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琉球狸
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Novels by 琉球狸

「夫の子を妊娠したのは親友でした。」

「夫の子を妊娠したのは親友でした。」

「あなたの旦那さんの子、できちゃった」 親友にそう告げられた瞬間、私の世界は壊れた。 しかもその理由は―― 「だって、美咲ちゃん、産めないじゃん」 夫と親友。 一番信じていた二人に裏切られた私は、静かに決めた。 もう、許さない。 愛も、人生も、未来も―― 全部、奪い返す。
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Chapter: 第26話「取引」
指定されたカフェは、 沙織が働いているスーパーから 少し離れた場所にあった。 人通りもまばらで、 どこか静かすぎるくらいの空気。 ガラス張りの扉越しに中を覗くと、 落ち着いた照明と、ゆったりとした席の配置が目に入る。 ……こういう店、普段は来ないな。 一瞬だけ場違いな気がして、 足が止まりそうになる。 ......商談だから。 そう言い聞かせて、扉を押した。 カラン、と小さな音が鳴る。 「いらっしゃいませ」 店員の声に軽く会釈をして、 店内を見渡すと―― 「あ、拓也さん」 奥の席で、軽く手を振る沙織の姿があった。 その瞬間。 ほんの少しだけ、胸がざわつく。 私服の沙織は、 昨日とは違う柔らかい雰囲気で―― どこか、距離が近く感じた。 「すみません、お待たせしました」 「全然ですよ。私も今来たところですから」 にこり、と笑う沙織... その笑顔に、 なぜか目を逸らしたくなった。 席に着き、メニューを開く。 だが、文字が頭に入ってこない。 「拓也さん、ブラック飲める人ですか?」 「え? あ、はい……一応」 「じゃあ、今日はブラックにしましょうか」 そう言って、沙織は店員を呼ぶ。 まるで、最初から決めていたかのように。 ........ コーヒーが運ばれてきたタイミングで、 俺は本題を切り出した。 空気感をとにかく仕事に持っていくために... 「沙織さん、今日お呼びしたのは俺の仕事に ご協力いただけないかな?とお願いに参った のですが...」 「仕事...ですか?」 沙織の声のトーンが少し下がる。 「あ!俺、この飲料メーカーで営業してて... それで営業先に沙織さんの職場がありまして...」 慣れない喋りながら説明する俺に 急につまらなそうな表情をする沙織... やっぱりダメだったかな... と諦めようとした時だった。 「あ!...思い出しました」 「実は、うちの店舗で新しい仕入れの話が出てて...」 何かを思いついたように... 沙織は、淡々と話し始める。 内容はちゃんと仕事の話だ。 条件も、現実的で―― むしろ、うまくいけば 本当に契約に繋がるかもしれない。 「……本当ですか?」 思わず、声が弾む。 「はい。でも私が出来る事には限りがありますから
Last Updated: 2026-04-22
Chapter: 第25話「引き返さない理由」
美咲の友人、沙織から渡された紙を鞄に入れ、 彼女と別れたあと... 美咲の待つ自宅へ、足早に向かった。 今日も遅くなってしまった... 自宅のドアノブを握り、申し訳なさで 深いため息をつく。 ドアを開ける... 「おかえり、お仕事お疲れ様」 変わらない笑顔で迎えてくれる美咲。 その優しさに、胸の奥がきしむ。 俺が素直に、 仕事が上手くいっていないことなんて話したら、 きっと不安にさせてしまうんだろう。 美咲は不安とかネガティブな事は 我慢してしまう癖がある分 これ以上の迷惑はかけたくない。 「ただいま。ごめん、遅くなった」 俺は、何もなかったように笑った。 それから用意してくれた夕飯を食べ、 シャワーを浴びながら、今日一日を振り返る。 職場で叱られた内容。 取引先で言われる無茶な要望に 上司から振られる膨大な仕事量。 その横で、着実に評価を上げていく同僚。 俺の容量が悪いだけなんだろう... 