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氷高 ノア
氷高 ノア
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Novels by 氷高 ノア

優しい三途の川の渡り方

優しい三途の川の渡り方

自殺願望を持った女性・若村有利は、今日を最高の一日にして、死ぬことを決意。 トランプで選んだ死に方の為に、あらゆる所へ向かっていた。 その途中、とある不思議な男に出会う。 それは、「死にたいのなら死ねば」と言うような男だった。 死にたい人間×生きたい人間。 そんな二人の最高の一日が終わりへと向かう中、互いの過去が明らかになり─── 真実を知った後、予想外の切ない展開が待ち受ける!
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Chapter: あとがき
皆様、最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。 今回、私の中では新しいジャンルに挑戦したつもりです。 今までは、生死に関する物語でも、最後には『生きて』ということを主張する物語ばかりでした。 ですが今回、『本当に死にたいと思っている人は、そんな夢物語で変われるのか』ナガトの言うように、『死にたいと思っているほど辛い思いをしている人に、生きろと言う方が酷なのではないか』と思い、このお話が生まれました。 もちろん、読者様には死を選んで欲しくはありません。ただ少し、その辺の感情を出し、極限状態まで追い込まれた人が、狂った先にあるものを書きたかったのです。 そして、若村有利と真逆の考え方を持つナガト。 有利よりも、ナガトの考え方のほうが私寄りです。 私も、苦しみの次は幸せが来るし、その次はまた不幸が訪れ、また幸せがくるというサイクルを信じています。 それが生きている人の特権であるとも思っています。 この作品は、正反対の二人が描く、〝考え方〟の物語だと私は思っています。 物事は、捉えようによって、人生が変わります。 前向きに考えれば考えるほど、人生は豊かになると信じています。 もちろん、それにも欠点は付き物ですが。 私は、全てを前向きに捉えていきたいと思っています。そしてそのまま、私という人生の道の先へと進んでいきたい。 読者様にも、色々な〝考え方〟や〝捉え方〟があることを、心に刻んで、これからの人生を歩んでいって欲しいと思います。 苦しい時は、「あ、これは、もう少ししたら凄くいい事があるかも!」というように、考えて頂きたいです。 とは言っても、やはり辛い時は、そんなことを考える余裕もなくなるかもしれませんが。 それでも私は、読者様や全世界に生きる全ての人の幸せを願っています。 無理なことは承知の上ですが、全ての人々が幸せになって欲しい。 これは私の願いです。 このお話によって、少しでも新しい考え方を知ることが出来たり、それによって心が楽になった方がいらっしゃったら幸いです。 ここまであとがきを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。 私もまた先へ進みます。 また別の作品でお会い出来ると幸いです。 ありがとうございました。2020.03.21. 氷高 ノア
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 渡り方
