Chapter: 34話-5 月明かりの幸せ。月は今まで見た中で一番美しく、その輝きは穏やかな海面に降り注ぎ、波一つ一つを宝石のように煌かせ、遠くの水平線まで光の絨毯を広げていく。そして足元の岩場に咲く美しき花々は、月光を浴して白く輝き、まるで星々が地上に舞い降りたかのよう。と、美しき光景に心を奪われた時だった。後ろからエルバートに優しく包み込まれる。「ご、ご主人さま?」「今宵、お前とこのように美しき月を見られて本当に良かった」「はい。ご主人さま、月、綺麗ですね」「海も花も月の光で輝いています」こうしてしばらくの間、エルバートに包まれたまま月を眺め、やがてエルバートが手を離すと互いに向き合う。「ご主人さまにお伝えしたきことがあります。聞いて下さいますか?」「あぁ」「ご主人さまが家にご婚約の手紙を届けて下さらなければ、きっとこのような幸せな未来は訪れず、こんなに美しい月も見られなかったと思います」「だからご主人さま、ありがとうございます」「愛しております」(ご主人さまに、この感謝の想いが、愛がちゃんと伝わっただろうか――――)「フェリシア」「は、はい」「私もお前を愛している」「だからもう一度、あの時のように名前で呼んでくれないか?」あの時とは恐らく、初めての夜のことだろう。フェリシアは意を決し、エルバートを見つめる。「…………エルさま」月光の下で名を呼んだ瞬間、エルバートの唇が優しく触れる。とても温かいキスだった。エルバートが唇を離すと穏やかな笑みを零し、フェリシアも優しく微笑む。その後、フェリシアはエルバートと並んで浜辺の流木に座る。すると、どちらからともなく、自然に寄りかかり、肩が触れ合う。そして。(ご主人さまの、この暖かな温もりを、ずっと、ずっと、感じていたい――)と、心の中で思いながら、海を見つめた。どれだけそうしていただろう。フェリシアは昇る日の光で目を覚ました。いつの間にか眠
Last Updated: 2025-07-30
Chapter: 34話-4 月明かりの幸せ。「あの、ご主人さま? 魔は?」フェリシアは戸惑いながら問いかける。「やはりそう解釈したか。騙した形になってすまない」「私が婚約の手紙を出さなければ、こうしてお前とは出会えなかった」「だから同じように手紙でお前を呼び出すことにした」「お前とここの別荘で今宵、月を見ながら過ごしたくて」(だからいつもと違うお洒落な軍服を着ていたのね)フェリシアが心の中で納得すると、エルバートはフェリシアを離し、近くの別荘に目線を向ける。フェリシアもまた別荘を見ると、朧げではあるが、3歳まで両親と暮らしていた家と同じくらいの大きさの別荘があった。フェリシアは思わず涙する。「フェリシア、その」「もうっ」「ほんとうにすまなかった」「いえ、違うのです。生まれ育った家に帰れたようで嬉しくて……」「そうか」エルバートは安堵したようで、こちらをじっと見つめる。「フェリシア、ビーフシチューを作ってくれないか?」「はい、喜んで」フェリシアは承諾し微笑む。するとクォーツの馬車が遠ざかっていくのが見えた。フェリシアはエルバートとしばしの間馬車を見つめ、やがて馬車が完全に見えなくなると、フェリシアはエルバートと共に別荘まで歩いていく。そして、すぐさま温かみのある厨房でビーフシチューを作り始め、しばらくして完成した赤ワイン煮込みのビーフシチューを居間の木製の椅子に座るエルバートにお出しし、その隣の椅子に座る。すると窓から海が見えることに気づき、横長の机に並んだ状態で座ったまま、窓から時々海を見ながらそれぞれビーフシチューをスプーンですくって食べる。「やはり、お前のビーフシチューは美味いな」「あ、ありがとうございます」「だが、食べさせてくれたらもっと美味く感じるだろうな」(ま、まさか、ご主人さまが、あーんをご所望されるだなんて!)「わ、分かりました。では……」フェリシアはビーフシチューをスプーンで一口
Last Updated: 2025-07-29
Chapter: 34話-3 月明かりの幸せ。エルバートはユリシーズの封を解き、手紙を取り出し開く。エルバート帝爵、フェリシア嬢、この度はご結婚おめでとうございます。私はハロルドと共に牢を出て貧しい領土に追放され、その地の長と兵士として日々懸命に働いております。私共の命があるのはあなた方のおかげです。これからもおふたりの幸せを心より願っております。読み終わると、フェリシアの両目が潤む。「ユリシーズ殿下、ハロルド様と前を向かれていて良かった」「そうだな」エルバートはユリシーズの手紙をテーブルに置き、ローゼの封を解き、手紙を取り出し開ける。フェリシア、エルバート帝爵様とのご結婚おめでとう。あなたのおかげで毎日有意義に暮らせているわ。あなたは私の誇りよ。ラン、あなたの母もきっと喜んでいると思うわ。これからも頑張りなさいね。