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愛よ、風に舞う雪のように

愛よ、風に舞う雪のように

By:  シーシーCompleted
Language: Japanese
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十八歳の結城海斗(ゆうき かいと)は清水心美(しみず ここみ)を激しく愛していた。 二十八歳の海斗は、その愛を自らの手で壊してしまった。 彼は外の愛人のために、妻の母を死に追いやり、かつて愛した人を深く傷つけた。 心美は母の遺骨を抱き、降りしきる雪の中を去っていった。 そして、二十八歳の海斗を、永遠に、あの冬に閉じ込めた。

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Chapter 1

第1話

「海斗、お願い、母さんが心臓発作で、本当に危ないの……」

吹雪く街中。

清水心美(しみず ここみ)は息も絶え絶えの母を抱きしめ、必死に懇願している。

電話の向こうの結城海斗(ゆうき かいと)の声は疲れ気味だ。「もうやめろ。何年も同じ芝居ばかりで、飽きないのか?」

心美が説明する間もなく、電話は切れた。

頬に落ちる雪は、氷のように冷たい。

心美は慌てて上着を脱ぎ、母にかける。

薄い一枚のコートでは、消えゆく命をつなぎ止めることはできない。

心美はただ、腕の中で母の息が次第に弱まっていくのを見守るしかなかった。

信じられない思いで母の冷え切った手を揉み、心肺蘇生を繰り返した。

最後に、苦悶の叫びが上がった。

「誰か助けて!お願い!母を助けて!

