たとえば「君と見た空」のような一節を訳すとき、直訳の“You and I watched the sky”は行為の主体を明確にする。だが原文では誰が主体なのか曖昧な余地が残り、その余白が聴き手の記憶を呼び起こす効果を生んでいる。英語ではそれを“the sky we once watched”のようにして曖昧さを残す手はあるが、語順や冠詞の処理でニュアンスが微妙に動く。
具体的には「〜てた」を“I was doing”にするか“I did”にするかで、出来事の持続感やそのときの心象が変わる。さらに「ただ」という語の取り扱いも難しく、単純に“just”で訳すと冷たく響くことがあるからだ。訳して歌わせてみると、同じ意味に見えても英語の語感が別の感情を持たせてしまう瞬間があって、僕は訳語選びに神経質になってしまう。