史料を紐解くと、宣教師や幕府に近い記録とはまた違った視点が見えてくる。まず『信長公記』は、
松永久秀が信貴山で籠城した末に自ら命を絶ったと記しており、その経緯を軍事的な文脈で簡潔に扱っている。繰り返されるのは、「討ち取られる前に自害した」という点で、領主の面目を保つための行動として描写されていることが多い。戦闘の流れ、味方の損耗、織田方の包囲術などが記録の骨子だ。
個人的には、この記述は現場の即時性を重視する一方で、勝者側の視点が強いことに注意している。『信長公記』を書いた側は織田側の功績を誇張したがるため、「自刃」のモティーフが彼の最期を秩序立てて説明する便利な枠組みになっているように感じる。史料を単純に鵜呑みにせず、他の年代記と突き合わせる価値が高いと考えている。