海斗、どうして、どうして私にそんなことを?」

絶望の叫びは雪原に消え、何の答えも返って来ない。

救急車が到着したとき、心美の母はすでに生命の徴候を失っていた。

心美が病院に駆けつけて待ち受けたのは、死亡診断書だけだ。

「残念ですが、時間が経ちすぎていました。患者さんは常に薬を携帯すべき状態でした。もしすぐに服用できていれば……

正月期間で火葬場は休業です。再開は一週間後になります。遺体は霊安室に仮安置されますので、どうかお体を大切に」

医者はため息をつき、さらに慰めの言葉をかけようとしたが、心美の心が死んだように絶望的な目を見て、結局何も言えなかった。

心美は床に崩れ落ち、心臓も母と共に死んだかのようだ。

激しい痛みの後、深い麻痺が訪れる。

目の前の現実を受け入れたくなかった。ましてや、幼なじみで夫である海斗が母を死なせたなんて。

今日は本来、結城家の実家に新年を祝いに行くはずだった。

両家は長年親交があり、心美の母は体が弱くあまり出歩けなかったが、年末に病状が少し回復し、医者の許可を得て、彼女はこの再会を心待ちにしていた。

正月の食材や贈り物は、すべて両家の好みに合わせて用意したものだった。

しかし途中、海斗の秘書の林優奈(はやし ゆな)から電話がかかってきた。

彼女は泣きじゃくりながら言った。「社長、会社で残業中に足を挫いてしまって……一人で怖いです……」

それを聞いた海斗は、ブレーキを踏み外しそうになった。

彼は必死に平静を装ったが、心美は彼の目に本来あるべきではない心配の色を見て取った。

「心美、道がわかるだろう。先にお義母さんとタクシーで行ってくれ。優奈の方が緊急で……」

心美が承諾するわけがなかった。

極寒の中、母の体が耐えられるわけがなかった。

だが優奈のことで頭がいっぱいの海斗は、心美の説明も聞かず、乱暴に彼女を車から降ろした。

心美の母は娘を気遣い、タクシーでも同じだと慰めた。

心美が口を開く間もなく、海斗は優奈を心配して車を走らせてしまった。

そして車を降りて間もなく、心美の母は体調不良を訴えた。

薬は車の中。心美は海斗に戻ってくるよう懇願した。

しかし返って来たのは、いつもの言葉だった。

「心美、わがままはよせよ。優奈は会社のために怪我をしたんだ。卒業したばかりの子と嫉妬し合う必要があるのか?」

彼は足を挫いた優奈を心配し、虚弱な妻と年老いた母のことは全く顧みない。

それどころか、心美の母が娘を甘やかしたせいだと非難までした。

しかし母は意識を失うその瞬間まで、海斗を庇っていた。

息も絶え絶えに、心美の手を握りながら繰り返し囁いた。

「海斗は良い子よ、彼を責めないで、仲良く暮らしなさい」

一粒の涙がこぼれ落ちる。

その時、海斗から電話がかかってくる。

「君とお義母さん、まだ着かないのか?優奈が帰省のチケットを買えなかったから、家に連れて来て一緒に正月を祝うことにした。

大事な時に、やきもち焼いてわがまま言うなよ。みっともない」

心美は虚ろに遠くを見つめる。

その瞳にはもう光はなかった。

これが、二十年も愛し続け、幼い頃から共に過ごした夫なのか?

