Chapter: 第103話 マオタイのアジト 凛を乗せたセダンが、雲城市のベイフロントに建つ高級マンションに停まる。その一室が、個人投資家集団マオタイの活動拠点となっていた。「お帰りー! どうだった?!」 玄関の扉が開くなり、美玲が顔を出した。「やったわー! |老藤原《ラオ・フジワラ》の関心事は黒川計器の経営権でビンゴ!!」 凛は弾んだ声で答えた。「工場を市外に移転する話題まで出ているからな。早々に手を打ちたいだろう」 凛の背後から佐伯が付け加える。祝賀会が開かれたホテルから凛をこのアジトへ届けたのは、佐伯だった。「ええ。あの様子なら、こちらの話にも乗ってくると思うわ」 凛は満足げに頷いた。そして—— ポイッ。右足のヒールを脱ぎ捨てる。 ポイッ。続けて左足も。「あー、もう、ドレスって本当に肩が凝る! 着替えてくるわ!」「着やすいタイプを貸してるつもりだけれど」 美玲が少し不思議そうに首を傾げた。「美玲さんはスタイルが良いから! 私が美鈴さんのドレスを借りると、お腹をずっと引っ込めなくちゃいけないのよ!」 そう言い残すと、凛はベッドルームの扉を閉めた。 しばらくして、凛が着替えを済ませ、リビングに戻ると、怜も帰ってきていた。 眼鏡をかけ、ソファに腰掛けている。「メガネ姿の怜さまもステキ……」 美玲がうっとりと呟いた。「美玲さんは、憚らなくなったよね」 佐伯が苦笑する。「後輩にも、よく言われます」 美玲は頬に手を当て、涼しい顔で答えた。 凛は二人のやりとりを眺めてから、怜に向き直った。「それで、これから、どうするつもり?」 怜はテーブルの上に置かれた資料を手に取った。「黒川計器の現状を整理しよう」* * *「黒川計器は、外資系ファンドに買収された。 創業家の黒川一族は経営から退き、現在は生え抜きの利根川修一が社長を務めている」 怜が資料をめくる。「社内での評判は悪くない。むしろ、利根川社長を慕う社員は多いようだ。 経営陣も、彼と近しい人間で固められている」「創業家に代わって、社内の人間が会社を立て直している。そういうこと?」 凛が尋ねた。「ああ。少なくとも、表向きはな」「……理想的な経営刷新に見えるけれど」「ところが、そうとも言い切れない」 怜は資料の一枚を指で叩いた。「まず、資金がどんどん社外に流れている。 貸付金ではあるが、
Última actualización: 2026-10-30
Chapter: 第102話 コードネームは太太 雲城市一の格式を誇るホテル。そのバンケットルームでは、新聞社の創立祝賀会が催されていた。「本当に、|老藤原《ラオ・フジワラ》は来ているのかしら?」 凛は、手元の扇を広げて一人呟く。 雲城市の財界人や企業経営者、資産家たちが集う華やかな宴。(なんだか、私だけ場違いな気がするんだけど) パチパチと扇を開けては閉じていると、背後から声が聞こえる。「大丈夫だ。垂水の影はない」 振り返ると、眼鏡をかけたウェイターが立っていた。「怜……」 凛は扇をパチンと閉じた。(垂水さんの動向を追って、こんなことをしているけれど——) 凛は自分の姿を見下ろした。 身体にぴったりと沿うドレス。胸元には大粒のジュエリー。手には扇。 普段の自分とは似ても似つかない装いだ。(なんで私がこんな格好を——!) 凛は怜を睨むように見上げた。「ターゲットに集中しろ。老藤原は、あの奥だ」「あの、いかにも高級そうなスーツを着ている人?」「違う。その隣。チェックの上着を着ている男がいるだろう?」 凛は目を凝らした。「うそ?! あんなヨレヨレのジャケットを着ている人がそうなの?! どう見ても雇われ人って感じじゃない」「見た目で金持ちだと示す必要がないんだろう」 怜は手にしていたシャンパングラスを凛に差し出した。「上手くやれよ」 凛はグラスを受け取る。「分かってるわよ」 優雅な笑みを浮かべ、老人のもとへ歩き出した。* * * 凛は人混みを縫って、会場の奥へと進み、老人に声をかけた。「古いものには、価値があると思われますか?」 凛は扇を少しだけ傾けた。老人の目が、わずかに細くなる。「古いだけでは駄目だ。手入れをして、使い続けてこそ価値がある」「ええ。おっしゃる通りですわね」 老人は凛を見つめた。「なるほど。君が|太太《タイタイ》か」「お会いできて光栄です」凛は優雅に一礼した。「それで、今日は何の用かな?」「少し、お話をさせていただければと思いまして」「わしと?」「はい。雲城市の企業に長く関わっていらっしゃる藤原様に、きっと喜んでいただけるお話が出来ると思いますわ」「これは、ずいぶんと大きく出たものだ」 老人は小さく鼻を鳴らした。「君たちは何者だ?」「マオタイは個人投資家集団です」「代表者は?」「いません」「出資者の名簿は
