LOGIN結婚して五年目、西園柚葉(にしぞの ゆずは)は、四年間育ててきた息子の蒼真(そうま)が自分の実の子ではないことを、ようやく知った。 病院の医師のオフィスの外で、柚葉は偶然、夫の西園直樹(にしぞの なおき)と主治医の話を耳にした。 「西園さん、お子さんは特殊な血液型ですから、できれば早めに実のお母様を病院にお呼びください」 直樹は苦しげに眉間を押さえ、「分かった。できるだけ早く手配する」と答えた。 その瞬間、頭の中で「キーン」と耳鳴りがして、まるで雷に打たれたみたいに思考が真っ白になった。 実の母親?私こそが蒼真の母親のはずなのに―― 柚葉は扉の外にしばらく立ち尽くしたまま、ふたりの会話の意味を必死に繋ぎ合わせた。 あの「一生お前を愛して守る」と誓った男は、結婚前から裏切っていたのだ。しかも、彼女の子どもをすり替えていた――
View Moreそんなことを思いながら、直樹は顔を上げ、切実な思いを込めて柚葉を見つめた。「柚葉、安心してくれ。お前と晴斗の仇は、必ず俺が取る。綾乃が見つかり次第、必ず報いを受けさせるから!」その言葉を聞いた柚葉は、呆れたようにため息をついた。まさかこんな時まで、直樹がまだすべてを綾乃のせいにしようとするなんて――柚葉はふっと微笑み、ゆっくりと立ち上がると、直樹の目の前に歩み寄り、思いきり頬を叩いた。「直樹、あなたは自分のやったことに責任も取れないの?自分の罪を全部綾乃さんに押しつけて、それでも男なの?」直樹は突然の平手打ちに呆然とし、苦しげな顔で柚葉を見た。「柚葉、どういう意味だ?俺がそんな人間だとでも思ってるのか?」「違うわよ」柚葉は顔を上げ、怒りに満ちた目で直樹を睨みつけた。「あなたはそんなもんじゃない。もっと最低よ!たとえ綾乃さんのことを全部知らなかったとしても、彼女を家に引き入れたのはあなただった。私がいたのに、彼女を呼び寄せて、家族をめちゃくちゃにした。全部、あなたのせいよ!これだけのことを引き起こしたのは、あなたなんだよ!それでもまだ言い訳するつもり?」その言葉に、直樹はその場で呆然と固まっていた。直樹は顔を覆っていた手をゆっくりと下ろし、次の瞬間、自分の頬を思いきり叩いた。柚葉は冷たい目で彼を見やり、離婚協議書を机の上に叩きつけるように置いた。「早くサインして。明日取りに来るから」柚葉が背中を向けて去っていくのを、直樹はただ呆然と見送ることしかできなかった。天井を見上げたとき、ようやく彼女の言葉が胸に突き刺さった。そうだ。すべてを壊したのは、間違いなく自分自身だったんだ。自分の足がなくなったのは、自業自得だ――直樹は涙を拭い、秘書を呼ぼうとしたとき、電話が鳴った。「もしもし、西園直樹さんでしょうか?加害者を逮捕しましたので、警察署に来ていただき、ご協力をお願いします」電話を切った直樹は、どこかホッとしたような笑みを浮かべ、秘書を呼び、翌日の帰国便を手配させた。出発前夜、彼は離婚協議書にサインし、病院の受付に「必ず柚葉に渡してほしい」と託した。帰国したのは深夜だったが、直樹はそのまま休まず警察署へと向かった。担当刑事が迎えに来て、事情を説明する。話によれば綾乃が捕まったとき、彼女は街中で物
柚葉は唇を震わせ、涙が頬を伝った。「こんなときまで、まだ私に嘘をつくつもり?」「晴斗を児童養護施設にやったのがあなたじゃないなら、私だって言うの?」その声は、今にも崩れ落ちそうなほどに震えていた。「わかってる?晴斗がどれだけ辛い思いをしてきたか、どれだけ傷つけられてきたか……あの子、汚いものまで無理やり口に入れられてたのよ!それなのに、あなたは自分の隠し子を家に連れてきては可愛がり、愛人には好き勝手させて、妻の私には屈辱ばかり味あわせて、あなたなんて、人間じゃない!」その言葉を聞いた瞬間、直樹はやっとすべてを理解し始めた。そういえば、綾乃に「晴斗に会いに行きたい」と言うたびに、彼女はいつも理由をつけてごまかしていた。ここ数年、直樹は何度もまとまった金を渡して、「宮坂市にいる晴斗に渡してくれ」と頼んできたのに、綾乃はそのたびにはっきりした返事をしなかった。今になってやっと分かった。晴斗はずっと東都の児童養護施設に閉じ込められていた。しかも、それは綾乃が自分を思い通りに操るためだったのだ。「綾乃……お前、よくもこんなに長い間、俺を騙してきたな……!」直樹は拳を握りしめ、怒りで体が震えた。それを見て、柚葉は冷たく鼻で笑い、直樹を見下ろすように言った。「綾乃さんも最低だけど、一番最低なのはあなたよ。晴斗を手放してから四年間、一度も様子を見に行かず、全部綾乃さんに任せた。でも、あの子は綾乃の子じゃない。あんな女が、晴斗を大事にするわけがないでしょ?なのに、今さら『全部綾乃のせいだ』なんて言い訳されても、誰が信じると思ってるの?」直樹は虚ろな目で柚葉を見つめ、何か言いかけたが、柚葉がそれをさえぎった。「……私がバカだった。あなたなんかを好きになったのが、そもそもの間違いだった。愛人の子どもを家に連れてきて、毎年綾乃さんに会わせて、親子の絆を育てようとして……それはまだ理解できる。でも、どうして離婚してくれないの?私たちの間には、もう何も残っていないのに。私の人生を返してよ」直樹は動揺し、声を震わせながら言った。「違う、違うんだ!俺はお前を、お前だけを、本当に愛しているんだ!」直樹の目には必死さがにじんでいて、その顔だけを見れば、柚葉も一瞬信じてしまいそうになる。でも柚葉には分かってる。この人は誰も愛して