いつの間にか、辺り一面が闇に染まっていた。 橋の下で小さく座る私たちは、流れ方の違う時間を共有している。 水の囁きと、傍を通る車のエンジン音が、言葉のない私たちの間を駆け抜けていった。 まなみさんの過去を話すと、ナガトは次第に落ち着いていき、最後は静かに泣いていた。 ナガトの涙を目にするのは初めてだった。 といっても、まだ出会ってから二十四時間も経っていない。それにも関わらず、私はナガトに素を見せることができていた。感情を解放し、新しい考え方を知ることが出来た。 今日初めて出会った人なのに、これほど自分が自分でいられるのは、きっとナガトだからなのだろう。 幽霊かなんて、関係ない。 何故、私にだけ見えるのかを考えてみた。どうして私がナガトに出会ったのか。 一つの答えとして、私の死期が近づいているからなのかもしれない。 もしくは、ナガトと私が正反対だからか。 死ぬことを望んでいる私と、生きることを望んでいるナガト。 お互いに見える世界が違って、でも苦しんでいて。だからこそ、二人で支え合えると神様が結んでくれた縁なのかもしれない。 ナガトのおかげで、私は異なる視点から物事を捉えられることを知った。 私は、ナガトとまなみさんを多少なりとも救えたのではと思う。 ナガトはあれから何も言わない。 これからどうするのだろうか。死んだという事実を受け入れかけている今、このままこの世を彷徨うのか、あの世と言われる世界へ向かうのか。「ナガトは、これからどうするの?」 道路を走る、車の光に照らされた川を見つめて呟いた。 その上にかかる橋は、随分と遠くまで伸びており、川は相当深いと思われる。 ナガトも同じ方向を見つめていた。「どうすればいいんだろうな。鉄骨が落ちてきた時、『あ、死ぬかも』と思って記憶が途切れて、別に神様に会うこともなくここにいる。目覚めたのは、事故から多分数ヶ月は経ってたんだよな。何が起こったのかもわからず、でも死んだと思いたくなくて、無理やり生きてた。生きてる証拠を探して。でも本当は最初からわかってたんだよ。腹も空かねぇ、話しかけても答えてくれねぇ、時々ふわっと飛んでいきそうな瞬間がある。認めたくなくて、この世にやり残したことが多すぎて、死ぬに死にきれなかったのが俺だよ」 神様なんて、本当にいるのだろうか。いるのならいっその事
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 傷の在り方
ナガトとまなみさんが出会ったのは、大学に入学してすぐだったと、彼女は言った。 学部や学科、更には偶然アルバイト先までも同じで、話す機会が増えていったという。 まなみさんはナガトが人生を謳歌している姿や、どんなに困難なことに直面しても、前向きに進む姿に、次第に惹かれていったらしい。 一回生の終わりごろ、二人は付き合うことになった。 ナガトとは趣味も話も合い、まさに運命を感じていたのだそう。 社会人になってからも、二人の縁は切れることがなかった。 二十四歳の冬、まなみさんは上から転勤を命じられた。かなり離れた土地のため、遠距離恋愛になるかもしれないと告げると、ナガトからプロポーズされたと。 ナガト自身も、なんとか近くに住めるようにしようと言ってくれたらしい。 そして、まだどこに住むかを決める手前、ナガトは死んだ。 工事現場の近くを歩いていたところ、上から鉄骨が落ちてきて、即死だったそう。 神様がナガトの命はここまでだと言わんばかりに。 まなみさんはナガトのことを心から愛していた。 そのため、その傷はずっと癒えなかった。 一人闇の中に取り残され、孤独でたまらなかったと。 周囲の人に支えられ、なんとか仕事は行くことができたらしいが、常に上の空で、転勤先でも失敗ばかりだったという。 もう一生好きな人も恋人も夫もいらないと、固く心を閉ざしていた。失った悲しみは、日に日に増すばかり。 そんな中で、一際まなみさんを支えたのが、今の旦那さんだったそう。 旦那さんは転勤してきたまなみさんに一目惚れし、噂で聞いた彼女の辛い過去を知った。 それからは全力でまなみさんを励ましてくれ、時間をかけて心の扉を開けてくれたらしい。 それでも、やはり傷跡は残っている。今はもう三十代半ばに差し掛かるらしいが、ふとした時に思い出しては辛くなるのだそう。 旦那さんのことを愛してはいても、あの頃の最大の愛と傷を、忘れられない。今もずっと、心のどこかで探していると、彼女は言った。 まなみさんの痛みは、計り知れない。両親を亡くした私でも、同情していいものとは思えなかった。 辛くて苦しくて、どうしようもない思いに襲われる。どこに行っても失ったものは帰ってきてはくれなくて、残された自分は、一人で孤独に生きているのだ。 私はここで諦めてしまった。死を選んだ。 けれど、