「これまでの謝罪もなしか」「良いんです、幸せに暮らせているのならそれで」「そうか、強くなったな」エルバートに頭をぽんと優しく叩かれ、フェリシアは微笑んだ。* * *そして、春が終わりを迎える日。エルバートをいつも通り玄関で待ち続けるも帰って来ない。隣のリリーシャに「エルバート様を驚かせましょう」と提案され、せっかく淡い色調の優雅なドレスを着てお洒落をしたのにこれでは意味がない。「フェリシア様、もうじき帰られますよ、きっと」「そうですね」リリーシャに言葉を返したその時。警備を兼ねながら庭の手入れをしていたクォーツが玄関から駆け入って来る。「只今、アルカディア宮殿の使いの者から手紙が」クォーツに手紙を差し出され受け取ると、その場で封を切って手紙を取り出し開く。至急、アルカディア宮殿付近の花海岸まで来て欲しい。手紙にはそのことだけが記されていた。(ご主人さまが手紙で助けを求めるということはよほどのこと)ルークス皇帝を乗っ取った魔よりも強い魔が現れ、窮地に立たされているとしか思えない。「クォーツさん、今からご
Last Updated: 2025-07-28
Chapter: 34話-2 月明かりの幸せ。* * *新婚5日目の早朝――廊下を駆ける足音が響く。「ご主人さま!」フェリシアはあるものを手に持ち、居間にいるエルバートまで駆けていくと、エルバートがこちらを見る。「フェリシア、どうした?」「先程廊下でディアムさんから頂きました」フェリシアは手に持っているものを差し出す。するとエルバートは受け取り、その一面を見る。「私達のパレードの様子が書かれた新聞か。完成したのだな」「まだ勤めまで時間がある。ここで共に見よう」「は、はい」返事をし、エルバートとソファーに並んで座るとエルバートが新聞を広げる。新聞には、自分とエルバートの姿がまるで絵画のように美しく愛に満ちた雰囲気で描かれていた。それだけに留まらず、『アルカディア皇国を救ったエルバート帝爵様と祓い姫のフェリシア嬢、壮大かつ幸せなパレードを披露! 世界をも超える祝福に涙!』との事が書かれており、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになる。「あ、あのご主人さま、ずっと気になっていたことが……」「なんだ?」「この結婚指輪は金でなくても大丈夫なのですか?」「あぁ、本来、貴族の結婚指輪は銀より価値の高い金で作るのが普通だ」「しかし、お前が私の髪の色が好きだと言ってくれた。それに応える為、金を銀に変えたのだ」(ご主人さま、わたしの為に……。嬉しいけれど……)「金を銀に変えたら貴族の指輪ではなくなるのでは……?」「あぁ、その通りだ。だから銀を使わず金に銀を混ぜて私の髪色に近いシルバーになるように特注で作ってくれとデザインを聞かれた時に頼み、出来たのがこの指輪だ」「そして、ダイヤも普通は輪の上に乗せるのだが、それだと引っ掛けたりして仕事にならない。よって指輪の中に埋め込むデザインにした」「それで満月のような形になったのですね」フェリシアは納得し、ふとエルバードから目線をずらすと、テーブルに置かれた2通の手紙に気づく。
Last Updated: 2025-07-27
Chapter: 34話-1 月明かりの幸せ。* * *幸せなど訪れない。ましてや愛されることなどないと思っていた。けれど――――。「フェリシア、こちらを見ろ」フェリシアは玄関の外の扉前で頭を上げる。するとエルバートは優しく微笑み、早朝から手作りした昼食のサンドイッチが入った包みを受け取る。けれどそれだけに留まらず。頬に手をそっと触れられ、とろけるような甘い口づけをされた。その上、ディアム、リリーシャ、ラズール、クォーツに暖かな微笑みで見守られ、フェリシアは恥ずかしさでいっぱいになる。エルバートの唇が離れると、フェリシアは少し怒気を帯びた目でエルバートを見つめた。「も、もうっ! ご主人さま、朝からこんなところでっ」「夜だったら良いのか?」フェリシアは昨日の初めての夜のことを、抱き枕にされながら眠りに落ちていたことを思い返し、ますます顔が熱くなる。するとエルバートはふっと和やかな顔で笑い、昼食の包みを鞄の中に入れる。「では行ってくる」「行ってらっしゃいませ」微笑むと、エルバートに頭を優しくぽんされた。エルバートの瞳から愛されているのが伝わってくる。ご婚約の手紙を受け入れるしかなく、エルバートに尽すことを心に強く誓った日を懐かしいとさえ思う。(わたしは今、こうして、愛に、幸せに包まれている)* * *その晩のことだった。エルバートは朝とはまるで違い、不機嫌な顔でディアムを連れて帰ってきた。理由を聞きたいけれど、とても聞ける雰囲気では…………。「フェリシア様、大丈夫ですよ」「昼食が妻の手作り、しかもハムとチーズ、鹿の干し肉、ゆで卵、レタス、トマトを挟んだサンドイッチでさすが新婚さんは違うと、カイやシルヴィオ、メイド達に冷やかされただけですから」ディアムがスラスラと説明すると、エルバートがディアムに冷ややかな殺気を放つ。「いつものことですからどうかお気になさらず」ディアムが笑顔でフェリシアに向けて言うと、エルバートは