直樹はスイスの病院でさらに半月を過ごしていた。長期間ベッドに寝たきりだったせいで、背中の傷は化膿し、高熱が三日も続き、危うく命を落としかけた。ベッド脇では秘書が眉間にしわを寄せ、心配そうに見守っている。「社長、スイスじゃ知り合いもいませんし、名医も探せません。このままじゃ危ないです。少しでも体調が戻ったら、すぐ帰国しましょう……」直樹はベッドに横たわったまま、病と痛みによってすっかりやつれきっていた。彼は天井をぼんやりと見つめたまま、ようやく力を振り絞って口を開く。「俺は帰れない。柚葉がまだここにいる……だから、帰れないんだ」その言葉に、秘書はため息をついて肩を落とすことしかできなかった。――そのとき、病室のドアが突然開き、無表情な柚葉が入ってきた。彼女の姿を見た瞬間、直樹の目にぱっと光が宿る。かすかに手を動かして、秘書に上体を起こすよう合図する。「柚葉、来てくれたんだね……もしかして、俺のことが心配で、わざわざ見舞いに?」柚葉はわずかに口元を歪めてから、直樹の秘書の方を向く。「外してもらえる?彼と、二人で話したいの」秘書は一瞬戸惑ったものの、結局は黙って部屋を出ていった。直樹は呆然と柚葉を見つめ、その目には久しぶりに優しさがにじんだ。「柚葉……やっと会いに来てくれたんだな。すごく嬉しいよ」柚葉は唇を引き結び、何も言わずにバッグから一枚の書類を取り出し、直樹の目の前に置く。「国内の離婚協議書にはサインしてくれなかったから、昨日もう一度弁護士に新しいものを作ってもらった。今度こそ、ここでサインして」直樹の全身の血が一瞬で凍りつく。まさか、柚葉が自分を心配して来たのではなく、「離婚協議書にサインさせるためだけ」に来たなんて――彼は苦しげに柚葉を見つめ、信じられない思いで言った。「そんなに俺と離婚したいのか?わざわざ病院まで追いかけてきてまで?分かってるのか?俺はお前と晴斗を追いかけて、そのせいで両足を失ったんだぞ。それなのに、今ここで離婚を切り出すなんて……お前、本当に今までの俺の気持ちを、全部踏みにじるつもりなのか?」柚葉はじっと直樹を見つめ、その表情にはどこか皮肉めいた色が浮かんでいた。分からない。だって、全部自分で選んだことでしょう?自分と晴斗を追いかけてきたのも、トラックに突っ込
晴斗は真剣な眼差しで柚葉を見つめ、しばらく黙ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。「ママ、僕はパパなんていらない。僕にはパパがいなくても平気。ほかのお友だちはみんなパパとママがいるけど、僕にはママがいればそれで十分だよ。僕にはパパなんて必要ない」その言葉のひとつひとつがあまりにまっすぐで、柚葉の胸にまたズキンと痛みが走った。この可哀想な子は、生まれたばかりの頃に児童養護施設に預けられ、たったひとりで苦労しながら四歳まで生きてきて、やっとの思いで母親である自分と再会できたのに――なのに今、またこの男が現れて、二人の平穏な暮らしをかき乱そうとするなんて。そう思った瞬間、柚葉の目には怒りがみなぎっていた。彼女は顔を上げ、歯を食いしばるようにして直樹を睨みつけた。「聞いたでしょう、晴斗はパパなんていらないって。私も夫なんて必要ない。私には自分の力でこの子を育てる覚悟があるから、あなたの世話にはならない!」そう言い放つと、直樹が何か言い出すよりも早く、柚葉は晴斗を抱き上げて道路を渡った。直樹は呆然と立ち尽くしたが、すぐに我に返って足を踏み出す。だがその瞬間、横から猛スピードで走ってきたトラックが、真正面から直樹にぶつかった。耳をつんざくようなブレーキ音が鳴り響き、タイヤがアスファルトを焦がす匂いがあたりに立ち込める。直樹は、自分の身体がものすごい力で宙に投げ出されるのを感じた。目を開ける暇もなく、地面に激しく叩きつけられる。全身に押し寄せる激痛とともに、意識がどんどん遠のいていく。最後に見たのは、柚葉が慌てて自分の方へ駆け寄ってくる姿だった。彼女は泣きながら直樹を抱き起こし、必死に揺さぶった。「直樹、しっかりして!死なないでよ、まだ離婚協議書にサインしてもらってないんだから。私、あなたと地獄の底でまで縁が切れないなんて絶対にイヤだから!」直樹は力なく口元を引きつらせ、目の焦点がどんどんぼやけていく。まさか、自分が死ぬ間際に聞く最後の言葉が「離婚の話」だなんて……再び目を開けたとき、鼻をつく消毒液の匂いに思わず激しく咳き込んだ。その瞬間、横で看病していた秘書があわてて駆け寄ってきた。「社長、目が覚めたんですね!気分はどうですか?」直樹は頭を振り、少しでも意識をはっきりさせようとした。ベッドに横たわったまましばら