昔は確かに、激しく愛し合った。

清水家と結城家は通り一つ隔てただけ。心美は物心ついた頃から、海斗の後をついて回っていた。

二人は共に学び、共に育ち、共に事業を起こし、共に家庭を築いた。

最も苦しかった時期、二人は地下室で暮らした。

一杯の素麺を、心美が麺を食べ、海斗は汁でおにぎりをかじった。

互いに支え合った二十年間、海斗は心美に一度も苦労をさせなかった。

あの頃の海斗は天に誓ったものだ。「必ず出世して、心美を幸せにする」

しかし今、お金は手に入ったが、家庭は失った。

出世した海斗は新しい家と車を手にし、若く美しい秘書も得た。

年老いた心美は、実績がなく、嘘つきで嫉妬深い女と化した。

彼女は苦笑し、泣く力さえも失っている。

しばらくして、ようやくゆっくりと口を開いた。

「安心して。嫉妬なんか、もうしない」

彼女はもう二度と海斗に嫉妬することはない。

あの幼なじみで、共に歩んだ少年は、吹雪と共に、母と共に、心美の心と共に、消え去ったのだ。

「そうなら一番だ。早く来いよ。優奈は料理ができないから、母さんの手伝いをしてくれ」

心美は黙って電話を切り、音も立てずに涙を流した。

もう二度とあの家に戻って、黙々と働くことはしない。

この数年、母と二人で世界一周の夢を見ている。

しかし二人は、一人は重い病に、もう一人は雑事に満ちた結婚生活に閉じ込められていた。

今、ようやく解放された。

心美は決意した。一週間後、母の遺灰を携えて世界を旅すると。

過去の人々も出来事も、未練はもうない。

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第1話
「海斗、お願い、母さんが心臓発作で、本当に危ないの……」吹雪く街中。清水心美(しみず ここみ)は息も絶え絶えの母を抱きしめ、必死に懇願している。電話の向こうの結城海斗(ゆうき かいと)の声は疲れ気味だ。「もうやめろ。何年も同じ芝居ばかりで、飽きないのか?」心美が説明する間もなく、電話は切れた。頬に落ちる雪は、氷のように冷たい。心美は慌てて上着を脱ぎ、母にかける。薄い一枚のコートでは、消えゆく命をつなぎ止めることはできない。心美はただ、腕の中で母の息が次第に弱まっていくのを見守るしかなかった。信じられない思いで母の冷え切った手を揉み、心肺蘇生を繰り返した。最後に、苦悶の叫びが上がった。「誰か助けて!お願い!母を助けて!海斗、どうして、どうして私にそんなことを?」絶望の叫びは雪原に消え、何の答えも返って来ない。救急車が到着したとき、心美の母はすでに生命の徴候を失っていた。心美が病院に駆けつけて待ち受けたのは、死亡診断書だけだ。「残念ですが、時間が経ちすぎていました。患者さんは常に薬を携帯すべき状態でした。もしすぐに服用できていれば……正月期間で火葬場は休業です。再開は一週間後になります。遺体は霊安室に仮安置されますので、どうかお体を大切に」医者はため息をつき、さらに慰めの言葉をかけようとしたが、心美の心が死んだように絶望的な目を見て、結局何も言えなかった。心美は床に崩れ落ち、心臓も母と共に死んだかのようだ。激しい痛みの後、深い麻痺が訪れる。目の前の現実を受け入れたくなかった。ましてや、幼なじみで夫である海斗が母を死なせたなんて。今日は本来、結城家の実家に新年を祝いに行くはずだった。両家は長年親交があり、心美の母は体が弱くあまり出歩けなかったが、年末に病状が少し回復し、医者の許可を得て、彼女はこの再会を心待ちにしていた。正月の食材や贈り物は、すべて両家の好みに合わせて用意したものだった。しかし途中、海斗の秘書の林優奈(はやし ゆな)から電話がかかってきた。彼女は泣きじゃくりながら言った。「社長、会社で残業中に足を挫いてしまって……一人で怖いです……」それを聞いた海斗は、ブレーキを踏み外しそうになった。彼は必死に平静を装ったが、心美は彼の目に本来あるべきではない心
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第2話