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 受け入れ方
その真実に瞳が揺れた。 やり場のない感情は、まるで誰かに心臓をねじ曲げられたようで、背筋に冷気が襲った。 娘の相手に一段落した男が家から出て来て、まなみさんを優しく連れ帰る。 その後ろ姿を呆然と眺めながら、私はナガトが去っていった道につま先を向けた。「ナガト……」 思わずその名を口にする。次の瞬間、私は走り出していた。 ドレスを着て、髪型も整えられた女が、服装を間違えた陸上選手のように全力疾走する。 パンプスのヒールが弾け飛ぶように、コンクリートを殴った。「待って……。待ってナガト!」 どこに行ったのかもわからないナガトを、無我夢中で探す。 ナガトが行ったであろう曲がり角のずっと先には、開けた道があった。 車が往来し、先程の閑静な住宅街とはまるで違う雰囲気を醸し出す。 まだ夏の蒸し暑さが残る日の元で、道路の先に見えるものを確認しに走る。 体も心も、何も感じなくなっていたはずのに、やはり私は生きているようで、公共機関も使わずに歩いた足が悲鳴をあげていた。 久々に走ったことにより、呼吸が激しく乱れる。息をする度に、横腹が痛くてたまらない。 道路の端に立つと、横断歩道の向こう側に何があるかハッキリとわかった。 赤くなった太陽の光を、これでもかというほど反射させ、それ自身の流れも加わり、煌びやかな情景を作り出していた。「……川だ」 何故だかそこに進んだ。 子供が信号待ちをする前を、堂々と渡る。 赤信号にゆっくりと死にかけの足を進める私に、クラクションと脅威の視線が刺さる。 なんとか止まった車から、罵声が浴びせられるも、私の脳内には響かなかった。 ただひたすらに、行かなければという最後の信念で、息を切らした私は歩いた。 川のほとりに彼はいた。橋の下ということもあり、他より少し暗い中に佇む姿は、私に真実を告げているよう。 小さな堤防のように斜めったコンクリート上で、ナガトは私に気がついた。 瞬間、視線と体の向きを反対に移動させ、赤の他人であるように歩き出す。「ま、待って……!」 二人の間にある数メートルの距離を走り、私は手を伸ばした。 ナガトの黒いジャケットから出た、骨ばった手を目掛けて掴む。 ───はずだったのに。 その時だけ時間が止まったようだった。 私の指先は、確かにナガトの手に届き、ナガトがその瞬間を横
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 語り方2
車一台がようやく通れるほどの道が続く。その上で、スニーカーの地面を弾く音と、パンプスのコツコツと鳴く深い音だけが響いていた。 もう随分と歩いている気がする。空が少し赤く染まりだしてきた。 足がびりびりと痛む。血の巡りが悪いせいだろう。なぜだか笑えてきた。弱々しい最期を迎えている自分に酔っていたのだ。「ナガト、どこに向かってるの?探してる人の家?」 ナガトは少し間をあけた後、木の葉が揺れる音と重ねて口を開いた。「探してる……人の実家かな。今日のはずなんだ」 そこでナガトは足を止めた。つられて高く深い足音も消える。「……やっぱり、人ってどうしようもなくなると、誰かに縋りたくなるんだよな」 ナガトの背中は小さかった。あんなにも堂々としていた彼はどこに行ってしまったのだろう。「ナガトでもそんな時があるの?」「あった。今だな。俺は俺だから、別にお前に話す必要なんてないだろうし、結局どうにもならないことなんだろうけど…。それでも、吐き出していいか?」 ゆっくりと体をこちらに向けるナガト。その姿は逆光に包まれ、まるでナガト自身から光が漏れ出しているかのようだった。 話すとはなんのことだろう。今探しているものなのか、探す原因になった過去か。いずれにせよ、それはきっとナガトにとって一番重荷であり、辛い事なのだろう。もうすぐ死んでしまう私に話したくなるくらいに。「いいよ。私もう死ぬし、今後に影響は出ないから大丈夫。