私は刻印の申込用紙を手に、誰の番号を書くべきか、初めて真剣に考えた。……「児童相談所の調査結果を受け入れます。これまでの養育上の不適切な対応についても、親として責任を負うつもりです」二度目の面談で、父はもう私のことを「わがまま」だとは言わなかった。この3か月、父は血液疾患のケアに関する講習を受け、私の病気や緊急時の対応について学んだ。その記録も、面談の際に提出していた。私の通院費と学生会館の生活費についても、未払い分を含めて負担するようになった。母も、絵凪の医療記録を医療機関と連携して管理するようになり、「あの子のほうが大変だから」と言って、そのしわ寄せを私に押しつけることはなくなった。それでも、こうした変化が、通院できなかった3年間を取り戻してくれるわけではない。雪の降るあの夜、病院からかかってきたあの電話に、もう一度出直すこともできない。児童相談所の担当者が、両親に今も私を家に戻したいと思っているか尋ねた。父はテーブルに目を落とした。「もう、家に戻れとは言いません。18歳になってからどこに住むかは、本人が決めることです」それは、私が家を出たことを「正さなければならない間違い」として扱わないと、彼が初めて認めた瞬間だった。母がバッグから薄いノートを取り出した。1ページ目には私の生年月日が書かれ、その後ろに、これまでの通院歴、薬、食事の注意事項が続いていた。母はそれを私の前に置いた。「これ、お医者様にもう一度確認して、学校の記録とも照らし合わせたの。持って帰らなくてもいいわ。ただ、今はちゃんと覚えているってことだけ、分かってほしくて」私は2ページほどめくった。薬の名前に間違いはなく、アレルギーの原因となる薬や食品もすべて書き出されていた。けれど「好きな食べ物」の欄には、いちごのショートケーキと書かれていた。それは絵凪の好物だった。私はいちごを食べない。母は私が目を止めた場所に気づき、だんだん顔が青ざめていった。「また、間違えちゃった……?」私はノートを閉じ、押し返した。母はもう正解を聞こうとはしなかった。私に、もう一度証明させてくれとも頼まなかった。ペンを取り出し、その欄に線を引いて消した。「知らないことを、知っているふりをするのはもうやめるわ」その言葉が
อ่านเพิ่มเติม