Última actualización: 2026-10-30
Chapter: 第101話 神崎怜の値打ち(下)入り組んだ隠し通路の先に、佐伯のアジトはある。「世話になったな」怜は佐伯に声をかけながら、身体に巻いていた爆弾を外した。「爆弾……」凛は固まったように呟く。「こんなもの巻いて……どうするつもりだったのよ……」その声は震えていた。顔は青ざめている。(まただ。いつも、オレは、一条凛に、こんな顔をさせている)自分の不甲斐なさを自覚すると、怜は、舌打ちをした。「想像の通りだよ」「危ないじゃない!!」「君の方こそ、危ないだろう!!トラックで事務所に突っ込むなんて、正気の沙汰じゃないぞ?!」怜は凛を怒鳴りつけた。(違う。そういうことが言いたいのではない)怜は眉根を寄せて、訂正した。「……もっと、自分を大切にするべきだ」「はあ?! その言葉、そっくり返すわ!!」凛はドサリとソファに腰掛ける。青い顔に、目をくりくりとさせ、全身で怒りを表している。「……何をそんなに怒っているんだ?」そう問いかけてから、怜は気付いた。(まさか、久世との会話を一条凛も聞いていたのか?そうだとしたら、また、失礼なことを言ってしまった……)本心ではないと、弁明するつもりはなかった。彼女は、自分のことなど、どうとも思っていないかもしれない。それでも「利用していた」と聞けば、嫌な気分にもなるだろう。凛は、めいっぱい怜を睨みつけていた。「だから言っているでしょう? あなたが、自分を大切にしないから怒ってるの
Última actualización: 2026-10-29
Chapter: 第100話 神崎怜の値打ち(上) 久世玄の応接室。 神崎怜は、爆弾を巻いた身体を隠そうともせず、久世を見据えていた。 爆弾をちらつかせ、膠着状態を作ることには成功した。 しかし、分は悪い。 相手は複数。こちらは一人。爆弾があるとはいえ、久世を確実に巻き込むには、相手の出方を見極める必要があった。 垂水のことは、佐伯に任せるしかない。 あとは久世を確実に巻き込み、黒竜会の中枢を潰す。 それで、凛に手を出す者はいなくなる。 怜は、部屋の出入口に立つ男たちを見た。 そのときだった。 道路から、けたたましい音が近づいてくる。 エンジン音。しかも、やけに大きい。「……何だ?」 久世が眉をひそめた。部下の一人が窓の外を覗き込み叫ぶ。「トラック——?!
Última actualización: 2026-10-29
Chapter: 第99話 集荷場所は黒竜会 運送会社の事務所の前で、佐伯は待っていた。 外はすでに真っ暗だった。 凛が自転車を停めると、佐伯は大型トラックを見上げた。「今日はコンテナ車じゃなくて、この大型トラックなんですって。佐伯さんも乗って」「え? 仕事するの?!」「ええ。私は車体を点検するから、佐伯さんは車内を点検して」「……分かった」 佐伯は何か言いたそうだったが、ひとまず助手席に回った。 凛も運転席に乗り込む。二人はシートベルトを締めた。「トラックの運転席って高いんだね」「そうよ。乗るのは初めて?」「まあね。それで、今日の配送ルートは?」「まずは黒竜会の事務所に行くわ。カーナビに入ってる?」 凛は当然のことのように言った。 佐伯は目を白黒させる。「……入ってるわけないだろ?」「そう。じゃあ、住所教えて」「おいおい。俺の話を聞いていなかったのか? 黒竜会は本当に危険な組織で、君は狙われているんだ!」「だからこそ。これだけ巻き込まれて、蚊帳の外っていうのは、納得できないわ」 凛は指先をほぐし、ハンドルを握った。 佐伯は、深々とため息をついた。「無茶苦茶だな。君たち二人とも」 佐伯はカーナビに住所を入力した。繁華街の雑居ビル。そこに、黒竜会の事務所はある。「ありがとう」 凛はトラックを発進させた。ランプが灯る雲城市の湾岸を抜け、市街地へと走る。 そのとき、佐伯のスマートフォンが震えた。 画面を確認した佐伯は、凛に気づかれないよう、そっと通話をつないだ。 しばらくして、凛は口を開いた。「怜からでしょ? スピーカーにして」「……気づいてたのか」「早く」 佐伯は何か言いかけたが
Última actualización: 2026-10-29
