映像や写真をスクロールしていると、死のイメージが手近なメタファーに変換されていると感じることがある。個人的には、サルバドール・ダリの'The Persistence of Memory'を思い出すと、現代のメメントモリは時間感覚と結びついた心理的なものにシフトしていると受け取る。歪んだ時計は時間の可塑性と不安を示し、私の中では“いつか消える”という感覚が日常的な焦燥に変わる。
例えばダミアン・ハーストの' The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living'は、死の象徴を巨大なサメという物体で示し、観客の視線を資本や所有の問題へも誘導した。死は個人的な喪失であると同時に、展示の目玉やコレクション価値として再編成される。
歪んだ時間を描いた古い絵画に惹かれるたび、あたしはメメントモリの意味が“象徴”から“心象”へと移ってきたと思う。サルバドール・ダリの' The Persistence of Memory'は、直接的に死を描かなくても、時間の不安定さや崩落する秩序を通じて有限性を暗示する。そういう示し方が現代ではさらに拡張されている。