「奥様にお客様です」 執事の言葉に、アリシアは溜息を呑み込んだ。今日も来た。夫の幼馴染が。 応接間へ向かう廊下を急ぎ足で歩きながら、アリシアは今日これまでに終わらせた仕事の山を頭の中で反芻した。 夜明け前、凍えるような石造りの階段を降りて厨房へ向かい、領兵のための冬季保存食の出来を確認した。塩漬け肉の樽を開け、自ら指で表面の硬さを確かめ、塩の配合比率を料理長に細かく指示し直す。さらに、納品された小麦がわずかに湿気を帯びていることを見抜き、出入りの商人へ三割の値下げ交渉を行うよう、確固たる筆致で発注のメモを書き殴った。 朝食後は休む間もなく、執事と当日の取引先対応の打ち合わせをこなし、次々と持ち込まれる家政の相談を裁いた。体調不良で休んだメイドの穴を埋めるため、使用人たちの配置をパズルピースのように組み直し、不満が出ないよう労いの言葉と共に指示を出す。 そして先ほど、夫レオハルトの書斎へ赴き、彼が目を通すべき決裁書類を分野ごとに綺麗に揃え、目印の栞を挟んで机の中央に置いてきたばかりだった。 五年でこの家を立て直したのは彼女だ。だが、家中の誰もそれを口に出さない。 夫の書斎に整えた書類の横、毎朝彼のために淹れておく熱いお茶は、いつだって二杯目を求められることはない。冷めていくばかりの茶器の姿が、この家におけるアリシアの本当の立ち位置を静かに物語っていた。 応接間の重いオーク材の扉を開けると、鼻を突くほど甘い香水が漂ってきた。 「ごめんなさいね、アリシア様」 アリシア自身が商会と粘り強く交渉して買い付けた最高級の絨毯の上で、上質な絹のドレスを揺らし、ソファから立ち上がったのはセレスティアだった。美しく、どこか頼りなげで、男が思わず庇護したくなるような空気を纏った女性。
Huling Na-update : 2026-10-20 Magbasa pa