Last Updated: 2025-07-26
Chapter: 33話-5 花嫁の誓い。「軍師長、ついに結婚したんですねー」「冷酷な鬼神のエルバートが結婚か。信じられないな」ふたりの言葉に続き、近づいて来たゼインとクランドールにまでも。「私も同感です。エルバート様、無事にご結婚出来て良かったですね」「全くだ。ほんとに結婚出来て良かったな」フェリシアは恐る恐るエルバートの顔を見る。するとエルバートは冷酷な表情をなんとか堪えていた。「エルバートよ、散々な言われようだな」ルークス皇帝がエルバートに声をかけ、側近と共に近づいてくる。「フェリシア嬢、ご結婚、おめでとう」側近があえて本当の父のように挨拶し、エルバートの表情が更に危うくなる。「あ、ありがとうございます」フェリシアが返すとルークス皇帝は、ふっ、と笑う。「ルークス皇帝、何が可笑しいのですか?」「エルバートよ、すまない。だが、本日はほんとうにめでたい」「我が本日この場に立つことが出来たのはお前達ふたりのおかげだ。感謝する」「そして、エルバート、フェリシア、おめでとう」「これからもふたり力を合わせ、光の道を歩んで行かれよ」フェリシアとエルバートは涙を堪えながら静かに頷いた。* * *その日の夜。ふたり用の部屋からバルコニーへ出て、月を見つめる。互いにお風呂は済ませたものの、エルバートの銀色の長髪は微かに濡れており、いつもよりも色香が増している。対して自分はただただ恥ずかしい。「フェリシア、疲れていないか?」「大丈夫です」「本当か?」フェリシアはこくんと頷く。するとエルバートは顔を近づけてくる。フェリシアもまた顔を近づけ、唇が優しく触れ合う。エルバートに髪を掻き分けられ、初めての深く長いキスが降り注がれる。倒れそうになるとエルバートが唇を離し、体を支えられる。「ここではやはり大丈夫ではないな」エルバートにお姫様抱っこをされ、フェリシアはエルバートに抱きつく。そして優しく部屋のベッドに座らされ
Last Updated: 2025-07-23
Chapter: 2話-1 花嫁候補のお勤め。(とんでもないことになってしまったわ……)まさか、出世してしまうだなんて。翌日の早朝。リリシアは相部屋で普段と下働き用のドレス等の最低限の荷物をまとめる。だが、下働き9名の羨む視線が痛い。昨日の最後となる下働きの時も、『見てみて、あの子よ』とメイド達がどっと押し寄せ、『……あのどんくさい新入りがルファル様の花嫁候補になるだなんてねえ』等とコソコソ話が絶えなかった。けれど、玄関の掃除を終えた時、メイド長に埃一つない、完璧だと初めて褒められ、『最初はどうなることかと思ったけれど、人生何が起こるか分からないもんだね。明日から地獄の日々が待っているだろうけど、しっかり勤めるんだよ』と優しく背中を押してもらったから、なんてことはない。リリシアはまとめた荷物を持つと、お辞儀をして相部屋を出た。そして廊下で待っていたカイスに案内され、新たな部屋へと移動する。部屋の扉をカイスが開けると、クールな雰囲気の可憐なメイドが立っていた。そのメイドは白のブリムを頭上に乗せ、透き通るように美しい長髪を後ろで一房にまとめ、大きなリボンで潔く括(くく)っている。「彼女が今日からリリシア様専属メイドとなります」カイスが告げると、メイドは軽く会釈する。「今日からリリシア様専属メイドとなる、ソフィラ・リインズワースで御座います」メイドが挨拶し、リリシアは軽く会釈する。「リリシア・ベルフォードです。どうぞよろしくお願い致します」お互いに挨拶を済ませると、リリシアは部屋を見渡す。「それであの……、今日からこちらで寝泊まりをするのですか……?」「さようにございます」部屋には、華やかなシャンデリアに大きな窓、天蓋付きの豪華なベッドがあり、豪華すぎる相部屋から、お姫様のような部屋に格上げされ、まるで夢を見ているかのよう。けれど相部屋の時は窓が小さく、隅のベッドだった為、耐えられたけど、この部屋はベッドが少し離れているとはいえ、窓が大きい上に、その窓を隠すカーテンが薄手の為、
Last Updated: 2025-12-24
