受け手としては、キャラクターの倫理観や行動原理に対して賛否がはっきり分かれることがよくある。ある瞬間に善とされる行為が、別の読者には危険な正当化に映る。それを最も顕著に体感したのが『DEATH NOTE』の議論だ。
正義とは何か、手段は目的を正当化するのかといった問いがファン同士の討論を白熱させ、結果としてキャラクター像が多面的に読み替えられていく。
また、キャラクターのバックストーリーや心理描写が十分でない場合、ファンが空白を埋めることで像が補完される。隙間を埋める作業は愛情表現にもなるし、時には原作の解釈を拡張して新たな魅力を生む。私はその過程を見るのが好きで、批判や擁護それぞれに根拠があることに感心する。結局、キャラクターは単なる創作物でありつつも、コミュニティで育つ生き物のようになるのだ。