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結婚式の前に、彼は別の女に誓った

結婚式の前に、彼は別の女に誓った

Par:  毒リンゴComplété
Langue: Japanese
goodnovel4goodnovel
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結婚式の前夜。 彼氏は初恋の人にメッセージを送っていた。 【俺が本当に結婚したいのは、ずっと君だけだ】 式はもう目前。 私は、彼がせわしなく準備する姿を見ていた。すべて初恋の人の好みに合わせた結婚式。 私は何も言わなかった。 だって、私は結婚式も、彼もいらない。

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Chapitre 1

第1話

「こんにちは、再度海外派遣の枠に応募したいのですが」

電話の向こうで人事担当が少し驚いた様子だった。

「結婚のために前回は断りましたよね?今回の派遣は最低でも三年だよ。あんなにあなたを愛してる婚約者が、同意しました?」

「彼は、きっと同意してくれると思います」

八木葉月(やぎ はづき)の返事はきっぱりとしていたが、その声にはどこか苦しさが滲んでいた。

杉浦晴樹(すぎうら はるき)が彼女を愛していることは、誰もが知っている事実だった。

彼女は胃が弱いからと、彼は毎日違うメニューで三食を作ってくれた。

雨の日も風の日も、時間通りに車で迎えに来てくれる。

たとえ軽い風邪でも、彼は24時間そばを離れようとしなかった。

記念日やイベントのたびに、彼は欠かさずサプライズを用意してくれる。

だからこそ、晴樹の初恋である三宅寧音(みやけ ねね)が帰国すると聞いたときも、葉月は一切不安を感じなかった。

でも彼女は間違えた。

寧音が帰国したその日、晴樹は葉月に公開プロポーズをした。

彼女は嬉しさのあまり涙を流した。けれどその夜、彼女の元に匿名メッセージが届いた。

添付されていたのは、晴樹のチャット画面のスクリーンショットだった。

【葉月は五年間もそばにいてくれた。だから、彼女と結婚しないわけにはいかない】

【寧音、本当に結婚したいのは、ずっと君だけなんだ】

そのメッセージを見た瞬間、葉月の体中の血が一気に凍った気がした。

証拠を持って彼に問いただそうとした。

でも、できなかった。

もしこの五年間すべてが嘘だったとしたら?自分がただの代用品だったとしたら?それを確かめるのが、怖かった。

その後の半月、晴樹の態度は何一つ変わらなかった。

葉月は変わらぬ優しさに、あのメッセージは誰かの悪ふざけだったのかもしれないとさえ思い始めた。

けれど、たった今。

新たな写真が何枚か届いた。

写真には、満面の笑みを浮かべて寧音のウェディングドレス選びに付き添う晴樹の姿があった。

しかも今日、晴樹が葉月に選んだドレスは、寧音が一番似合っていたあの一着だった。

「どうしたの、葉月?」

溢れそうな思考が現実に引き戻される。葉月は運転席の晴樹を見た。

「目が赤いよ?そのドレス、気に入らなかった?じゃあ車を戻すよ、他のをもう一度試して」

「いいの」

車が路肩に停まった。晴樹は不安げに彼女の顔を覗き込む。

「何か俺が悪いことした?言ってくれたら直すから。君が泣くのを見るのが一番辛いんだよ」

心臓が見えない大きな手に締めつけられたようで、葉月は言葉が出なかった。

偽善者。

本当に結婚したい相手は別にいるくせに、どうしてこんなにも優しいフリができるのか。

その瞬間、一本の電話が入り、晴樹の表情が急変した。

「泣かないで、すぐ行くから。

葉月、自分で帰れる?寧音にちょっとトラブルがあって、急いで行かなきゃ」

葉月は静かにドアを開けた。雨が降っていた。

振り返って傘を取ろうとした瞬間、勢いよく発進した車に泥を跳ねかけられた。

彼女は茫然とその車を見送る。ふと、口に出せなかった言葉の数々が急に空しく感じた。

問い詰めても、惨めになるだけだ。

葉月は雨の中をひとり、家まで歩いて帰った。