Chapter: 1話-5 月夜に嫁ぐ。* * *それから月日は流れ、とある朝。「もう一ヶ月になるのね…………」リリシアは窓拭きの手を止め、嘆き息を吐く。家を元に戻したい、姉の役に立ちたいと日々奮闘しながら勤め、ようやく慣れてきたけれど、月を見る度に体調が悪くなり、体質がバレないかとひやひやするのは相変わらず続いている。ふと何やらざわめく声が聞こえ、リリシアは視線を送ると、宴の部屋の前にメイド達が集まっていた。一体なんの騒ぎだろう?リリシアも近づき、少し開いた扉から中を覗く。するとルファルが舞台の椅子に座り、黒色の大きくお洒落な楽器を弾くうるわしの姿が両目に映った。「ルファル様のグランドピアノの演奏素敵ね」「うっとりしちゃう。ずっと聴いていたいわ」グランドピアノ……そういえば、姉が元気な頃、高貴な楽器で一度弾いてみたいと言っていた。まさか、こんな身近で見ることが叶うなんて。覗いていると、後ろからメイド長の声が響いた。「お前達、掃除をサボって何やってんだい!」メイド達は振り返る。「早く持ち場に戻りな!」メイド長の激怒により、メイド達は渋々戻って行く。そんな中、リリシアは演奏を止めたルファルと目が合う。(わたし、汚い窓拭きの布を持ったまま何を。マズイ)リリシアも慌てて窓へと戻った。だが、その後もリリシアは度々、ルファルのグランドピアノの演奏を耳にし――、ある夜、ハクヴィス邸で夜の宴が開かれた。(行かなきゃ)リリシアは意を決してベッドから立ち上がるも、すぐにふらつき、ベッドに倒れ込む。月さえ、出ていなければ。リリシアは一人惨めにシーツをぎゅっと握り締め、ただただ部屋に籠るしかなかった。* * *「そういえば、一人、足りないな」夜の宴でのピアノの演奏後、ルファルはワインを片手に呟く。すると隣のカイスが耳元で囁き伝える。「……リリシアが出席していないもようです」「ほう」ルファルの顔が冷酷無慈悲な表情へと変わる。するとカイスがメイド長を鋭く睨む。「メイド長、何をしている!? リリシアを今すぐ連れて来い」「申し訳御座いません! 宴に出席しない者等、今までおりませんでしたので、てっきり全員いるとばかり。直ちに……」「連れて来なくても良い」ルファルが怒りに満ちた声で静かに告げ、メイド長の声を遮る。そして、ワイングラスをテーブルに置き、ふとリリシアと
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 1話-4 月夜に嫁ぐ。「――勘違いをするな。私は嫁いだとは微塵にも思っていない。お前はただの下働きだ。いつでも死んでくれて構わない」酷く冷たい刃のような言葉。そう言われることは始めから分かっていた。なのに体が一瞬ぐらつきそうになり、必死に耐える。「かしこまりました」リリシアは了承すると、ただ深々と頭を下げた。震える手を握り隠し、倒れてけどられないよう、ぐっと足を踏ん張る。すると足音が徐々に近づき、リリシアの隣をルファルが通り過ぎた。ルファルはカイスにワイングラスを手渡し、部屋から出て行く。リリシアは、ほっと息を撫でおろす。ルファルが通り過ぎる時、「――」と何かを囁いた気がしたけれど、なんとか、やり過ごせたみたい。良かった…………。その後、カイスにメイド長と執事長、シェフのところに連れて行かれ、挨拶をしてぺこぺこと頭を下げ、部屋に案内される。「こちらが今日からリリシア様が使用する相部屋となります」下働き10名の相部屋には簡素なベッドが並べられている。それだけでも家の鳥籠のような部屋に比べれば自分には豪華すぎる部屋であり、勿体ないと思いつつも目をキラキラと輝かせる。「素敵ですね」「…………」カイスに変な眼付きで無言のまま見つめられ、リリシアは首を傾げる。「それから、服装は決められた物が御座いまして、すべて、そのクローゼットの中に入っております。それをメイド長並びに部屋の仕切り役の指示に従い、お召しになって下さい。では明日から、メイド長の元で勤めるように。失礼致します」カイスは告げると、廊下を歩いて行った。リリシアは部屋に入り、扉を閉めると、ベッドまで行き、布団の上に倒れ込む。家とは違う、ふわふわな布団。どうなることかと思ったけれど、耐えられた。体が石のように動かない。けれど、朝になれば動けるようになるだろう。今はただ眠りたい…………。リリシアは布団の上で意識を手放した。* * *そして、翌朝から下働きが始まった。「全く、どんくさい新入りが来たもんだね。早く動く」「はい」リリシアはメイド長に急かされ慌てて返事をする。部屋の仕切り役の先輩から『これを着な!』と下働き用のドレスを投げ渡され着替えたリリシアは、メイド長の指示の元、メイド達にクスクス笑われつつ、大量の洗濯、料理運び、掃除をメイド達と共にこなしていく。そんな中、メイド達の噂では
