Masuk結婚式まであと五日。林詩織(はやし しおり)はパソコンで「結婚式のサプライズゲーム」を調べていた。そのとき、画面の右下に、LINEの新着通知が表示される。 【私、もうすぐ結婚するんだ。後悔してる?】 【綾香、今の俺はお金も地位も手に入れた。もう一度俺を見てくれ。 君さえ望めば、新婦なんて今からでも替えられる】 …… どのメッセージも、全部彼女の婚約者――瀬川湊(せがわ みなと)が送ったものだ。 しかも、その送り相手は他でもない。 彼女の義姉――林綾香(はやし あやか)。 たぶん湊は、まだ自分のLINEがノートパソコンでログインしっぱなしになっているのを知らなかったのだろう。 詩織は、そのやり取りを呆然と見つめている。 自分より七つ年上で、いつも自信に満ちて落ち着いた湊が、別の女性の前では、まるで子どもみたいに執着と未練をぶつけている。 画面いっぱいに並ぶ長文のメッセージは、婚約者が義姉に抱いてきた、報われない愛と苦しみのすべてを語っていた。
Lihat lebih banyakどうして――?詩織がまだ混乱から立ち直れずにいると、取り調べ室のドアが開いた。湊が弁護士と一緒に出てくる。目が合った瞬間、詩織は思わず眉をひそめる。「……湊、本当は何もしてないんでしょ。どうして嘘をついたの?」湊は自嘲するように笑う。「説明したって、君は信じたか?」昨日、詩織が一人で帰るのを心配した湊は、こっそり後をつけて駐車場まで来ていた。そこで彼女が男たちに襲われ、無理やりワゴン車に押し込まれるのを目撃した。すぐに警察へ通報し、そのまま車を追いかけて廃工場までたどり着いた。警察が到着するのを待っている余裕はなかった。詩織を守るため、湊は一人で倉庫に飛び込んだ。必死に犯人たちと格闘する中、腹をナイフで刺されてしまった。それでも警察が間一髪で駆けつけてくれたおかげで、なんとか最悪の事態は免れた。人目を避けるため、病院ではなく自宅の部屋で一晩中見守った。一切手は触れず、清潔なシャツを着せて眠らせた――ただ、それだけだった。けれど、その守るつもりだった行動が、詩織の目には「加担者」、「加害者」としか映らなかった。――そうか。結局、詩織にとって自分は、利益のためなら何でもする、彼女を傷つけることさえ厭わない、最低な男にしか映っていなかったのだ。「湊、私はバカじゃない。ちゃんと説明してくれていれば、こんなことにはならなかった。それに、わざと悠生を怒らせて、あなたに何の得があったの?」――得?きっと、自分でも分かっていた。彼女がもう自分を愛していないこと。でも、それを心のどこかで否定したくて、もし本当に最低なことをしたら、彼女がどう反応するのか、最後の最後まで試してみたかった。思えば、付き合い始めてからずっと、詩織は彼の言うことを素直に聞いてくれる子だった。そのことを、湊はいつの間にか当然のように思っていた。でも、詩織は本来、率直で自由な人間だ。決めたことは迷わず実行し、手放すときは潔く去っていく。もう、自分のことなど要らないのだ。本当に、何の未練もなく。湊は黙って詩織を見つめた。やがてゆっくりと歩み寄り、スーツのポケットから黒いUSBを差し出す。「綾香が君を拉致した証拠だ。どうするかは、君に任せる」それだけを言い残して、湊は一度も振り返ることなく部屋を後にした。呆然と立ち尽くす詩織。