母の遺体を安置した後、心美は一人で結城家を訪れる。海斗の両親はすでに長く待っており、心美が一人で来たのを見て、少し驚いた。「お母さんは?久しぶりに会えるのを楽しみにしていたのに。朝早くから準備して、彼女の大好きなお茶まで淹れて待っていたのよ」その言葉に、心美の涙がまた溢れそうになった。まだ口を開く前に、優奈が書き初めを持って近づいてくる。「心美さん、やっと来ましたね!海斗さんが無理やり書き初めを書かせました。字が下手ですって言ってるのに聞いてくれなくて、ほら、こんな字、どうやって貼り出せますか」すると海斗は書き初めを受け取り、真剣に壁に貼り付ける。そして親しげに優奈の頬を包み、顔に付いた墨を拭ってやる。「君が書いたものが一番だよ」「海斗、心美の前で何てことを」海斗の母は不満げにたしなめた。海斗ははっとし、ここがオフィスではないとようやく気づいた。彼は気まずそうに心美を見る。説明しようとしたが、彼女の目には冷たい無関心しかなかった。彼女は二人の親しげなやり取りを気にかけておらず、海斗の説明も必要としていなかった。彼女の心は、もはや海斗のために揺さぶられることはないのだ。気まずい空気を感じ取った海斗の母が、取り成そうとした。「もういい、皆で立ってないで台所に行きなさい。私が心美と話すから」海斗の母は心美をソファに座らせ、他の人たちを台所に追いやった。明らかに心美をひいきしている態度だ。「ほら、目が赤いじゃない。海斗に泣かされたのね?安心して、母さんが味方だから」心美が母の死を告げようとした時、海斗の母はため息をついた。「実は私も最近、心臓病と診断されたの。あなたのお母さんと私、この年老いた親友は、もうすぐ天国で会うことになるでしょ。死は怖くないけど、あなたたち二人のことだけが心配でね」いつも自分を気遣ってくれる海斗の母を見て、心美は言葉を飲み込んだ。母はもう二度と戻らない。母の生前の親友までも、自分のせいで不安にさせるわけにはいかない。食事の後、海斗の母は体が持たず、海斗の父と共に部屋に戻って休んだ。心美は眠れず、一人で居間に座ってぼんやりしている。ふと見上げると、優奈が数の子を持ち、ゴミ箱に捨てるところだ。「何してるの!これは母が手作りしたものよ」心美は優奈
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第3話
家族はもう言い争っている場合ではなく、慌てて海斗の母を病院に運び込む。幸い、海斗の母は驚きによる一時的な失神だけで、大事には至らなかった。ようやく息をついた心美に、海斗が突然、平手を打ちつける。彼は目を赤くし、怒りに燃える視線を心美に向ける。その眼差しは、不倶戴天の敵を見るかのようだ。「清水、なぜそこまで陰険なんだ!僕の気を引くために、そんな嘘までつくとは!母さんに何かあったら絶対に許さない」その一撃はあまりに強く、心美の頭の中は耳鳴りでいっぱいになった。頬は腫れ、口の中に濃い血の味が広がる。傷に触れて声はかすかで、感情も読み取れなかった。「お義母さんの命は大事で、私の母の命はどうでもいいの?結城、私はずっとお義母さんのことを心配してたの。あんたは、私の母のことを一度でも気にかけた?こんな寒い日に、心臓病の母が……」「黙れ!聞きたくない」海斗の手もひりひりと痛んでいる。心の奥では少し後悔している。理性と感情は、心美に手を上げるべきではないと告げている。しかし母子の絆は、何よりも強い。激しい怒りの中で、理性を失うのも無理はない。彼は、これ以上心美に対して、過激な行動を取ってしまい、二人の関係が取り返しのつかないことになることを恐れた。そこで会計の口実を見つけ、その場を離れる。その夜、心美は一睡もせずに海斗の母の看病をした。一方の海斗は、怯える優奈を慰めるのに忙しかった。翌日、海斗の母が目を覚ますと、焦って心美の手を握りながら尋ねた。「昨夜、あなたが言っていたことは、本当なのか?」海斗の母は、心美を幼い頃から見守ってきた。この子が誠実で、決して嘘などつかないことを知っている。もう隠せないと悟り、心美は母の死の経緯をありのままに話す。必死に平静を保とうとしたが、話し終わる頃には涙で顔が濡れている。涙で曇った目で海斗の母を見つめる。「お義母さん、私の味方になってくれるって言ってくれたよね。もう何もいらない。結城と離婚させてください」ここまで来ては、もう続ける意味はない。かつて愛し合った二人は、今や顔を見るのさえ辛い。互いに憎み合い、怨みばかりを抱えている。絡み合って互いを消耗し合うより、さっさと別れた方が良い。海斗の母は言葉より先に涙があふれる。し