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 1話-3 月夜に嫁ぐ。その日の夕暮れ、リリシアは部屋で出立の準備を済ませ、ユエリアの病床に足を踏み入れた。冷たい床に跪き、リリシアは告げる。「お姉さま、今夜、ハクヴィスの邸へ嫁ぐことになりました」潤む目に映るのはベッドに横渡るユエリアの姿。本来ならユエリアの部屋に入り、近づくことすら許されない。けれど、最後だから。こんなはずじゃなかった。あの時までは幸せだったのに。リリシアは震える手をぎゅっと握り締める。するとユエリアが弱弱しく微笑み、口を開く。「リリシア、頭をこちらに」頭を近づけると、ユエリアが手を伸ばし、美しい月の花の髪飾りが付けられる。「私はいつでも貴女の味方よ」ユエリアの手が触れ、やがてふたりの手が重なり合う。互いの両目から涙が零れ落ちる。絶対に諦めない。姉を、家を救い、月の下を歩いてみせる。* * *その夜、リリシアは屋根がなく簡素な幌がついているだけの荷馬車に乗り、一人、邸宅へと向かう。月の光で気分が優れなくても、ユエリアに付けてもらった美しい髪飾りに時折触れて耐える。ルファル・ハクヴィスにこの体質が知られれば、すぐに追い出されてしまうだろう。バレないよう、勤めなければ。そう決意を胸に秘めていると、荷馬車を御している中年の男性が声を掛けて来た。「お前さん、ハクヴィス邸に嫁に行くんだって?」「はい」「そうか! でも本当は売られて行くんだろ? 俺も今まで何人もこうやってお前さんみたいな女子(おなご)を乗せて行ったが、皆、返って来ない。ま、せいぜい頑張るんだな」絶望的な言葉を、御者の男性から聞かされる。そうしている内に、しばらくして、森を抜け、揺れている荷馬車が止まる。「着いたぜ」御者の男性が言うと、荷馬車から降りる。たどり着いたのは、大きい一軒の洋館だった。ハクヴィス邸らしき、立派な建物。母に「すぐに捨てられ野たれ死ぬだろう」と言われたのも頷ける。このような場所で自分が勤まるとはとても思えない。けれど、もう後戻りはできない。リリシアは荷馬車から玄関まで歩いて行く。すると、蠟燭を右手に持った厳格な青年が立っていた。丸みを帯びた髪はきっちりと整えられ、丁寧に細く編み下ろされたこめかみの毛を一本垂らしている。「名は?」「リリシア・ベルフォードでございます」名乗ると、流し目のような冷徹な眼差しを向けられる。も
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 1話-2 月夜に嫁ぐ。* * *それからというもの、リリシアは月を見る度に体調を崩すようになった。ユエリアは月の魔術の力を完全に閉じられ、病に伏せた。そして、ユエリアの「龍の怪異を見た」という説明のおかげで怪異が原因なことを両親に信じてはもらえたが、リリシアはベルフォード家の恥、「月影」と呼ばれ、朝から晩まで家事と雑用を押し付けられ、夜は鳥籠のような部屋に閉じ込められる日々が続き――、18歳となった今もそれは変わらない。「月影! お前が樹木に触れ、怪異を呼び寄せなければ!」毎晩のように、母が叫び声を上げ、押し込められている部屋の扉を乱暴に開けられ、中から引きずり出される。その直後、振り上げられた母の手が下ろされ、頬に鋭い痛みが走ると同時に床へと倒れる。お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ。まるで呪いを唱えるような母の言葉が連呼し、激しく叩きつけられる中、リリシアは床に倒れたまま、ただ必死に耐え、謝り続ける。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」24歳となったユエリアは、魔術を持つ家の花嫁として期待されながら、嫁ぎ先に全て拒まれ、行き遅れとなった。ここにいる限り、自分は母の奴隷。けれど出る術はない。このまま、朽ち果てるまで奴隷として生き続けるしかないのだ――――。そう思っていた、ある午後。母の部屋に呼び出されたリリシアは衝撃的な言葉を告げられた。「お前には明日、ハクヴィス邸に嫁いでもらいます」母の説明によれば、月の魔術の名家であるハクヴィスの邸の当主、ルファル・ハクヴィスは、日の魔術師であるフェリカディア皇国の皇帝、シャイン直属の神魔術隊の長を務め、皇帝を含めた7名の魔術師達の中でトップとされる月の最強魔術師だという。ただ、冷酷無慈悲と噂され、花嫁も未だ決まらないとのこと。「どういう……ことでしょうか……?」「下働きに出すと行っているのよ。お父さまに感謝なさい」つまり、このままでは家が保てないと、自分をユエリアの今までの功績のおかげと父のつてで多額の資金を出してもらう事を条件にハクヴィス邸に売ったということだ。けれど、下働きでは聞こえが悪い為、「嫁ぐ」という名目に表向きにはしたと……だが、ユエリアを置いて自分だけ家を出るだなんて。「で、ですが……」「口応えするつもり?」リリシアの体がびくつく。「
