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目に見えるシーンがなければ、単純にそうとは言い切れない。私の判断基準は“テキスト内での手がかりの量”だ。
具体例として、'ダークタワー'のように世界が重層的に描かれている作品では、登場人物が異なる現実へ移動する描写自体が物語の構造になっている。だから最終章で別世界へ行くかどうかは、むしろその移動が作品のテーマや象徴とどう結びつくかで評価する。自分は手がかりが不十分ならあえて一つの解釈に決めず、複数の読み方を楽しむ派だ。
語り口が説明的か詩的かで、終章の受け取り方は大きく変わる。個人的には、作者が明示的にゲートや地理的転移を書いていれば“別世界行き”は確定に近いと考える。
'シュタインズ・ゲート'のように時間や
世界線を物語の核にした作品では、終盤の設定が論理的整合性を持つかが判断の鍵になる。私が注目するのは、登場人物の言動がその移動を前提にして一貫しているか、終章で提示された出来事が物語全体のルールと齟齬をきたしていないかという点だ。補完メディア(外伝や作者の発言)で設定が拡張される場合もあるから、それらを合わせて読むことで作者の意図がより明確になると感じている。
結末の書き方に巧妙な選択が見える。作品によっては作者が意図的に曖昧さを残していることが多いから、単純に“はい”か“いいえ”で片づけられない場面がある。
私の感覚では、'千と千尋の神隠し'の終わり方のように、この世と異界を行き来するモチーフを使っていても、具体的な移動手段やメカニズムが示されない場合、作者は物語の余韻や象徴性を重視している。つまり「別の世界へ行った」と読むこともできるし、「成長や再生の比喩」と見ることもできる。だから、作者の明確なコメントや一次資料がないときは、作品のテーマや語り口を手がかりに解釈するのが現実的だと考えている。
終盤の描写を読み返すと、作者が登場人物を別世界へ送る意図を持っていたかどうかは、テキストの書き方と補助資料でかなり変わると感じる。
私が注目するのは、描写が明示的か暗示的かという点だ。たとえば、'転生したらスライムだった件'のように世界移動が物語上の主要仕掛けであれば、最終章で門や転移の儀式、明確な座標のような描写がある。そんな描写があれば作者の意思は比較的明確だ。
逆に、主人公の意識変化や象徴的な断絶で終わる場合は、別世界への旅を文字通りに受け取るかどうかは読者に委ねられていることが多い。作者インタビューや外伝、訳者の注釈も参照すると判断しやすい。自分はいつも本文と周辺資料を両方見て結論づけるようにしている。
物語の余韻を重視する立場からは、終章での“移動”は文字通りの移送以上の意味を持つことが多いと受け止めている。個人的にそう感じた例は、'ロード・オブ・ザ・リング'のラストだ。
表面的には主人公が“別の土地”へ向かう描写があるけれど、それは単なる地理的移動以上に、傷の癒えや時代の交替といったテーマを象徴している。作者が明確に「別世界へ行かせた」と断言していない場合、読者としては物語の寓意性やキャラクターの精神的変化を手掛かりに解釈するのが自然だと思う。個人的には、そうした余白こそが読後感を豊かにすると感じている。