描写における嫌悪は、読者の身体感覚に直接触れることができる稀有な表現手段だ。
僕は細部にこだわることで、単なる“不快”を“ぞっとする嫌悪”へと高められると考えている。具体的には五感のうちひとつか二つに焦点を絞り、触感や匂い、音の質感を丁寧に重ねる。たとえば皮膚のざらつき、腐敗の甘さ、あるいはぎこちない咀嚼音といった具合に、読者が思わず身体を引くような描写を小刻みに差し込むことで効果が生まれる。過剰に説明しすぎると冷めるので、節度ある省略と余白も重要だ。
視点の取り方も大事だ。内面の吐露を通して嫌悪を提示すると共感が生まれる一方、距離を取った客観描写で突き放すと冷徹な嫌悪を作れる。作品例として、肉体的な変容や蟲的な侵食を通して読者の身体反応を引き出す手法は、漫画の'寄生獣'に学ぶところが多い。また、社会的・倫理的嫌悪を扱うなら、表面的な行動よりも日常の光景ににじむ異臭を描くことで、より深い嫌悪感を与えられる。'アメリカン・サイコ'のように正常さの皮膜が剝がれる瞬間に現れる嫌悪は、説明よりも場面の積み重ねで強まる。
結局のところ、効果的な嫌悪表現は言葉の選び方とリズム、そして読者をどこに立たせるかの設計だ。僕はいつも、過度に
露悪的にならずに読者の身体をほんの少し震わせる一節を狙っている。