家に入ると同時に、人事からのメッセージが届いた。

【航空券、手配しました。準備お願いします】

出発は半月後。その日は、晴樹との交際記念日であり、結婚式を挙げる予定だった日でもある。

葉月はテーブルの上に置かれたウェディングカウントダウンカレンダーを手に取った。

一番上には、自分の手書きの文字がある。

「一番幸せな時間に、一番私を愛してくれる人と結ばれますように」

嘘つき。

涙がぽたぽたと紙に落ち、文字が滲んで消えていった。

葉月と晴樹は大学時代の恋人だった。卒業後、葉月は彼のためにこの街に残り、より良い仕事の機会を捨てた。

そして今、彼のせいで、この街を去る決意をした。

晴樹の「やむを得ない事情」は、全て彼女への最大の侮辱だった。

もう、晴樹なんて、いらない。
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commentaires

mogo
mogo
通話を切った瞬間、晴樹の章は、完全に終わった。 って、良い表現ですね。 ひとつの章が終わったら、きっぱりと次へ。
2025-10-18 03:33:41
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degawaemi
degawaemi
胸糞悪すぎる… 続きが気になります
2025-06-28 08:21:22
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Visitor
Visitor
とりあえず読んでみました。続きが気になります
2025-06-24 18:57:08
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第1話
「こんにちは、再度海外派遣の枠に応募したいのですが」電話の向こうで人事担当が少し驚いた様子だった。「結婚のために前回は断りましたよね?今回の派遣は最低でも三年だよ。あんなにあなたを愛してる婚約者が、同意しました?」「彼は、きっと同意してくれると思います」八木葉月(やぎ はづき)の返事はきっぱりとしていたが、その声にはどこか苦しさが滲んでいた。杉浦晴樹(すぎうら はるき)が彼女を愛していることは、誰もが知っている事実だった。彼女は胃が弱いからと、彼は毎日違うメニューで三食を作ってくれた。雨の日も風の日も、時間通りに車で迎えに来てくれる。たとえ軽い風邪でも、彼は24時間そばを離れようとしなかった。記念日やイベントのたびに、彼は欠かさずサプライズを用意してくれる。だからこそ、晴樹の初恋である三宅寧音(みやけ ねね)が帰国すると聞いたときも、葉月は一切不安を感じなかった。でも彼女は間違えた。寧音が帰国したその日、晴樹は葉月に公開プロポーズをした。彼女は嬉しさのあまり涙を流した。けれどその夜、彼女の元に匿名メッセージが届いた。添付されていたのは、晴樹のチャット画面のスクリーンショットだった。【葉月は五年間もそばにいてくれた。だから、彼女と結婚しないわけにはいかない】【寧音、本当に結婚したいのは、ずっと君だけなんだ】そのメッセージを見た瞬間、葉月の体中の血が一気に凍った気がした。証拠を持って彼に問いただそうとした。でも、できなかった。もしこの五年間すべてが嘘だったとしたら?自分がただの代用品だったとしたら?それを確かめるのが、怖かった。その後の半月、晴樹の態度は何一つ変わらなかった。葉月は変わらぬ優しさに、あのメッセージは誰かの悪ふざけだったのかもしれないとさえ思い始めた。けれど、たった今。新たな写真が何枚か届いた。写真には、満面の笑みを浮かべて寧音のウェディングドレス選びに付き添う晴樹の姿があった。しかも今日、晴樹が葉月に選んだドレスは、寧音が一番似合っていたあの一着だった。「どうしたの、葉月?」溢れそうな思考が現実に引き戻される。葉月は運転席の晴樹を見た。「目が赤いよ?そのドレス、気に入らなかった?じゃあ車を戻すよ、他のをもう一度試して」「いいの」車が
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第2話