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第4話
「離婚」という二文字は、冷たい水のように海斗の怒りを消し去った。冷たい風が吹き抜け、彼は歯がガチガチ鳴るほどの寒さに襲われる。何とも言えない感覚。胸の痛みと怒りが入り混じっている。二人は長年一緒に過ごし、最初は蜜のように甘く幸せだったのに、いつの間口論が絶えなくなった。紆余曲折を経てきたこの数年、二人は互いに心の一線を守り、最後の一歩は越えなかった。彼が手を上げたのは初めてで、彼女が離婚を口にしたのも初めてだった。しかし、これが二人の結末であるはずがない。何しろ、二人は学生時代から結婚まで、無名から事業の成功へと歩んできた。一緒にトレンド入りし、新聞にも載り、誰もが認める理想の夫婦だ。たとえどんな不愉快なことがあったとしても、長年積み重ねてきた思い出があるのだから、互いに一歩譲り合えば、まだやり直せるはずだ。幼なじみで、結ばれた妻。心美は海斗にとって、やはり特別な存在だ。そう思うと、海斗は離婚協議書を奪い取り、まだ燃えさかる火の中に放り込む。「わがままにも限度ってものがある。これ以上つきあう気力はない。昨日の件は、確かに少しやりすぎた。欲しいものがあれば自分で買え。僕からの償いだ」海斗はカードを一枚取り出し、心美に手渡す。心美はそれを受け取らず、視線を優奈に向ける。彼女が着ているオートクチュールのスーツ、身に着けているジュエリー、そして口に塗った新年限定リップですら。全て海斗が選んで贈ったものだ。かつては、海斗も同じように心を込めて心美に接していた。なのに今、彼は金で昔の愛する人をあしらうだけ。心美は知っている。海斗は愛する人には常に惜しみなく与えるのだと。これはもしかすると、ここ数年で彼が唯一変わらなかった点かもしれない。ただ、時が経つにつれて、彼の心の中の人は、もはや心美ではなかった。しかし心美に必要なのは、海斗の施しなどではない。彼女が望むのは、六日後、二人が二度と会わなくなること。だから彼女はカードを受け取らず、海斗を深く見つめた後、ひとり背を向けて去っていった。黒いコートをまとった心美は、そうして真っ白な雪の中に消えていった。まるで墨が一滴、水に溶けて跡形もなく消えるように。海斗の胸はざわつき、無意識に追いかけようとした。自分でも理由は分
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第5話
ドアを入ると、海斗はすぐに心美を抱きしめる。「数日会わないだけで、すごく寂しかったよ」心美以前のように熱心に応えることはなく、無表情で二歩下がる。海斗の手は空中に浮いたまま。彼の心も、宙ぶらりんになった。彼は少し慌て、少し苦しかった。心美との間に、何かが変わってしまったとぼんやり感じる。この感覚は海斗を不安にさせ、彼は思わず言い訳をした。「まだこの前のことを怒っているの?謝ればいいんでしょ、カードが気に入らないなら構わない。わざわざプレゼントを買って謝罪に来たんだ」彼は背後から一束の鮮やかな赤いバラを取り出し、心美に差し出す。「仲直りおめでとう」と、機嫌を取るような笑顔を浮かべる。心美は信じられないというように目を見開き、すぐに口と鼻を覆う。彼は心美が花粉アレルギーであることを忘れているだけでなく、母が亡くなったばかりのこの時期に、赤いバラで祝おうというのか!心美は我慢できずに花をゴミ箱に投げ捨て、怒りに満ちた目で海斗を睨みつける。「母の初七日さえまだ過ぎていないのに、何を祝っているの?」心美の態度を見て、海斗も怒った。金持ちの周りに女が群がっていない者などいない、再婚だって珍しくない。彼は心美に体面と尊重を与え、不自由のない生活を送らせている。優奈に惹かれる気持ちがあったとしても、心美の立場を揺るがすつもりはなかった。今回は確かに自分が悪かった、でももう頭を下れて謝っているのに、これ以上どうしろというんだ?海斗は花を乱暴に放り、さらに腹いせに傍らの箱を強く蹴る。