湯が流れていくのを見つめていた。 全部、この湯みたいに流れていけばいいのに... ...美咲は、こんな俺にでも笑ってくれるのに。 「はぁ……もっと、ちゃんと頑張らないと……」 考えれば考えるほど、気分が沈んでいく。 ...... 「美咲さんに話せないことも、ありますもんね。 よかったら連絡ください」 ふと、沙織の言葉が蘇る。 ……俺、そんなに顔に出てたのかな。 連絡ください、か......。 反省と、わずかな罪悪感を抱えたままシャワーを終え、 その夜は美咲と同じベッドで眠りについた。 ....... 翌日。 出社してすぐ、上司に呼び出された。 「昨日も0件、お前は何をしとるんだ!」 毎朝、飽きないのかと思うほど 同僚の前で激励と称した説教が始まる。 俺は大学卒業後、地元の飲料メーカーに入社し、 営業に配属された。 だが、契約を取れない俺は、 同僚たちに大きく差をつけられている。 呼び出されては叱られる――そんな日々。 焦りだけが募り、結果が伴わない。 悪循環だった。 「拓也! お前は早く外回りに出ろ! 今日こそは一件でも前向きな話を持ってこいよ!」 「...はい!」 会社を出て、営業先のリストに目を落とす。 ――あ。 ここは……。 沙織が働くスーパーの名前が、そ
Last Updated: 2026-04-21
Chapter: 第24話「禁じられた果実」
目の前に、木がある。 枝の先に、ひとつだけ。 やけに目立つ果実が、ぶら下がっていた。 あれは、食べてはいけない。 誰に言われたわけでもないのに、 そんな確信だけが、頭の奥にあった。 触れれば、何かが変わる。 取り返しのつかない何かが。 それでも。 ……だからこそ、気になる。 食べてしまえば、どうなる? その禁忌に、俺は、興味を持ってしまった。 そんな事を思い出したのは 自宅のドアの前に着いた時だった。 ................. 美咲と出会ったのは、大学の頃だった。 初めて見たとき、 正直、派手な印象はなかった。 むしろ静かで、 自分から前に出るようなタイプじゃない。 なのに... 目が離せなかった。 うまく笑えていないのに、 無理に笑おうとしているところとか。 放っておいたら、どこかに消えてしまいそうな、 あの危なっかしさとか。 ……気づけば、 いつも目で追っていた。 交際を申し込んだのは、俺からだ。 頷いてくれたときのことは、 今でもはっきり覚えている。 あのときは、ただ嬉しくて。 それからも、 自分でもわかっているマイペースな性格に、 文句ひとつ言わず付き合ってくれる美咲に 俺は、更に惚れていった。 それから... 一緒に住むことも、 結婚も。 美咲は、迷いもなく笑って頷いてくれた。 ……あのときの顔は、 今でも忘れられない。 どれだけ感謝しても、足りないくらいで。 俺は、美咲と、ずっと一緒にいたいと思った。 そのために... 仕事を、頑張らなきゃいけない。 俺が美咲を養うんだ!と意気込んで 焦るように飛び込んだ会社で、 自分でも分かっている、 マイペースな悪い癖が出てしまって 気づけば、 いつも叱られてばかりの毎日だった。 それでも、 そんなカッコ悪い俺を、 美咲には見せたくなくて。 ……気づかないうちに、 いろんなものに、疲れていたんだと思う。 だからだろうか。 俺はあのときに “あの誘い”を断れなかったのは。 ........... 「ふぅ……ようやく終わった……」 デスクに突っ伏しかけた体を、なんとか起こす。 資料の期日を勘違いしていたせいで、 気づけば、無駄に残業を食らっていた。 時計を見る。 20時を、少し
Last Updated: 2026-04-20
Chapter: 第23話「善意の檻。」
