僕は史実と物語が交差するときのワクワク感に弱いタイプで、だからこそ
李信の扱われ方にいつも目を凝らしてしまう。まず押さえるべきは、史料そのものが限られていて断片的だという点だ。古代中国を伝える主要な史料、たとえば'史記'には李信の戦功が記されているものの、詳しい心理描写や日常のやり取り、若き日の成長譚といった要素までは残されていない。だから漫画家が空白を埋める形でキャラクター性を強化するのはごく自然な創作行為だと感じる。
具体的に言うと、'キングダム'では李信は感情豊かで瞬発力と根性を兼ね備えた主人公として描かれている一方、史料では主に戦術や軍の布陣、戦果といった「結果」が中心に記録される。戦場での単独活躍や劇的な一騎打ち、仲間との長い友情譚は創作上の誇張だ。さらに、時間軸の圧縮や複数の出来事を一つの戦いに集約することも頻繁に行われるので、物語内の因果関係や成長速度は史実とは別物として受け取るべきだ。
最後に、史実とフィクションを両方楽しむ方法を提案したい。物語としての'キングダム'をまず純粋に楽しみつつ、興味が湧いたら'史記'の記述や現代の戦国時代研究に目を通してみると解像度が上がる。どちらか一方を“正しい”と決めつけず、創作の意図と史料の限界を理解したうえで両者を行き来することで、李信という人物像がより豊かに見えてくるはずだ。