「いつまで続ける気だ、優奈が全部話してくれたぞ。病院でお義母さんを見かけたってな、とても元気そうだったそうだ。清水、本当に冷酷だな。嫉妬のためなら自分の実母すら呪うとはな!鏡を見てみろ、今の君はどんな顔だ?」今や痩せ衰え、憔悴しきった心美は、もちろん若く美しい優奈には敵わない。しかし、誰が彼女をこんな姿にしたのか?そして、誰が最初に心を変えたのか?心美は言い争うする気力もなく、ただ胸を痛めながら地面の箱を抱きしめる。中身は、全て母の遺品だ……二十年もの間共に暮らしてきたのに、海斗は心美という妻を信じず、心美の母という慈愛に満ちた年長者を信じない。その一方で、優奈のでっち上げや噂話を信じる。二十
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第6話
電話を切った後、心美はぼんやりと顔を上げ、窓の外の果てしない闇を見つめる。どうして二人がこんなところまで来てしまったのか、彼女自身にもわからない。八歳の頃の無邪気な約束。「一生離れない」十八歳の頃、永遠を誓い「苦楽を共にしよう」と言った。今、心美は二十八歳になった。幼い頃の愛は、とっくに消え去っていた。海斗との間に残されたのは、罵り合いと憎しみだけだ。心美はゆっくりと目を閉じ、呟くように言った。「お母さん、会いたい」彼女は慎ましく母の遺影の涙を拭い、冷たい写真立てを胸に抱きしめ、赤ん坊のように自分を丸める。そうして、少しずつ長い時間を耐えしのいでいった。外の花火の音は次第に消え、帰省していた人たちは新たな旅路についた。カレンダーの日付が、心美に告げる。もう行く時だ、と。心美はすべての荷物を確認し、タクシーで火葬場へ向かう。母のために良い骨壺を買おうとしたが、カードを出すと、とっくに海斗に凍結されている。復帰したばかりの職員は不機嫌そうで、心美をじろりと睨みつける。「金がないならここで邪魔しません。見かけは立派なのに、お母さんにそんなにケチです。哀れな人が一生苦労してきて、最後までみっともないなんて気の毒ですね」彼の一言一言が、釘のように心美の心に刺さった。世の中に、どうしてこれほどみっともない娘がいるのだろう?無能で不孝者。心美は慌てて体中を探り、ふと手にはめた結婚指輪に気づいた。長い年月、多くのことが習慣となり、彼女はこの指輪の存在をずっと忘れている。海斗がこの指輪をはめてくれた時の喜びを、今でも覚えている。あの年、彼の事業がやっと芽を出し、すべての貯金をはたいてこのダイヤの指輪を買い、一生を共にすると誓った。今、ダイヤは昔と変わらず輝いているが、二人はもう戻れない。結局、言い争いの末に、彼女はこの高価な結婚指輪で、母に体裁が整った骨壺を買った。十年間の付き合い、二十年間の感情。残されたのは、薬指に残った浅い指輪の跡だけ。それは心美の心に刻まれた、消えることのない傷跡のようだ。彼女は遺骨を抱き、結城家の両親に最後の別れを告げに行こうとした。しかし途中で、海斗と優奈に出くわす。海斗は冷ややかに笑った。「どうしてこの間静かにしてたのかと思えば
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第7話
どれほど時間が経ったのか分からない。心美はようやく全ての遺骨を拾い終えた。彼女は凍えきって、ほとんど歩けない。よろめく姿は、枯れ木のようだ。途中で親切な人に家まで送られ、長く暖房に当たって、ようやく少しばかり温もりを取り戻した。一方、心美の訪れを待ちわびていた海斗の母は気がかりになり、海斗の父を連れて訪ねてくる。心美は何も語らず、ただ体を大事にするようにと伝えただけだ。海斗の母は異変を感じ取り、詳しい事情は知らなくても、海斗が何か過ちを犯したのだとぼんやりと推測した。帰宅後、彼女は海斗に謝るよう迫る。普段は決して頭を下げない海斗は、母の要求を承諾する。このところ、彼と心美はいつも衝突ばかりしていた。誰のせいであれ、彼はどうしても心美を失いたくなかい。しかし、心美の冷たい態度を見ると、彼はまた優奈の言葉を思い出した。「心美さんには、優しくすればするほど通じませんよ。あなたのような良い人が、もっと自分を大切にすべきです」そのせいで、口から出る言葉もまた刺々しいものになった。