5 Jawaban
歴史の授業ではあまり触れられないが、高杉晋作が下関で外国船を砲撃した際、坂本龍馬はその報を聞いて驚愕したというエピソードがある。龍馬は開国派だったからだ。しかし面白いことに、その後両者は間接的に協力関係を築いていく。
龍馬が仲介した薩長同盟の背景には、高杉が率いる長州藩の存在が大きかった。また高杉も、龍馬が提案した船の共同運用案に興味を示していた記録が残っている。激しい個性を持ちながら、時代の要請に応じて必要な協力はする――そんな幕末志士らしい関係性が浮かび上がってくる。
幕末の志士たちの中でも、高杉晋作と坂本龍馬の関係は特に興味深い。両者は思想的には必ずしも一致していなかったが、互いの才能を認め合っていた節がある。高杉が長州藩の急進派として活動していた頃、龍馬は薩長同盟の斡旋などで動いていた。
面白いのは、両者が直接対峙した記録がほとんど残っていない点だ。しかし、龍馬が設立した海援隊には元奇兵隊の成員が参加していたり、高杉が龍馬のアイデアを評価していたという逸話がある。彼らの関係は、同じ時代を駆け抜けた者同士の、複雑な共鳴関係だったのかもしれない。資料を漁ると、そこには敵対よりも相互リスペクトの方が強く感じられる。
龍馬が暗殺される直前、高杉も病床にあった。この時期の二人の行動を追うと、不思議な縁を感じざるを得ない。高杉は龍馬の死をどう受け止めたのか。史料には明確な記述がないが、おそらく複雑な思いを抱いたに違いない。
ともに30代前半でこの世を去った二人だが、その短い生涯で成し遂げたことはあまりにも大きい。互いをライバル視するより、同じ目標に向かう同志として見ていた節が、残された手紙などからもうかがえる。
龍馬と高杉の接点を探ると、時代の転換点における人間模様が見えてくる。龍馬が柔軟な発想で諸藩をまとめ上げようとしたのに対し、高杉はもっと過激な手段も辞さないタイプ。思想の違いはあれど、どちらも既成概念に縛られない自由な発想の持ち主だった。
ある史料では、高杉が龍馬のことを『面白い男』と評していたという。また龍馬の方も、高杉の組織した奇兵隊の戦術を高く評価していたようだ。直接の共闘は少なかったものの、互いの活動を意識しつつ、それぞれの方法で日本を変えようとしていた。そんな二人の距離感が、かえって当時の複雑な政治状況を象徴している気がする。
高杉の奇兵隊と龍馬の海援隊――どちらも既存の枠組みを超えた画期的な組織だった。この類似点から、二人の思想の共通部分が見えてくる。高杉が武士以外の者も戦力として認めたように、龍馬も身分制度に縛られない人材登用を実践していた。
直接の交流は限られていたものの、彼らが切り開いた新しい組織の形は、後の日本に大きな影響を与えた。幕末の変革期において、二人は異なるアプローチで同じ方向を目指していたのだろう。