二人の体格差で、詩織はどうしても身動きが取れなかった。彼女は睨みつけながら、息も荒く警告する。「悠生がすぐ外にいるから!」「待たせておけばいい」湊は耳元で囁き、熱い息がかかる。「それとも……彼をここに呼ぶか?自分の花嫁が今どんな姿か、見せてやれよ」その言葉に、詩織の心はついに音を立てて崩れた。もう抵抗する力すら湧いてこない。彼女は目を閉じ、睫毛が細かく震える。屈辱の涙がぽろりと頬を伝った。「湊……あなたは綾香さんを選んだんでしょ。もう誰も邪魔しない。それなのに、どうして私に執着するの?」その涙の冷たさが、一瞬だけ湊の心を突き刺す。彼は握っていた詩織の手首を少しだけ緩め、そっと額を寄せた。「俺も、ずっと綾香を愛してると思ってた。でも……君がいなくなって、やっと気づいたんだ。あれはただの執着だった。君じゃなきゃダメなんだ。……もう一度やり直せないか。あいつへの気持ちはきっと一時の気の迷いだ。俺から離れすぎて、自分の心を見失ってるだけだ。俺のもとに戻れば、きっとまた……」「無理!」詩織はしっかりと彼の目を見返した。「あなたが一番よく分かってるはず。私は今まで一度だってあなたを裏切らなかった。でも、裏切ったのはあなたと綾香さん。あの動画だって、あなたたちが仕組んだことでしょ?そこまでして私を追い詰めたいの?私を壊さなきゃ気が済まないの?」その言葉を聞いた湊は、ふっと力なく笑った。「……詩織、君の目には、俺はそんなに不様なのか?」その瞬間、ドアが勢いよく蹴り開けられた。悠生がほとんど飛び込むように部屋へ駆け寄り、左手で湊の襟元をがっちり掴み、そのまま拳を何度も思いきり叩き込んだ。肉にぶつかる鈍い音が響き、湊の口元から血がにじむ。悠生は湊のシャツを乱暴に掴み上げ、その目は氷の刃のように鋭く光っていた。「……もう一度でも彼女に手を出したら、今度こそ許さないからな」湊は唇についた血をぬぐい、口元に皮肉な笑みを浮かべた。「それがどうした?お前の前に、彼女は俺の女……」湊の言葉が終わるより早く、悠生の目に鋭い怒りが宿る。次の瞬間、思いきり湊の腹めがけて蹴りを叩き込んだ。湊は床に倒れ込み、痛みに体を丸めながら、額から冷や汗をにじませる。シャツの裾からは赤い血が滲んでいた。なおも悠生がさらに殴ろうとしたその時、
詩織は何が起きたのか分からないまま、強引に車へ引きずり込まれた。必死に抵抗するが、首筋に鈍い衝撃が走り、意識が遠のく直前、どこかで聞き覚えのある女の声が耳元に響く。「動画が撮れたら林家と篠崎家に送って。条件を飲まなかったら、そのままネットに流して。あの女にも、人生がめちゃくちゃになる味を教えてやりなさい……」その言葉が終わる前に、詩織の意識は完全に暗闇へ沈んでいった。再び目を覚ますと、全身がバラバラにされたみたいな痛みと重さが、四肢の隅々まで広がっていた。しばらくして、ようやくホテルの天井にぶら下がるシャンデリアがぼんやり見えてくる。がばっと起き上がろうとしたが、体が痛みに悲鳴を上げ、腰のあたりには何か重たいものが圧し掛かっている。硬直したまま横を見ると――そこには、眠っている湊の横顔が、こんなにも近くにあった。断片的な記憶が蘇る。暗闇の中で聞いた歪んだ男の声、無理やり引き裂かれるような恐怖、そして、綾香の冷たい声――「この女の一番みっともない姿を録画してやる」と、あざけるような響き。なのに、なぜ自分は湊のベッドの上にいるの?まさか、あの女に協力して動画を撮った男って――湊、あなたなの?――バカみたい。大企業の社長が、女のためにここまで身を持ち崩すなんて、滑稽としか言いようがない。胸の奥の、何か大切なものがパキッと音を立てて砕ける感覚。心の奥が凍りついたように、何も感じなかった。詩織は静かにベッドを降り、裸足のまま冷たい床に立ち、一枚ずつ、無造作に散らばった服を拾い集める。それは、まるで魂を抜かれた人形のような動作だった。ふと気づくと、湊が起きてベッドのヘッドボードに寄りかかり、じっとこちらを見つめている。詩織が最後の一枚を羽織るのを見届けてから、湊がゆっくりと口を開いた。「目が覚めたのか。昨夜は……」「湊」詩織は静かに、でもどこか冷たく言葉を遮った。かつては星のようにきらめいていたその瞳は光を失い、今はただの深い湖のような静けさしか残っていない。「私は、別に何も気にしない。でも……あなたたちを絶対に許さない。必ず、刑務所にぶち込んでやる」湊はその言葉にも動じる様子はなく、むしろうっすらと口元に皮肉な笑みさえ浮かべた。「おかしいな。昨夜はあんなに俺に夢中で服まで脱がせてた