雨に濡れたせいで、葉月は少し風邪を引いたようだった。朦朧とした頭のまま眠りに落ち、次に目を覚ましたときにはすでに午後になっていた。部屋を出た瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは、晴樹が寧音の濡れた髪を丁寧に拭いている光景だった。「もう、そこまで拭かなくても大丈夫よ。ちょっとしか濡れてないし」「ダメだよ、ちゃんと乾かさないと。風邪引いたら辛いのは君なんだから」葉月はその場に立ち尽くしたまま、ふと昔のことを思い出した。付き合い始めて最初の年、晴樹は楽しみにしていたライブに葉月を連れて行った。葉月の体調が悪かったが、彼の気分を壊したくなくて我慢していた。けれど彼はすぐに異変に気づき、ライブ開始からわずか10分で彼女を連れて病院へ向かった。あとになって、晴樹は「もっと早く気づければよかった」とそう悔やんでいた。あれから四年間。葉月が咳をするだけで、晴樹は何か大ごとが起きたかのように慌てていた。なのに、今日の彼は、すべての気遣いを別の女性に向けている。「葉月、誤解しないで、俺たちは……」寧音の髪を拭き終えた晴樹が、ようやく彼女の存在に気づいた。その直後、寧音が口を開いた。「私の部屋にゴキブリが出たの。怖くて、それで晴樹が『しばらくここに住めばいい』って」葉月は晴樹を見つめた。「それが言ってた急用?」「寧音は君と違って、甘やかされて育ったから、ちょっとしたことでも耐えられなくて……」その瞬間、葉月の目が赤くなった。ようやく自分の発言の酷さに気づき、晴樹は慌てて言い直す。「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」葉月の両親は彼女が幼い頃に離婚し、彼女は親戚の家を転々としながら育った。だからこそ、彼女の一番の夢は「自分の家を持つこと」だった。付き合って三年目、晴樹は必死に働き、この家を買った。「ここが、ふたりの家だよ」そう言ってくれた。なのに今、彼はその家に別の女を住まわせようとしている。しかも、彼女の一番脆いところを、迷いなく突き刺してきた。「大丈夫だよ」傷ついたのは、自分が差し出した弱さのせい。そう納得した。でもこれからは差し出さない。晴樹は安心したように、葉月の手を強く握った。そのとき、寧音が無邪気に問いかける。「晴樹、この部屋、私にくれたけど、あなたはどこで寝
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第3話
翌朝の朝食は、晴樹が用意していた。彼は葉月の反応を細かくうかがっている。「葉月、君のいない夜は本当に辛かった。でも、あと十三日我慢すれば、ようやく君を迎えに行けるんだ」「そうね、あと十三日」葉月の目には、曇った光が浮かんでいた。「晴樹、餃子を取って」彼が餃子を箸でつまんだ瞬間、寧音が彼の手元に顔を寄せ、そのまま食べた。晴樹はすぐに葉月の方を見た。「気にしないで。寧音はいつもこんな感じだから」昔の晴樹なら、異性との距離感には特に気をつけていた。少しでも葉月を不快にさせないよう、細やかに配慮していた。でも今、その距離感は寧音には当てはまらないらしい。「気にしてないわ」葉月は顔も上げずにそう返した。その返事に、晴樹は一瞬言葉を失った。「葉月、君……」「ねえ葉月、晴樹の昔の姿、知ってる?」寧音が話に割って入り、挑発的な視線を向けてきた。「彼、昔は本当に鈍くてさ。でも私の言うことだけはちゃんと聞いてくれたの。私が好きな料理を覚えて作ってくれたり、生理の日もちゃんと覚えてて、毎月サプライズをくれたり……」葉月は黙ってその話を聞いて、喉が締めつけられるような感じがした。彼女ははっきりと告げられていた。晴樹の優しさは全て、寧音を深く愛していた証だと。「寧音、ふざけすぎだよ」晴樹の言葉は、本気の制止ではなく、甘やかしに近かった。葉月は、すっかり食欲を失った。彼女は立ち上がって部屋に戻り、書類を手に取った。出てきたとき、晴樹の手には彼女のスマホがあった。「さっき人事から電話が来てた。引き継ぎ資料、いつ渡すか聞かれてたよ。葉月、結婚休暇もう取ったんじゃなかった?まだ仕事があるの?」結婚式の準備のため、葉月はすでに有休をすべて使い切り、約一ヶ月の休みを確保していた。「ちょっと抜けてた分があって、それだけ処理しに行くの」晴樹は特に疑うこともなく、「外は雨だから、俺も一緒に行くよ」と言った。葉月は書類を抱きしめるように持った。その中には、ビザ資料も挟んである。彼に知られても構わない。最初から、彼女は隠すつもりはなかったのだから。車の中は、妙に静かだった。会社のビルに着いたとき、晴樹は傘を差して葉月と一緒に会社へ向かった。彼はスマホをいじりながら歩いていた。明らかに