それに、こんな私でも一応まだ生きてるらしいから、愚痴をこぼす相手くらいはできるよ」 風に踊らされた木の葉が、私たちの足元で舞い、去っていく。 ナガトは、深く息を吐いた。そして、「よし」と小さく呟く。「ずっと、婚約者を探してるんだ。もう何年も。大学で出会って、付き合って、卒業して仕事も少しずつ慣れてきて、婚約した。まなみって言うんだ。式の予定もあった。だけど、突然連絡が取れなくなった。多分あれは二月頃だ。四月からまなみが転勤するのは知ってたけど、まだどこに住むのかは決まっていなかった」 何年も婚約者を探しているだなんて。そんなのもう結婚詐欺か浮気か何かでしょ、と言いそうになって止める。 ナガトは否定しなかった。だから私も否定はしない。「一度だけ、まなみの実家に行ったことがあるんだ。まなみは大学から一人暮らしをしていたから、かなり遠出だっ
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 語り方1
商店街を抜けて脇道に進むと、一気に人通りが少なくなった。 家々が立ち並び、雨風で汚れたコンクリート製の壁が、細い道を歩く私達に圧迫感を強いる。 庭から見える木は、多少色素が変化してきていた。 まだ日は高く昇っている。 前を歩くナガトは、歩幅を合わせてくれていて、新品のパンプスを履いていてもそれほど辛くはなかった。 風が前から吹き荒れる。まだ生暖かい風は、少しずつ秋の香りを運んでいた。 人間の記憶と嗅覚は繋がっていて、しばしばその記憶は強く鮮明だという。 そのせいだろうか。あの頃の記憶が脳裏に浮かぶ。「このくらいだったかなぁ」 本当は言うつもりなんてなかった。でも、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。 足はそのまま動かすも、ナガトは「ん?」と呟いて振り向いた。「両親がね、去年死んだの。交通事故。最初は意味がわからなくて、ずっと夢だと思ってた。何が起こったのか理解できないまま、葬式を終えて、仕事に戻って…」 人は、嫌な記憶を忘れるように出来ているらしい。記憶上の私は、ぼんやりとしている。「今年で二年目だから、去年は新入社員だったの。しかもブラック企業の。だから本当に辛くて、たまに実家に電話してたのよね。ある時、上司に理不尽に怒られたんだったかな。家に帰って思わず電話しちゃったの。出るわけがないのに。そこで気がついちゃった。もうこの世界のどこにも居ないんだって」 スマートフォンを握りしめて泣いた。もう「大丈夫だよ」と言ってくれる存在がいないことを知った。 一人っ子の私を、ここまで立派に育ててくれて、大学も就職も、自分の好きなところに進みなさいと、温かく見守ってくれた。 間違っていたら叱ってくれた。発表会で失敗して泣いていたら、慰めてくれた。試合で負けて悔しがっていたら、次はいけると応援してくれた。友人関係で苦しんでいたら、隣で静かに頷いて話を聞いてくれた。嬉しいことがあれば、一緒に喜んでくれた。 それは今まで、当たり前だったんだ。 これから先、永遠に続くと思い込んでいた。 でも、それはとんでもなく特別なことで、そんな日々が存在すること自体、奇跡だったのだ。 失ってから気がついたところで遅かった。 何も言えなかった。 就職して一人暮らしをする時だって、気恥ずかしくて、ここまで育ててくれてありがとうなんて言えなかった。
Last Updated: 2025-12-23
君が選ぶやり直し

君が選ぶやり直し

 愛されたい。  認められたい。  ずっとそう思ってきた。  満たされない思いを抱えたまま、ただ言いなりになる操り人形のまま生きていくなんて、耐えられなかった。 「私、お母さんを殺したの」  白昼堂々、私は自分の罪を打ち明けた。目の前から音が消え、私と彼の二人だけの世界になる。 「殺した?」  絞り出したかのような声で、ただ一言彼はそう尋ねた。 「そうだよ」  膝に乗せられた指先が冷たくなって小さな振動を起こす。   「私ね、本当は──」 START▷▶︎▷2023.07.29. END▷▶︎▷2023.09.24.