「……え? 何を言って...」 沙織の声が、わずかに揺れている。 想定外だったんだろうな。 さっきまでの余裕の笑みが、 ほんの少しだけ崩れている。 私は目を逸らさずにしっかりと見つめる。 絶対に...許さない。 「ん?聞こえなかった? 私が育てるって言ったの」 もう一度、同じ言葉を繰り返す ゆっくりと、丁寧に。 決しておふざけなんかじゃなく 誤解なんてさせないように。 「だって、その子――拓也の子でしょ?」 沙織の喉が、小さく動く。 さっきはあれほど自慢してた癖に... 何か言おうとして、 言葉にならないみたい... もう理解なんて求めない。 わかってないならもう構わない。 私は、迷わない。 「……冗談、だよね?」 ようやく絞り出した声は、 さっきまでとは違っていた。 はじめて見る沙織の表情... 少しずつ、弱くなる。 私は、首を傾げた。 「なんで?... 今、ふざける必要あった?」 沙織は私に怯えたように、 表情を焦りに変えて返事をする。 「だって……そんなの、おかしいじゃん。 だから私は拓也さんの奥さんになりたいから...」 おかしい?... 既婚者の嫁になりたい? もはや笑えてくる。 夢は眠ってから見るものだよ。 沙織... 「どこが?...何もおかしくないよ? 私、離婚する気ないし... そしたら沙織が大変じゃん。」 即答。 間なんて、作らせないよ。 徹底的に詰めてやるから... 「だから、 その子は――」 「うん」 言葉を遮るように、私は頷いた。 「私の夫の子だよね?」 拓也の名前も出してほしくない。 あたかも自分の物みたいに... これで、十分。 沙織の目が、はっきりと揺れる。 ダメじゃない...沙織... もっと焦ってくれなきゃ... ふふふっ... 私は、カップに手を伸ばした。 もう冷めかけたコーヒーを、一口だけ飲む。 「……体、大丈夫?」 「え……?」 「無理してない?」 私は沙織に... 視線を合わせたまま、穏やかに続ける。 「初期って大事っていうし...」 「ちゃんと休めてる?」 沙織が、完全に言葉を失う。 あぁ... その表情、すごく可愛い。 もうさっきまでの“勝ってる側”の顔は、 もうどこにもない。
Last Updated: 2026-04-18
Chapter: 第22話「その子、私が育てるね。」
翌日。 昼過ぎ、スマホにメッセージが届いた。 いつもだと珍しい時間... 『美咲、元気してる? いきなりなんだけどさ 今日...時間ある?』 沙織からの連絡だ。 しばらく会えてなかったのに... 何があったんだろ?... 拓也に何か言われたのだろうか。 私のかけがえのない親友。 そして私の子を殺したもう一人... 『あるよ。どうしたの?』 すぐに返信すると、既読がついた。 『久しぶりに会いたいなって』 会いたいなんて思うはずないのに... 『いいよ。どこ行く?』 期待と憎しみが交差しながらメッセージを打つ。 『じゃあ、いつものカフェで』 いつもの...ねぇ... 私にとってそこはトラウマな場所。 拓也と沙織が笑い合っていたあの席に... 「仕方ないなぁ...」 私は手のひらの中に、 怒りを抑えながら 握り締めていた。 ........... 午後三時。 待ち合わせのカフェに入ると、 すでに沙織は席に座っていた。 その姿を見るだけで、胸の鼓動が早くなる 悍ましい。 妬ましい。 黒く澱む感情を抑えながら... 私は平然を装う。 「美咲ちゃん、こっち」 明るく手を振る姿に、 吐き気がする。 「久しぶり、沙織」 私は、以前のように声をかける。 「ほんとだね。元気?」 元気だよ。 あなたに会わずに済んでいたからね。 向かいに座ると、 いつも通りの空気が流れる。 「最近どう?」 「まあまあかな」 「拓也さんとは?」 何気ない質問なはずだが... 徐々に...徐々に... 黒く澱む感情が私を覆っていく。 「うん、普通だよ...」 少しだけ言葉を濁した。 私は表情を崩さずにいることに必死だった。 「そっか...」 沙織はにこりと笑った。 「ならよかった」 その笑顔に、ほんの一瞬だけ、 引っかかるものを感じた。 何を企んでいるのだろう... 煮えたぎるものを抑える。 「ねえ」 コーヒーが運ばれてきて、少し経った頃。 沙織が、カップの縁をなぞりながら口を開いた。 「相談があるんだ」 「どうしたの?」 軽く返すと、沙織は少しだけ
Last Updated: 2026-04-15
Chapter: 第21話「予定通り」