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第4話  
「寧音が家の中で転んだって……」晴樹の足が止まった。人事担当の声も耳に入らないほど焦っていた。「先に戻らないと……」その言葉が最後まで言い終わる前に、葉月は雨の中を小走りで軒下に向かった。彼女は静かに晴樹を見つめた。「戻ってあげて」彼は彼女のこの行動を予想していなかった。不安が胸の奥にじわじわと湧いてきて、思わず一歩前に出た。その瞬間、寧音からの電話が鳴った。「痛い……」と一言泣き声が聞こえただけで、晴樹の全ての判断は彼女へと傾いた。「先に様子見てくる。あとで迎えに行くから」以前の葉月なら、その言葉を信じて疑わなかった。だが今は心のどこにも響かなかった。彼女はそのまま人事と手続きを済ませ、正式に海外赴任の契約書にサインした。家に戻ったのは、それから二時間後。そのタイミングで、晴樹から電話がかかってきた。「葉月、急に会社でトラブルがあって、迎えに行けなくなったんだ。タクシーで帰ってもいい?」同時に、彼女のスマホには新たな写真が送られてきた。転んだはずの寧音が、晴樹の腕にしっかり抱きつき、まるで新婚夫婦のように家具店を見て歩いていた。予想通りのドタキャンに、葉月は静かに答えた。「大丈夫。仕事のほうが大事でしょ」電話越しに、女性の笑い声が微かに聞こえた。晴樹は慌ててスマホを遠ざけたのか、少し間を置いてからまた話し出した。「家に着いたら連絡して。心配になるから……」だがその言葉が終わる前に、葉月は電話を切った。彼女は写真を一枚ずつ保存してから、スマホを置いた。そして、荷物の整理を始めた。この五年間、晴樹から贈られたプレゼントが部屋を埋め尽くしていた。葉月はそれらを一つひとつ写真に撮り、中古販売サイトに出品していく。最後に残ったのは、指輪だった。付き合って一年目、晴樹が自らデザインして贈ってくれた指輪。葉月は黄ばみかけたリングを撫でながら、ライトにかざした。内側には、イニシャルが刻まれていた。「ねね」寧音。四年越しの衝撃が、葉月を襲った。笑ってしまうほど、滑稽だった。あの指輪でさえ自分のためのものではなかったのだ。彼女は指輪を迷いなくゴミ箱に捨てた。それからの数日間、晴樹は寧音と共に新居の準備に忙しそうだった。その間に、葉月の荷物は少しず
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第5話
葉月はふっと笑った。「だから、なぜ彼はあなたと結婚しないのね?」寧音の表情が凍りついた。「葉月、勘違いしないで。彼がたとえあなたと結婚しても、心の中には私しかいないのよ」そう言って、寧音はわざと手に持ったカップを揺らした。葉月の目が鋭くなった。それは、結婚式のために彼女が手作りしたペアカップだった。たとえ使われなくても、自分の大切なものだった。「返して」葉月が手を伸ばした瞬間、寧音は自分から床に倒れ込んだ。カップは粉々に砕け散った。「何してるの?」直後、晴樹が飛び込んできて、葉月を突き飛ばすように倒した。破片が彼女の手のひらに深く食い込み、鋭い痛みが走った。「彼女がカップを壊したのよ、私はただ……」「たかがカップ一つ壊れたぐらいで、何大騒ぎしてるんだ。葉月、君って本当に理解できない」葉月の言葉は途中で止まった。指の隙間からにじみ出る血が床にぽたぽたと落ちていく。彼の腕の中で、寧音が痛そうに声を上げた。晴樹はたった二秒だけ躊躇し、すぐに寧音を抱き上げて玄関へ向かった。「大丈夫だ、俺がついてる。病院に連れて行く」痛みに、葉月の目には涙がにじんだ。下を向き、カップの破片を見つめる。この五年間、彼女は晴樹を全力で愛してきた。だが、どんな状況であっても、最終的にはすべて寧音が優先される。その瞬間、心の奥で渦巻いていた怒りは、すっと静まり返った。