頭の片隅に残るのは
霧雨が画面をぼやかす瞬間で、その匂いや冷たさまで思い出すことがある。物語の中で霧雨は単なる天候以上のものを伝えてくる。私は登場人物の輪郭が霞むたびに、彼らが過去と現在の境界を歩いているのを感じる。例えば『もののけ姫』のような森の描写を思い出すと、霧は森の意志と人間側の曖昧な関係を符号化しているように見える。そこでは見えるものと見えないものの境界が薄れ、選択の重さが増していく。
また、霧雨は浄化と記憶の再構成を同時に示すこともある。濡れることで汚れが洗い流されるイメージと、視界が遮られることで細部が忘れられるイメージが交差して、登場人物が新しい自分と旧い自分の間で揺れる描写になる。私が作品を繰り返し観たり読むと、霧雨の場面はいつも転換点であり、読み手の感情をそっと変換する装置に思える。
結末に向かう前の薄いヴェールとしての霧雨は、希望と不安を同時に抱えさせる。そういう意味で、物語の象徴として私は霧雨を非常に好きだし、欠かせない要素だと思っている。