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 1話-1 月夜に嫁ぐ。* * *わたしは月に嫌われている。そんなことは分かっていたのに。リリシアは内心で嘆く。美しい青年がリリシアをお姫様抱っこし、銀色の月に照らされた夜道を歩き続ける。その度に揺れる月紐で一本に結ばれた、うるわしき髪。リリシアは、ぐったりとしたまま胸に誓う。決してこの青年に悟られてはいけない。姉を、そして、家を救うまでは――――。* * *帝都の離れに一軒の小さな家がある。その玄関前の庭で箒を握り、落ち葉を掃く小さな娘がいた。「リリシア、髪、ボサボサじゃないの」父と共に家に帰ってきた姉が小さな娘、リリシアを見て言う。「あ、お姉さま、お父さま、おかえりなさい」挨拶をすると、母が慌てて家から出てくる。「もうお母さま、またリリシアに手伝わせて」「今日も『お姉さまのようになる!』って言うことを聞かなくてね。張り切って手伝ってくれたのよ……」「全く、リリシアは。ほら、こっちおいで」「うん」姉が優しくリリシアの髪を麻紐で結い直す。――この時代、怪異を祓う様々な魔術師達が存在した。そして、リリシアが住んでいるベルフォード家は貧しいながらも父の公務と月の魔術を持つ6歳差の姉、ユエリアのおかげで名を上げている。その為、リリシアにとってユエリアは憧れの存在だった。「リリシアも明日で4歳か」「儀式が楽しみだわ」父に続けて母が言う。明日の魔術を確かめる儀式で自分もユエリアのようになれると思っていた。――翌日の夜。リリシアは母のミアに教えられた通り、儀式の為の純白なドレスを自ら着る。この衣装は神聖なもので、誰にも触れられてはいけない決まりだ。まるで一夜のお姫様になれたようで心が弾む。着替えが終わると、父のエバートに導かれ、中庭の大きく立派な樹木の前まで歩いていく。ユエリアは4歳の時にこの木に触れ、美しい黄色の花を咲かせたことから月の魔術を持ち合わせていることが分かった。自分もきっと花を咲かせて見せる。強く決意すると、月の光が真上から美しく樹木を照らす。リリシアは両親とユエリアが見守る中、そっと手を伸ばし、樹木に触れた。だが、次の瞬間。巨大な龍の影のような怪異が姿を現し、リリシアとユエリアの体を順にすり抜ける。すると樹木は一瞬で枯れ果て、ユエリアがその場で崩れ落ちていく。両親は一瞬の強風を感じただけで、怪異の姿は見えてい
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 8話-2 近くて、遠くて。するとシルヴィアは、騎士団の中にフィオンの姿を見つける。 久しぶりに見たフィオンはリリアの護衛となった時よりも背が伸び、凛としていて、かっこよくなっていた。 ふと、フィオンと目が合う。 けれど、話しかけることは出来ず、フィオンは視線を逸らし、シルヴィアの隣を通り過ぎて行く。 そのことで胸がきゅっと痛むもシルヴィアは、ベルと共に騎士長一行をハドリーとリゼルの待つ特別室へと案内した。 ベルと騎士長一行が特別室に入り、シルヴィアは廊下で待機する。 大丈夫だろうか……? 一人不安を抱いていると、特別室の扉が開き、フィオンが出て来た。 「ハドリー殿下が呼んでいる」 「あ、はい……」 フィオンと短いながらも会話が出来た。だが、昔のように名を呼んではくれない。 シルヴィアは複雑な気持ちを抱きながら特別室へと入る。 すると再び入室したフィオンによって扉を閉められ、ソファーに座るハドリーがこちらに視線を移す。 「先程、ベルとフェリクスから薬作りに関しての話を聞いた。そこでお前に一つ問いたい」 ハドリーの鋭い眼差しにシルヴィアの表情が強張る。 「騎士達の薬を作りたいか?」 その問いかけに、シルヴィアは両目を見開く。 (まさか、殿下に自分の意思を聞かれるだなんて…………) 初めてのことに内心動揺するも、シルヴィアはハドリーを強い眼差しで見つめる。 「はい、わたしで騎士達のお役に立てるならば、作りたい、です」 シルヴィアは息を呑み、ハドリーの答えを待つ。 「──ならば、シルヴィア、これより騎士達の薬を作ることを許可する」 (やはりだめ…………え?) 「よ、宜しいのですか……?」 「ああ、良いと言っている。何度も言わせるな」 もう一度、薬を作れる。 「殿下、ありがとうございます」 シルヴィアが優しく微笑むと、ハドリーはふいっと顔をそらし、フェリクスの方に目を向ける。 「薬は出来次第、リゼルより知らせる」 「了解した。薬は騎士の一人に取りに来させよう」 フェリクスはハドリーをじっと見つめる。
Last Updated: 2025-12-20