それからは、円満な生活を過ごしていた。 ――少なくとも、そう見えるように。 模範になるように、心を捨てて。 何も知らない“いい妻”として、 いつも通りに過ごす。 ……ふりをするのは、昔から得意だった。 出来る奥さんのふり。 家族を望んでいるふり。 何も疑っていないふり。 その偽りの中で―― 拓也が見せる“証拠”を、 ひとつずつ、拾い集めていく。 沙織からは、しばらく連絡がない。 きっと拓也が、何か話したのだろう。 ……でも。 二人の関係が、終わっていないことくらい。 ちゃんと、知っている。 だって私は―― 拓也の携帯に入っているGPSの履歴を、 毎日、欠かさず確認しているから。 どこへ行ったか。 誰と過ごしたか。 何時に、どこで、どれだけ滞在したか。 全部。 全部、知っている。 そして今日も―― “私の女優”になる時間が始まる。 「ただいま」 玄関の扉が開く音に、 私はキッチンから顔を出した。 「おかえりなさい、拓也」 ネクタイを緩めながら入ってくる拓也に、 いつも通りの笑顔を向ける。 「今日も遅かったね」 「ああ、ごめん。ちょっと仕事が立て込んでて」 そう言いながら、拓也は視線を逸らした。 ……沙織との“お仕事”は、大変そうね。 「ご飯、できてるよ」 「ああ、ありがとう」 テーブルに並べた料理は、 拓也の好きなものばかり。 肉じゃが。 だし巻き卵。 ほうれん草のおひたし。 あの日から仕込んだ“隠し味”も―― ちゃんと、今日も口に運ばれている。 拓也の好みは、 誰よりも分かっているつもりだった。 だからこそ―― “気付かれないように混ぜる”ことも、簡単だった。 「……美味いよ。ありがとう」 箸を動かしながら、拓也がぽつりと呟く。 「ほんと?」 「ああ」 短い返事。 でも、それで十分。 この食卓に並んでいるものが、 まだ“味”として感じられていることの方が―― 不思議なくらいだから。 あれから私は、 “本気で”妊活を始めた。 病院にも通い、 拓也にも付き添わせ、 義両親にも、それとなく話を通している。 全部―― 逃げ場を、なくすため。 「ねえ、拓也」 私は、優しく微笑んだまま言う。 「そろそろ……本気で、子供ほしいね?」 その言葉
Last Updated: 2026-04-14
三百年の妻〜常夜の花嫁〜

三百年の妻〜常夜の花嫁〜

久遠市の常夜湖で、若い女性ばかりを狙った連続殺人事件が起きている。 湖の管理を任される白瀬孝一は、事情聴取の最中、旧久遠村の歴史を調べる女子大生・桐野澪と出会う。 彼女が追っているのは、洪水の記録から“消えた二十歳の巫女”。 ——その話を聞いた夜。 孝一は、満月の湖畔に立つ妻・いろはの姿を目撃する。 「二十歳って……いちばん綺麗な年頃よね」 完璧な微笑みの奥に潜む、見知らぬ顔。 愛しているはずの妻が、もしも秘密を抱えているとしたら。 これは、三百年の時を越えた“独占愛”の物語。
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Chapter: 第37話「あなただ。」
「神主さん、忠告ありがとうございます。でも……私は、孝一さんを迎えに行きます」「いろはさんとの約束だから……」自分でも驚くほど、その決意は揺らがなかった。神主は、わずかに目を伏せる。「……桐野さんの気持ちは、わかる」低く、静かな声。「だが――あちらへもう一度行くなど、それは……叶わぬ話である」「どうして……!?」思わず声が強くなる。その瞬間、私は――気づいてしまった。常夜流し。村長も、孝之助も……そして、ヒルコも――すべては、“常夜”へ――“黄泉”へと繋がるための儀式。「……お気づきになられましたかな」神主の声色が、わずかに変わる。「そう。常夜へ行くには――再び“常夜流し”を行う他、術はない」その言葉が、胸の奥に、重く沈む。「桐野さん……」神主は、静かに私を見据えた。「――再び、惨劇を起こすおつもりか?」「そっ……それは……」神主の視線に射抜かれ、胸の奥で固めていた覚悟が――揺らぐ。「そう、それでよい」静かな声が、逆に残酷だった。「せっかく与えられた命を、無碍にする必要はない」私は、うつむく。言葉が、出ない。「……ごめん……」ぽつりと、零れた。――孝一さんの、あの時の表情が浮かぶ。伸ばしかけた手。何かを伝えようとしていた、あの目。「でもっ……」顔を上げる。