Chapter: 第98話 不器用な人 夕暮れ時。凛は自転車を漕ぎ、埋立地の道路を走っていた。 運送会社の事務所までは、もう少しだ。 倉庫の壁が延々と続く道。行き交うトラックの音に紛れて、背後から自転車の走行音が聞こえていた。 気のせいだろうか。 凛は交差点を曲がった。少し走ってから、もう一度、別の道へ入る。 背後の音も、ついてきた。(やっぱり……誰かに尾行されている気がする) 凛は速度を落とし、倉庫の脇へと自転車を寄せた。 そこは、運送会社へ向かう車両が出入りする道から少し外れた場所だった。 自転車を降り、倉庫の壁際に立つ。道路の先が見える位置から、じっと様子をうかがった。 やがて、一台の自転車が角を曲がってきた。 乗っている男は、凛の姿を探すように周囲を見回している。 凛は、男が通り過ぎるのを待った。 そ
Última actualización: 2026-10-28
Chapter: 第35話 復讐の茶席(1)「本日はお越しいただき、ありがとうございます。 どうぞ、若葉の美しい庭をご覧になりながら、お過ごしくださいませ」 東雲子爵夫人の挨拶に、集まった婦人たちが笑顔で応じた。 五月の庭は、目にまぶしいほどの新緑に包まれている。柔らかな風が葉を揺らし、茶席へと続く庭先にも、清々しい空気が流れていた。 志津は扇を手に、周囲を見渡した。 東雲子爵家の茶会に招かれるのは、これが初めてではない。けれど、今日はいつもと少し様子が違うようだった。「このたびは、大変でしたわね」 近くにいた婦人が、東雲子爵夫人に声をかけた。「ええ。本当に」「皆様にお怪我がなくて何よりでした」「お気遣い痛み入ります。本日は心ばかりの席ですが、どうぞお寛ぎくださいませ」 東雲子爵夫人は穏やかに微笑んだ。志津は、その会話が妙に引っかかった。(東雲子爵家になにかあったのかしら?) それでも、こうして茶会を開くのだから、大したことではないのだろう。 志津は、隣に立つ小鈴をちらりと見た。「小鈴、今日は東雲子爵夫人に、きちんとご挨拶なさいね」「もちろんですわ、お母様」 小鈴は自信たっぷりに微笑んだ。 その姿に、志津はかつての自分を重ねる。 人目を引く華やかさ。物怖じしない態度。相手の懐に飛び込むことを恐れない強さ。 かつて花街で名を馳せた頃、志津もまた、それを武器にしてきた。 小鈴にも、きっとできるはずだ。そう信じたかった。 やがて、招待客たちは茶席へと案内された。 志津が目を向けた先には、東雲子爵夫人と、その娘の奈津子、そして――遥香の姿があった。 遥香は二人のそばに控え、何かを尋ねられては、控えめに頷いている。 志津は眉をひそめた。(なぜ、遥香があの場所にいるのかしら?) 軍人に
Última actualización: 2026-11-01
Chapter: 第34話 遥香がいないせいで(下)「あちらにいらっしゃるのは……」 志津が目を向けた先には、年配の夫人たちが集まっていた。「行きましょう」 娘を促し、そちらへ向かった。「ごきげんよう。皆様、お久しゅうございます」「あら、椿男爵夫人。ごきげんよう」 夫人たちは微笑み、軽く会釈を返した。「こちらは娘の小鈴ですの。西条家との婚約も決まりまして、これからは皆様と親しくお付き合いさせていただければと思っておりますのよ」 志津に紹介され、小鈴は華やかな笑顔を浮かべた。「ごきげんよう。椿小鈴ですわ」 ところが、夫人の一人は小鈴の姿を見て、わずかに表情を曇らせた。「小鈴さん。これは、あなたのために申し上げるのだけれど……」「はい?」「茶会では、振袖はお召しにならないものよ」 小鈴の笑顔が止まった。「……まあ」 志津も思わず息を呑んだ。 言われてみれば、そのとおりだった。 華やかな夜会とは違い、茶会には茶席にふさわしい装いがある。志津とて、芸者として名を馳せた身だ。着物の格や、その場に応じた装いを知らないわけではなかった。 だからこそ、顔から火が出るほど恥ずかしい。(小鈴! 女学校にも通わせたのに、こんなことも知らないなんて!) 礼をするために重ねた指に、ぎりりと力が入った。「……ご親切に、ありがとうございます」 志津は、どうにか笑顔を取り繕った。 しかし、小鈴は納得がいかない様子だった。「でも、せっかくのお祝いの席ですもの。華やかな方がよろしいのではありませんか?」 夫人の笑顔が、わずかに強張った。「そうね。けれど、茶会には茶会の作法がありますから」「……そうですの」 小鈴は口元に笑みを浮かべたまま、不満げに目を細めた。
Última actualización: 2026-11-01