Chapter: 8話-1 近くて、遠くて。* * *その夜、シルヴィアはベルに付き添ってもらいながら書斎に伺った。動けるようになったので一人で平気だと伝えたものの、念の為とのこと。(今まではどんなに辛かろうとも一人で行ってきたのに……。ベルの優しい対応につい戸惑ってしまう……)「殿下、シルヴィア様をお連れ致しました」ベルが扉の前で伝えると、書斎の内側からハドリーの声が響く。「シルヴィア、入れ」「はい」シルヴィアは短く返す。するとベルが一歩前に出る。「扉は私が」ベルの手によって扉を開けられ、そのことに内心驚きつつも、お礼の会釈をし、書斎の中へと入った。ぱたん、と扉が閉まり、書斎の席に座るハドリーと目が合う。「あの、殿下……」「窓の近くまで来い」「はい」シルヴィアは言われた通り、窓の近くまでいく。するとハドリーが席から立ち上がり、窓のカーテンを開ける。夜空に美しく見事な月が浮かぶのが見えた。「わ、大きな月……」シルヴィアは声を上げると同時に、ハッと我に返る。(あまりにも美しくてつい声を上げてしまったけれど、殿下にじっと、見られているわ……はしたなかったかしら……)「体調の変化はあるか?」「いえ、特に何も……」「そうか」(……? 殿下、一体どうなさったのだろう?)疑問に思うと、ハドリーが息を吐き、真剣な眼差しでこちらを見据える。「陛下から、月には気をつけよ、とのお達しが出た」ハドリーの言葉に、シルヴィアは息を呑む。「その為、今後、夜に月を眺めること、及び、夜の外出を一切禁ずる。良いな?」「かしこまりました……」* * *そして3日を過ぎた午後のこと。邸宅に騎士長一行が再び訪れた。
Last Updated: 2025-12-13
Chapter: 7話-5 殿下のもとで。「それが、お前の願いか」 ハドリーの声が静かに響き、頭上からカチリと剣を鞘から抜きかける音がした。 金属の冷たい擦れが、部屋の空気を鋭く裂く。 ————ああ。ついに斬られる。 シルヴィアは目を閉じ、死を覚悟した。 体が小刻みに震え、息が詰まる。だが、次の瞬間、剣が鞘に収まる乾いた音が響き、足音が近づいてくる。 ハドリーが膝を折り、目の前にしゃがむのが分かった。 「頭を上げろ」 低い、抑えた声。シルヴィアは怯えながら恐る恐る顔を上げた。 ハドリーの瞳はどこか優しげで、シルヴィアの胸がざわめく。 「斬られることがお前の願いだとしても、私はお前を斬る気はない」 ハドリは一瞬、視線を逸らさず見つめ返した。 真剣な眼差しに、シルヴィアは息を呑む。 「シルヴィア、お前こそが本物の聖姫なのだから」 「え……それは、一体?」 声が震えた。信じられない。 「亡妻ルーシャと共に月の下で聖姫の力を封印した————とお前の父、ラファルから聴取の際に聞いた。よって、お前には聖姫の力が宿っている」 「わたしに……聖姫の力が……?」 驚きと戸惑いが喉を締めつけた。世界が歪むような感覚。 「ああ。そして、お前は薬を作っていたそうだな」 「おとうさまから聞いたのですか?」 「いや、これはフィオンからだ。お前は気づいていなかったようだが、お前に聖姫に似た香りを感じたことがある。そして、時折微かに発光し、魔形に捕らわれた時には、いつにも増して発光していた。よって、薬を作っている際にも恐らく発光し、お前が作った薬や皇帝に飲ませた薬も聖姫の力が込められていた為、民や皇帝に効いたのだろう」 「そう……だったのですね……」 声が掠れた。 自分の体が、知らぬ間にそんな力を宿していたなんて。 「これも私の見解だが、聖姫の花に触れた際に発光と共に拒絶にも取れる反応を示したのは、恐らく、力が封じられているのが原因だろう」 「なぜ、お母さまとお父さまは……聖姫の力を封印したのでしょうか……?」 シルヴィアの声が、かすかに震える。 ハドリーは一瞬、目を
Last Updated: 2025-12-10
Chapter: 7話-4 殿下のもとで。「どうかしたか?」 ハドリーが静かに問いかける。 「あ、もう大丈夫です……」 「そうか」 ハドリーは立ち上がり、湯気を立てるスープの器をテーブルに置き、再び椅子に腰を下ろした。 「これより、此度の件と皇帝の宴の真相について伝える」 「はい」 シルヴィアが小さく頷くと、ハドリーは淡々と語り始めた。 リリアはハドリーと自分が帝都へ偵察に行った翌朝、にその噂を耳にし、すぐに父に頼み込み、皇帝の元へ通達。こうして皇帝の宴に招かれることとなった。 だが、リリアはハドリーの美貌に心を奪われ心変わりし、シルヴィアを排除する為、継母が闇商人から入手していた魔法の呪いの粉をワインに混ぜた。 ところがメイドの誤りで、皇帝がそのワインを口にしてしまい、その後、シルヴィアが皇帝を救う姿を継母と目撃したリリアは、再び画策。 継母が同じ商人から手に入れた眠り薬を仕込んだ指輪を、父ラファルの贈り物と偽らせ、雇った者たちを通じてシルヴィアの手に渡るよう仕向け、攫わせ、継母と共に甚振って弱らせ、ゲートが開いていないのに魔形が偶然現れたことを利用した。 継母を守り、【本来自分のものだったはずのもの】を取り戻す為。そして本物の聖姫だと証明する為、魔形に差出し、更に、帝都の隠れ家で店員達が噂していた『魔形から身を守る高価な指輪』————その破片が庭に残されていたことで、リリアが黒幕である手がかりが掴めたとのことだった。 「それで、此度の罪についてだが」 シルヴィアはごくりと息を呑む。 「リリアが雇った者達、呪いの粉と指輪を継母に売った商人は永牢。リリア、継母、そして父ラファルは————アシュリー皇帝とお前を殺めようとした罪で、国外追放。一家離散となる」 ハドリーから意外な結果を聞き、シルヴィアは両目を見開く。 「あの……それは命は取られずに済んだということでしょうか?」 「ああ。死刑でもおかしくなかったが、皇帝が配慮してくれたそうだ」 安堵が胸に広がる。 自分のせいで誰かが死ぬのは嫌だから良かった。 けれど————リリアの護衛となったフィオンはどうなるのだろう? 「で、殿下、その……
