戦国大名の私生活を調べるのは本当に難しい作業です。朝倉義景の場合、正室が
公家の娘だったことは分かっていますが、具体的な交流の様子までは史料がほとんど残っていません。ただ、一乗谷の遺跡から出土した女性用の調度品から、かなり文化的な生活を送っていたことが推測されます。
家族構成で特筆すべきは、義景の母・光徳院の存在です。彼女はかなり強権的な人物で、息子の政治にまで口を出していたという記録があります。『朝倉孝景条々』にもその影響力が
窺える記述があり、戦国時代の母の力という視点で見ると非常に興味深いケースです。
現代の感覚からすると、当時の家族関係は政治的工具としての側面が強く、純粋な家族愛を見出すのは難しいかもしれません。