「心美、わざわざ遠回しにしなくてもいいだろう。何か望みがあるなら、僕に直接言えばいい。母さんの体は良くないんだ、君のくだらないことで心配をかけるな」「本当に?」心美はゆっくりと顔を上げる。その瞳を見て、海斗の心臓は止まりそうになった。何の波もなく、死人のような絶望と哀しみを湛えている。海斗は耐え難いほど辛かった。彼の心美が、どうしてこんな姿になってしまったのかわからない。二人の関係を和らげようと優しい言葉をかけようとした時、心美の落ち着いた声が響く。「この契約書にサインしてくれたら、あなたの要求は全部のむわ」心美は離婚協議書の最後のページを差し出す。「これは何だ?」海斗が目を通そうとした時、優奈から電話がかかってくる。泣き声で彼女の母の体調が悪いと言う。それを聞くや、海斗はペンを取ってサインしようとした。しかし、どこか少しだけ違和感を覚える。心美は自嘲するように軽く笑った。「譲渡契約書よ。家と財産を私の名義に移すの。私への償いとして」そう言われて、海斗の長い間つり上がっていた心は、ようやく落ち着いた。彼は金で心美を側に留めておきたい。すべてをかけて、心美を側に留めておきたい。
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第8話
最近、海斗の機嫌は上々だ。優奈の母の診療問題を解決した後、優奈はさらに従順でまとわりつくようになった。そして財産譲渡契約にサインした後、心美ももはや自分から離れることはない。彼は金を欲しがる者には愛を与え、金で愛を欲しがる者を繋ぎ止めた。愛人と妻、そろって睦まじい。海斗はオフィスに座り、たまっていた書類に目を通している。身に着けているのは心美がアイロンをかけたシャツで、手元には優奈が淹れたコーヒーが置いてある。彼はふと、理由もなく心美の母のことを思い出す。少し躊躇してから、病院の院長に電話をかける。「院長さん、お忙しいところ失礼します。そちらの病院に新しい医療設備を寄付しようと思っているのですが、妻の母の病気にはどうか特にご配慮を。妻を悲しませたくありませんので」電話の向こうの院長は戸惑っている。「おっしゃっているのは清水さんのことでしょうか?清水さんは一週間前に心臓病でお亡くなりになりました。遺体は数日間当院に安置され、つい最近火葬されたばかりです。奥様はお辛そうで、見ているこちらも胸が痛みました。葬儀がいつ行われるのか、その折には僕も弔意を表しに参りたいと思っております」その言葉を聞いた海斗はその場に立ち尽くす。携帯は床に落ちてひび割れ、いつ通話が切れたのかもわからない。院長の言葉は彼の頭の中で響き渡り、頭を割くような痛みを走らせた。心美の母は一週間前に亡くなっていた。心美の言っていたことは全て真実だった。優奈のために、彼は心美の母を死なせてしまった。心美が最も悲しみ、助けを必要としていた時に、彼は手を上げてしまった。彼が捨てたのは心美の母の遺品であり、ひっくり返したのは心美の母の遺骨だった。昨日の心美の、あの無感情で曇った瞳が思い出される。彼の心は激しく痛み、全身を貫くような寒気が襲ってくる。どうすれば心美は許してくれるのか?しばし考えた後、海斗は葬儀業を営む知り合いに電話をかける。「妻の母のために葬儀を執り行いたい。できるだけ盛大にしてほしい。金の心配はいらない、何もかも、最高のものを揃えてくれ」「奥様のお母様はお元気に回復されていたはずですが、突然のご逝去とは……しかしながら、どうしようもないことです。結城様、どうかご愁傷さま。葬儀は必ずきちんとお手配いたし
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第9話
