場末感を映像で出すとき、まず眼に飛び込んでくるのは光の“質”だと強く感じる。
コントラストを下げて色をやや褪せさせると、物語の場所が使い古された時間にあるように見える。実写での有効手段はプラクティカルライト(店の蛍光灯や街灯そのもの)を活かし、余分なフィルライトは極力抑えること。そこにスモークやハーフストップのディフューザーを入れると、ハレーションが生まれて光が滲み、安っぽいネオンや汚れたガラスの質感が際立つ。
レンズ選びや被写界深度も重要だ。浅い被写界深度で主体だけを切り取り、背景をぼかすと、残された街の傷や看板の剥がれが“背景としての記憶”になる。カメラワークはゆるい手持ちの揺れやわずかなティルトで不安定さを与え、編集では間を大きく取って観客に空間の薄さや寂しさを感じさせる。音は生活雑音や低めのアンビエンスを強調すると効果的だ。
実際に『ブレードランナー』のような作品を参照すると、光の色味と滲み、汚れた質感の積み重ねで未来の“場末”までが説得力を持つ。細部を積み上げることで、場所そのものが登場人物と同じくらい語るようになるのが面白いところだと思う。