LOGIN十歳の頃から、二宮凪(にのみや なぎ)の傍にはいつも中島渉(なかじま わたる)がいた。 彼女の青春時代の想いも、結婚への憧れも、そのすべては渉に向けられていた。 たとえ渉が他の女のために凪を蔑ろにし、傷つけても、凪はいつか渉と結ばれて幸せになれると信じて疑わなかったのだ。 しかし、結婚式の前夜、その信頼は脆くも崩れ去った。渉は別の女を抱き、二人の新居で夜を明かしたのだ。 この裏切りによって、凪はついに自分の幻想から目を覚ました。 彼女は渉との連絡を一切断ち、長年離れていた鬼の棲家――実家へと戻る。 そして、子供を授かりにくい体質の黒崎家の三男と電撃結婚を果たした。 自分を傷つけた者たちを、一人残らず見返した。 凪は、母が遺したものを一つずつ着実に取り戻し始めた。 さらには、狂ったように復縁を迫る渉を冷酷に突き放したのだった。 だがある夜、夫である黒崎家の三男にベッドに押し倒され、凪は衝撃の事実に気づいてしまう。 互いの利益のための、愛のない契約結婚だと思っていたこの関係が、まさか、この男による十五年にも及ぶ、ただひたすらな想いの果てに仕組まれたものだったとは。
View More12億円の借金を返し終えたその夜。明里は、これでようやく安心して眠れると思っていた。ところが、大地の頭の中にはまだ息子のことがある。「新しく買った邸宅は、川沿いで眺めも空気も最高だ。いっそ一緒にあっちへ引っ越さないか?お前もそこでゆっくり体を休めて、早く元気になれば、俺たちも早く息子に会えるんじゃないのか?」その瞬間、明里の眠気は完全に吹き飛んだ。冗談じゃない!ついさっき、その邸宅を売り払ったばかりなのだ。しかも手にした12億円は、すでに凪に渡してしまっている。今さら引っ越すと言われても、住むところなんてどこにもない。「大地。あの子は今住んでる家で授かったから、やっぱりここに住んでいた方が、息子も戻ってきやすいと思うよ」「急がなくていいさ。まずは向こうで体を整えて、お前が完全に元気になったら、またこっちへ戻ればいい。せっかくあんな高い邸宅を買ったのに、空けたままじゃもったいないだろ?」明里を強く抱きしめ、大地の言葉の端々からは愛おしさが溢れている。明里は少しでも引き留めようと反論したが、拒絶しすぎて不信感を抱かれるのを恐れ、とりあえず大地をなだめて寝かせ、明日の策を練ることにした。またしても、一睡もできない夜になった。翌日。大地はすっきりした顔で起きると、秘書に引っ越し業者を手配させ、家財道具の整理まで始めさせた。もう逃げ道はない。明里は、このままでは真実が露見すると焦り、すぐ葵を呼びつける。「私のへそくりが数千万円あるから、今すぐ人を探して、売った別荘を借り戻して!お父さんが向こうへ引っ越して、家がもう私たちのものじゃないって気づいたら、私たちはもう終わりよ!」青ざめた葵は、冷や汗をかきながら急いで売り払った邸宅を借りに向かった。買い手は、昨日売ったばかりなのに今度は借りたいと言い出した売り手を不思議には思ったが、金を払うというなら、断る理由もない。「年間の賃料として数千万なら、高くはないでしょう」買い手は平然と吹っかけてきた。葵は危うく怒鳴り返しそうになったが、大地の引っ越しはもう始まっているため、涙を飲んで了承した。「分かりました。でも、この件は口外しないようにお願いしますね」「もちろん」あっさり承諾した買い手。葵は年間賃貸料として、身を切られるような思
明里は、葵の期待をばっさりと切り捨てる。「もったいないなんてことはないわよ。早く凪に12億円を返しちゃえば、もう脅されることもない。その時こそ、二宮グループは私たちだけのものになるんだから。邸宅なんて、一軒どころか、十軒だって買えちゃうんだから」「はーい」葵は名残惜しかったが、売却の手続きを進めることにした。12億円は決して小さな金額ではなかったが、別荘は立地もよく、相場も高かったため、すぐに内見希望者が現れ、そのまま購入の話まで進んだ。明里は大喜びで契約へ向かい、署名を済ませて代金を受け取ると、そそくさとその場を離れた。背後から、ずっと見張られているとも知らずに……猫のワクチン接種に出かけようとしていた凪のもとに、明里を監視させていた人から報告が入った。【明里さんが大地さんに買ってもらった邸宅を売りました。金額は12億円です】【決済はもう済んだの?】【2時間前には決済済みです。