心の底の不安が、果てしない恐怖へと変わる。海斗は慌てて携帯を取り出し、震える指で心美の番号を押そうとした。手の震えがひどく、ほとんど携帯を握りしめることもできない。何度も数字を押し間違え、ようやくなんとか電話をかけることができる。「心美、出てくれ、お願いだ、怖がらせないでくれ、心美」海斗は焦りに焦ったが、聞こえてくるのは機械的な女性の声だけだ。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」彼はその場で椅子から崩れ落ち、止めどなく涙が溢れる。優奈は海斗の様子に驚愕した。「海斗さん、どうしましたか?」彼女は海斗を支え起こそうと近づく。しかし、彼の袖に触れる前に、強く平手打ちを受ける。海斗は真っ赤な目で優奈を見つめ、その眼には怒りが満ちている。「お前、心美の母さんに会ったって、体調も良かったって言ったじゃない!なのに院長からとっくに亡くなったって聞いたぞ?なぜだ、なぜ僕を騙したんだ」今の海斗は、ほとんど正気を失っている。冷静になることも、落ち着いて考えることもできない。彼は無数の可能性を想像した。心美が母を想い、線香を燃やしているときに誤って火事を起こしたかもしれない。あるいは、絶望のあまり自ら命を絶ったのか。それとも別の事故が起きたのか。どれであれ、海斗には受け入れられない。心美が火に呑まれたかもしれない、二人が永遠の別れを迎えたかもしれないことを思うと、海斗の心は、刃物で切り裂かれるように痛んだ。もし優奈が騙していなければ、彼は何度も心美を誤解することはなかったはず。幼なじみとしての二十年の絆。どうしてここまでになってしまったのか。海斗はすべてを投げ出し、優奈をもう一目見ることすら拒み、よろめきながら立ち上がり運転手に家へ向かうよう指示する。今日起きたすべてが悪夢だと思う。今すぐ心美に会わなければ。心美に会えさえすれば、この悪夢は終わる。車は高速で走ったが、海斗はまだ遅いと感じている。緑川町に着くと、彼はほとんど飛ぶように走り出し、体裁など気にする余裕もない。しかし、目の前の光景は、再び彼に強烈な一撃を与える。なくなった、何もかもが。かつて温かく明るかった家はなくなり、家で彼の帰りを待っていた人もいない。十数年の努力の果てに
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第10話
海斗はぼんやりと、あの日のことを思い出す。彼は喜びに満ちてこの協議書にサインし、そうすれば心美を永遠に自分のそばに留められると信じ込んでいた。だが、まさにこの協議書が、二人を取り返しのつかない道へと追いやったのだった。彼は自らの手で、心美を遠ざけてしまった。自らの手で、彼だけを見つめ続けてきたあの娘を失ってしまった。「どうしてこうなった?心美は?彼女はどこだ?会いたい!僕が悪かったと分かってる、謝る、償う、何でもする!彼女を失うことだけはできない、絶対に……」海斗は友人の服の裾を握りしめ、声を泣き崩れる。たった一枚の薄っぺらい離婚協議書が、重石のように彼の心を押し潰す。息が詰まり、絶望に沈んでいく。別荘が焼け落ちたなら、また買えばいい。でも、家庭がなくなったら、どうすればいい?雪がひらひらと降り積もり、真っ白な大地には灰の痕と荒れ果てた光景が広がるだけだ。海斗は地面に跪き、虚ろな目で遠くを見つめている。友人がどれだけ説得しても、微動だにしない。仕方なく、友人は海斗の両親に連絡し、説得に来てもらった。二人は大雪を押して駆けつけ、海斗の様子を見て、怒りと心痛を覚える。「この愚か者め!今さらそんな姿をしても、誰に見せるつもりだ」海斗の母は杖を振りかざし、海斗の背中に強く打ち下ろす。しかし海斗は依然として何の反応も示さない。彼の心は雪の中に閉ざされたかのようだ。触れれば粉々に砕けそうだ。しばらくして、海斗は顔を上げて母を見る。「母さん、心美が離婚したいって行ってしまったんだ。僕のことを怒ってる、もう二度と戻って来ないかもしれない。どうすればいいんだ、母さん、助けてくれないか?心美は一番親孝行な子だ。母さんから説得してくれ。彼女なしでは生きていけない……」「自業自得だ」海斗の母は顔を背け、海斗の絶望と悲しみに満ちた目を見るに忍びない。「全てはあなたが招いた結果だ。よく考えてみろ、ここ数年あなたは何をしてきた?心美はあんなにも良い娘で、あなたが無一物の時から一途に支えてくれたんだ。清水おばさんは小さい頃からあなたを実の子のように可愛がってくれた。それなのに、あなたは何をしたんだ……私が死んだ後、どんな顔をして彼女に会えるというのか?心美が離婚を選んだことは、私は認めた
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