Last Updated: 2025-12-07
Chapter: 7話-3 殿下のもとで。ハドリーは氷のような眼差しでギリッと睨みつけ、静かに告げた。 「聴取は終わった。連れて行け」 その声に応じ、リゼルが扉を開ける。騎士達がラファルの両腕を掴み、無造作に立たせ、引きずるように連れ去っていく。 そして扉が閉まる音が響いた瞬間、ハドリーは右手で顔を覆う。 予感はあった。だが、シルヴィアの死を一番に願っていたのが実父だったとは。 それだけでなく、シルヴィアは聖姫の力を宿していた。しかし、封印されたままでは――。 ハドリーはふと視線を落とし、鞘を見つめる。 「……明日で期限の2日前か」 (シルヴィアが目覚めたその時は、覚悟を決めなければ) * * * 翌朝、シルヴィアはふと柔らかな陽射しを感じ、目を覚ました。 シーツの匂いは自分の部屋のものだ。包帯の感触が肘から肩へ、ぴったりと巻かれ、手当てもされている。 「……目覚めたか」 聞きなれた低く、冷たい声。この声は。 シルヴィアは隣に視線を移すと、月夜のように美しい長い髪を緩く一本の三つ編みにまとめ、肩から前に垂らしたハドリーの姿が目に映る。 シルヴィアは息を呑むも思わず口を開く。 「で……ゴホッ」 「大丈夫か? すまない、驚かせたようだな」 「で、殿下がここまで……?」 「ああ。馬車に乗せ、邸宅まで連れ帰った後、ここまで私が運んだが昨日は起きず、心配していたが目覚めて良かった」 シルヴィアは唇を震わせる。 「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません……」 「いい。それより、ベルにスープを用意させた。食べられそうか?」 シルヴィアはコクンと頷くと、一人で起き上がろうとする。 するとハドリーが支え、起こしてくれた。 「あ、ありがとうございます」 シルヴィアがお礼を言うと、ハドリーは立ち上がり、テーブルから湯気の立つスープが入った器を手に取る。だが、渡す気配がない。 「あ、あの?」 「口を開けろ」 「はい」 言われた通り口を開けると、ハドリーがスプーンでスープをすくい、シルヴィアの口の中に入れる。 ――殿下が。
Last Updated: 2025-12-06
Chapter: 7話-2 殿下のもとで。* * *しばし時間が流れ――午後。ハドリーは邸宅の客間でソファーに腰を下ろしたまま、向かい側のラファルと対峙する。シルヴィアを抱き締め続けた後、騎士団が荷馬車を伴って到着し、捕縛用の粗末な荷馬車にリリアと継母を押し込み、高貴な馬車にはシルヴィアとフィオンが乗せられた。そして自分はリゼルと同じく高貴な馬に跨り、この邸宅へと戻ってきたのだが、自ら運び寝かせたシルヴィアは今も自分の部屋で眠ったままだ。しかしながら、庭でのリリアと継母の取り調べにより、これまでの真相が明らかとなった。継母は帝都の闇商人から呪いの魔法の粉と、隠れ家の店で噂されていた高価な魔形から身を守る指輪を入手。リリアはその粉をワインに混ぜ、シルヴィアを殺めようとし、眠り薬を仕込んだ指輪を父であるラファルの贈り物として偽らせ、雇った者達を通じてシルヴィアの手に渡るよう仕組んだという。休憩室でフィオンも同じ供述をした為、疑いの余地はない。雇われた者達はリリアの供述により、路地裏で即座に騎士団に拘束され、リリアと継母と共に宮殿の牢獄へ、フィオンは追加の取り調べの為、別の馬車で宮殿へ送られた。商人が捕まるのも、もはや時間の問題だろう。「では、話を聞かせてもらおうか」ハドリーが重い沈黙を破ると、ラファルがゆっくりと口を開いた。「此度の件は妻ブライアがリリアと共に企てたこと。しかし、アシュリー皇帝に、リリアが是非お会いしたいとの皆を通達したのはこの私だ。――結果、リリア達が皇帝の宴に招かれることとなり、あのような惨事が起きてしまった」「えらく他人行儀だな」ハドリーの声は氷のように冷たい。「シルヴィアがリリアと継母に虐げられていた頃から貴様が無関心を決め込んでいたことはすでに知っているが、皇帝の宴、そして此度の件――シルヴィアを殺めようと一番に企てていたのはお前自身ではないのか?」ラファルは一瞬、目を伏せた。「ああ、そうだ。————シルヴィアがこの世から消えることを、私はずっと望んでいた」その言葉に、ハドリーの指が剣の柄に触れる。空気が張り
Last Updated: 2025-12-03