「でもっ……!」喉が焼けるように痛い。「私は……孝一さんに、もう一度……会いたいんです」震える拳を握りしめる。唇を、強く噛む。それでも――私は、神主に縋るように叫んだ。「どうにか……手段はないんですか……!?」神主は――すぐには答えなかった。沈黙。重く、張り詰めた空気が、部屋を満たしていく。やがて、ゆっくりと口を開いた。「……ないわけでは、ない」「……え?」思わず顔を上げる。神主の目は、先ほどまでとは違う色を帯びていた。「ただし――」低く、釘を打つような声。「それは、“人が踏み入れてはならぬ領域”だ」胸が、大きく脈打つ。「それを行えば、あちらへ辿り着くことはできよう」「ただし……」神主は一歩、私に近づく。「今度は――戻れる保証はない」言葉が、理解に追いつかない。「それって……」喉が、ひどく乾く。神主は、はっきりと言い切った。「“迎えに行く”のではない」「――桐野
Last Updated: 2026-04-11
Chapter: 第36話「満ちる夜の前に」
神主は、わずかに目を伏せた。 「……ここから先は」 静かに、言葉を選ぶ。 「確たる記録ではなく――あくまで、私の推測となりますが」 蝋燭の火が、小さく揺れる。 「その男――澪様のお父上は」 「ヒルコ様に“触れられた”のでしょう」 「いえ……あるいは」 わずかに、間を置く。 「“選ばれた”のかもしれませぬ」 喉の奥が、乾く。 「その結果として起きたのが――」 「先ほどの日誌に記されていた、あの惨劇」 神主の声は、あくまで静かだった。 だからこそ、逃げ場がない。 「意思を侵されたのか」 「それとも、自ら受け入れたのか」 「そこまでは、分かりませぬ」 「ですが――」 神主は、ゆっくりと顔を上げた。 「ヒルコ様は、“媒介”を得た」 「人の世界へ干渉するための――足掛かりを」 空気が、重く沈む。 「そして……」 その視線が、まっすぐに向けられる。 「澪様」 名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねる。 「あなたは――その先におられる方だ」 蝋燭の火が、大きく揺れた。 「血の繋がりか」 「あるいは、より強い“適性”か」 「理由は定かではありませぬが……」 ほんのわずかに、声が低くなる。 「ヒルコ様は」 「あなたを、“器”にしようとしたのでしょう」 沈黙。 息が、うまく吸えない。 「――いえ」 神主は、小さく首を振る。 「“しようとしている”のかもしれませぬな」 火が、じり、と鳴った。 神主は、ふと口を閉ざした。 そして―― 何かに引っかかったように、わずかに眉を寄せる。 「……ですが」 ゆっくりと、視線を落とした。 「先ほどの桐野さんのお話……」 「少々、気がかりでしてな」 蝋燭の火が、小さく揺れる。 「その……孝一という御方と」 「いろは殿に“化けた”ヒルコ様が」 「共に日常を過ごしていた、と仰いましたな」 わずかな沈黙。 「……だとすれば」 神主の声が、わずかに低くなる。 「ヒルコ様は――すでに」 「“愛”に触れていたはずだ」 空気が、ぴたりと止まる。 「求め続けていたものを」 「手にしていた、はず……」 その言葉は、自分に言い聞かせるようで
Last Updated: 2026-04-07
Chapter: 第35話「愛を持たぬ神」
神主は、静かに目を細めた。 「では――」 ゆっくりと、口を開く。 「この社に伝わる話を、いたしましょうか」 その声音は、どこまでも穏やかで―― 「桐野さんがお知りになりたいことも、 その中に含まれておるでしょう」 そして、神主は語り始めた。 社の奥は、ひどく静まり返っていた。 揺れる蝋燭の火だけが、かすかに空間を照らしている。 「――昔の昔、この地には“最初の神”が居られたと伝えられております」 神主は、ゆっくりと語り始めた。 「しかし、その御子は……不完全であられた」 「形は崩れ、感情も持たず……ただ、空腹だけを宿しておられた」 外で風が鳴る。 「そのため、海へと流されたのです」 「流れ着いた先で、その御子は――人に拾われました」 「食を与えられ、体を拭われ、声をかけられる」 「理由など、分からなかったでしょう」 「なぜ、自分のようなものに」 「なぜ、見知らぬ存在に」 「なぜ、施しを与えるのか――と」 蝋燭の火が、揺れる。 