考えてみると、原作での描写が細やかなほどアニメでの“見え方”は変わってくる。僕は原作のページをめくるたびに、
マリヤの内面の揺らぎや小さな矛盾を拾い上げるのが好きだった。原作では思考のモノローグや余白に描かれる表情の変化が多く、慎重で内向的な面、理屈をこねるクセ、他者に対する警戒心が丁寧に積み重ねられているように感じられる。それが彼女の“強さ”と“脆さ”を同時に伝えているのだ。
対照的にアニメでは動き、声、音楽が加わることで性格がより外向きに出やすくなる印象がある。アニメーションのテンポ上、原作で長く描かれていた迷いの瞬間は短縮され、決断や反応が視聴者に分かりやすく変換される。声優の演技で柔らかさや鋭さが強調され、原作でぼんやりしていた部分に色がつくことも多い。個人的には原作の“解釈の余地”がアニメ化で一度リセットされ、別の魅力を得たと受け取っている。
結局、どちらが好きかは求めるもの次第だ。原作の繊細な心理描写を楽しみたいときはページに戻るし、アニメで感情の振幅を直感的に味わいたいときは映像に身を預ける。マリヤの核心は両方の表現を行き来することでより豊かに感じられると、今でも思っている。