INICIAR SESIÓN私、木場恵利(きば えり)が血液凝固障害のせいで、雪の降り積もる路上に倒れたあの瞬間、父・木場博行(きば ひろゆき)と母・木場麻帆(きば まほ)は5つ星ホテルで、妹の木場絵凪(きば えな)の誕生日を盛大に祝っていた。 通りかかった人が救急車を呼んでくれ、私は病院へ運ばれた。 医師が私のスマホを使い、父に電話をかけた。 「病院の救急担当医です。娘さんが大量出血で危険な状態にあります。ご家族の方は至急病院へ来て、治療についての説明を受けてください!」 電話の向こうから返ってきたのは、ひどく不愉快そうに父が鼻で笑う声だった。 「俺たちを呼び出すために、医者まで雇って芝居でも打ったのか?持病だかなんだか知らないが、恵利はまだ17歳だぞ。そんな大病になるわけがないだろう!」 隣で母が口を挟む。 「今は手が離せないの。放っておいて」 ふたりは何度も、悪意に満ちた憶測を重ね、私を嘘つきだと決めつけてきた。まるで私が本当に、そこまで性根の腐った人間だとでもいうように。 けれどふたりは知らない。今度ばかりは、私にはもう待っている時間が残されていなかったことを。 ホテルの外で祝いの花火が夜空に上がったその瞬間、救急処置室で、心電図モニターの波形が平坦な直線になったのだ。
Ver más緊急連絡先の欄に、私は学生会館の夜間緊急連絡先を書いた。店主が新しい銀の連結リングを留め直し、また聞いた。「元のブレスレットはどうする?」「元の金属製のブレスレットはいりません。医療用のリストバンドにつけてください」濃紺で、長さを自分で調節できるメディカルIDバンドを選んだ。銀のプレートを留めたとき、縁にはまだ古い傷跡が少し残っていた。磨き直しは頼まなかった。この傷跡を見るたび、かつて母に外されたプレートを、私が自分の手で取り戻したことを思い出せるから。クラスメイトと先生たちが、ささやかな誕生日会を開いてくれた。学生会館のイベント室で、4つの机をくっつけた。遥はピーナッツもアルコールも使っていない、私の好きな栗のケーキを買ってきてくれた。堀田先生は試験対策のプリントを、桐山先生は新しい健康観察ノートをくれた。ろうそくを吹き消す前、遥がケーキについていたプラスチックのナイフを私の手に握らせた。「主役が自分で切るんだよ。最初の一切れも恵利のもの。私たちが勝手に決めたりしないからね」最初の一切れを切り分けた。クリームはあっさりしていて、私が好きな栗味だった。堀田先生は半分しか食べず、甘すぎると言った。遥が最後の栗の甘露煮を奪っていって、ゴミ捨て係をジャンケンで3回も決め直した。誰も、私に必要以上に気を遣ったりはしなかった。それでも全員が知っていた。ケーキに何を入れてはいけないか、何時に薬を飲むべきか、出血点が出たら誰に言えばいいか。そのとき、初めて分かった。当たり前の思いやりを受けるために、もう限界だと何度も証明し続ける必要なんてないのだと。誕生日会が終わってから、母からメッセージが届いた。【18歳のお誕生日おめでとう。お金はもう口座に振り込んだから、返信はいらないわ。通院、遅れないようにね】ケーキの写真も、長い謝罪文も、家に帰ってきてという言葉もなかった。父が送ってきたのは、振込明細の写真1枚だけで、備考には来年度の治療費と書かれていた。絵凪からのメッセージが一番遅かった。【お姉ちゃん、今日、自分でレッスンの申込書を仕上げたよ。既往歴は先生に確認してもらったの。誕生日おめでとう】私は3人それぞれに【了解】とだけ返した。これが今の私が許せる距離感だった。2週間後、私は児
私は刻印の申込用紙を手に、誰の番号を書くべきか、初めて真剣に考えた。……「児童相談所の調査結果を受け入れます。これまでの養育上の不適切な対応についても、親として責任を負うつもりです」二度目の面談で、父はもう私のことを「わがまま」だとは言わなかった。この3か月、父は血液疾患のケアに関する講習を受け、私の病気や緊急時の対応について学んだ。その記録も、面談の際に提出していた。私の通院費と学生会館の生活費についても、未払い分を含めて負担するようになった。母も、絵凪の医療記録を医療機関と連携して管理するようになり、「あの子のほうが大変だから」と言って、そのしわ寄せを私に押しつけることはなくなった。それでも、こうした変化が、通院できなかった3年間を取り戻してくれるわけではない。雪の降るあの夜、病院からかかってきたあの電話に、もう一度出直すこともできない。児童相談所の担当者が、両親に今も私を家に戻したいと思っているか尋ねた。父はテーブルに目を落とした。「もう、家に戻れとは言いません。18歳になってからどこに住むかは、本人が決めることです」それは、私が家を出たことを「正さなければならない間違い」として扱わないと、彼が初めて認めた瞬間だった。母がバッグから薄いノートを取り出した。1ページ目には私の生年月日が書かれ、その後ろに、これまでの通院歴、薬、食事の注意事項が続いていた。母はそれを私の前に置いた。「これ、お医者様にもう一度確認して、学校の記録とも照らし合わせたの。持って帰らなくてもいいわ。ただ、今はちゃんと覚えているってことだけ、分かってほしくて」私は2ページほどめくった。薬の名前に間違いはなく、アレルギーの原因となる薬や食品もすべて書き出されていた。けれど「好きな食べ物」の欄には、いちごのショートケーキと書かれていた。それは絵凪の好物だった。私はいちごを食べない。母は私が目を止めた場所に気づき、だんだん顔が青ざめていった。「また、間違えちゃった……?」私はノートを閉じ、押し返した。母はもう正解を聞こうとはしなかった。私に、もう一度証明させてくれとも頼まなかった。ペンを取り出し、その欄に線を引いて消した。「知らないことを、知っているふりをするのはもうやめるわ」その言葉が