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Chapter: あとがき
 最後まで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。 今回は家族の愛情をメインとした作品でしたが、いかがだったでしょうか。 現役中高生の皆様、そして過去に同様の経験をされた方々、何か通じるものはありましたでしょうか。 そして今現在、同じ年頃のお子様がいらっしゃる保護者の皆様、向き合い方に悩んでいる方もいらっしゃいますでしょうか。 実は私自身、主人公と少し似たような思いをした経験があります。 堂々と反抗できるような人間ではなかったのですが、当時はやはりただ受け入れられるほど大人ではなかったので、湧き出る怒りの感情を抑え込んだり、文字に書き出してみたりという行為しかできませんでした。 ですが、年齢を重ねるにつれ、当時は辛かったあの言葉の数々にも、愛があったのだと思うようになっていきました。 きっと、同じような経験をしていても、大人になった時には我が子への伝え方がわからず、すれ違ってしまうことも多いと思います。 例え親子であっても他人のため、愛を持ってかけた言葉の意味も、上手く伝わらずに、お互い悩み苦しむこともあるでしょう。 そんな方々に向けて、少しでも子供視点、親視点で読んでもらい、主人公だけでなく読者の皆様も一緒に、何かしらの気づきを得て、成長できる作品であってほしいと願いながら書きました。 まだ私は親にはなっていません。 いつか子どもができた時に、同じように辛い言葉をかけてしまうことも時にはあるかもしれません。 そんな時に、この作品を読み返し、自分が当時感じたことを思い出せるように、また自分の子に、親の愛の形を伝えられるように、という思いも込めました。 保護者の皆様、上手く愛情を伝えられなくても、自分を責めないでください。 でも、愛故に縛りすぎることや、子どもの挑戦や選択肢を否定したり奪うことは、悲しいことだと知っておいてほしいと思っています。 主人公に共感した皆様、自分の思いは大切です。決して諦めないでください。 でも、自分の見たり考えられる範囲の外に、気づかないほどの無数の愛情がある
Last Updated: 2026-01-19
Chapter: エピローグ
「守ってやれなくてすまなかった」 ふと、隣から低い声が聞こえた。そちらを見ると、相変わらず鳥のような嘴つきのマスクが若干下の方を向いている。 「事故が起きた時、守ってやれなくて、本当にすまなかった。ずっとお前たちを見守っていたのに、間に合わなかった。ただ、お前たちの関係が悪いまま死ぬことだけは、どうしても避けたくてな……。だから私にできたことはあれが精一杯だったんだ……」 そうだ、ずっと不思議だったのだ。初対面の頃から、ずっと温かさに包まれて安心していたのは、天の使いだからだと思っていた。でも、どこかでこの安心感を知っているような気がしてならなかった。 「もしかして……」 無重力の世界で、私はぐんと天使に近づき、マスクに触れる。 天使は抵抗することなく、俯いていた。 そっと力を加え、仮面を剥がす。少しずつ肌の質感が太陽に照らされて現れてきた。 頬に残る皺。薄い髭。伏せていた瞳が開き、私と目が合った。 それはまるで鏡を見ている気がするほど、私とそっくりな目をしていたのだ。 「お父さん……?」 ふと、そんな言葉が口から出ていた。記憶の中では一切覚えていないものの、いつかの写真で見たことがある顔。 その人は、静かに首を縦に降ろした。 やはりそうだった。私は自然と涙が零れる。 「良いんだよ、お父さん。ずっと見守ってくれてありがとう……」 二歳の頃に亡くなったことは知っていたが、あまり詳しくは聞いたことがなく、ずっと母と二人で生きてきたと思っていた。 だがきっと、父もずっと見えない世界から私たちの傍にいてくれていたのだろう。 「これからはさ、二人でお母さんのこと、見守っていこう?」 すると、父の表情が曇り、浮上を止める。 もちろんその答えは、イエスと決まっているものだと思っていたため、空の世界で私は一気に孤独感に包まれたような気分になった。 「お父
Last Updated: 2026-01-19