悪いのは自分じゃない。ただ、彼がそれだけの価値もない男だったというだけ。葉月は、残っていたもう一つのカップと砕けた破片を、まとめてゴミ箱に捨てた。一瞥もくれなかった。その夜、葉月は久々に深く眠れた。翌朝、晴樹からメッセージが届いた。【ごめん、寧音の母親と母さんって親友で、昔から彼女を守るように言われてたんだ。事故があったら困るし、母さんも君に良い印象持ってないし……】【寧音がずっと泣いてたんだ。一人で病院に残すなんてできなかった。だから昨夜は帰れなかったけど、誤解しないで】どこまでも、自分の立場しか考えていないメッセージだった。葉月はスマホを放り出し、一言も返信する気になれなかった。午後になって、晴樹が寧音を連れて帰ってきた。まずは寧音を休ませ、それから葉月の部屋のドアをノックした。「君があんなにひどく怪我
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第6話
「プレゼントは、売った。服は、しまった」葉月が一言ずつ発すると、晴樹の顔色がみるみる蒼くなった。「俺に怒ってるのか?」葉月は黙ったまま何も言わなかった。晴樹はほかのクローゼットを開け、そこで葉月がまとめたスーツケースを見つけた。すると急に、肩の力がすーっと抜けたようだった。「もうすぐ新居に引っ越すんだから、服をしまっておくのはむしろちょうどいいだろう。荷物はそのまま持っていけるし。プレゼントは、売れたものは仕方ない。今度もっといいものを買ってあげるよ。古くなったし、処分しても問題ない」葉月の手を握りながら、彼の声は急に低く沈んだ。後悔の色がにじんでいた。「葉月、ごめん……どうしても気が動転していて、不注意で君を傷つけてしまった」葉月は彼の顔をただじっと見つめたが、胸の内にはまったく揺れがなかった。夜になり、晴樹はベッドのそばに座り込んで彼女に声をかけた。「葉月、君が眠るまでここにいる。そうじゃないと安心できないから」五年間、葉月はいつも隣に晴樹がいるのを当たり前と思ってきた。その当たり前を壊すのに、晴樹は一ヶ月もかからなかった。深夜一時、ようやく眠気が訪れかけたところで、晴樹が突然呼びかけた。「葉月?」彼女は反射的に目を開ける。スマホの光が晴樹の顔を浮かび上がらせ、不安そうな色がにじんでいた。葉月はまた目を閉じた。「葉月?」今度は晴樹の言葉が途切れたまま、彼女は返事をしなかった。晴樹はぱっと立ち上がり、わざと足音を小さくしながら寝室を後にした。「おとなしくしてて……すぐ戻るからな」ドアがそっと閉まる。葉月は朦朧としながら、過去の記憶をたどった。付き合って四年目、突然の交通事故で骨折したとき、晴樹は仕事を全部放り出し、徹夜で付きっきりで看病してくれた。彼女が「寝なきゃだめだよ」と説得しても、「君が辛いときに俺が気づいてあげられなかったら後悔する」と聞き入れなかった。だが今、同じ彼が、自分のそばにいることすら苦痛そうに感じている。しかも、葉月はもう彼を必要としていないと思った。翌朝、再び雨が降り始めた。葉月が寝室から出ると、晴樹が駆け寄ってきた。彼はずぶ濡れのまま、胸元から朝ごはんを差し出す。「濡れてなくてよかった。君の好きな店の肉まん
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第7話
けれど、晴樹は約束を破った。二時間後、葉月に電話がかかってきた。「葉月、ごめん。会社から急にA市への出張が入ったんだ。五日間……付き添えなくてごめん」葉月が結婚写真の撮影を予約していたのも、同じそのA市だった。「どうしてもっていうなら、他の人に代わってもらえるよう会社に掛け合う。もし何かあっても、全部自分が責任を取るから」晴樹の声には心配と罪悪感がにじんでいた。「葉月、君がずっとA市に行きたいって言ってたの、俺、知ってるんだ。だから、がっかりさせたくない」葉月はしばらく沈黙した。「仕事、大事にして。結婚写真なんて、また撮れるから」「式が終わったらすぐ飛行機とって、A市に行こう。約束する」電話を切ったあと、葉月は晴樹の同僚の番号を見つけて、メッセージを送った。すぐに返事が来た。タイミングが悪いことに、晴樹の出張は本当に急なものだった。