詩織と湊が目を合わせた瞬間、彼女の口元の笑みが一瞬だけ凍りついた。真帆が驚いた顔で駆け寄ってくる。「湊さん。どうして……出張で戻れないんじゃなかったの?」「仕事が早く片付いたから、どうしても顔を見たくてさ。俺の親友の娘に会わないわけにいかないでしょ?」湊はごく自然に詩織が抱いていた赤ちゃんをあやす。その場の空気が、どこか重くねっとりとまとわりつく。詩織と湊の周囲には、さりげないけれど確かに多くの視線が集まっていた。二人の過去を知らなければ、今のこの光景は、まるで小説の男女主人公が現実に現れたみたいに、どこか絵になる組み合わせに見えただろう。けれど、湊が一歩近づいた瞬間、あのほのかなシダーウッドの香りがふわりと広がり、詩織の体は無意識にこわばる。そんな空気を察して、真帆が気を利かせて赤ちゃんを詩織の腕からそっと受け取り、「みんな、席につこう」と自然に声をかけてくれた。席に着いた詩織はほとんど何も食べられずにいた。それに気づいた大輔が「詩織ちゃん、ここの蟹、おいしいよ。食べてみて」と勧めてくる。返事をする前に、対面から湊の冷たい声が響いた。「彼女、海鮮アレルギーなんだ」詩織は反射的に顔を上げ、湊の静かな瞳と真っ直ぐに目が合った。分かったような顔で気を遣われるのが、今はどうしようもなく嫌だった。その優しさが、今はただただ気持ち悪かった。そんな重たい空気を変えようと、大輔が「あっ、そうだ!」と大げさに頭を叩いた。詩織はにこりと笑って「大丈夫、ちょっとくらいなら平気だよ」と言い、あえて蟹の身を自分の皿に取り分けた。湊が何か言いかけたその時、入口から聞き覚えのある女性の声が響く。「大輔、どうして赤ちゃんのお祝いの席に、呼んでくれなかったの?勝手に来ちゃったけど、よかったしら?」詩織は声のする方を振り向き、綾香と視線がぶつかった。久しぶりに会う綾香は、前よりずっとやつれていて、きっちりしたメイクでも隠しきれない疲れが滲んでいた。大輔は湊と詩織をちらりと気にしながら、ぎこちなくも「どうぞ、どうぞ」と綾香を席に招いた。綾香はためらいなく詩織の隣に座り、ごく自然な声で「詩織ちゃん……」と話しかけてくる。詩織はさっとグラスを持ち上げて立ち上がり、メイン席にいる真帆と赤ちゃんに向かって笑顔で言った。「真帆、赤ちゃん
悠生は個室のドアにもたれていた。どうやら、全部聞いていたらしい。詩織は思わず苦笑する。「やっぱり女性トイレのマークって『男は入るな』って意味ないのね。悠生みたいな人には」悠生は眉を上げて、低く笑った。その目には、どこかふざけた色気と、言葉にしきれない優しさが混ざっている。熱い視線に、詩織の耳がほんのり赤くなる。彼女は軽く咳払いして目をそらし、そのまま外へ歩き出す。悠生はすぐに追いかけてきて、後ろから詩織の手を取り、指をしっかり絡めて握った。トイレを出ると、「使用中止」の札がかかっている。詩織は悠生を見上げて、挑戦的に眉を上げる。――入ってこれるもんなら、やってみなさいよ?悠生はニヤリと笑い、耳元でささやく。「じゃあ今度は、個室の中で試してみる?」その瞬間、詩織の肘が悠生のみぞおちに命中。悠生はお腹を押さえ、わざとらしく苦しんだふりをする。「夫殺しはやめてよ。