銀行から出てくる明里さんも確認しました】2時間……それなのに、明里からは何の連絡もない。まさか12億円を手元に置いて運用し、ぎりぎりまで増やしてから返そうとしているのか?だが明里に金を増やす才覚があるなら、そもそも今日のような状況にはなっていない。あの女の手元に置いておけば、消えてなくなるのと同じだ。それに、今のミツキホールディングスには資金が必要だった。凪はすぐに明里へメッセージを送る。【12億円はまだ?】【もう少し待ってよ。そんな大金、簡単に用意できるわけないでしょ?】明里はそう返しながら、株や投資信託の冊子を次々めくっていた。せっかく手に入った12億円を、そのまま全部凪へ渡すなんてもったいない。先に少し運用して増やし、その利益だけでも自分のものにできれば――そんなことを考えていた矢先に、凪から電話がかかってきた。「お金があるのに返さないで、投資で溶かしたら何で返すつもり?」「なっ……なんでわかったのよ!」明里は驚きすぎて、手にしていた冊子を放り落とした。慌てて周囲を見回す。だが、誰かに見張られている様子はない。それなのに、なぜ凪は12億円を手にしたことを知っているのだ?電話の向こうで、凪が笑った。「さっきまでは知らなかったけど、今、確信に変わった」明里の顔は、一瞬で青ざめ
凪はその答えに大満足だった。忍から回ってきた大型案件は、今のミツキホールディングスでは受け切れないため、無理に奪ったところで意味がない。それよりも、母の資産をひとつずつ、自分の手へ取り戻す方が大事だ。凪は空の手のひらを、そっと指先でつつく。空の険しかった目元が、ようやく少しだけ和らぐ。「じゃあ、そうしよう」そう言うと、空は挨拶すらせず、凪を連れて堂々と二宮家を後にした。車に乗り込むと、空が傷の状態を尋ねるよりも先に、凪が自ら距離を詰めて、少しだけ微笑んだ。「今日は助けてくれてありがとうございました」空が来なくても自分の身は守れただろうが、母の資産まで取り戻すことはできなかった。凪の笑顔が少しずつ近づいてくる。空はしばらく黙ったまま見つめていたが、やがて少し気まずそうに視線を逸らすと、何事もなかったように、凪のシートベルトを締めた。「まだ怪我人なんだから、あちこち動き回るな。帰ったらゆっくり休め」「分かりました」凪は素直にシートベルトを締められながら、心の中では、少し予想外のことだと思っていた。空さんって、人にシートベルトまでしてあげるんだ。以前、他の女の子にもこうしてあげたことがあるのだろうか?そんな他愛もないことを心の中で考えていたが、疲れには勝てず、ほどなく深い眠りへ落ちていった。その間も、空の視線は、ずっと凪から離れなかった。……数日後。帰宅した明里は、葵の額の傷と、所有していた一軒の邸宅が手元から消えたことを知り、あまりの怒りで危うく気を失いかけた。そのまま大地の書斎へ乗り込み、泣き崩れる。「大地!私は息子を失ったばかりなのに、どうして今度は、唯一の娘までこんな酷い目に遭わせるの!?」大地は驚き、ふらつく明里を慌てて支えた。「俺が葵に何をしたっていうんだ?葵がケガをしたのは、凪に食ってかかって、自分から棚に頭をぶつけただけだろ?誰のせいでもなく、あいつ自身のせいだ」明里は一瞬、言葉に詰まった。だがすぐに態度を切り替え、力なく大地の胸へもたれかかった。「葵がああなったのは……私たち二人で甘やかして育てたせいよ。でもね、大地。お医者様が言ってたの。ちゃんと体を休めれば、また妊娠できるかもしれないって。ねえ、前に大地と美月さんの間に子供ができた時、邸宅を買ってあ
凪は立ち上がるどころか、大地につかまれて傷口が痛むふりをして、包帯の巻かれた腕をぎゅっと押さえた。唇を軽く噛み、弱々しくつぶやく。「……痛い」大地は怒りで危うく息が止まるところだった。何も触ってないだろうが!大地が慌てて弁解しようとしたその時、玄関から、空の冷え切った声が響いた。「凪を呼び戻しておいて、こんな風にもてなしてくれてたのか?」空は足早にこちらへ向かってくる。入口付近にいた親戚たちは、その視線を浴びただけで息苦しさを覚え、自然と左右へ分かれて道を開けた。空は凪のそばへしゃがみ込み、立たせようと手を伸ばす。だが凪はその袖をぎゅっとつかみ、小さな声で言った。「父が……私のせいで明里さんと葵が酷い目に遭ったから、罰を与えるって……」「凪のせい?」空は一語一句確かめるように言った。