葉月はカレンダーを一枚めくり、その裏に貼ってあった紙を広げた。二晩かけて書き上げた旅のプランが、びっしりと二枚。半分は結婚写真を撮るための場所選び。もう半分は、晴樹と一緒に訪れたい場所だった。結婚写真はもういい。でも、彼女は海外へ行く前に、一度だけ、A市へ行っておきたかった。葉月はカレンダーをスーツケースにしまい、部屋の隅々を見回して忘れ物がないかを確認した。もう、ここには自分のものは何もない。そうしてスーツケースを引いて、後ろを振り返ることなく部屋を出た。結婚式まで、あと三日。葉月はガイド通りに、A市のあちこちを歩き回った。その間にも、晴樹からのメッセージは何通も届いた。【寧音には、友達のところに泊まってもらった。君が気まずくならないようにと思って】【A市に着いたよ。君がずっと憧れてた街、ほんとに素敵だ。式が終わったら、一緒にゆっくり過ごそう】……【桜がきれいだよ。君と一緒に見られたら、どんなに良かったか】いや、願わなくても、葉月は確かに見ていた。晴樹から送られてきた桜の写真を閉じ、葉月は顔を上げた。その場所も、ガイドに入れていたお気に入りの一つ。そしてちょうどその時、その桜並木の中でスマホをポケットにしまった晴樹が両腕を広げていた。次の瞬間、ウェディングドレスを着た寧音がその胸に飛び込む。見つめ合う二人の目は熱を
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第8話
葉月はスマホの電源を切った。一文字も返信しなかった。結婚式の前日。A市から戻った葉月は、親友の大野夏帆(おおの なつほ)に会いに行った。「ごめんね、あんなに準備してくれたのに、結局、花嫁の付き添いもできなくなっちゃって。私と晴樹は……」説明しようとした瞬間、夏帆が彼女を強く抱きしめた。「辛かったでしょ?」葉月がどれだけ晴樹を愛していたか、夏帆には痛いほど分かっていた。もし少しでも余地があったのなら、葉月はきっとここまでの決断はしなかったはずだ。目に涙を浮かべた葉月は、夏帆に手を引かれて部屋の中へ入った。その間も、スマホには次々と祝福のメッセージが届いていた。【晴樹さんって、奥さん大好きで有名だもんね。こんな旦那さんがいて、明日はきっと人生最高の日だね】【末永くお幸せに】【大学時代からずっと見守ってたよ、二人のおかげでまた恋を信じた。葉月は絶対に幸せになってね】その中には、晴樹からのメッセージもあった。【葉月、夜の八時に帰るから。待っててくれ】けれど、八時を迎える前に、寧音からある住所が送られてきた。来いということだ。正直、葉月は少しだけ気になっていた。その住所を頼りに、葉月は指定された場所へ向かった。個室のドアは少し開いていた。中では、寧音が酒瓶を取ろうとし、それを晴樹が止めていた。「寧音、アルコールアレルギーだろ。ふざけるなって」「どうせ今からあの人に会いに帰るんでしょ?私に構わないでよ」「寧音」涙をこぼした寧音に、晴樹の声はすぐに優しくなった。「俺、今日はここにいるよ。帰らない」葉月は目を伏せた。祝福のメッセージに紛れて、また新たなメッセージがいくつも届いていた。【葉月、プロジェクトが大詰めで、今夜は会社に残ることになった】【もう少しだけ頑張れば、何日か休み取って一緒にA市行ける】【葉月、君のために14日間頑張ったんだ。最後の一日を乗り越えたら、ようやく君をお嫁さんにできる】葉月は思わず笑ってしまった。「君のために」という言葉が、やはり滑稽だ。晴樹はスマホを机に置いた。あきれたように、しかし甘えを含んだ口調で言う。「これで満足した?」けれど寧音は首を振る。「明日、結婚式に行かないで」晴樹は黙った。「彼女にはこれから先、何十年もの時間
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第9話