お前の幸せがここで終わっちゃうじゃん」詩織は呆れたように彼を横目で見て、黙ってレストランを出た。二人はそのままハネムーンを終えて帰国することに。悠生は絶対にまず両親へ挨拶をとこだわり、林家では佳乃と晴人も喜んで歓迎してくれた。誠一は、もともと湊のことを気に入っていた。湊は落ち着いていて仕事も真面目、それに比べて悠生は、せっかくのグループ経営を放り出して、なんだかレーシングクラブなんて道楽に夢中になっている。最初は、そんなふうに見えていたからだ。でも、二人が結婚したあと、誠一はこっそり悠生のクラブのことを調べさせていた。そしたら、なんと国の代表として何度も世界大会で優勝していて、国の名誉まで背負っていたと知り、「自分の見込み違いだった」と考え直すようになった。やがて誠一の心配も消え、最後に出した条件はただ一つだけ。「必ず、地元の北湖市で盛大に結婚式を挙げてほしい。林家の娘なんだから、きちんと皆に祝ってもらい、堂々と送り出したい」この申し出に、両家ともすぐに賛成した。詩織ももう止めきれず、成り行きに身を任せた。そんな折、大学時代の親友・真帆(まほ)から、ふっくらした赤ちゃんの写真とパーティーへ招待される。自分と湊がまだ交際しはじめた頃、気まずさを和らげようといつも真帆を食事に連れていっていたら、湊の友人が何度か混ざり、そこで大輔(
湊は一言も発せず、詩織にじりじりと近づいていく。その目には、もう隠しきれない激しい炎が宿っていた。思わず詩織は後ずさりし、背中がトイレの個室のドアにぶつかる。「出てって!」声を張り上げたものの、わずかに震えが混じっていた。湊は無言のまま、詩織の肩ごしに手を伸ばし、ドアのロックを下ろす。個室のドアが勢いよく開き、詩織はバランスを崩して後ろへ。その隙に湊が中に入り込み、背後からドアを「カチッ」とロックした。狭い空間の空気が、一気に熱を帯びる。湊の吐息に混じるタバコの香りが、詩織を包み込む。「もう観客はいない」低くしわがれた声が、耳元に熱く触れる。詩織は逃げようとするが、手首を湊に掴まれ、冷たいドアに押さえつけられる。力は強くないのに、不思議なほど逃げられなかった。「私たちのこと、そんなに見張ってて楽しいの?」詩織は顔をそむけて、湊の熱い視線を避ける。胸は怒りで大きく波打っていた。「楽しいさ」湊は鼻先を詩織の首筋に寄せ、そこに走る鼓動の速さを確かめる。「君たちが俺の前で芝居してるのを見るのが、最高に面白い」「演技なんかしてない!」詩織は冷たいドアに背中を押しつけたまま、湊を睨みつける。「ちゃんと籍も入れて、式も挙げて、今はハネムーン中よ。何か問題ある?まさか結婚まで、あなたに許可もらわなきゃいけないの?」「でも、君は彼を愛してない。こっちを見ろ、詩織」湊は命令口調で、もう一方の手を伸ばし、指先で詩織の唇を乱暴になぞった。そこはさっき悠生にキスされたばかりの場所だ。「教えてくれ。ここは……本当に、あいつにしか反応しないのか?」そのまま指先を胸元まで滑らせ、まるで彼女を独占するように触れる。詩織の体がびくっと震え、怒りに声を荒げる。「やめてよ!ストーカー、最低!」詩織は反射的に膝を上げようとしたが、湊がすぐに脚で押さえ込み、二人の体がさらに密着する。もう、逃げ場なんてなかった。「そうさ、俺は最低だ」湊はあっさりと認め、その目で詩織を逃さないようにじっと見つめる。まるで心まで射抜かれるような視線だった。「君たちのそばに張りついてるのは、あいつを困らせたいからじゃない。君の心が、まだ誰のものか……忘れさせないためだ」湊は額を詩織の額に寄せ、互いの呼吸がまじわるほど距離を詰める。「この一週間、ずっと
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