Chapter: 第2話 フィオナ・ド・ヴェルメール 初めての授業(ホームルーム)を終え、セリウスたちは学舎の男子寮へ向かった。騎士養成学校《ヴァルロワ学舎》は全寮制である。 石造りの廊下には、荷物を抱えて右往左往する新入生や、容赦なく声を張り上げる上級生たちの姿があった。 窓の外には練兵場が広がり、槍を振るう上級生たちの掛け声と、陽光をはじく金属音が爽快に響いている。 セリウスは自室に荷物を運び入れ、ふと息を整えたそのとき――背後から、不意に声をかけられた。「初めまして。お隣さん」 振り向いた瞬間、息を呑む。 そこに立っていたのは、長い黒髪を背に流し、宝石のように澄んだ蒼の瞳と白磁の肌を持つ“絶世の美女”だった。 (……は? 男子寮に女?) 一瞬そう思ったが、声にはわずかに低音が混じっている。 年齢は同じくらいに見える。寮母にしては若すぎるし。……ドレス姿でここにいるってことは? 「……あの、あなたは?」「自己紹介が先ね。フィオナ・ド・ヴェルメール。一年生よ。お見知りおきを」 彼――いや、彼女?――は優雅にスカートの裾を摘み、舞踏会さながらのカーテシーをしてみせた。その仕草は女王に謁見する淑女のように完璧で、しかも自然。 視線がセリウスを上から下までさらりと流れ、値踏みするように止まる。その口元に、意味深な笑みが浮かんだ。 (男子校の生徒ということは……やっぱり男? いや、女にしか見えないけど……それにしても美形すぎる! なんで男子寮に、こんなのが……。私、女なのに、完全に負けてるんだけど!) セリウスは心の中で頭を抱えつつも、表情には出さずに一歩前へ。 胸に手を当て、努めて落ち着いた声で名乗った。「セリウス・グレイヴです。初めまして。これからよろしくお願いします」 声がわずかに裏返りそうになるのを、必死に押し殺す。「あなた、随分と整った顔立ちね。しかも……肩幅が私より狭いわ。ふふ、もし私みたいに女装したら――間違いなく見惚れるほどの美人になるでしょうね」 心臓が跳ね上がる。 (なっ……!? 一
Last Updated: 2025-12-17
Chapter: 第1話 男装の令嬢、騎士養成学校へ ここはレーヴァンティア王国。 豊かな麦畑とワインの産地で知られるが、近年は北方のガルド帝国との国境で緊張が高まっている。 そのため、王都アルヴェーヌでは若き騎士候補の育成にかつてない熱が注がれていた。 王都アルヴェーヌ――王国の政治と文化の中心であり、華やかな宮廷と広大な市街を抱く。春、セリウスとアランは、この都へと到着した。 石畳の大通りには商人や旅人が行き交い、街角には大道芸人や吟遊詩人の姿まである。領地では見たこともない光景に、セリウスは思わず馬車の窓から身を乗り出した。(……ここが王都……。アラン様と共に学ぶ新しい日々が、ここから始まるんだ) やがて馬車は、壮麗な学舎へと辿り着く。 騎士養成学校《ヴァルロワ学舎》。王国屈指の武門の誉れであり、貴族子弟と有力市民の若者が剣と学問を競い合う場所。白大理石で築かれた校舎は堂々たる威容を誇り、広大な練兵場や図書館を併設していた。その門をくぐるだけで、胸が高鳴る。 入学初日、広間には全国の有力貴族や騎士の子弟が一堂に会していた。 セリウスは思わず周囲に気圧される。煌びやかな家紋を刺繍した制服を誇らしげに着こなす者たち。長剣を下げて自信に満ちた目を光らせる少年たち。「緊張してるか、セリウス?」 アランが優しい視線をセリウスに向けて笑った。彼は王都南方の大領地リヴィエール公爵領の嫡男。 金糸のような長髪を後ろで束ね、黒地に銀の縁取りが入った制服のマントを翻している。道行く村娘たちが一斉に振り向くほどの美貌だ。「緊張? してない。むしろ……むしろ、やっと剣を振るう場に立てるのが楽しみだ」 そう答えたが、誰が見ても緊張しているのが丸わかりだ。 アランはセリウスの肩に手を置き、小声で囁き微笑む。 「私もだ」「ここに集うのは皆、将来の王国を背負う者ばかりだ」 式辞に立った教頭の言葉が、空気を一層引き締めた。 セリウスは隣に立つアランの姿をちらりと見る。 彼は涼しい顔で広間を見渡し、緊張する素振りすらない。 (……やっぱりアラン様は堂々としていらっしゃる。私は……私も、負けていられない!) やがて新入生たちはそれぞれのクラスに振り分けられた。 セリウスとアランは幸いにも同じ組になったが、そこにはすでに個性豊かな面々が待ち受けていた。 無口で大剣を背負う巨躯
Last Updated: 2025-12-17
Chapter: プロローグ 1 レーヴァンティア王国グレイヴ騎士爵領。「セリウス! 準備はできたか?」「はい。|お父様《おとうさま》。準備はできております」「お父様ではない。お前は、立派な騎士爵家の跡取りとしての作法を身につけよ! これからは、|父上《ちちうえ》と呼ぶように」「はい! 父上!」「よろしい!」 『セリーナ・フォン・グレイヴ』―「セリウス」と呼ばれたこの少女の本名である。彼女は、グレイヴ騎士爵家の一人娘で、幼児期は魔除けのため男児の服装で、その後は、爵位存続のため、男として育てられていた。 八歳となりグレイヴ騎士爵家が仕える|王都《アルヴェーヌ》南方の大領主・リヴィエール公爵家に、父に連れられ、グレイヴ騎士爵家の跡取りとして公爵様に初めての挨拶に伺う所である。「セリウス! 決して女であることを悟られてはいかんぞ。騎士爵家の位は男でなければ継げんのだ。跡継ぎに男子がいないとわかればグレイヴ家は断絶なんだ」「分かっております。父上」 *** レーヴァンティア王国|王都《アルヴェーヌ》南方に広がるリヴィエール公爵領。その館の正門をくぐると、広大な石畳の中庭に噴水があり、白亜の館が陽光を受けて輝いていた。幼いセリウス――いや、セリーナは、その威容に息を呑んだ。「気を抜くな、セリウス」 父の低い声に背を押され、彼女はぎこちなく胸を張る。 やがて、館の大扉が開かれる。 現れたのは、セリウスと同じくらいの背格好の少年。深い蒼の瞳に長い睫毛、陽光を浴びて金色に煌めく髪――その姿はまるで絵画から抜け出した美少年だった。「グレイヴ騎士爵殿、よくぞお越しくださいました」 柔らかな声で礼を述べるその少年こそ、リヴィエール公爵家の嫡男、アラン・リヴィエール 八歳である。「おお、アラン様。ご健勝そうでなにより」 父が膝を折り、恭しく頭を垂れる。セリウスも慌てて倣い、膝をついて小さく礼をした。 だがアランは近寄ると、屈んでセリウスを覗き込んだ。蒼い瞳が、幼き「少年(女)」を射抜く。「君が、セリウス殿か。グレイヴ騎士爵家の跡取りだと伺っている」「は、はい! アラン様!」 声が少し裏返り、慌てて咳払いをする。 アランはふっと微笑んだ。「……緊張しているの? 大丈夫だよ。僕も最初に父の隣で挨拶をしたときは、手が震えて仕方がなかった」 その微笑は、幼いながらも気
Last Updated: 2025-12-16