寧音がホテルのバスルームから出てきた。薄手の衣服をまといながら、甘えるように言った。「晴樹、髪、乾かして」晴樹はドライヤーを手に取り、電源の切れたスマホを何度目か分からないほど見つめた。「俺、そろそろ……」「約束したでしょ?」寧音が言葉を遮った。「今日は、一日中、私のものって」晴樹は黙って、彼女の髪を乾かし始めた。けれど心は、自分を待っている葉月のもとへと飛んでいた。葉月は両親が離婚していて、誰にも望まれない厄介者だった。自分の親も、正直彼女をあまり気に入っていなかった。自分が現れなかったら、うちの両親は葉月に当たり散らすかもしれない。ドライヤーの低音が部屋に響く中で、彼の焦燥は増す一方だった。髪を乾かし終えると、寧音はソファに膝をついて座った。「晴樹、時間がないんだよ」彼女はそのまま彼に口づけようと身を乗り出す。しかし、晴樹は反射的に顔をそむけて避けた。「晴樹?」晴樹の心はもう、はっきりと決まっていた。ホテルへ行かなくては。彼は寧音を押しのけ、立ち上がった。「ここまでだ。葉月を一人で残しておけない」寧音はその場に固まった。だが晴樹は、どこか肩の荷が下りたように深く息を吐いて、スマホの電源を入れた。未読メッセージが多すぎて、端末がしばらく固まった。【兄さん、どこにいるの?】【冗談やめてよ、本当に……葉月とどこ行ったの?】【寧音と結婚写真?何それ!】晴樹の頭の中が一瞬で真っ白になった。胸に広がるのは、言いようのない不安と恐怖だ。彼はとっさに葉月とのトーク履歴を開こうとした。けれど、何もなかった。昨夜から今まで、葉月は一通もメッセージを送っていなかった。そんなはず、ない。晴樹は必死で彼女に電話をかけるが、葉月のスマホは電源が切られていた。そのとき、彼の母親から電話がかかってきた。「晴樹、もう式始まってるのよ、二人ともどこにいるの?こんな大事な日に、葉月とふざけるのやめなさい!それに、葉月が私たちをブロックしたってどういうこと?喧嘩してても限度があるでしょ。今日あなたたちが来なかったら、みんなに笑われるわよ!」晴樹はスマホを握る手が震えた。「お母さん、葉月はホテルにいないの?」「いないわよ。一体どういうことなの?」晴樹のこめかみが脈打
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第10話
晴樹は微動だにせず、寧音がそっと近づいた瞬間、彼は激しく彼女を振り払った。「いらない。俺が結婚するのは葉月だけだ。必ず彼女を見つけ出す」「晴樹!?」寧音は数歩よろけて立ち直ると、信じられないといった表情を浮かべた。晴樹は彼女を一瞥することすらなく、そのままドアを開けて出て行った。その背中が消えていくのを見届けながら、寧音はまるで頬を強く打たれたような衝撃を受けた。葉月だけ?それなら、以前「君としか結婚したくない」と言ったあの言葉は、ただの戯れだったの?その日の結婚式は、まるで戦場のような混乱だった。一方その頃、葉月を乗せた飛行機は、海を越えた異国の地に到着していた。出迎えに来た同僚の竹下翔(たけした しょう)が、彼女のスーツケースをトランクに積み込みながら言った。「君のいくつかの企画書、見せてもらったよ。素晴らしい出来だった。ずっと君を引き抜きたかったんだ。仕事が忙しすぎて断られた時は、本気で帰国しこうかと思ったくらいだよ。で、結婚式っていつなんだ?仕事で潰しちゃダメだし、スケジュール調整するよ」葉月は微笑んだ。「今日」翔は呆気に取られた。「えっと……」「心配いらない。代わりに出てくれる人がいるから。私も彼も、誰の足も引っ張らないわ」数秒の沈黙のあと、翔がようやく理解した。「裏切られた?」「うん。二人に」翔は目を細め、しばらく黙ってから一言。「じゃあ、おめでとう。一度で全部片付いて、楽になる」葉月は思わず吹き出した。出発前、彼女は結婚式までのカウントダウンカレンダーをゴミ箱に放り込んだ。異国の地に足を踏み入れたその瞬間、晴樹との五年間は、良いことも悪いことも、すべて置いてきた。完全に過去を断ち切ったのだ。今や晴樹の名前を耳にしても、心はほとんど動じなかった。葉月はスマホの電源を入れた。すぐに震えが止まらなくなる。【葉月、君は一体どこにいるんだ?】【どこを探しても見つからない。心配でたまらない。お願いだ、電話に出てくれないか?】【さっきエレベーターに閉じ込められて、連絡できなかった。わざと遅れたわけじゃない】【俺が悪かったとしても、罰でも何でも受ける。ただ、君がいなくなるなんて……怖いんだ】葉月は唇を引き結んだ。もしまだ何も知らなければ、
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