Chapter: 第七章(1)
「ねぇ、起きて。お願い……」 そんな声が聞こえて、私は目が覚めた。 優しくて懐かしくて、心が温もりに満たされるような声だった。 ぼやけていた視界が、次第にクリアになってくる。 その姿を見た瞬間、目頭が一気に熱くなるのがわかった。 「お……お母さん」 私がそう発するも、目の前に座り込む母はこちらを見向きもしなかった。まるで声が届いていないかのように。 「絵美……ねぇ、起きてちょうだい……お願いよ……」 わあっと泣き崩れたその場所は、お母さんと二人で暮らしたあの家の、私のベッドの前だった。 穏やかな顔で眠る、もう一人の私を前に母は何度も声をかけている。 「ねえ、お母さん。私はここにいるよ。ねえ、気づいてよ、お母さん!」 私も声を張るものの、数メートルの距離もないのに届かない思いがもどかしくて、私も堪らず涙が溢れた。 「どうして……どうしてそっちを選んだのよ絵美。お母さんのことなんて考えず、あなたはそのまま生きていてくれたら良かったのに……」 母の呟きに、私は思考が停止する。 どういうことだろう。リセットされた世界のはずなのに、まるでやり直しのことを言っているような言葉だった。 「どういうこと?」 すると背後から温かい気配が現れた気がして、振り向く。そこには予想通り、天使おじさんが母を見下ろすように立っていた。 「ねえ、どういうことなの? やり直しは、私が選んだんでしょ? お母さんは一体何を言ってるの?」 私は天使おじさんに詰め寄った。彼はしばらく何も答えず、床に溶けるほど悲しみにのまれた母をただ見つめるのみだった。 「ねえってば! どうして何も教えてくれないのよ!」 私は拳を作り、彼の胸を思い切り叩いた。よくわからない存在に、こんなにも怒りを顕にできる自分にも驚く。 それでも言葉にできないこの
Last Updated: 2026-01-18
Chapter: 第六章(3)
 涙が落ち着いた頃、私たちは会計を済まして店を出た。 時刻はもう少しで二十一時になろうとしている。 高羅の最寄り駅であるため、本来なら目の前の改札ですぐに別れるところを、まだ一緒にいたいと言ってしまった。彼は嫌な顔一つせず、「じゃあ絵美さんの家まで送るよ」と言って再び電車に乗ってくれる。 しばらく揺られている間、私たちは何を話すこともなく、窓の外を眺めていた。 だが、真っ暗な世界に映るのは、反射した私たち二人の顔だけだった。 お互いが、ガラス越しに目を見つめる。 ゆったりと流れる時の間で、どちらからともなく置いてあった手が触れ合った。 次第にそれは重なり合い、互いの温もりが伝わる。 いつもなら、そわそわとした感覚が拭えなかったのに、なぜか今日は安心感で満ちていた。 そのまま指を絡ませ、離すことなく電車を降りる。 いつもの数倍遅いペースで歩いた。一歩一歩、時を刻むように進んでいく。 周りに人はおらず、秋の虫だけが、私たちに語りかけるように囁いていた。 止まれと願えば願うほど、時間は歩みを止めなくて、抗うこともできずに流されていく。「もうすぐ着くね」 高羅がそう言いながら、手をぎゅっと握る。私も同じように力を加えて立ち止まった。 数歩先の曲がり角を進めば、すぐに施設の入口。 離れなければいけないことはわかっている。だが、どうしても離したくなくて、何も言うことができなかった。「絵美さん……?」 不思議そうに覗き込む高羅の顔を、私は見上げることができなくて、黙り込んだ。 高羅を困らせていることはわかっていた。それでも自分の中で揺れ動く感情を上手く制御することができなくて、足を止めることしかできない。「……じゃあ、行こうか」「え?」 高羅は手を繋いだまま、施設とは反対方向の道へと曲がって進み出す。「行くって、どこに行くの?」 どんどん歩みを進める高羅を追いかけるように、駆け足になって進んだ。「どこでもないところ」 高羅の背中は大きくて、月の光に照らされて輝いていた。 どこでもないところって、一体
Last Updated: 2026-01-17
Chapter: 第六章(2)
