けていません】母はその一文を、しばらくじっと見つめていたという。絵凪の通うアートスクールからも電話があり、食事上の注意点や服薬状況、緊急連絡先を記入する書類が提出されていないと問い合わせがあった。これまで、その手の書類は全部私が書き、母は最後にサインするだけだったのだ。母は絵凪の通院用ファイルを開いた。中には年ごとに整理された検査結果が、2冊分びっしり詰まっていた。喘息発作が起きた時刻、誘因、薬の使用量――すべてに色分けされたラベルが貼ってある。父は食卓の脇に立ち、その2冊を見下ろしながら、低い声で聞いた。「……これ、全部恵利がやってたのか」母は答えなかった。母は一番下の引き出しから、私のファイルを取り出した。中には7枚の検査結果や診断書が、順番もばらばらに入っていた。一番新しいものでも4年前のもので、右上に醤油のシミがついている。その裏に、私の字があった。【お母さんは忙しいって言うから、自分で記録をつけておく】小さな字で、アレルギーがあるため使えない薬の名前が3種類、並べて書いてあった。母は紙の端をつまんだまま、看護師にアレルギーを聞かれたとき「何もない」と答えたことを思い出していた。その夜、母はまた
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第9話

14歳から17歳の間は、学校の健診と、救急受診が2回あるだけだった。母はテーブルの向かいに座り、必死に説明を試みた。「その頃は体調も良くて、ほとんど出血もなかったので、行かなくなったんです」調査に同席していた血液内科の医師が検査結果を開いた。「血液凝固障害は、表面上出血が見られないからといって自然に治るものではありません。関節内には過去の出血の痕跡が残っており、少なくとも5回、出血を繰り返したと考えられます」母がすぐに私を見た。「膝が痛かったなら、どうして言ってくれなかったの?」私はスマホの古いメッセージを呼び出した。一昨年の9月、膝が腫れて病院に行きたいと送った。母の返信――【絵凪は明日大会なの。手が離せないから、湿布でも貼っておきなさい】去年の3月、夜中に鼻血が止まらなくなって、父の携帯に電話した。返ってきたのは、短い音声メッセージだった。【鼻をつまんでおけばいいだろ。そんなことでいちいち家族全員を起こすな】今年の11月、母に通院費を頼んだ。送金アプリで送られてきたのはたった4000円で、メッセージには【大事に使ってね】とあった。同じ日、家族のグループトークには、絵凪が新しく買った16万円のドレスの写真が投稿されていた。父は提出されたメッセージの記録から目を離し、険しい顔をした。「こんなもの全部取っておいて、今日ここで俺たちを責めるつもりだったのか」「……違います」私がそれらを保存していたのは、ただ自分がいつ出血や体調不良を起こしたか忘れないためだった。これがいつか、自分が家でどう扱われてきたかを証明する日が来るなんて、思ってもみなかった。担当者は両親に、私がいつも使う薬の保管場所を尋ねた。父は「寝室の引き出し」と答えた。母は「洗面台の棚」と答えた。本当の場所は、カバンの横ポケットだ。緊急のときに、ふたりが探してくれるのを待っていられないと、ずっと前から分かっていたから。続いて、医療ソーシャルワーカーが例の銀のプレートを取り出した。プレートに刻まれた病名の表記は、不完全だった。10年前、母は、文字数を減らして普通のアクセサリーに見せたいからと、店に【重症型】という文字を入れないよう頼んでいたのだ。あのとき、母はこう言っていた。「子どもが身につけるものだ
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第10話

「緊急連絡先に、もうあなたたちの番号は載せない」会議室が静まり返った。私は医療ソーシャルワーカーから銀のプレートを受け取り、自分の書類袋にしまった。父はようやく分かったようだった。父にとって最もこたえたのは、私にいくつもの過ちを指摘されたことではない。あの、命の危機に両親を私のもとへ呼び寄せるはずだったプレートが、もう二度と彼らを指し示すことはないという事実――それだった。……「お母さんが校門で3時間も待っていたんだぞ。一目会うことすら拒むのか」18歳の誕生日の1週間前、父が知らない番号から電話をかけてきた。ちょうど私が保健室で桐山先生に体調を確認してもらい、腕に現れた点状出血の位置を記録してもらっているところだった。父の声だと分かったが、すぐには切らなかった。「……お母さんは何をしに来たんですか」「誕生日は家で祝おうと思ってな。部屋は片付けたし、ケーキも頼んである。絵凪も残っていたお小遣いを出して、お前の誕生日を改めて祝いたいと言っていてね」「祝い直してもらう必要はありません」父は声を落とした。「家族みんな、お前のために変わろうと努力してるんだ。お母さんはこの数か月ろくに眠れていないし、絵凪もレッスンを休んでる。これ以上、俺たちにどうしろと言うんだ」彼が言うのは、母が眠れないこと。絵凪がレッスンに行けないこと。家族全員の生活が、私がいなくなったせいで狂ったということ。あの夜、あの7分間が私にとってどれほど苦痛だったかとも、なぜもうあの銀のプレートを身につける気になれないのかとも、ひと言も聞かれなかった。「帰ってきてほしいのは、自分たちが困るからですよね」「俺たちがつらいのは、お前を大事に思っているからだろうが」「大事なのは、私がいなくなった後の自分たちの生活でしょう」電話の向こうが、しばらく黙った。父は口調を変えた。「帰ってくれば、これからの治療費も全部こっちで払う。今まで絵凪の世話をお前に押しつけていたことも、もう二度としない。お母さんも、前より高価な銀のブレスレットを新調したんだ」「私が帰ったら、緊急連絡先は誰になるんですか」「決まってるだろう、俺とお母さんだ」「また病院から電話が来たら、駆けつけてくれるんですか」「お前、まだあの夜のことを根に持って
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