映画の画面が一瞬にしてざわめき、制御を失っていく様子にはいつも心をつかまれる。カメラワークだけでパニックの“伝染”を見せる方法は複数あるけれど、とくに強烈なのは視点の流動性とリズムの変化だ。手持ちカメラの揺れが意識を乱し、被写体の切り替えが早くなるほど観客の心拍は上がっていく。その揺らぎに細かいクローズアップや反応ショットが混ざると、恐怖が個人から集団へと瞬時に広がる感覚が生まれる。
空間を一気に見渡させるオーバーヘッドやクレーンショットは、群衆の広がりと同時に混乱の規模を示すのに有効だ。逆に長回しで群衆を追いかけるトラッキングは、逃げ場のなさや連鎖反応の遅延を見せて、じわじわと増す不安を表現することができる。例えば'ワールド・ウォーZ'のあるシーンでは、カメラが群衆の流れに寄り添ったまま移動し、次々と現れる危機を切れ目なく見せることで、パニックが一方向に“伝播”する様を映し出していた。
また、画面のフレーミングや角度の狂いも効果的だ。ダッチアングルや意図的な乱れたフォーカス(ラックフォーカスの乱用)は、精神状態の不安定さを視覚化する。急速なズームやウィップパンで視線を強制的に移動させ、カットのテンポを短くする編集は、群衆のなかで情報処理が追いつかない焦燥感を作る。さらに音響との掛け合わせ――遠くから近づく叫び、断続的なノイズ、沈黙の瞬間――があれば、画面の乱れがよりリアルに「伝染」していく。こうした要素を組み合わせると、単純な恐怖ではなく“パニックが
蔓延る瞬間”そのものを映画的に体験させることができると私は感じている。例として古典的な使い方を見るなら、'ジョーズ'のショットの切り替えと不在の描写が、観客に飛び火する恐怖を与える点も参考になる。