立ち上がることもせず、そのまま凪の細く冷たい手首を包み込み、怒りを含んだ目で大地を見た。「葵は故意に人を傷つけようとしたのに、それでも黒崎家はあいつを刑務所送りにはしなかった。かなり譲歩したつもりだったんだがな。なのに今日は事実をねじ曲げて、さらには黒崎家から補償まで受け取っているのに、凪に復讐する?何の罪もない彼女に手をあげ、皮膚が裂けるまで叩けば満足なのか?」空は凪の腕をそっと引き、自分の胸元へ抱き寄せ、指先で昨日処置した部分を慎重に確かめる。血は滲んでいない、傷口も開いていない。それを確認しても、その瞳の冷たさはむしろ増すばかり。大地は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。娘を少し叱ろうとしただけなのに、どうして空の口から出ると、復讐になってしまうんだ?大地は慌てて弁解する。「誤解だ、全て誤解なんだ!凪はまだ怪我をしているんだから、父親の私が、本当に皮膚が裂けるほど叩くはずがないじゃないか。ただ大輔さんの婚約披露宴の件で姉妹喧嘩をはじめて、凪が葵に酷いことをしたから、少し躾けるつもりで……」その言葉を聞いた凪は、空の胸元にもたれたまま顔を向ける。「じゃあ、私が葵に婚約式を壊せって命令したの?それとも、私が葵の頭をつかんで棚にぶつけた?父親っていう立場は本当に便利ね。口を開けば何でも私のせいにできるんだから」「その、俺は……」大地は説明しようにも、何ひとつ筋が通らない。空はそれを聞き終えると、
今回は文章はなく、写真だけだった。それは、眠っている渉の写真だった。男は後ろから直美を抱きしめ、腕の中にすっぽりと収めて、深く眠っていた。直美は恥じらうような笑顔を浮かべている。唇は腫れあがり、開いたネグリジェの襟元からは、キスマークがいくつも見えていた。昨夜、何があったかは言うまでもない。凪と渉は五年付き合って、一番深い関係には一度もならなかった。付き合い始めの頃、気持ちが抑えきれない渉は、凪を強く抱きしめてこう言った。「凪ちゃん、早く大人になって……」その後、渉はもうそんな風に凪を抱きしめることはなく、ただ、結婚してからにしようと、なだめるだけだった。凪はず
二宮凪(にのみや なぎ)はシルクのネグリジェを身にまとい、大きな窓の前に立っていた。外に広がる街の灯りをしばらく眺めた後、スマホを取り出して実家に電話をかけた。「例の縁談、受けるわ」電話の向こうは一瞬沈黙したが、すぐに凪の父親である二宮大地(にのみや だいち)の隠しきれない喜びの声が聞こえてきた。「凪ちゃん、いつ帰ってくるんだ?父さんが迎えに行くからな」久しく呼ばれていなかったその呼び方に、凪は思わず鼻の奥がツンとなった。「来週の月曜」それだけ言うと、凪は電話を切った。母が亡くなった途端、この男は待ちきれないとばかりに、愛人と娘を家に連れ戻ってきた。あの二人を憎
「渉、食事が冷めるぞ」悠斗はそう言うと、エビを一つ、凪のお皿に乗せてやった。悠斗がその場を収めてくれてはいたものの、食事は気まずい雰囲気のまま、お開きとなった。帰り際、渉は凪をバス停に置き去りにすると、何も言わずに車を走らせて行ってしまった。……そのことについて、凪は特に何も感じなかった。静かにホテルに戻ると、彼女から渉に連絡することはなかった。凪はテキパキと雑務を片付けて、Y市でのしがらみを一つ一つ断ち切っていった。時折、直美から送られてくるメッセージを開いた。トーク画面には、ここ数日、二人が何をしたのかが、細かく報告されていた。心の痛みが麻痺してくると、
名家に生まれた人間であれば、直美に染み付いた育ちの悪さは一目で見抜けるものだ。どんなに取り繕ったところで、無駄なことだった。静香は凪のことすら気に入らないのだから、直美のことなど好きになるはずもなかった。凪が現れると、静香の怒りは一気にそちらへ向かった。「自分の男もろくに繋ぎ止められないなんて、だらしないわね。あんな女を家に上げるなんて」渉は直美を背後にかばい、冷たく威圧するような声で言った。「直美は俺の友達だ。おばさん、言葉には気をつけて!」凪は初めて中島家に来たときのことを思い出した。あの頃は家に入る前から、渉に何度も念を押されたものだった。中島家の人たちと
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