古びた表通りの看板を思い出すと、どうしてもそこに立つ一連の人物像が頭に浮かぶ。僕が惹かれる典型は、傷だらけだけど穏やかな佇まいを見せる店主だ。外見は疲れていて、過去の肩書きを匂わせる小さな残滓がある。簡潔に言えば話が上手くはないが、相手の心の機微を見逃さない。こうした人物は時に
場末の風景そのものを体現していて、日常の断片を拾い集める語り手としての役割を持つことが多い。『深夜食堂』に出てくるような、言葉少なで料理で人を繋ぐ存在が典型だと感じる。
加えて、僕がよく見るもう一つの像は、夢を追うことを諦めきれない中年の失意者だ。表向きは諦めているように見えるが、ふとした瞬間に少年のような希望が顔を覗かせる。利害や派手さはなく、自分と他人の間に静かな線引きを持つ。場末の町に住む人間関係の中で、こうした人物がほのかなドラマを生む。小さな勝利や挫折を重ねることで、物語は深みを帯びる。僕はそういう細やかな人間描写に心を動かされることが多い。