「緊急連絡先に、もうあなたたちの番号は載せない」会議室が静まり返った。私は医療ソーシャルワーカーから銀のプレートを受け取り、自分の書類袋にしまった。父はようやく分かったようだった。父にとって最もこたえたのは、私にいくつもの過ちを指摘されたことではない。あの、命の危機に両親を私のもとへ呼び寄せるはずだったプレートが、もう二度と彼らを指し示すことはないという事実――それだった。……「お母さんが校門で3時間も待っていたんだぞ。一目会うことすら拒むのか」18歳の誕生日の1週間前、父が知らない番号から電話をかけてきた。ちょうど私が保健室で桐山先生に体調を確認してもらい、腕に現れた点状出血の位置を記録してもらっているところだった。父の声だと分かったが、すぐには切らなかった。「……お母さんは何をしに来たんですか」「誕生日は家で祝おうと思ってな。部屋は片付けたし、ケーキも頼んである。絵凪も残っていたお小遣いを出して、お前の誕生日を改めて祝いたいと言っていてね」「祝い直してもらう必要はありません」父は声を落とした。「家族みんな、お前のために変わろうと努力してるんだ。お母さんはこの数か月ろくに眠れていないし、絵凪もレッスンを休んでる。これ以上、俺たちにどうしろと言うんだ」彼が言うのは、母が眠れないこと。絵凪がレッスンに行けないこと。家族全員の生活が、私がいなくなったせいで狂ったということ。あの夜、あの7分間が私にとってどれほど苦痛だったかとも、なぜもうあの銀のプレートを身につける気になれないのかとも、ひと言も聞かれなかった。「帰ってきてほしいのは、自分たちが困るからですよね」「俺たちがつらいのは、お前を大事に思っているからだろうが」「大事なのは、私がいなくなった後の自分たちの生活でしょう」電話の向こうが、しばらく黙った。父は口調を変えた。「帰ってくれば、これからの治療費も全部こっちで払う。今まで絵凪の世話をお前に押しつけていたことも、もう二度としない。お母さんも、前より高価な銀のブレスレットを新調したんだ」「私が帰ったら、緊急連絡先は誰になるんですか」「決まってるだろう、俺とお母さんだ」「また病院から電話が来たら、駆けつけてくれるんですか」「お前、まだあの夜のことを根に持って
14歳から17歳の間は、学校の健診と、救急受診が2回あるだけだった。母はテーブルの向かいに座り、必死に説明を試みた。「その頃は体調も良くて、ほとんど出血もなかったので、行かなくなったんです」調査に同席していた血液内科の医師が検査結果を開いた。「血液凝固障害は、表面上出血が見られないからといって自然に治るものではありません。関節内には過去の出血の痕跡が残っており、少なくとも5回、出血を繰り返したと考えられます」母がすぐに私を見た。「膝が痛かったなら、どうして言ってくれなかったの?」私はスマホの古いメッセージを呼び出した。一昨年の9月、膝が腫れて病院に行きたいと送った。母の返信――【絵凪は明日大会なの。手が離せないから、湿布でも貼っておきなさい】去年の3月、夜中に鼻血が止まらなくなって、父の携帯に電話した。返ってきたのは、短い音声メッセージだった。【鼻をつまんでおけばいいだろ。そんなことでいちいち家族全員を起こすな】今年の11月、母に通院費を頼んだ。送金アプリで送られてきたのはたった4000円で、メッセージには【大事に使ってね】とあった。同じ日、家族のグループトークには、絵凪が新しく買った16万円のドレスの写真が投稿されていた。父は提出されたメッセージの記録から目を離し、険しい顔をした。「こんなもの全部取っておいて、今日ここで俺たちを責めるつもりだったのか」「……違います」私がそれらを保存していたのは、ただ自分がいつ出血や体調不良を起こしたか忘れないためだった。これがいつか、自分が家でどう扱われてきたかを証明する日が来るなんて、思ってもみなかった。担当者は両親に、私がいつも使う薬の保管場所を尋ねた。父は「寝室の引き出し」と答えた。母は「洗面台の棚」と答えた。本当の場所は、カバンの横ポケットだ。緊急のときに、ふたりが探してくれるのを待っていられないと、ずっと前から分かっていたから。続いて、医療ソーシャルワーカーが例の銀のプレートを取り出した。プレートに刻まれた病名の表記は、不完全だった。10年前、母は、文字数を減らして普通のアクセサリーに見せたいからと、店に【重症型】という文字を入れないよう頼んでいたのだ。あのとき、母はこう言っていた。「子どもが身につけるものだ
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