「けれど、その施しは……温かかった」 「やがて、その疑問は形を持ちます」 「そして――知るのです」 「それが、“愛”であると」 わずかな沈黙。 「……ですが」 「その神には、“愛”を感じることができなかった」 「持っていなかったのです」 火が、じり、と鳴る。 「だからこそ――その神は、“愛”を欲した」 「理解ではなく」 「模倣でもなく」 「――本物を」 空気が、重く沈む。 「その歪みは、やがて“出来事”として現れました」 「人が一人、また一人と消える」 「そして、共通していたのです」 神主の目が、こちらを射抜く。 「深く愛されていた者ばかりが、消えていった」 喉が詰まる。 「ヒルコ様は、“知ってしまった”のです」 「愛というものの温度を」 「けれど、自らは生み出せない」 「だから――求めた」 「“自分で感じる”ために」 神主は、はっきりと告げる。 「器を」 背筋が冷える。 「感情を持つための器」 「――人の、体を」 「強く愛されている者ほど、その器として相応しい」 「だから、選ばれたのです」 「愛されすぎた者たちが」 長い沈黙。 「……しかし」 神主の声が、わずかに変わった。 「その所業を、見過ごさぬ存在がおりました」 蝋
Last Updated: 2026-04-06
Chapter: 第34話「黄泉帰りの記録」
第34話。私は、その社へと足を運んだ。これまで何度も調査に訪れていたはずなのに――どうして、今まで気づかなかったのだろう。「……すいません」静まり返った境内に、声を落とす。「どなたか、いらっしゃいませんか」しばらくの沈黙――「……はい、今参りますよ」戸の奥から、年配の男性の声が返ってきた。ゆっくりと、扉が開く。現れたのは、神主と思しき人物だった。その目が、私を捉えた瞬間――わずかに、空気が張り詰める。「あの、突然お伺いして申し訳ありません。私、桐野澪と申します。旧久遠村の調査をしていて……」名乗った、その時だった。神主の表情が、はっきりと変わる。驚きとも、困惑ともつかない顔で、じっと私を見つめていた。「……まさか……このようなことが……」小さく呟いたあと、静かに言う。「お嬢さん。どうぞ、中へ」促されるまま、私は社の中へと足を踏み入れた。通されたのは、奥の座敷だった。「ここで、少しお待ちくだされ」そう言い残し、神主は奥へと引っ込む。取り残された静寂の中、私は無意識に息を潜めていた。やがて――「すまん、すまん……書物を探しておってな」神主が戻ってくる。その手には、古びた冊子が握られていた。「桐野さんは……こちら側の人、ですかな?」「……え?」思わず聞き返す。こちら側――?神主は、私をじっと見据えたまま続けた。「いや……常夜の気配を纏っておる。屍人が訪ねてきたのかと思ったが……」その言葉に、背筋が冷える。「……常夜を、ご存じなんですか?」思わず身を乗り出すと、神主はゆっくりと頷いた。「無論。だがまずは……あなたの話を聞かせてくだされ」神主は、私の正面に腰を下ろす。私はノートを開き、これまでの出来事を語り始めた。孝一さんのこと。いろはさんのこと。常夜のこと。ヒルコのこと。そして――孝一さんの存在が、少しずつ消えていること。神主は穏やかな笑みを浮かべながら、何度も頷き、相槌を打っていた。だが――ヒルコの名を口にした瞬間だけ、その表情が、わずかに歪んだ。すべてを話し終えたあと。神主は、静かに一冊の書物を差し出した。「これは……?」受け取ると、それはかなり古い日誌のようだった。紙は黄ばみ、端は擦り切れている。「旧久遠村の村長の娘が記したものだ。……奇妙な
Last Updated: 2026-04-03
Chapter: 第33話「白瀬の痕跡」
