手遅れの愛、妻と子を失った社長結婚して五年。橘川柚香(きっかわ ゆずか)は、まさか夫から、ほかの女性と夫を「共有する」ようなことを要求されるとは、夢にも思わなかった。
彼は言った。「彼女は俺にとって大事な人なんだ。彼女の存在を受け入れてほしい」
そしてさらに言葉を重ねた。「承知してくれたら、君はずっと俺の妻だ。誰にもその立場は奪わせない」
久瀬遥真(くぜ はるま)と出会ったのは、柚香が人生のどん底にいた頃だった。
彼はそんな彼女と結婚し、甘やかし、惜しみなく愛情を注いでくれた。
だから柚香はずっと、彼が誰よりも自分を愛してくれていると思っていた。
けれど今になって、ようやくわかった。
自分は、滑稽なほどの勘違いをしていただけだ。
……
遥真は、自分がこれまで手塩にかけて育てた、か弱い小鳥のような妻が、自ら離婚を切り出すなんて思わなかった。だが、彼は止めようとはしなかった。それを一時の気まぐれだと受け流したのだ。外の世界で苦労すれば、どうせ自分のもとに戻ってくると信じていたのだ。
けれど柚香は、名前は柔らかい響きだが、心の芯は強く、頑なだった。
どれだけつらい思いをしても、決して振り返ることはなかった。
彼は思わず問いかけた。「一度くらい、素直になれないのか?」
その後。
柚香は、たしかに一度だけ「素直」になった。
けれどその一度を境に、彼女は遥真の世界から、跡形もなく消えてしまった。
それ以来、恐れというものを知らなかった遥真が、初めて「恐怖」という感情を覚えた。
……
そして時は流れた。
柚香は別の男の腕に手を絡め、遥真の前に姿を現した。
真っ赤な目で彼女を見つめながら、遥真はドアの後ろに彼女を追い詰めた。会いたくて、気が狂いそうだった。
「柚香……君って、ほんとに冷たい女だな」