 ほどなくして、彼は参考書を手に持ちながら現れた。相変わらず高身長で顔が整っており、見ているだけで癒される。 もちろん、それは内面の良さも知っているが故の話だが。「ごめん、待たせたよね」「全然! 部活終わりなのに来てくれてありがとう」 忙しい中、自分に時間を割いてくれることが本当にありがたくて胸に染みる。 今日行くところは決まっていた。ずっと行ってみたかったところだ。 もうその香りは、集合場所に立っているだけでも漂ってくる。「お腹すいてると思うし、行こうか!」 私は高羅の手を取る。一瞬驚いた表情でいた高羅だが、反対の手ですぐに参考書を鞄に仕舞い、歩き出した。 徒歩数十秒の距離の店の前に立ち、扉を引く。食べる前からそそられる、あの香ばしい肉の香りが体中を包み込むかのように流れてきた。「らっしゃいませー!」 元気よく響く声と共に、ジューっと肉が焼かれる音が広がる。「あ、ここだったの?」 高羅は拍子抜けしたように私を見つめた。「うん、ずっと来てみたかったの!」 ネットでも調べてみたが、ここは個人経営で店長のサービス精神が旺盛なステーキ店らしかった。 駅構内ということもあり、狭い店内ではあるが、今日はたまたま奥のテーブル席が空いていたようで、すぐに店員に案内される。 仕事帰りらしきスーツのおじさんが、汗をかきながら美味しそうに肉を頬張る姿や、大人の女性たちが綺麗なネイルを触りつつ、会社の愚痴を漏らして、食事が届くのを待っている様子など、それぞれの人生の一場面が見えた気がした。 二人で席につき、メニュー表を広げる。品数は少なかったが、どれも豪華で美味しそうな商品ばかりだった。 それぞれ迷うことなくすぐに決まり、店員を呼ぶ。「ガッツリ鉄板ヒレステーキと、サーロインステーキをお願いします」 高羅がそつなく頼んでくれ、私はそれを微笑ましく眺めていた。店員が確認し、去っていった後、ありがとうと伝えると、高羅はなんて事ないように笑ってくれる。 食事が届くまでは、たわいない雑談を重ねた。その日学校であったこと。勉強面でのわからない範囲。化学の授業の先生の話
Last Updated: 2026-01-16
Chapter: 第六章(1)
「ごめん、お待たせ! 待った?」 学校も無事に終わり、麻仲は制服のスカートをバサバサと揺らしながら、全速力で走って来てくれた。そんなに時間が押しているわけでもないのに、こうして急いで来てくれる麻仲の優しさが嬉しかった。「全然! むしろ、今日も来てくれてありがとうね」 やり直し前の今日、ファストフード店に行ったところを、今回は近くのカフェに入ることにした。 夜ご飯は高羅と食べることは事前に伝えていたため、麻仲は快く了承してくれる。 この一ヶ月、崩しに崩した貯金は、今日で底をつきそうだったため、私は安価なカフェラテを、麻仲はチョコバナナパフェを注文した。 しばらくシフトを入れておらず、バイト先には申し訳ないなと考えていると、麻仲が「ねぇ」と声をかけてきた。「彼氏との話! 結局好きだったとは聞いてたけど、詳しく聞いてなかったからさ! 今日もデート行くんでしょ? どういう経緯でそうなったのか、教えてよ!」 麻仲が目を輝かせて聞いてくる。そういえば、メッセージのやり取りでも、簡単にしか説明していなかった。 あの日のことを思い出すと、顔が熱くなる。そんなよそよそしい雰囲気を、麻仲は敏感に察知したのか、ニヤニヤと笑っていた。「えっと……そもそも高羅は私のことが好きで付き合ったわけじゃなかったみたいで……」「はあ!? 何それ! 信じられない!」 話の序章を口にしただけで、麻仲は先程の幸せそうな笑顔はどこへ飛んでいったのやら、眉を釣り上げて叫ぶ。相変わらず声が大きくて、私はすぐに人差し指を唇の前に立てた。「もう、麻仲! 落ち着いて、最後まで聞いてから叫んで!」 怒り口調になりながらも、麻仲らしさに思わず笑ってしまった。 周囲の視線に気づき、「ごめん」と本気で焦った様子で、口元に両手を当てて塞ぐところも、本当に好きだ。 馬鹿みたいに何度も繰り返すやり取りも、麻仲とだから楽しい。 麻仲と一緒にいるから笑うことができるんだ。 それから私は、高羅と話したことを最初から最後まで麻仲に伝えた。ただ、やり直しのことは、どうしても麻仲には言えなくて、その部分の出来事は省く。 その他にあった胸がきゅ
Last Updated: 2026-01-15
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