「.......取り返しに、行く.....」そう決意を固めた私は、それから今まで調べた旧久遠村の歴史と孝一さん宅であった怪奇現象...そして、常夜流しについて...情報を照らし合わせることにした。いろはさんが話してくれた常夜についても...ノートにひとつ、ひとつ書き出していく。旧久遠村では、ヒルコのせいで...記録に残っていた壊滅的水害。これがヒルコが起こした事?常夜流しの記録違い...孝一さん宅でヒルコが話していた「罪隠し」それは村長が起こしたって。その罪が常夜流しだった?だとしたら理由はなんだったんだろう。いろはさんとの会話が頭に浮かぶ...「あの人と私は愛し合っていたの。その私をここに迎えに行くと聞かずに...」そうだ。いろはさんは私と出会った常夜にいた...「常夜流しを続けたの...」孝之助は常夜に迎えにいくために...常夜流しが必要だった。黄泉帰りのための供物...そのために...孝之助は人を生贄にしていた!?点と点が繋がっていく。村長は一度、黄泉帰りをしていてそのタイミングが水害と合っている。と言うことは代償的なことだとして...その代償でいろはさんは、常夜にそしていろはさんを迎えに行こうとした孝之助は、村長と同じ事をしようと常夜流しを続けていた。「そして、仕舞いにはヒルコとの約束の縛りを設けてヒルコの力を手に入れたとたんに、騙されて...」約束の縛り...ヒルコの力っていうのは...そして、いろはさんがいたあの常夜...うぅーん......やっぱり、色々と繋がらない部分がある...「もっと調べなきゃ...」私は、久遠市の資料館に向かおうとタクシーを呼ぶため携帯を取り出し、画面をスクロールする。ん?...あれ?...携帯の中、どの履歴を見ても「白瀬 孝一」の名前がない!?アドレス帳を開くも...トーク履歴を見ても...えっ?...えっ?...なんで?......何が起きたのわからずに、焦る私は、白瀬孝一宅に向かうことにした。「確か、孝一さん宅は常夜湖の近くで...」近づくにつれて...私は目の前の現実に戸惑いを隠せなかった。「孝一さん宅が...」「ない...」タクシーを迂回してもらい孝一さんの職場に向かう...。「すいませ
Last Updated: 2026-04-02
Chapter: 第32話「選ばれなかった私」
――光。次の瞬間。「……っ……はっ……!」澪は、畳の上に倒れ込んでいた。見慣れた天井。見慣れた空気。――現世。「……帰って……きた……?」震える手で、自分の胸を押さえる。ちゃんと、鼓動がある。生きている。助かった。……助けられた。 「…っ……」涙が、溢れる。止まらない。「なんで……」ぽつりと、零れる。「なんで……私なの……」救われたのに。生きているのに。苦しい。どうしようもなく。苦しい。「……孝一さん.....」名前を呼ぶ。もう、届かないと分かっているのに。「…ばか……」笑おうとして、崩れる。「……ばかぁ……っ……」声にならない嗚咽が、静かな部屋に響く。私は、いろはさんとの約束を守れなかった。約束だったのかなんて、分からない。それでも――けど、私を守るために身を挺してくれた恩人の願いを...「――あなたが、救える」私はそれを叶える事が出来なかった。孝一さんがヒルコの手を取った瞬間...孝一さんの最後の言葉...「……ごめん」その一言が、何度も、何度も、何度も。頭の奥で反響する。やめて。やめてよ。 「……っ……違う……」 違う。 謝るのは―― 「……私、でしょ……」 指先が、畳を掻く。 爪が、擦れる。 じり、と嫌な音がする。 「……助けられたのは……私で……」 喉が、震える。 「置いていかれたのも……私で……」 ぽたり、と涙が落ちる。 「……選ばれなかったのも……私……」 その言葉を口にした瞬間。 ――胸の奥が、きしんだ。  「……違う」 小さく、呟く。  「……違う……違う違う違う……」 首を振る。 何度も、何度も。  「……あの人は……選ばされたんだ」 そうだ。 そうに決まってる。 だって―― あんな顔、していた。  「……ヒルコが……」 その名前を口にした瞬間、 部屋の空気が、わずかに、冷えた気がした。  「……あいつが……」 ぎし。 畳が、鳴る。  「……全部……奪った……」 呼吸が、浅くなる。 視界が、滲む。 けれど。 今までとは違う。 これは、 涙じゃない。  「……返して……」 ぽつり。
Last Updated: 2026-03-31
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