神通力というのは、仏教やヒンドゥー教の伝統的な概念で、修行によって得られる特殊な能力のことを指すんだ。『西遊記』の孫悟空が使う七十二変化や
筋斗雲なんかがまさにそれで、悟りを開く過程で自然に身につくものとされている。対して超能力は、SFや現代のエンタメ作品でよく描かれる、生まれつきの遺伝子変異や科学実験の副作用などで獲得するESPやテレキネシスをイメージすると分かりやすい。
例えば『とある魔術の禁書目録』のサイキック能力と『聖☆おにいさん』の仏陀の神通力を比べると、前者が科学的説明を試みるのに対し、後者は修行の成果として描かれる違いが明確。この根源的な違いが、神通力が「精神性の証」とされるのに対し、超能力は「特殊な才能」として扱われる理由なんだよね。
興味深いのは、『ナルト』の仙術と『X-MEN』のミュータント能力の比較。どちらも常人を超える力ながら、前者が自然エネルギーを操る修行体系なのに対し、後者は遺伝子レベルの突然変異という設定。この差が両者の物語上の扱いの違いを生んでいて、作品の世界観を深く考える材料になる。