翌朝の朝食は、晴樹が用意していた。
彼は葉月の反応を細かくうかがっている。
「葉月、君のいない夜は本当に辛かった。でも、あと十三日我慢すれば、ようやく君を迎えに行けるんだ」
「そうね、あと十三日」
葉月の目には、曇った光が浮かんでいた。
「晴樹、餃子を取って」
彼が餃子を箸でつまんだ瞬間、寧音が彼の手元に顔を寄せ、そのまま食べた。
晴樹はすぐに葉月の方を見た。
「気にしないで。寧音はいつもこんな感じだから」
昔の晴樹なら、異性との距離感には特に気をつけていた。少しでも葉月を不快にさせないよう、細やかに配慮していた。
でも今、その距離感は寧音には当てはまらないらしい。
「気にしてないわ」葉月は顔も上げずにそう返した。
その返事に、晴樹は一瞬言葉を失った。「葉月、君……」
「ねえ葉月、晴樹の昔の姿、知ってる?」
寧音が話に割って入り、挑発的な視線を向けてきた。
「彼、昔は本当に鈍くてさ。でも私の言うことだけはちゃんと聞いてくれたの。私が好きな料理を覚えて作ってくれたり、生理の日もちゃんと覚えてて、毎月サプライズをくれたり……」
葉月は黙ってその話を聞いて、喉が締めつけられるような感じがした。
彼女ははっきりと告げられていた。
晴樹の優しさは全て、寧音を深く愛していた証だと。
「寧音、ふざけすぎだよ」
晴樹の言葉は、本気の制止ではなく、甘やかしに近かった。
葉月は、すっかり食欲を失った。
彼女は立ち上がって部屋に戻り、書類を手に取った。
出てきたとき、晴樹の手には彼女のスマホがあった。
「さっき人事から電話が来てた。引き継ぎ資料、いつ渡すか聞かれてたよ。
葉月、結婚休暇もう取ったんじゃなかった?まだ仕事があるの?」
結婚式の準備のため、葉月はすでに有休をすべて使い切り、約一ヶ月の休みを確保していた。
「ちょっと抜けてた分があって、それだけ処理しに行くの」
晴樹は特に疑うこともなく、「外は雨だから、俺も一緒に行くよ」と言った。
葉月は書類を抱きしめるように持った。その中には、ビザ資料も挟んである。
彼に知られても構わない。最初から、彼女は隠すつもりはなかったのだから。
車の中は、妙に静かだった。
会社のビルに着いたとき、晴樹は傘を差して葉月と一緒に会社へ向かった。
彼はスマホをいじりながら歩いていた。明らかに、彼の意識は別のところにあった。
けれど、その手に持つ傘は、いつものように大きく彼女側に傾けられていた。彼女が濡れないように、完璧な角度で守っている。
こういう優しさも、演技でできるんだ。
葉月は冷ややかな目で彼を見つめた。
晴樹、もう少しだよ。
もう少しで、この茶番劇も終わり。
そのとき、人事担当がビルの入口から出てきた。
「八木さん、海外赴任のビザ……」