Chapter: 第33話 遥香がいないせいで(上)「お母様、お呼びでしょうか?」 小鈴は、華やかな笑顔で部屋に入ってきた。「小鈴。あなたに頼みたいことがあります」 志津は、娘を見つめ、厳かに告げた。「椿家の信用が落ちています。このままでは、今までのお付き合いも失われかねません」「まあ……」「近々、東雲子爵夫人のお誕生日を祝うお茶会が開かれます。 有力な華族が集まる会合よ。 あなたの西条家の婚約者としての立場と、社交界の人脈を使って、椿家のために動いてちょうだい」 小鈴は、ぱっと顔を輝かせた。「お任せください、お母様! わたくしは西条家の婚約者。 皆さん、私の話を喜んで聞いてくださるはずですわ!」 小鈴は自信たっぷりに言った。「今までだって、椿家は社交界で大切にされてきたのですから。
Última actualización: 2026-10-30
Chapter: 第32話 奪われた母の宝物「あの、こちらのお品は……?」 遥香は、店の奥に置かれた香炉を指さした。 淡い色彩と繊細な花模様。花弁の縁に添えられた細い金色の線は、母・洋子が好んだ意匠によく似ていた。「そちらは、先日ある旧家からまとめて仕入れた品の一つでございます」「……ほかにも、同じお家から仕入れたものがあるのですか?」「ええ。よろしければ、お見せいたしましょうか」「ぜひ、お願いいたします」 店主は奥から箱を運んできた。 中には、装飾品や小箱、調度品などが丁寧に収められていた。 遥香は、その一つを手に取った。「……あ」 品の裏側に刻まれた、見覚えのある家紋。 間違えるはずがなかった。 母が嫁入りの際に持参した品だった。
Última actualización: 2026-10-30
Chapter: 第31話 令嬢の隠れた才能(下)「……あの、そちらのお品を、見せていただけますか?」 遥香が指さしたのは、店の奥に並ぶ茶道具だった。「こちらでございますか?」 店主が棚から取り出したのは、淡い青磁の茶碗だった。 隣には、素朴な絵付けの水指や、小ぶりな茶入れが並んでいる。 どれも先ほどの|鍾泉窯《しょうせんよう》の茶碗に比べれば、華やかさでは見劣りする。 けれど、ひとつひとつに異なる趣があり、丁寧に作られた品であることは遥香にも分かった。「こちらは、近ごろ腕を上げてきた職人の作品でございます。まだ名の知れた作家ではありませんが、仕事は確かですよ」 店主の説明を聞きながら、遥香は茶碗を手に取った。 光の加減で、青磁の釉薬が柔らかく色を変える。 派手ではない。けれど、手の中にすっと馴染むような美しさがあった。「……素敵ですね」「お気に召しましたか?」
Última actualización: 2026-10-29
Chapter: 第30話 令嬢の隠れた才能(上) |劣情《ヒート》が落ち着き、ようやく外出できるようになった遥香は、奈津子の実家を訪ねた。 先日届いた手紙には、助けてほしいことがある、とだけ記されていた。 遥香には一つ気がかりがあった。社交界での評判だ。 自分が後ろ指をさされるのは仕方ない。 だが、自分のような者と交流があると知れたら、奈津子に迷惑がかからないだろうか…… 遥香は、重い気持ちを引きずって、奈津子の生家である|東雲《しののめ》子爵家の扉を叩いた。「遥香さん、来てくださってありがとう!」「お会いできて嬉しいわ、奈津子さん」 女学校以来の再会に、遥香の胸は弾んだ。 しかし、先ほどまでの心配を思い出し、どう切り出せばいいものか、と思案する。「遥香さん、ご結婚おめでとう! 遥香さんの素晴らしさを理解する方が、とうとう現れたのね!」「奈津子さん……!」 遥香の不安は、奈津子の一言で吹き飛んだ。「ありがとう。それで、何かあったの?」 遥香が尋ねると、奈津子は少し迷ったあと、口を開いた。「実は、先日、家に泥棒が入ってしまって。 宝石やお金のほかに、茶会で使うはずだった茶道具も、いくつか盗まれてしまったの」「まあ……! お怪我はありませんでしたか?」「幸い、家の者は無事だったわ。 でも、母はお気に入りの道具を失って、すっかり落ち込んでしまって。 楽しみにしていた茶会も取りやめようかと言い出しているのよ」 奈津子は、そっと息をついた。「近いうちに、母の誕生日を祝う茶会を開く予定だったの。 母は、派手好きでしょう? 自分の誕生日の茶会だからと張り切って、いろいろな方にお声がけしていたのに…&he
Última actualización: 2026-10-29